その6.トラベルミニも 写ルンです
◆出会い
90年代に入り、富士フィルムの写ルンです。に代表されるレンズ付フィルムが一般化すると、写真を撮るために必ずしもカメラという機械を所有していなくても済むようになりました。
カメラは使うときよりも使わない時の方が圧倒的に多いのだから、普段置いておくだけなのに持っている必要は無いと考える人も当然出てくる。趣味性の薄いコンパクトカメラはそのままでは居づらくなってきました。一方、オートフォーカス化によって使いやすくなった一眼レフへと人々が移り行く。AF一眼レフと写ルンですの両極化が進んできました。
そんな中、一眼レフほど大げさでなくても写ルンですほど写りに妥協はできない(何しろピントがパンフォーカスだから写したいもの自体がわからない)という人達もいたわけで、コニカがビッグミニというこれまでになく小さなコンパクトカメラを発売し見事にヒットしました。同じフィルムメーカのコニカが、写ルンです。の富士フィルムに一矢報いたわけです。
◆ビッグミニに勝ったか?
で、その富士フィルムのトラベルミニです。ビッグミニとの類似点はいろいろ見つけることができます。ミニというネーミング、飾り気なく丸みおびたデザイン、沈胴式のレンズ機構など。 違いはレンズの焦点距離が28mmと45mmの2焦点だったこと。35mm焦点のビッグミニよりもう少し広く、もう少し大きくということでしょうか。しかし、本家ビッグミニの目新しさがレンズ付きフィルムには無い凝縮されたモノ感にあったことに比べると、2焦点化のためか少し大きくなったトラベルミニのほうは、開発意図では無かったはずのスカスカ感が安っぽい表面塗装やゴム素材のシャッターボタンと共に漏れ出してしまっており同じ土俵で焦点距離の優位性をうたうカメラには見えませんでした。使う側の意識の持ち方としては、二つの焦点距離を選べる写ルンですと言った方がしっくりきました。
◆仕事のために
なぜ、このカメラを購入したかというと、EOS1000とニコンFGだけでは当時出張の多かった仕事にいつでも持ち出すというわけにはいかず、対象をピント合わせて記録に残せる業務カメラが欲しかったからです。その意味で、ズームレンズ付きほど嵩張らず対象次第で28mmと45mmを選べることは大きな魅力でした。また、同じ富士フィルムのTW-ツイングではフラッシュが暗くて閉口した経験から、見た目に大きなストロボ発光部にも魅かれました。
◆写り
使ってみての印象はソコソコの一言です。写ルンですよりは良く写りはしましたが。ソコソコの理由の一端を構造面からみてみると、例えば28mmと45mmの切り替えは1枚の拡大レンズが鏡筒内に入るか入らないかだけです。裏蓋を開けてその作動をみると、その拡大レンズの動きからして光軸など厳密に合わないだろうことは容易に想像できます。なので45mmがボヤッとするのはわかりますが28mmもボヤッとします。トラベルミニは28mmの時はシャープという話を時々見受けますが、使ってみた印象では解像度もコントラストも彩度も感心するものではありませんでした。ただし、露出やピントが思い切り外れることはなく、相手の人に何を写して伝えたいかという目的には十分でした。また、レンズ保護は作動バリヤでなく固定ガラスなのでその面での壊れる心配もなし。
ただ一点困るのは、シャッター押してから撮影完了までがジーパシャージーみたいな音がして長いこと。人を写したりするとき、写される側が期待するタイミングと呼吸が合わないため、現像されてくると何ともマヌケな表情がそのまま写ってしまう怖さがありました。
◆冷や汗の思い出も写したカメラ
撮影の時の思い出でいうと、友達からアメリカのアバディーンという都市にある有名な戦車博物館を伝え聞き訪れた時。手に持っていたカメラがコレでした。特に戦車の類が好きなわけではありませんが、ドイツのタイガー戦車はじめアメリカやイギリス、ロシアの戦車をこのカメラでパチパチしました。プラモデルしか知らなかった者にとってはまさに目を見張る日でした。しかし、それとは別に今となって冷や汗を感じるのは、日本陸軍の戦車の前で、見知らぬアメリカ人に声をかけこのカメラでパチリとしてもらったことです。真珠湾攻撃50周年目のその当時、貿易摩擦もあった事からアメリカでの日本への風当たりは結構強く、例えば自動車ディーラ行くと店員にイチャモンつけられたり...戦車の姿に圧倒されポケーとしていた私はアメリカンガイ(こんな博物館にくるのだからおそらく共和党)に、貴方の国家と戦った日本軍兵器と一緒にお願いね、をしてしまったわけです。しかし、彼は何も嫌がることなく撮ってくれました。そして、その音ジーパシャジーを聞きながら、私は何とも間抜けな顔で写っていたのでした。
◇次回:一つの完成形。一つのスタンダード。これで十分だったカメラ。