まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その30.k-r 電池といえば単3

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◆出会い

城崎の合戦では温泉の踏み石との壮絶な戦いを制したk-5ではあったが、そのガタイには痛々しい打撃キズが残りました。今は気丈に動いてはいてもいつポックリいくかわからない。ペンタックスのレンズも揃ってきた頃、いざその時を迎えても対処できる予備が欲しくなりました。そこで、k-rという初心者向きの機種を追加しました。

LX-5やらQやらも手元にありましたが、ズームをつけて撮影したとき、現像ソフトでのイジリ許容度やプリントしての情報量はさすがにAPS-Cには及ばない、と思っていました。

え?では同じAPS-CのK-01ならどうなのか?

というと、それはソレです。不問の案件としてここでは触れないことにします。ここというかこれからも。

◆予備として、十分な性能

以前にコンタックスRXの予備としてケンコーのカメラを買い、そのファインダとの相性の悪さに結局使いこなせなかった過去があるので「まず、写真として残せるか」という基本的なことを、展示品をさわり回して確認してから購入しました。

<良い点>

シャッター速度が1/6000秒まである、これはベース機種として価格が抑えられている中ではありがたい仕様です。そんな高速シャッタ使う機会あるのか、ニコンFM2でさえ1/4000秒だったのに。というのはフィルムの頃の話で、デジカメになってからレンズ側への要求水準も高まり開放絞りでも使えるものが出てきた今では1/6000では足りなかった。コシナのフォクトロン40mmF2.0を描写が好きで良く使っていた頃ですが、昼間にf2.0で撮ると1/4000でも露出オーバになる時があったので1/6000秒はグッドでした。ちなみに、k-01は1/4000秒です。

また、操作性がペンタックスのk-5・Q・k-01と概ね同じであり、慣れた身には使いやすい。特に、k-5(ひょっとしたらk-7?)からは撮影中にINFOボタンを押せば撮影に関わる設定項目が表のカタチで背面液晶に表示され、その項目を選んですぐにダイヤルで設定変更できるので重宝しました。

そして、ミラーショック。これはk-5と比べればまるで違っていて支えている掌全体にバスンという衝撃が来るのですが、これはこれで撮ったという感じがして好きでした。

最後にデザイン。上方の液晶がないところにモード切替ダイヤルを移してあるが、ペンタ部をしっかり造形しつつ内部の密度感を外に表すよう直線と曲線をビシビシ決めた意匠で大変気に入りました。シルエットだけでみたら個人的に今まで目にしたデジカメの中でもっともカッコいいと思います。細部になると、k-01にみられる全体と調和する部分という点で欠けるところはあるかもしれませんが些細な事。なお、k-5では左の掌に違和感があったフォーカス切り替えの出っ張り部分が、k-rでは小さくなっていてここは嬉しい点です。このビシビシなデザインをそのまま黒にしておくのも勿体なく、グリップ部分はブラウンに変更した個体にしました。商品が届いてみると、そのブラウンが注文したときのパソコンで見た色合いよりもくすんでいてちょっとションボリしましたが。

<予備機と割り切り許容した点>

操作性の点では2点、一つは背面のAFボタンがAEロックボタンと共用であること。ボタン位置がそれに伴い上にあるため撮影中に押すのが難しい。というのは、メガネをかけた左目効きがファインダを覗きながらこのボタンを押そうと右手親指を移動すると、メガネと干渉してしまうからです。これがk-5であれば、AFボタンが鼻の右側に位置するので問題は発生しません。K-rでどうしても必要なら顔をグニュッと変形させることで対処することにしました。やってみると、けっこう変形するものです。

もう一つは、背面の十字ボタンの中にk-5だったら在るカスタムイメージのボタンが無いこと。これがあると、撮影前に対象を見た時に「お、これは白黒にしよう。」と感じたらスッと切り替えられるのですが、無いならばメニュー画面から設定を変えなければなりません。k-rはisoボタンにこの席を譲っているので仕方ありません。

そしてファインダー。覗いた時のサイズがk-5より一回り小さい。サイズが大きすぎると覗いた時に全視野をみるのに目玉をグルリとまわす手間があるので、小さいことが全て悪いわけではありませんが、どうしてもk-5と比較してしまうので覗いた感動が面積縮小の分だけ小さくなる気がします。まあ、ペンタ部もプリズムでなくダハミラで済ませることで軽量化しているし、ケンコーのカメラのようにフォーカスが合わせきれないということは無かったので良しとしました。

最後の妥協点は防塵防滴でないこと。これは、小雨の時ほど写真を撮りに行きたくなる衝動が出た時はk-5にまかせ、そのk-5がもし入院している場合は部屋でガーナチョコをかじりポリフェーノールのリラックス効果によって衝動を抑えるしかない。

 このように、予備のデジイチとして写真を残すのには十分な性能です。

実際、フォクトレンダ40mmをフォーカスエイドでピント合わせし撮影してみても期待どおりの写真が撮れました。軽く出かけたいときには、むしろ、この組み合わせだけで撮影することもありました。

ところで、予備のデジカメのことをサブ機といったりしますが、それにはまだまだ馴染めない処があります。サブというと、石森章太郎の「佐武と市捕り物控」を思い出し、サブというのは予備というより主役でないか?という固定観念があるからです。

◆単三電池が使える

デジカメを使おうとするときのメンドくささの一つが、電池を専用充電器を使って充電しなければいけないことです。写真を撮る時というのは出かけている時が多いので、充電池が切れたらその場で充電することもできずオシマイせざるをえません。それがイヤなら、スペアの充電池を持参しますがそれとて「あと何枚撮れるか」を心の中においとかないといけない。

その点、k-rはk-100Dから続くペンタックスの伝統として単三電池が使えます。出先で使い切ってもコンビニがあれば調達できます。

そういう一般的な安心感もありますが、それ以外の嬉しさは単三電池のカタチさえしていれば何でも使える=エネループが使えることです。というのは、ストロボはどのメーカも大抵は単三電池型のエネループで動かすことが多いので、エネループさえ持っていればストロボとデジカメで電池の種類を分けたりする必要がありません。エネループと充電器さえあれば済みます。特に、ペンタックスのk-5等に使われる充電地の専用充電器は満充電になるまで5時間くらいかかる印象なので、そこに縛られずに短時間で充電できることは大きなメリットがあります。エネループの充電器はサンヨーの正規品だと時間かかりますが、energizerの急速充電池と充電器のセットだと4本が1時間足らずで充電できます。

Qシリーズでは電池抜くと日付がリセットされたりして、電源制御には不安のあるペンタックスですが、なぜか単三電池には異様な思い入れがあるらしく他のデジイチが単三電池仕様に見向きもしない時でもこのように互換可能な機種を残していました。そして、そのこだわりの一端は、k-rの電池ブタを開けると驚愕します。なにせ4本をキュッと束ねたカタチの通りに電池穴が空いているのだから。そして、何気なくエネループやenergizerが使えていますが、普通のアルカリ電池の1本の電圧が1.5V、一方のニッケル水素は1.2Vと電圧差があるので 昔はアルカリ電池で使えるコンパクトカメラがソコソコあったとはいえニッケル水素電池もしくはニッカド電池が使えるものはあまりなかったことを考えると、どこ吹く風でどちらにも対応しているペンタックスはたいしたものです。

といいながら、2017年現在、単三仕様のデジイチペンタックスからも姿を消しています。おそらく、4本を収めるとなるとそれなりの大きさが必要で、もはや電池にそれだけのスペースを与えられなくなったとか、単三電池自体が昔ほど汎用的には使われなくなったせいかもしれません。そういえば、energizerの急速充電器も発売中止になってしまいました。

タミヤの戦車のプラモデルにマブチモータとナショナルの単三電池2本を入れて、道なき道を走破させることが清く正しい精進の心得であるとひたすら信じて育った身としては単三電池には特別な思い入れがあります。そして、ニッケルの名がつく充電池とは、サングラス姿のナイスガイ達がこれまたタミヤの電動バギーで更なる世界を意のままに駆る原動力とイコールであり、少年少女にとっては超魅力的だった。この、単三とニッケル何某がむすびついた究極のエネルギー源であるエネループ。エネルギー礼賛の未来を黒部第4ダムと共に明るく鮮やかに描いて見せたエネループ。掌に握るだけで明日への活力が沸いてくるエネループ

今現在はデジイチ本体には使えませんが、バッテリグリップには使えます。ええ、使っています。ペンタックスの電源メータは信用が薄いと言いながら。エネループ、好きですから。

◆撮影ルーチンと上面液晶

 かように惚れていたエネループ、ではなくてk-rですが使っていくうちに自分の撮影リズムと少しズレを感じるようになりました。いつのまにか染みついた無意識の撮影ルーチン、その中に、写真機の上面で設定状態を見て取る過程があったことに気づきました。

ここに撮影するまでのルーチンを書き出してみると、これまでの一眼レフの扱いでは、

①見出す・・・・光景を見渡して、撮る対象や範囲を定める

②見下ろす・・・カメラ上面の情報をみて、設定する 絞り、モード、露出補正

③見つめる・・・ファインダを覗いて、撮影像とシャッタ速度を確認する

ーーーーー以下はデジカメになってからーーーーーーーーーーーーーーー

④見直す・・・・背面液晶をみて、撮った写真を再生する

⑤見回す・・・・背面液晶をみながら、現像する

の5つを、順々に気にもとめずテラテラとしていたことに思い至りました。

k-rの場合は、②の「見下ろす」ことを、「上部液晶が無い」からスポイルせざるえない。背面液晶を使って代わりに設定を確認することになりますが、長年のリズムである「ファインダを覗く前には自動的にカメラの上面をながめる」という体の動きがなくなるので、撮影のテンポがつかめないことがわかりました。そうすると、撮れた写真が綺麗か否かとは関係なく、撮っているときの無心で高揚した気分を持続できなくなってしまう。

k-01の時はファインダが無いから以上のルーチンにあてはまりませんが、ファインダを覗く行為が伴う場合は、その前に「写真機の上面で設定を確認する」というルーチンが無いと心が落ち着かないことに気づきました。

また、k-20Dやk-5のペンタックスを使い続けると、このブランドのダイヤル配置が上面をのぞきながら操作するのに好適であることにも気づきました。上からのぞいている時に右手の人差し指が自然と前ダイヤルへ、親指が自然と後ろダイヤルに触る配置になっているのです(そのかわり、ファインダを覗くために手を持ち変えると後ろダイヤルはやや窮屈な位置に来てしまう弊害がありますが)。その素敵なペンタックスでありながら「上面液晶」もない、後ろダイヤルも無い、となるとペンタックスならではのいじくりまわす楽しみが無い。最初は予備だからそんなこと気にならないと思ってましたが、そのうち予備であろうともこの「上から覗いて設定を確認する」ルーチンは自分にとってキャノンFTbの時から続く重要なリズムだったことがわかりました。

単三への熱い気持ちをたぎらせてくれた写真機、k-r。スタイルも良くて気に入っていました。ただ、今になってもk-のあとのmとかxとかrの意味が良くわからないままなのですが。

◇次回:撮ったあと小さな液晶では勿体ない。大画面をデジカメだけで鑑賞しよう。