まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その36.XQ1のねっとり感

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◆出会い

 小さくて高画質をうたったデジカメというのは、すでに所有していたニコンのP310を含め既に珍しいものではありませんでした。つまり、このXQ1の存在も知ってはいましたが、特に手を出そうという気は最初はありませんでした。

というのは、ペンタックスのK-3でファインダの素晴らしさに改めて開眼した以上、前倣えの姿勢で伸ばした手の先にある液晶を見て撮るという行為は撮影の楽しさを大きくスポイルしていると思えてきたからです。たとえ、K’sデンキで現品限り「え?」の値段がついていたことを知っていたとしても。

ところが、ヨドバシで電磁波の洪水をあびながら家電製品をアレコレ見て悦に入っていた日曜日、サウスポーのマッケンローに似たアメリカ人若者が一緒にいたガールフレンドに向かってXQ1を手にとり「このカメラめちゃええで。めちゃええで。めちゃええで。」と仕切りに力説しているのを目撃してしまったのが運のツキ。

あのマッケンローが言うなら間違いないと納得し、ヨドバシを振り切りK’sデンキに直行。「え?え? わお。」と更に破格値をつけていた一品をロックオンしました。

◆持ちやすくするための工夫

大きさやレンズが出てくる様子はニコンのP310に良く似てますが、比較してみた印象では持ちにくさが気になりました。アルミ外装には革シボに似た加工がしてあり質感はあるのだが、それがかえって手との接触面積を減らしてしまい落っことす心配がありました。そこで、フリップバックというメーカから出ていた1000円のグリップを張り付けてみたところバッチグー。見た目も少しイカした方にシフトし、満足のいくホールドができました。

◆ありがたい機能: 1.戸外でも見える、2.戸外でも充電できる

1.液晶を一発ボタンで明るくできる。

ファインダがないデジカメの場合、戸外の明るい晴天下では対象を確認する液晶が相対的に暗くなり見づらいのですが、このXQ1では背面ボタンを長押しすると液晶の明るさがグッと明るくなる機能がついてるので、その不便さがかなり緩和されます。

ただし。使う自分がボーとしていると、明るくするのがどのボタンだったかを忘れてしまい、近くにある消去ボタンを押して折角撮った力作をオジャンにしてしまう危険性も孕んでいます。ボタンを押さずに戸外の明るさに応じて液晶照度が自動変更する他機種もあるようなので、いずれはそうなるのかもしれません。

2.USBにつなぐと内部電池を充電できる。充電器が要らない。

このデジカメは、電池を中に入れたままでマイクロUSB端子の接続ケーブルをパソコン等の給電側と結線して充電できます。当時2013年では当たり前になってきた機能です。これができると、USB給電できる汎用の携帯充電器さえあれば、戸外で充電できるし、別体の充電器を持ち歩かなくて済む、というスマートな運用ができます。

しかし、これにもウラオモテがあって、中の充電池がカラになってすぐ次の撮影をしたい場合にはアレレとなる。これまでだと電池切れに備えて予備のバッテリを必ず用意するのでそれを入れ替えれば済むが、USB給電で充電するXQ1では「そもそも予備の充電池を買おうという気がしないので、当然持ってない」。ということは、XQ1と携帯充電池をUSBのケーブルでつないだ状態で撮影に臨むことになります。この時の見た目が、すごくヘンです。小さいデジカメなのに、そこからヒモのようなものが出ていてその先に携帯充電池がプランプランしているという。戸外の観光客が集まるメインスポットでそんな大道芸を披瀝する破目になってしまうわけです。ヨーヨーの名人と間違われる恐れが無いとはいえない(そこから別の道が開かれるかもしれない。ちょっとワクワク)。

そして、冷静に考えれば、予備の充電池を一つ持てば済むところを、汎用携帯充電池を持つということは「あれ、持ち出す電池の数は変わらない」。さらに、接続ケーブルとなると、持ち出す物品は増えている。いや、これらは携帯電話を充電するグッズを併用できるということだから同じ土俵で比較してはいけないのでしょう。ふー、焦った。

ところで、この便利さの背景として、写真機という特別なものがいまや携帯電話やwalkmanといった電脳グッズの類にUSB充電を合言葉に仲間入りしてしまっている事実があります。写真機とは、そういう軽さとは違う意固地な部分もあった方が良いのに~という、うさぎ年生まれならではの(本当か?)寂しさもあります。

◆操作感:ねっとりした回転リング、しかし、まったりとは違う

 このXQ1のレンズまわりは、一眼レフのレンズのように回転するようになっていて、その回転でマニュアルフォーカスや絞り値やズーミングを切り替えて操作することができます。

特に注目したいのは、その回転フィーリングが「ねっとり」していることです。

 なぜ、ねっとりな操作感に仕上げられているかを類推するに、昔の一眼レフレンズのフォーカスヘリコイドを回転するときの「まったり」フィーリングを狙ったものと思います。

しかし、「まったり」が操作しつつその回転角は遅れなくダイレクトにつながる感を想起するのに対し、「ねっとり」は操作する回転角とその結果であるフォーカスなりズーミングなりには間接的でやや時間がズレた感を伴う点が違います。

この、レンズまわりリング「ねっとり」操作感はXQ1に限らず巷の小型デジカメに増えて来てますが、どうしても「まったり」のダイレクト感がないのでやや戸惑いを感じてしまいます。

その戸惑いのもう一つの理由として、リングをまわすという動作と前倣えの姿勢とがそぐわないこともあります。前倣えをしながら、左手でリングをねとねとっと回すと、伸ばしているもう一つの腕、つまり右手ではシャッターを構えつつボディ重量を支えるので保持があいまいになります。やってみるとわかりますが、そのあいまいさが手ブレを誘発するだけでなく撮影が非常に窮屈です。特に、ド近眼で老眼の身では目の焦点が前倣いを精一杯した一点でしか液晶に合わない状態なので、全身の筋肉をコチコチにしながら左手の親指と中指を動かすのはそれだけでも骨が折れます。

これが、ファインダ付きであれば、写真機は額、もしくは低い鼻、もしくは腫れぼったい一重マブタ、もしくは牛乳瓶の底のような分厚いド近眼メガネに押し付けられて保持された状態で腕を曲げた状態で操作できるので、「ねっとり」のインディレクト感があっても割と撮影自体を楽しむことができます。液晶しかないデジカメでは、手ブレの危険性、にわかヨガのような姿勢で筋肉がきしみ挙句の果てに長母指屈筋が断裂する危険性、二つのリスクを追いつつの操作になるので撮影を楽しむための機能であったことなど忘れてしまうわけです。

と、ながながとタレてきましたが、要は回転リングを回さずとも撮影は十分できるので「自分の体調と年齢にあった使い方」をすれば、XQ1は十分に写真機として応えてくれます。しかし、老体としては、どうしてもキャノンFTbやニコンFG、コンタックスRXでフォーカスヘリコイドを回してきた記憶がニューロン結合として強固に頭蓋内に凝結してしまっているため、今日もまたリングに手を出してしまっては筋肉の呻きを聞くことになる。

◆絶賛されている富士フィルム写真機の画質について

 富士フィルムのデジカメの絵作りについて、カメラ雑誌の記事の中では好意的な受け止め方を目にする機会が多いです。

撮像素子にx-trans配列という独自な構造を採用しており解像感を高めているとか、フィルム造りのノウハウをつぎ込んだJPEGチューニングをしていて下手なRAW現像は要らないとか、聞けばホホウと唸る解説がされています。

で。実際にXQ1を使ってみた印象を述べてみると、本当にそうか?というのが実感です。つたない経験の範疇でモノ申せば、パナソニックオリンパスのデジカメの方が良いと感じています。

というのは、XQ1はポジフィルムの硬い像に似た画質をしていますが、それは結局暗部をつぶして明暗コントラストを高めているだけのようにも感じたからです。デジタルの一つの利点として、フィルムでは再現できない暗部の諧調を描き切ることがあると思っていますが、そこをスポイルしているため「フィルムからデジタルになって、より実像に近づいた」というリアル感から逆に遠ざかっているような印象を持ちました。こうすることでの利点はフィルム趣味への懐古といったことではなく、暗部ノイズを目立たなくすることができる、ということにあります。実際、パッと見るとXQ1の画像には輝度ノイズがなくすっきりとしています。しかし、黒くオトしている処が目につくのも事実です。そして、明から暗に次第に移るところでは逆に黒ずみのようなカゲが差す場合もあります。こういう画質は、フィルムから続く心象風景を写す写真には向いてるかも知れないが、その場の季節の明るさやきらめき、人の表情をとらえるにはちょっと向いていないなあ と感じました。

小型デジカメの一つの使い途は、その手軽さを生かしていつも携行し、まわりの人のいい表情、そして街や(自分のところでは)村で出会ったパーとした光景をタイミング勝負で写しとめることにもあります。このデジカメの在り方として「この画質でいいのか?」 という疑問も感じました。

◆デジカメ=カメラ+フィルムを具現したメーカ

今、富士フィルムのデジカメはその小ささや使いやすさ、画質、交換レンズの品質も評価されてX-T2やX-T20、X-Pro1など値段の張る製品も含め成功していると思います。その裏には、デジカメをフィルムカメラの代替として捉えるのでなく、絵作り即ちフィルムが担ってきた部分も含めた機械としてデジカメを意識できたメーカならではの強みが生きているのに違いありません。

もし、夢想するならば、フィルムの他メーカ、kodak、コニカ、agfaが富士フィルム並の規模で(OEMでなく本当の意味で)デジカメを作り続けていたら、カメラ専業メーカに真似できない面白い写真機が増えていたことだろうにと思います。日の光の表情を良く写すkodakデジカメ、とか。花の生命力を伝えるコニカデジカメ、とか。

◇次回:中身に見合う外装が欲しかった。中身は素晴らしいのに。。