まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その41.K-70 スーパーサブ

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◆出会い

ここしばらくはファインダ付のコンパクトカメラに興味が向いてましたが、実際に撮影する時には半分以上の割合で一眼レフのK-3を持ち出していました。

画質で語れば今のコンパクトカメラLX100で全く問題はありません。十分です。だのにナゼ重くかさばる一眼レフを使うかというと、ファインダを覗くのが楽しいからです。覗いた瞬間に、目の前の立体が3次元でも2次元でもない特殊な次元として黒い枠の中に立ち現れる。カメラを振って構図が少し変わっただけで、その特殊な次元がパコッと飛び出す瞬間がある。それが楽しい。これが電子ファインダだと、この3次元と2次元の間にある次元を感じとれるとこまで未だ己の目を鍛錬できておらず。どうしてもK-3を手にとってしまうわけです。

ただ、このK-3には高感度でのノイズが多いという欠点があります。ペンタックスには性能は良くても開放f値が暗いズームレンズがあるので、感度を上げて写したいシチュエーションに出くわす機会が結構ありますが、このノイズを恐れるあまり明るい単焦点レンズに交換します。すると、後になって気づく。はて?何のためにズームつけていたのだきゃ? と。

そんなとき、高感度性能の大幅な向上を謳ったペンタックスKPが発売されました。カタログの能書きだけ読むと技術的に相当良いらしい。そこで、量販店で実際に触れて確認してみました。結果、持ち帰ったのはKPではなくその横にあったK-70となりました。

KP。触れてみるとボディの上に乗っかっているファンクションダイヤルにどうしても違和感がありました。これはK-1を目にしたときにも感じたことではありますが。K-3の操作系で十分なのにもう一つダイヤルが有る理由がやっぱりわからない。そのダイヤルがある場所に小さな情報液晶がついていた方がよっぽど有り難いのに。

と、もう一方のK-70は昔ながらの操作感でありつつ、店内をバシャッした感じでは高感度も向上している。そして、お値段はKPの半値。結局、そこか、¥か。 というと、まあそうです。

◆より万人向けに

使っているうちに、K-70は誰もがストレスなくキレイに残すという意味でK-3を超えてしまった部分が多々あることに気づかされました。ツラツラと挙げてみると、

①高感度性能:K-3と比較してこれは明らかに進歩しています。ISO1600で、ひょっとしたらK-3の400並に届いてしまっているかのような描写を見せます。ノイズが無く、色彩が豊かで、偏りや濁りがない。この性能ならば、望遠側の開放f値が5.6のズームでも感度を上げて問題ないのでレンズ交換せず一本通しのまま使えます。

②手ブレ補正:補正効果が上がっていることが実感できるだけでなく、どの局面でも働いている安心感がある。手にくるショックはバチコンッと結構大きいのでブレ易いのかと思うがそんなことなく良く効いてます。

③オートホワイトバランス:人それぞれのところではありますが、このK-70はK-3よりも見た目に近いホワイトバランスが得られます。その一方、マニュアルで色温度を合わせたりグレーペーパーで設定したりする場合はK-3の方が現物に近い色が出ますが、調整することを考えずにオートのホワイトバランスのままならK-70は随分使いやすくなってます。

④味付け:K-3が柔らかさを持つ描写だとしたら、このK-70はK-01に似た傾向のパリッとした味付けです。なので、コントラストが明暗にしても色彩もしても足りない時には実際よりも見栄え良く写ったりします。これに、明瞭度補正という操作を+2のレベルでかけるとよりパリパリ感が際立ちます。

不自然な描写になりそうですが、むしろ逆に、合わせるレンズによっては好ましい仕上がりになります。例えばタムロンの17-50mmf2.8ズームをつけると、レンズの良好なボケ感とカメラのパリ感がうまく調和しK-3につけた時に感じていた像の弱さが消えて実在感ある絵が出てきます。誰でも好きになる描写の方向だと思います。

このように、高感度性能だけでなく全方位的に進化している、しかも、ゆがみのないファインダーはK-3と全く同じでありながらお値段は安い。

K-3より好ましく思うところをもう一つ。それは、ボディを取り巻くゴムの革シボ成型です。K-70は艶消し気味で見た目に上品なだけでなく握ったときの滑りにくさも改善しています。

◆2台持つということ

さらにK-70で機能的に増えた要素として、バリアングル液晶やリアレゾ撮影が挙げられます。バリアングルは三脚に固定した撮影をするときに便利ですが、どちらかというとチルト式の方が、顔を下に向けて撮影する2眼レフスタイルをスナップ写真を撮るときに使えるので良かった気もします。バリアングルでこれをやろうとすると、液晶が横に開いているのでハタメには隠し撮りしてるのがバレバレになってしまう。とはいうものの世の趨勢がグリグリと液晶が動かせる方が良いというのならその恩恵をありがたく享受できた方が正しい在り方だと思います。

ここまで性能が良いと、K-3の出番がなくなるかというと今でも普段持ち出すのはK-3の方が多いです。その理由は、フィルムの頃から身についてしまっている撮影のリズムに合うからです。

まわりを見て、良し写すぞと思って、次にすることがカメラの上面を無意識に見ること。昔からこうして、絞りやシャッター速度や露出補正を確認してきたので、ファインダを覗くときには黒枠の中にスッと入っていけます。

ところが、K-70だけではありませんが上面に情報液晶が無い場合、覗き込む前に設定状態を確認するには背面液晶を見ることになります。その瞬間、ほんの少しですがファインダを覗く儀式の前に余計なことをしている迷いが生じ、黒枠をみたときの集中力が抜けてしまうワケです。一眼レフの醍醐味はファインダに有り、などとほざいておきながら、ややガス抜けして申し訳ございません状態になってしまう。アウアウ。

また、K-3はSDカードがダブルスロットであったり液晶が3.2インチと大きかったり写真を撮ったあとでも整理し易いマシンであることも重宝する点です。バリアングル液晶だと、3.2インチでなく3インチ液晶になりますが、この0.2インチの差は見比べてみるとサイズ以上に大きく、rawファイルをチマチマと電車の中で現像したりするとき老眼の疲れ方が違ってきます。

また、ボディがマグネシウムなので、例えばアメリカのロサンゼルスで暴漢にマグナムで撃たれたとしてもその衝撃を受け止めてくれるかもしれません。そんな事ばかり考えて生きてきたわけではないが。

◆すすめるならば

これから一眼レフを始める人がいて、奇特にもニコンやキャノンではなくペンタックスを選ぶ方がいたら、その人のタイプによってK-70をすすめるかはたまたK-3にするかが変わってくるでしょう。

快活な人気者の青年には間違いなくK-70をすすめます。キレイな写真をバシバシ撮ってあげて町一番のナウなヤングでいて欲しい。そうではなく、影のあるやや危険な野郎にはK-3を与えます。アレコレいじる、それも一人ぼっちでいじるというには格好なカメラであるし、高感度性能の低さからブレ・アレ・ボケを連発しても「余はダイドーしておるのである。」の一言で通じるし、アメリカのロスで暴漢にマグナムで撃たれ(あれ、これどっかで話した気が)。。。 なによりも、何をしでかすかわからない野郎には使いこなしの難しいオモチャを与えて、村の治安を乱す方向に走らぬようにするのが一番と庄屋どんも昨日の集会で言うておった。

さて。

今はSONYのフルサイズ一眼が人気であることからもわかるように、カメラの上面を見て状態を確認してからファインダを覗くことに拘る人は少数でしかないでしょう。それでも、そのクセが抜けないのは、自分の中にフィルムカメラの延長としてシームレスに現在のデジタルカメラを捉えておきたいという気持ちの表れなのかもしれません。

全く性格の違う2台として、それぞれの良さを楽しみつつこれからもつきあっていきます。

◆カメラスケッチ、これでひとまず終わりです

3年ほど前にkodakのインスタマチックから初めて41台、このK-70が今のところ最後のカメラになります。このあと、またカメラを買い替えれば続編がつづきますが、「欲しい熱」はある日とつぜんに訪れるので定かではありません。

この3年の間のカメラの変化はなんといってもスマホの台頭でしょう。カメラという撮影に特化した電子機器は売れ行きが落ちていき、製造メーカの足元もぐらついている話をときたま耳にするようになりました。

この先はどうなっているでしょう。人類はもうスマホさえ持ち出さずに撮影しているかもしれません。町中にある監視カメラ、あれがサービスという名のもとに本人に気づかれずに記念写真を無数にとっておいてくれる。人々は、それをネットで確認しダウンロードすれば良い。荷物は減るし、アレコレ撮影に気をまわさずに済むしチョー便利そうです。

しかーし。写真でしか表せない世界。それを自分がコントロールする楽しみ。これを一度味わったら、世の流れがどうであれ 先人が発明し改良してきてくれたこの小さな道具カメラをずっと味わいたい。結構、そういう方がアチコチにおられるはずです。

次からは、実際に撮影したときのアレコレをヘボ写真をひっぱりだしながら細々と書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

その40.LX100 お帰り、ミノルタ!

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◆出会い

一眼レフを持たずに軽く出かけて写真を撮りたい時にはペンタックスのQ-S1を手にとりますが、背面の液晶を覗いての撮影になるので腕をいつも前倣えの構えにしないといけません。これは老眼パーソンの宿命です。

ファンダーを覗けるコンパクトに目を向けたものの、stylus1s、続くキャノンG5X双方ともにその良さをわかりながらも生かしきれずに手元を離れていきました。

次なる候補を求め業販店であれこれ展示品の歴々を触らせて頂くと、LX100が露出補正・シャッター速度・レンズ絞りの3つ共に「グリグリ回す」ことで操作でき直感的に使いやすい。また、持ちやすい大きさであることがわかりました。ただ、値段は高い。発売からだいぶに時が経ち半値になったのを機に仲間に迎えいれました。

◆あらゆる点で MONDAI・NAI

【レンズ&画質】 ついているレンズはフィルム換算でいうと24mm~75mm。stylus1Sのようにドカーンと300mmってわけではないが覗いてパシャリと撮り去る、というナウなオジンを気取るにはMONDAI・NAI。この気取ったやり方は、しっかりホールドせず撮る場合もあるのでカメラブレが大敵ですが、レンズ開放値が望遠端でもf2.8と明るく手ブレ補正が良く効くので心配せずに済みます。

ボケの表現に関わる素子の大きさは、24mm相当の焦点距離が10.9mmと書いてあるところを見るとマイクロフォーサーズの12mmに近い。同じ尺度で8.8mmになる1インチよりも理屈の上ではぼかしやすいデジカメということになります。

画質は背面の液晶で見た時よりもパソコンやテレビで見た時に真価が発揮されます。描写が自然で且つ色味の鮮明さもあるので空間が立体的に浮かびあがるイメージになります。黒をあえてつぶさないところなど含め、全体にペンタックスに似た傾向に感じますが色の重心がすこし重く落ち着きもあります。構造やレンズがLX100と同じデジカメをLEICA銘柄でも出しているので、妥協無く作り込まれていることを感じます。もちろん、ペンタックスのFA31mmが醸し出すようなボケとキレの妙味に届いているわけではないが、記録を超えて作品が撮れるレベルです。

ただ、背面の液晶は少し濁り感がありデフォルトのシャープネスも甘いので、カメラを試写してその場で確認しただけでは解像度の点で物足りなく感じます。シャープネスは+2くらいかけても他のデジカメのようにエッジが立つことなく更に自然な描写になるのでこの設定に変えています。

このレンズの難点は、撮影状態で繰り出した時のスタイルがとても不格好にみえること。繰り出し部分に比べて固定された外周部分の厚みが大きすぎる昨今のデジカメ共通の事とはいえ、LX100はその度合いが尋常ではないため、何なんだろうコレは?と感じてしまいます。さらには、そのレンズの奥には手ブレ補正ユニットとしてブランブランのどちんこのように振れている部分がある。一眼レフのレンズが持つキラキラした宝石感は皆無です。まあ、撮っている本人としてはその姿は見えないのですが。

【大きさ】大きさはあらゆる局面において丁度良い。一眼レフだと黒光りしたウェポンをお持ちなのかと勘違いされるし、小さすぎるとこれまた隠し撮り野郎のようにも見えてしまうが、昔なつかしいフィルムコンパクトカメラに近いため、真面目にカメラをとっているオーラ全快で周りの目を気にせずにすみます。

と思ってはいますが、先ほどのブランブランレンズが伸びた状態を周りの人は目にしているわけだから別のオーラも出ていることでしょう。

コンパクトデジカメでもこれだけの大きさになると3つの利点があります。①グリップが持ちやすい。②ファインダーを覗きやすい。③右側に集中している操作系を右手で扱いやすい。特に、左目で覗く人にとっては、レンズの直上にファインダーを置くカブト型よりも左端にあるレンジファインダー風の方がスペースができて良い。  ただ、普通のポケットには入りません。首からストラップを下げての撮影になります。

【操作性】出会いのところで書いたように、操作の基本が昔の写真機のようにダイヤルなので触っていて気持ちが良いです。写真機を手にしているという気にさせてくれます。ヘリコイドでズーム操作もできますが、これはステップズームに設定しています。そうでないと、わすかな構えの差でヘリコイドが動くたびにウィーウィーと画角が変化してかえって使いづらいからです。

シャッターの感覚もMONDAI・NAI。ペコ感やグラツキがないので安心して切れます。ここは個人的好き嫌いが分かれるところですが2段押しの反力の度合いもわかり易くなっています。

また、記念撮影をデジカメを渡して撮って頂く時も、シャッターの横にIAと書かれたフルオートボタンがあるのでそれを先に押しておけば問題なくとれます。こういうボタンをシャッターの横に用意している点、使い方をわかった設計がなされていると感心します。

最後にホワイトバランス。どのカメラでもオートのままだと確実に合うわけではないのでマニュアルでバランスとる(あるいは先にとっておく)ことが頻繁にあります。LX100はこのホワイトバランスの設定が背面の十字キーの右側で直接できるようになっています。この、何がスバラシイかというと、そのままこのキーを押し続ければシームレスに太陽光やら曇天やらカスタムバランスやらを選べること。加えて、背面液晶の設定によらずホワイトバランス設定の違いをこれまたシームレスに液晶で確認できることです。LX100を選ぶとき、ソニーのRX100Ⅲも触りましたがホワイトバランスの設定を変えるにはメニュー階層に入らないと出来ませんでした。実際の撮影の場を考えた使い勝手をLX100のほうは良く考えてあります。

【ストロボの活用】外付けのアクセサリーシューにpanasonicの単体売りガイドナンバー20の小型ストロボをつけると、なんと1/250秒を超えるシャッター速度でストロボ撮影ができます。1/250秒といえばその昔にNIKONのFM2が誇っていた同調速度です。LX100だとその上の1/500どころか1/2000でも簡単に撮れてしまいます、ストロボ側で何ら難しい設定もする必要ありません。ここは一眼レフよりも優れている点ですが、LX100のカタログで特に喧伝してないので気づきにくいところです。

◆人好き好きなところ

 使い続けているうちに感じたこと、嗜好の範疇の中ではあるが改良してもらえたら嬉しいと思う点が4点あります。

【電子ファインダー】光学ファインダーと同等の見えやすさはそもそも求めていません。欲しい理由が、液晶だけでの撮影では腕を伸ばしての前倣いがキツイという事ですから。G5Xでも経験したコントラストや色味の違い、写した後の画像から選んでいるという妙な感覚、これらは今の電子ファインダーの姿なのでそこには言及しません。

一つだけ注文、電子ファインダーまわりの遮光処理のレベルを上げて欲しいと思います。日中の明るい処では、のぞいた時にまわりの明るさがファインダーの覗き側から入ってくるせいなのか、像がうすくて見えづらいと感じます。試しにペンタックスのアイキャップを改造してファインダーのまわりにつけてみたところ明らかに見えやすくなったので接岸部のゴムの形状を工夫すればここは改善するでしょう。あるいはファインダー素子自体を有機ELにするとかでしょうか。

電子ファインダーの利点の一つである明るい場所での視認性の確保。その点では、stylus1sやG5Xの方が優れています。撮るときはほとんど背面液晶は使わず電子ファインダーを覗いているのでどうしても拘ってしまう部分です。

【ファンクションボタン】LX100の背面にはFn1~3と書かれたファンクションボタンが3つ、さらにQ.menuとあるクイックメニューボタンが一つ。合わせて4つの小さな円形ボタンがあります。

これらにチマチマと機能を設定し、必要に応じ呼び出すことで動画を含むカメラの機能性を高めているわけですが、ここに昭和フタケタ世代故の問題がからんできます。

何かというと。自分が何を設定したのかサッパリ覚えていない=使おうにも忘れていて使えない という事実。わけもわからず無闇に押すと、欽ちゃんのように「なんでそ~なるの」とつぶやく羽目になります。だけならいいが、深みにはまって撮影どころではなくなることもある。なので4つもついていながらおいそれと触れないボタンになっています。

このジレンマを打ち破る奥義というのも実は存在します。

それは、このデジカメしか使わない。もう他のカメラはフィルムの写るんです。も含めていじらない。そうすれば、脳内のニューロン結合がファンクションボタンに対応して固定されるため操作に迷うことはなくなる(でしょう)。

しかし道を究めた仙人でないのでこの奥義「他のカメラを一切使わない」への道は険しい。かくして、いまではどのボタンで何ができるかを完全ド忘れしています。それでもこのようなボタンに触らなくてもきれいな写真を思う設定のままに撮れるので問題はありませんが、忘れやすくなった自分というのを再認識するというのがちょっとつらい。

【再生確認時間】デジカメの使い方は写真を撮るだけではありません。背面の液晶を見て写真を鑑賞する、という使い方もあります。例えば、帰りの電車の中とか、立ち寄った喫茶店の中とかで、どれどれさっき撮った写真でもゆっくり見ようか。そんな時、電源をONにしてから再生画面が出るまでに少し時間がかかる。この時間を短くし、できればMX-1のように電源をONにせずとも再生ボタンを押すだけで(レンズの繰り出しもなく)画像が表示されたら、と思います。

【RAW現像】メニューの階層に入って一枚一枚やるのが面倒。これは別にもっとやりやすい方法が設定次第であるのかもしれません。比べる対象がペンタックスだと、メニューに入らずに見た画像撮ったその時にすぐ現像過程に入れるので、それに慣れていると煩わしさを感じてしまう。これはペンタックスの方をほめることではありますが。

◆正体は? ズバリ。ミノルタさんではなかとですか?

 言ってしまいましたが、このデジカメは見た目も操作感も大きさもミノルタのハイマチックを思い出させます。昔、家にあったハイマチックを。それに少しだけコンタックスのGシリーズの味をブレンドした印象。

良い意味で非常に写真機らしい。他のルミックスのデジカメと比べても、このLX100だけ妙にミノルタだったらこうやる!の写真機らしさに溢れている。

ということで、LX100の上面にあったPANASONICの文字を紙ヤスリで消し去り、その上にインクジェットプリンタで印刷したMinoltaのロゴを張り付けています(近況:とうとう剥がれました、行く先知らず)。Minoltaと思えば、液晶がなんとなく濁るのも納得、そういう味付けだろうから。デフォルトのシャープネスが甘いのも納得、ロッコールだから。

今はもうない、いやSONYの中にコニカミノルタの残血は流れているのかもしれませんが、SONYよりもこのLX100の方になぜかミノルタ臭さを感じるのは不思議です。それを更に感じたいがために、デジカメの左側には市販の革シボ風貼紙を両面テープではりつけて雰囲気を楽しんでいます。

このデジカメは今に帰ってきたMinoltaの優等写真機であることをなぜだが強烈に思い起こさせます。それは大変嬉しいことだし、その思いを一切裏切らない画質と使いやすさ。故障も全くなく、これからも使っていく写真機です。

◇次回:撮ると納得、レギュラーを超えたスーパーサブ

 

 

その39.G5X ファイブの称号

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◆出会い

スタイラス1Sという兜を被ったようなデジカメを持っていましたが、このキャノンのG5Xもオサムライ顔をしています。向こうが三日天下の明智光秀なら、こちらは長期政権を築いた徳川家康を想起させます。

形が似ているのは電子ファインダを同じくポコッと乗せているからですが、つまみやボディの細かな造形からは「さすが征夷大将軍は違ーう!!」 と思わせる質感が感じられます。ヨドバシカメラで(ペンタックスのカメラを首から下げながら)このG5Xをいじった印象はファインダーの見えが良く操作しやすいこと。

そんなG5Xをひょんなことからモニターする機会に恵まれました。厳密にいうと所持した写真機の歴々に入れるには憚れますが、長いブランクを経て手にしたキャノンでもあるしここで取り上げようと思いました。

◆キャノンの5

昔、フィルムの時代にEOS5という一眼レフがありました。世界初の視線入力という武器をひっさげて登場したことからゲテモノかと思いましたが、その実力は非常に高くオートフォーカスカメラの地位を一段とひきあげた功労者でした。そして、今はEOS5Dが標準的な一眼レフの代表として君臨しています。触った事ありませんが、そうらしい。

そんなこんなから、同じく5の称号を持つこのG5Xはキャノンとして相当に力の入ったものだと推察します。電子ファインダをレンズの真上に置くことで一眼レフっぽいイメージを持たせつつ、その内部には1インチの大きな撮像素子を備えています。

この1インチというのがミソで、今はこのサイズでないと高画質なコンパクトデジカメとは認めてもらえない風潮があるように思えます。実際に撮影してみれば、1/1.7サイズのスタイラス1SもペンタックスのQ-S1も高い性能を持っていると思うのですが、まあ、悪かろうはずがない性能だろうと撮る前から安心させる効果はあるのでしょう。

◆5の画質

最初の一眼レフをFTbで始めEOS100ではあちこちを撮りまわった経験からキャノンには好意的だったのに、EOS7の視線入力をめぐる仁義なき戦い(大阪怒涛編)に疲れ一歩引いていた期間がありました。それから10年以上がたち、再び手にすることになったキャノンのG5X、その画質はどうでしょうか。

一言でいうと太い。です。K-3やペンタックスレンズの繊細な線になれていたので、この思い切りアメリカンな太さには最初驚きました。これはこれで、モノの実在感というか表と裏を描ききるような迫力があります。

ただ、マクロ域ほどではなくても近傍を撮ると、この太さが更に増長されてぺったりした印象も受けます。近傍の写真というと、昔のマイクロニッコールの作例写真、カリカリと目に見えない小宇宙を書き出していたアレが頭にあるので、このどこに焦点があってるかもヘタするとわからないようなこの画質は「ひょっとして性能が低いのではないか」との疑念を抱かせる。。。いや、コンパクトデジカメが接写にも使われることを知っているはずのキャノンがそんな事はありえない、これは味に違いない。ただ、アメリカンの中でも物凄く粗野な方向にありました。

遠景や中景を写してみても、繊細さではなく大らかさなイメージです。色使いは色鉛筆の薄さではなく、絵具でしっかり塗ったような厚みがあって気に入りました。でもやっぱり、この太さ。写真機自体は精緻なイメージで組み立てられているので、このギャップはいやはやどうもビックリ仰天です。

◆操作感

について、チマチマと傍若無人で無責任な発言を吐き捨てることが多いのですが、このG5Xに関して言うと所有にいたったわけでなく付き合いも短い間だったのでこれといって述べることはありません。

そうはいっても、ダイヤルの操作性は回しやすくて良かったです。特に、右前方についているダイヤル、この位置やカタチはニコンの一眼レフDfを連想させるのですが、それに比べると大変使いやすい。Dfは一時、そのシャッターを押したときのキレ感が気に入りペンタックス全部売り払って買おうかと検討したこともありましたが、この右前ダイヤルが固いし指は届かないしでゲンナリしてやめました。そのイメージがあるものだから、G5Xのダイヤルを回した時にはあまりの使いやすさに驚きました。

EVF、電子ファインダは見やすいですが、スタイラス1Sの解像度の低いファインダでも十分ではないかと思えました。長年にわたって光学ファインダがカラダと脳の基準にあると、電子ファインダは実物との色味の違いやコントラストの違いが目について良し悪しの判断基準を下げないと写真機も自分も両方悲しい状態に陥ります。

調整すればよりリアルに近くなるのは当然ですが、違う風景をのぞくとやっぱりコントラストの違いが目についてしまう。そういうものだと大人の気持ちで接してあげれば良いのだが、ファインダを覗くというのは最も子供っぽい行為の一つなので、なかなかそのような達観した境地に立つことができずにいます。

おしなべて操作感や使いやすさに不足はなし、このあたりはさすがキャノンだと思いました。

◆相性

では、このG5Xは最終的にどうしたかというと、我が手をすでに離れて遠い彼方へと旅立っていきました。今頃、心豊かな御仁にめぐりあい幸せに暮らしていることと思います。

なぜ手放したか。それは、もう、『シャッター』だけが理由です。とにかくフィーリングにあわない。なんというのか、ペチッという感じで一瞬を切り取るにはあまりに安っぽい。しかも、そう感じるだけでなく、そのペチッという音も聞こえる。レンズシャッターの音ではない。シャッターボタンそのものの音なのであった。

そんなはずはなかろう、これは個体の問題なのさ と思い、実は交換してもらいましたがソチラもペチッ。うーむ。

G5Xについてはあまり書くことが無い、というか正直どんなデジカメだったかあまり覚えてないのも、このシャッターフィーリングの違和感だけが頭の中を占有し残りの記憶が吹き飛んでしまったためです。

一応、同じような思いをした人はいないかとネットサーフィンしてみましたが誰一人いらっしゃらない。こうなると自分の感覚が特殊なのかも知れませんが、もっとも重要な部分のフィーリングが合わなければ仕方ありません。徳川家康に似たG5X、おさらばして1年半が過ぎました。

◇次回:彼は言った。「とりあえず持っとけ。悪い思いはしないはず」と。

 

 

その38.Q-S1の一本勝負

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◆出会い

このQ-S1はペンタックスのQシリーズの中で一番新しいデジカメになります。ファインダが無い事を理由に初代Qを手放した身としては、このQ-S1も同様であることから手にとる対象になるとは思ってもみませんでした。

むしろ、QやQ10に付いていた右側のグリップを無くして、ローライ35とライカの中間をとったかのように丸ポチの出っ張りを設けたことに対し、けしからんことだと思っていました。機能よりも見た目(それもモノマネ)で意匠をもて遊んでおる、と。

ところが、秘密結社(ではないと思うが)K’sデンキの心理操作、「てんじひんかぎりずーむれんずがふたつついてにまんごしぇんえん作戦」にまんまとひっかかり15分後には無意識に外箱を開梱しておりました。単焦点レンズ01 PRIMEを傍らにおきながら。

◆初代Qとの違い、アレコレ

1.画角

ボタンやダイヤルの配置がQと同じなので操作もそのまま。ただし撮像素子が1/2.3インチでなく1/1.7インチのため、01 PRIMEの画角が35フィルム換算でいうと47mmでなく39mmへと広角側にシフトします。

47mmの画角というのは、ペンタックスの一眼レフに31mmリミテッドレンズをつけた時とほぼ同じであり、50mmよりも客観的に見つめることができるので気に入っていました。それが、39mmになってしまうのはどうか?という気がしましたが、実際にレンズをつけて背面の液晶で見ると昔懐かしいコンパクトカメラの画角38mmを思い出し違和感はありませんでした。

2.画質

この画角の変化以上に大きな違いを感じたのは画質です。特に、02 ZOOMの標準ズームをつけたときにQでは甘く太い描写で積極的に使うには躊躇するイメージでしたが、Q-S1につけるとシャープ感とコントラストが向上しているのが明らかにわかりました。これならば、日常の切り取り道具としてズームをつけたままでも後で撮影された写真を見てガッカリすることはないレベルだと感じました。また、ISOの高感度域の実用性も、Qが400程度だとしたら800くらいまでは使えます。

このように、標準ズームや感度ISO800を日常的に使えることで、小さいだけの特殊なデジカメでなく気兼ねなく使えるスナップ装置としてより使用領域を広げたものに仕上がっています。

3.操作性

ダイヤルの種類や配置は同じです。しかし、その高さや位置が少し変わってます。特に、背面右の回転ダイヤルの位置が高くなったことで親指での操作感が向上しています。一方、残念なのはシャッターボタンのリリースまでの高さが、Qの2代目のQ10から変わってしまったことです。Q10では、シャッターを押す指の腹がシャッターボタンのまわりのリングベゼルと同じ高さになったときに切れる位置だったので、押す瞬間の微妙なコントロール(つまり、切るタイミングの見切り)がし易かったのですが、Q-S1ではベゼルより高い位置にリリースポイントがあるので調整がしづらくなりました。ただ、リリースの位置が低いと、シャッターを押したつもりが実は押されてないという事も起きやすいので、確実にシャッターを切る意味でリリースの位置を高くしたというのなら仕方ないかもしれません。

4.扱いやすさ

 写真機は三脚に設置してるのでなければ自分で手に持って使う機械なので、握り易さが大事なファクタ-となります。特に小さいカメラでは、手の中からすり抜けてスポッと落ちる危険もあるので左手側にあるグリップの有無、あったとしてもその形状の良し悪しは大きなカメラ以上に気になるところです。

それなのに。そのグリップをなくして丸ポチなどつけてしまったQ-S1はどうなのか。

結論からいうと、丸ポチに左手の中指がうまくひっかかるのでスポッ、ガシャーンという恐怖は意外にも感じずに済みます。だからといって握りやすいものでなく、なんか余計なものに指がひっかかっているという受け身な印象を持ちます、自分から握るという能動的な感覚は味わえません。見た目に調和をとった意匠かもしれないが、回転するわけでもなくボタンやスイッチを兼ねてるわけでもなく、ただ赤外線受光部を囲んでいるこの丸ポチ君の気持ちを理解するにはこれからも長い時間がかかりそうです。

◆Q-S1の得意分野とは

さきほど、02 ZOOMをつけても日常の切り取りとして使える画質になっている話をしましたが、あくまで普通の写真をとるという視点での話にすぎません。

それに対し、01 PRIME単焦点レンズを付けた時には、コレにしかできない表現を生み出します。いうなれば、このレンズとの組み合わせにこそQ-S1を使う醍醐味があります。

どういうことかというと、レンズ自体が小さく薄いため、Q-S1の小ささを阻害せずに装着した状態でどこにでも軽い気分で持ち出せること。ジャンパーのポケット程度ならば入れたまま持ち運べます。本体自体が小さいデジカメは他にもありますが、意外とレンズが大きくつっかえるためにポケットに入らない事が多いのに対し、Q-S1は撮像素子が小さいことが功を奏しレンズも小さい。そして軽い。

そのうえ、Qのレンズには40.5Φのフィルター溝が切られているので、保護フィルターを付けっ放しにしておけば嵩張るレンズキャップをつけずに取りまわせることも速写性に貢献しています。

また、最短撮影距離が20cmと短いため、距離が近すぎて焦点が合わないというイライラを感じずに済みます。素子が小さいだけに被写界深度も深いので、f1.9の開放絞り近くで撮っても対象の外形がわかる像を結びます。同じ光量のもとでは、ISO感度を下げてシャッター速度を早く設定した状態で撮ることができ、結果的にブレや荒れのない写真をおさめる結果となります。

そうして撮影したこの1/1.7インチの写真をAPS-Cサイズのものと撮り比べてみると、キャビネ程度ならば差を感じることはないと思います。ただ、諧調の滑らかさや画像全体の柔らかさというならAPS-Cの方が優れているのは確かですが、対象と副対象との対比のキレを狙いとするなら、むしろK-3よりも撮影目的にあった一枚が撮れたりします。

Q-S1自体は撮像素子の小ささをカバーする画像処理がされているためなのか、全体的には硬い描写ですが、01 PRIMEというレンズ側の描写の方は二線ボケがなくなだらかな描写をしているおかげで、背景との距離をとれば柔らかな雰囲気を出すこともできます。01 PRIME,このレンズの実力は相当に高いことを撮っていると実感しますが、Q-S1との硬軟バランスによって中庸で自然な写真を生み出すことができます。

このデジカメとレンズの組み合わせについてもう一つ言えるのは、ラフに使えるということです。ヒャクメルゲみたいなレンズバリヤがないのでそこが壊れる恐れはゼロ、ズームでないのでウイーンウイーン作動させることの耐久性への心配もゼロ、万が一ホコリが内部に入ってもレンズ交換式なので外して清掃すればOK。そのうえ、Q-S1はプラスチックのクセに大変剛性感が高い。液晶はチルトでもバリアングルでもなく固定されているので、器用なマネはできなくても可動部が壊れること自体がない。

 ファインダが無いので覗くことに慣れた者としては写真を撮る気構えみたいなものを感じられないのは残念ですが、撮影された一枚一枚をみると小さなサイズで良くこんな大きな仕事ができるなと感心します。普段は01 PRIMEレンズを付けっぱなしにしておいて、予備にズームレンズを2本、標準と望遠と持ち出したとしても全体が軽く小さくまとまるので身軽になります。実際にはズームレンズを使う機会はほとんど無く、01 PRIMEだけしか使わないことが多いです。

◆買う人と使い方

問題は、このデジカメはどういった人が使うのか? ということです。レンズ交換ができることがメリットだが、それを望む人はもう少し大きなモノを選ぶかもしれません。なぜなら、小さすぎることからくる先入観として「どうせ、オモチャ。」に見えてしまうからです。01 PRIMEにしても、前から見るとレンズ前玉の大きさは納豆の大粒一つくらいにしか見えず、まさかこれがFA31mm limitedに似た描写をするとは上野のシャンシャンでも思わないでしょう。

Q-S1自体は本当に正真正銘レンズ交換式デジカメなので、一眼にできるメニューはRAW現像も含め一通り揃っています。しかし、これを使いまわす人ならば、さっきの話に戻りますがやはり大きなガタイを選ぶのではないでしょうか。

◆壊れにくい、からこその一本勝負

このデジカメはボディ単体だけだとファインダも無いし単に小さいだけのシロモノという見方もされかねませんが、01 PRIMEというレンズとバロムクロスすることで他にはない陸の王者へと変貌します。

まずはレンズ。第一に、ズームでないから正面からグニュッと押されても機構が壊れる心配がありません。第二に、保護フィルターがつけられるので前面保護バリヤのような華奢な部品が壊れること自体ありません。それでいて、均一でしっかりした写りをもたらす結像性能、F1.9の明るさと内蔵NDフィルタが可能にする広範な光量条件への対応力を持っているので、確実に写しとめられる安心感があります。

本体の方についていうと、手ブレ補正と素子の小ささの両面が寄与するカメラブレ耐性の強さ。ペンタックス伝統のわかりやすい設定メニュー。そして、独立したバッテリ室とSDカード収納部に代表される堅牢な構造。わかり易いマニュアルフォーカスの操作性。それらの一つ一つが使う者にとってはヤワでなく使いやすく壊れにくいイメージをもたらしています。

それなのに。丸いポッチ。これがくっついているのがどうも違和感がありすぎる。

丈夫さに頼って乱暴に使っていれば、いつかはこの丸ポチ君をどこかにぶつけてオサラバさせることができるかも。なんて邪な考えもフッとよぎったりします。

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◇次回:使いやすそうなフリしおって。なじめなかった自分が悪いのか。

 

 

その37.stylus1s 小型サンニッパ

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◆出会い

時は戦国時代。ではなかった、2013年。オリンパスからstaylus1というデジカメが出ました。見た目が兜をかぶった明智光秀に似てるのでつい時代を間違えてしまった。 

コンパクトデジカメの覇権争いの場にオリンパスが送り込んだこのおサムライさんは、f値2.8/28-300mm相当のレンズを驚異的に小さなボディに搭載。その勇名は遠く樺太の奥地で草を食べていたウサギさんにまで届いていたという。

そして、時がめぐること1年。このマイナーチェンジ版がstylus1sです。見た目での違いはグリップ部の模様。オリジナルでは斜め掛けサメハダ模様をしており、どうにもそれはエレキキッズに媚びすぎだろうと思ってましたが、それが普通の革シボ模様に変更されており、品位ある大人へと成長してることがわかりました。

しかし値段が高いなあ、それほどの使いこなしをするかなあ程度に見てましたが、ファインダーが電子式(キッズ達はEVFというのか?)であるところがXQ1のチグハグな操作性に戸惑っていた心に共鳴。エイヤッと手に入れ(てしまい)ました。

◆唯一無二のカタチ

こういう10倍を超えるレンズを備えたデジカメはこれまでにもありましたが、そのどれもが一眼レフに迫るほど大きく、その割に電子ファインダ-の見え具合は貧弱なものばかりでした。ところが、stylus1sは、レンズ自体が小さく、そしてファインダーを覗いた時の像が大きくクリアであることが他にはない特色として際立っています。

特に、ファインダ-は背面液晶を全く使わずに覗くことオンリーで撮影に臨んでも十分に用を足せるレベルにあると感じました。そのおかげで、一眼レフを持ち運ぶお供に携行しても、似たリズムでパシャパシャできます。

具体的にいうと、一眼レフを使うときは対象に集中したいがために背面の液晶を表示オフにして、撮影が終わったら画像が表示されて消去するか残すかを選択するというルーチンが身についているのですが、stylus1sは設定をいじることで全く同じことができます。と、いうなれば小さな一眼レフみたいなものです。

昔、キャノンのEOS1にでっかいf2.8の300mmレンズをつけていたイカしたおじさん達を目にしていた者としては、同じことが1/4くらいの大きさで達成できてしまう事自体が嬉しい。

◆300mm f2.8 の感激度合い

普段は135フィルムサイズ換算で40~70mmの焦点距離が好きなので、望遠それも300mmというのは感覚的には特殊な画角との思いがあります。それならば、別に300mmまで届くこのデジカメでなくても良いのに。冷静に指摘されたら「ウググ。」と言葉に詰まるわけだが、論理を超えて、この小ささに300mmf2.8が収まっているというその事実に it's a magic な魅力があります。しかも、ズームを繰り出してもビヨーンと3倍の長さに伸びきるわけでもないので、外からみて「アイツ、どこのぞいてるんっだッペ。」みたいに見えないところも良いです。「あ、あ、あの、あそこにいるメジロを撮っているんですう。」といちいち言い訳しなくて済むワケです。

300mmの画角を覗いて(電子ファインダが見やすいのでまさに覗く感覚を楽しめる)みると、アレ?と ひとつ気づくことがありました。それは、思ったより望遠に見えないな、ということです。

大昔、ニコンFGにオオサワ商会の200mm上限くらいのズームをつけた時は「おお」。さらにEOS用に300mmのズームを手にしたときには「おおお。」と感激したものですが、その頃の印象が蘇ってこない。

その理由は、デジカメになってから撮影画像をすぐ拡大して表示してしまう自分のクセにあると思い至りました。高密度の画像素子でとらえた画像なら、8倍程度に拡大してもそこそこキレイに見えます。元の画角が50mm相当なら、その時点で400mmを覗いているのと同じこと、これに慣れているため300mmの感激が薄れてしまう脳内回路が形成されてしまったのかもしれません。

では、stylus1sの300mm画像を8倍に拡大して表示したらどうか。なんと2400mmを覗くのと同じものを背面液晶でみることができます。

さぞかしワクワクするかといったら、もとの画質が300mmテレ端では解像力やコントラスト不足であるため8倍まで拡大する気は起きませんでした。

◆画質の傾向 普通に使える

画質の傾向としては、派手に色を出すのでなく中庸なトーンで対象をとらえるタイプです。解像度はやや甘く、それをコントラストで締めてシャープ感を演出するわけでもないので、自然なものが自然に写ります。絵を造った印象を受けないのは好ましい。

撮像素子の大きさは1/1.7インチ。2010年前なら高画質で通る大きさでしたが、2014年というと1インチが普通に使われ出した頃なので、むしろ画質訴求の点からは敬遠されるサイズになってしまいました。ところが、実際には写真を記録以外の楽しみとして残せる実力を十分に持っています。素子を活かすバランスがデジカメ総体として出来てさえいれば その大きさに拘る意味はない、というのはペンタックスのQを手にしたときに感じたことですが、同じことがこのstylus1sにも言えます。

ところで、オリンパスのデジカメというと、一眼レフも含めてとにかく白飛びするという先入観を持ってましたが、このstylus1sは普通に撮るには問題ないということを実感しました。ただ、他のメーカよりもハイライトの余裕はありません。

◆操作してみて

このデジカメもレンズの周りに回転リングがあり、それで露出やマニュアルフォーカスを操作できます。そう、前の記事で紹介したXQ1と同じです。
では、その感触はどうかというとネットリを演出するのでなくスムーズにダイレクトに反応するイメージです。人それぞれの好みはありますが、この方が使いやすく感じました。さらに電子ファインダ-を覗くことでデジカメの保持が確実になるので、回転リングの操作が手ブレを誘発する不安からも開放されます。
撮り方としては、電子ファインダ-を覗く前にズーム位置を決め、絞りを回転リングで選び、上面右側についているダイヤルで露出補正をかけて撮影します。絞りも露出も気にしなければファインダ-を覗いてすぐに撮ることができます。
各種のダイヤルのクリック感やスムーズ感、シャッターの押下フィーリングも心地よいので撮影に集中することが出来ます。
そして、特筆するのはやはりファインダ-。144万画素なのでその倍の画素を持つハイエンドな見え方はしないように思えますが、クリアに良く見えます。外光が目とファインダーの間から入り込んでいるハズですが、それが像のコントラストを下げて見難くするということがありません。自然に対象を覗きみることができます。
電子ファインダ-というのはいくら画素があがっても光学ファインダにくらべればどうしてもギザギザ感や色味の違いは出てしまうので、その性能の向上を期待するより、スキマから入り込む外光で見易さが影響受けないことが実用的には大事と思いますが、どういうカラクリなのか、このstylus1sはそこがしっかりしています。
このように、自然なふるまいができるコントロール性・視認性の良さが、一眼レフと同じルーチンでの撮影を支えていると感じました。
さらには、このデジカメは背面液晶がバリアングルになっているので、古来ゆかしき一眼レフには真似のできない角度からの撮影も難なくこなすことが出来ます。

◆もう少し、服装にこだわったら。。

とは、50半ばのオジサンならばいつも言われることですが、この言葉がそのままstylus1sにも当てはまります。グリップの模様が鮫肌柄から皮革調になり、ベネトンからユニクロへと普通のファッションになったことはなったのだが、外装をなすプラスチックの質感が低い。
どれくらい低いかというと、カバーの端部にそのまま成型時のバリが残ったようなレベルです。見た目だけでなく、実際に握った時にも前面カバーと後面カバーとの接合に鋭利な段差を感じ、手の平が痛い。なので、ここを黒テープで塞いて使ってました。カバーのパーツには良く見るとヒケがあり、塗装ツヤの均質感もイマイチ。ひょっとしたら塗装してないのかもと思ってしまう。
このあたり、たとえばペンタックスのガチガチのパーツ整合精度に慣れている身には驚きです。まあ、ヨドバシやK’sデンキで実物を触っている限りにおいては店内照明や雑音や自分自身の異様な高揚感のせいで細かいことには気づきませんが、実際に使う時になるとモノとしての出来栄えがやっぱり気になるワケで、その点ではかなりガッカリしてしまいました。
ダイヤルも、操作感は良いのですが黒塗りな中で外周エッジだけをアルミ(と思う)むき出しにしているので安っぽく目立って質感を下げています。黒の油性マジックペンで塗りつぶしてもすぐに剥げて顔を出すので始末が悪い。
感覚の話なので、この処理をイカすと思うムキもあるかもしれませんが、シックで黒い鎧兜をまとった明智光秀だからこそ物申さぬサムライの凄みが出るところを「ボクはここにいましゅ。」とばかりにラメ色の鎧糸を使ったのでは成り上がり武士のように見えてしまい部下の心も興ざめしてしまう、あげくの果てには豊臣秀吉にやられてしまう。とは日本歴史の教科書も教えてくれているのに。。うぬ、なぜオヌシは同じ過ちを繰り返してしまうのか。
全体のデザインはファインダー部を収めている兜もカッコよくイカしているのに、その最終的なコーディネートのところで損をしていると思いました。ここを、もしライカがプロデュースしてたら中身よし外見よしで本当の唯一無比に慣れたのにと思うと残念です。

◆総合点:50点

高倍率ズームを明るいf値で実現し、小さく軽く可搬性が良く、機能や操作感も優れていて、画質も自然。これのどこに不満あるかというと、やはりその外装プラの質感。この一点だけで全体の印象を下げてしまいました。
写真機に限らず人の手に触れる道具、これから自分の手に馴染ませていこうというものには 見て触って満足する品位も大事な要素だと思った一台でした。

◇次回:もはや道楽、しかし使えば価値がわかる豆野郎。

 

 

その36.XQ1のねっとり感

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◆出会い

 小さくて高画質をうたったデジカメというのは、すでに所有していたニコンのP310を含め既に珍しいものではありませんでした。つまり、このXQ1の存在も知ってはいましたが、特に手を出そうという気は最初はありませんでした。

というのは、ペンタックスのK-3でファインダの素晴らしさに改めて開眼した以上、前倣えの姿勢で伸ばした手の先にある液晶を見て撮るという行為は撮影の楽しさを大きくスポイルしていると思えてきたからです。たとえ、K’sデンキで現品限り「え?」の値段がついていたことを知っていたとしても。

ところが、ヨドバシで電磁波の洪水をあびながら家電製品をアレコレ見て悦に入っていた日曜日、サウスポーのマッケンローに似たアメリカ人若者が一緒にいたガールフレンドに向かってXQ1を手にとり「このカメラめちゃええで。めちゃええで。めちゃええで。」と仕切りに力説しているのを目撃してしまったのが運のツキ。

あのマッケンローが言うなら間違いないと納得し、ヨドバシを振り切りK’sデンキに直行。「え?え? わお。」と更に破格値をつけていた一品をロックオンしました。

◆持ちやすくするための工夫

大きさやレンズが出てくる様子はニコンのP310に良く似てますが、比較してみた印象では持ちにくさが気になりました。アルミ外装には革シボに似た加工がしてあり質感はあるのだが、それがかえって手との接触面積を減らしてしまい落っことす心配がありました。そこで、フリップバックというメーカから出ていた1000円のグリップを張り付けてみたところバッチグー。見た目も少しイカした方にシフトし、満足のいくホールドができました。

◆ありがたい機能: 1.戸外でも見える、2.戸外でも充電できる

1.液晶を一発ボタンで明るくできる。

ファインダがないデジカメの場合、戸外の明るい晴天下では対象を確認する液晶が相対的に暗くなり見づらいのですが、このXQ1では背面ボタンを長押しすると液晶の明るさがグッと明るくなる機能がついてるので、その不便さがかなり緩和されます。

ただし。使う自分がボーとしていると、明るくするのがどのボタンだったかを忘れてしまい、近くにある消去ボタンを押して折角撮った力作をオジャンにしてしまう危険性も孕んでいます。ボタンを押さずに戸外の明るさに応じて液晶照度が自動変更する他機種もあるようなので、いずれはそうなるのかもしれません。

2.USBにつなぐと内部電池を充電できる。充電器が要らない。

このデジカメは、電池を中に入れたままでマイクロUSB端子の接続ケーブルをパソコン等の給電側と結線して充電できます。当時2013年では当たり前になってきた機能です。これができると、USB給電できる汎用の携帯充電器さえあれば、戸外で充電できるし、別体の充電器を持ち歩かなくて済む、というスマートな運用ができます。

しかし、これにもウラオモテがあって、中の充電池がカラになってすぐ次の撮影をしたい場合にはアレレとなる。これまでだと電池切れに備えて予備のバッテリを必ず用意するのでそれを入れ替えれば済むが、USB給電で充電するXQ1では「そもそも予備の充電池を買おうという気がしないので、当然持ってない」。ということは、XQ1と携帯充電池をUSBのケーブルでつないだ状態で撮影に臨むことになります。この時の見た目が、すごくヘンです。小さいデジカメなのに、そこからヒモのようなものが出ていてその先に携帯充電池がプランプランしているという。戸外の観光客が集まるメインスポットでそんな大道芸を披瀝する破目になってしまうわけです。ヨーヨーの名人と間違われる恐れが無いとはいえない(そこから別の道が開かれるかもしれない。ちょっとワクワク)。

そして、冷静に考えれば、予備の充電池を一つ持てば済むところを、汎用携帯充電池を持つということは「あれ、持ち出す電池の数は変わらない」。さらに、接続ケーブルとなると、持ち出す物品は増えている。いや、これらは携帯電話を充電するグッズを併用できるということだから同じ土俵で比較してはいけないのでしょう。ふー、焦った。

ところで、この便利さの背景として、写真機という特別なものがいまや携帯電話やwalkmanといった電脳グッズの類にUSB充電を合言葉に仲間入りしてしまっている事実があります。写真機とは、そういう軽さとは違う意固地な部分もあった方が良いのに~という、うさぎ年生まれならではの(本当か?)寂しさもあります。

◆操作感:ねっとりした回転リング、しかし、まったりとは違う

 このXQ1のレンズまわりは、一眼レフのレンズのように回転するようになっていて、その回転でマニュアルフォーカスや絞り値やズーミングを切り替えて操作することができます。

特に注目したいのは、その回転フィーリングが「ねっとり」していることです。

 なぜ、ねっとりな操作感に仕上げられているかを類推するに、昔の一眼レフレンズのフォーカスヘリコイドを回転するときの「まったり」フィーリングを狙ったものと思います。

しかし、「まったり」が操作しつつその回転角は遅れなくダイレクトにつながる感を想起するのに対し、「ねっとり」は操作する回転角とその結果であるフォーカスなりズーミングなりには間接的でやや時間がズレた感を伴う点が違います。

この、レンズまわりリング「ねっとり」操作感はXQ1に限らず巷の小型デジカメに増えて来てますが、どうしても「まったり」のダイレクト感がないのでやや戸惑いを感じてしまいます。

その戸惑いのもう一つの理由として、リングをまわすという動作と前倣えの姿勢とがそぐわないこともあります。前倣えをしながら、左手でリングをねとねとっと回すと、伸ばしているもう一つの腕、つまり右手ではシャッターを構えつつボディ重量を支えるので保持があいまいになります。やってみるとわかりますが、そのあいまいさが手ブレを誘発するだけでなく撮影が非常に窮屈です。特に、ド近眼で老眼の身では目の焦点が前倣いを精一杯した一点でしか液晶に合わない状態なので、全身の筋肉をコチコチにしながら左手の親指と中指を動かすのはそれだけでも骨が折れます。

これが、ファインダ付きであれば、写真機は額、もしくは低い鼻、もしくは腫れぼったい一重マブタ、もしくは牛乳瓶の底のような分厚いド近眼メガネに押し付けられて保持された状態で腕を曲げた状態で操作できるので、「ねっとり」のインディレクト感があっても割と撮影自体を楽しむことができます。液晶しかないデジカメでは、手ブレの危険性、にわかヨガのような姿勢で筋肉がきしみ挙句の果てに長母指屈筋が断裂する危険性、二つのリスクを追いつつの操作になるので撮影を楽しむための機能であったことなど忘れてしまうわけです。

と、ながながとタレてきましたが、要は回転リングを回さずとも撮影は十分できるので「自分の体調と年齢にあった使い方」をすれば、XQ1は十分に写真機として応えてくれます。しかし、老体としては、どうしてもキャノンFTbやニコンFG、コンタックスRXでフォーカスヘリコイドを回してきた記憶がニューロン結合として強固に頭蓋内に凝結してしまっているため、今日もまたリングに手を出してしまっては筋肉の呻きを聞くことになる。

◆絶賛されている富士フィルム写真機の画質について

 富士フィルムのデジカメの絵作りについて、カメラ雑誌の記事の中では好意的な受け止め方を目にする機会が多いです。

撮像素子にx-trans配列という独自な構造を採用しており解像感を高めているとか、フィルム造りのノウハウをつぎ込んだJPEGチューニングをしていて下手なRAW現像は要らないとか、聞けばホホウと唸る解説がされています。

で。実際にXQ1を使ってみた印象を述べてみると、本当にそうか?というのが実感です。つたない経験の範疇でモノ申せば、パナソニックオリンパスのデジカメの方が良いと感じています。

というのは、XQ1はポジフィルムの硬い像に似た画質をしていますが、それは結局暗部をつぶして明暗コントラストを高めているだけのようにも感じたからです。デジタルの一つの利点として、フィルムでは再現できない暗部の諧調を描き切ることがあると思っていますが、そこをスポイルしているため「フィルムからデジタルになって、より実像に近づいた」というリアル感から逆に遠ざかっているような印象を持ちました。こうすることでの利点はフィルム趣味への懐古といったことではなく、暗部ノイズを目立たなくすることができる、ということにあります。実際、パッと見るとXQ1の画像には輝度ノイズがなくすっきりとしています。しかし、黒くオトしている処が目につくのも事実です。そして、明から暗に次第に移るところでは逆に黒ずみのようなカゲが差す場合もあります。こういう画質は、フィルムから続く心象風景を写す写真には向いてるかも知れないが、その場の季節の明るさやきらめき、人の表情をとらえるにはちょっと向いていないなあ と感じました。

小型デジカメの一つの使い途は、その手軽さを生かしていつも携行し、まわりの人のいい表情、そして街や(自分のところでは)村で出会ったパーとした光景をタイミング勝負で写しとめることにもあります。このデジカメの在り方として「この画質でいいのか?」 という疑問も感じました。

◆デジカメ=カメラ+フィルムを具現したメーカ

今、富士フィルムのデジカメはその小ささや使いやすさ、画質、交換レンズの品質も評価されてX-T2やX-T20、X-Pro1など値段の張る製品も含め成功していると思います。その裏には、デジカメをフィルムカメラの代替として捉えるのでなく、絵作り即ちフィルムが担ってきた部分も含めた機械としてデジカメを意識できたメーカならではの強みが生きているのに違いありません。

もし、夢想するならば、フィルムの他メーカ、kodak、コニカ、agfaが富士フィルム並の規模で(OEMでなく本当の意味で)デジカメを作り続けていたら、カメラ専業メーカに真似できない面白い写真機が増えていたことだろうにと思います。日の光の表情を良く写すkodakデジカメ、とか。花の生命力を伝えるコニカデジカメ、とか。

◇次回:中身に見合う外装が欲しかった。中身は素晴らしいのに。。

 

 

 

その35.K-3 到達点されど特異点

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◆出会い

老眼が進み、ファインダーでピント確認するのはもうやめようとK-5とK-rを思い切って始末した時がありました。これから先はK-01の液晶見て写真撮るしかない、と。

ところが、「K-5よりファインダ倍率を3%上げてみました」というK-3が出て、試しに量販店に並び始めた物品を覗いてみたら、アレ、コイツは大変見やすい。

やっぱり一眼レフ欲しい、という気持ちが再燃し発売後ひと月もたたないうちにボディを購入しました。値段は相応に高かったので勇気が要りましたが、今4年以上使い続けていることを考えると2013年12月7日22時13分の決断に誤りは無かったと思います。

K-3には、これまで手にした写真機のエッセンスがドカンと一発で集約しています。FTbの金属感、FGの触り心地よさ、EOS100の安心感、FM2の精緻な作動感、アリアの優しい写真を撮らせるオーラ、RXのレンズ性能を生かし切る基本性能の高さ。

小型の割に大きなダイヤルやボタン、大きな液晶とマーク、大きなグリップ、大きな光量の内蔵ストロボ。完全に実用になるカメラ内RAW現像。と、褒めてばかりでなく、要望したいところもあるにはあるが。

非常に写真機らしい写真機。K-3の良さはそこにあり、それを伝えたいがためにこれ以降の文章がいつもより長くズラズラと続きます。

◆K-5との違い

このデジカメは、2400万画素撮像素子が生み出す精細描写と、暗いところでも働くオートフォーカス、独自のモアレ低減機能、ペンタックスにしては高速な連写性能。この4つがK-5からの進化の目玉と言われました。

しかし、実際に使った印象では、K-5の発展系というよりも、カタチは似ていても全く別な思想のもとにつくられていることを実感しました。「良くなっている」方向ではなく「違っている」方向を向いていたからです。

1)疲れないファインダ

大きくなった、明るくなった ということよりも、歪みがまったく無くなっていることが違う。K-5のファインダでは隅っこがゆがんでいたが、K-3のものは極めて均質性が高い。覗いていて実物をそのまま見ている安心感があるだけでなく目の疲れを感じずに済みます。老眼(で近眼)だから覗きにくかったのではなく、歪の有無が関係してたのだとわかりました。まあ、若ければ気にならないのかも知れませんが。ゴホッゴホッ。ファインダが隅から隅まで均一に見えること。これは、レンズが付かなければただの暗箱に過ぎない一眼レフの機能として大変重要なことと思います。

実際に撮影した写真とファインダ像を比べると、ファインダ像の方が絞り込まれて見えます。出来た写真を見ると、覗いていた時に比べ背景がボケて被写体が浮き立つためレンズの性能が極めて高いかのように錯覚することもあります。

ピント性能としては、レンズの焦点距離が35mm以上ならどこにピントが合っているか良くわかります。ただ、オートフォーカスの性能が高いので老眼(でド近眼)の身でマニュアル合わせに挑むチャレンジ精神はありません。ゴホッゴホッ。

2)(あたりまえだが)正確なオートフォーカス

K20Dの時は、撮影したあと画像を拡大するまでもなくピントを外しているケースが時々ありました。撮ってみないとわからない部分もあり、ものすごい緊張感を強いる博打的なデジカメです。K-5になるとそれは緩和されたものの、拡大すると結構ピンズレしていて、「まあ、スプリットイメージで合わせていたフィルムカメラ並みならいいか」と、心広く受け入れてました。そしてK-3。ペンタックス純正のレンズを使う限り、驚くほどオートフォーカスが正確に合います。画像を拡大するのが楽しみになるくらい良く合う。そして、このレベルをK-5の時に達成しておけばレンズメーカをつなぎとめておけたのに、の気持ちはあります。ピントが合わない理由をレンズのせいと勘違いされたら、もうペンタックスと組む気は失せたでしょうから。

フォーカスの早さ自体はレンズも関係するのでデジカメだけで語ることはできませんが、キャノンのEOS6DⅡを店先で触った感触からすると、新幹線のぞみと小田急ロマンスカーくらいの違いです。このロマンスカー、それでも駅にいる乗客の足元にピタリと止まります。それだけでも乗り込む老人としては嬉しい。

3)油断ならないオートホワイトバランス

実際の見た目に対し、すっきりしています。暖色を薄めたというか、生暖かい湿気を取り除いたような色に変換されて出てくるので、それを受け付けるか出来ないかで評価の分かれるところです。ちょっとK-5とは違う傾向でした。

最初のうちはそれでも良いと思ってましたが、後でRAWを現像処理するときに写した時の光景の色調などは頭から消えているのでどういじったらいいかがわからないことに気づきました。RAW形式なのでホワイトバランスを自由にいじるぞ、と思っても「ウググッ」となるので結局は「撮影時の設定」という項目しか選ばない。撮った時にどういうホワイトバランスを取るかが(記憶力の薄れゆく身にとっては)大切な理由はそこにあり、K-3の独特のオートホワイトバランスにあらゆる局面を任せるのは野武士野郎でない限りなかなか勇気のいることです。

今は、色温度の数値をそのたびにセットするか、あるいはニコンのグレー紙の切れ端を使ってマニュアル合わせをしてから撮影することが多いです。これは結構手間がかかるものの、オートホワイトバランスに任せてアジャパーとなるより精神的な寿命は格段に伸びる。では、ペンタックスはどれもそんな面倒なことしなければいけないかというと、後に出たK-70はオートでもかなり見た目に近い。同じメーカだから同じホワイトバランスとは限らず、その機種ごとに自分にあったホワイトバランスの取り方を探す必要があることがわかりました。

4)実用的なカメラ内RAW現像

K-5の時には、歪曲補正や光量補正をかけてJPEG撮影するとものすごく待たされましたがK-3はそれを意識せずに撮影できます。これに限らず、総じてプロセッサの処理が速いので、カメラ内でRAWファイルを現像するのがサクサク快適に出来ます。画像一枚一枚を現像するだけでなく、選んだ画像を一括して行えるところもパソコンでファイル変換する感覚に似ていて大変良い。

また、現像の内容も多岐にわたり更にデジタルフィルタまでかけられるので、撮影が終わったあとの帰りの電車の中で一心腐乱にチマチマしている楽しさといったらありません。そこでニヤけたりすると盗撮してるのではと疑われる危険と紙一重だが。

そして、スロットがダブルスロットなので、現像し終わったJPEGファイルをRAW撮影したSDカードでなく、もう一つのスロットにさしてあるカードに落とすことができるのも有り難い。そうでないと、一つのSDカードの中にRAWとJPEGが似たような画像で並ぶことになり何が何だかわからなくなります。この、別のカードに処理したファイルを落とす感覚、これは今をさかのぼること30年、NECのPC-9801で5インチのフロッピから一太郎ver.3を起動し、その作成文書をもう一つの5インチフロッピにガタンガタンと落としていた頃の記憶と見事にシンクロします。PC-9801がK-3にカタチを変えて蘇ったような気分です。さらには、落とすフォーマットとしてJPEGだけでなくTIFFも選べるところが「you know it」感をより高める要素にもなってます。TIFFだとファイルサイズが増えてしまい何が嬉しいか? ということですが、K-3の中にしかないファインシャープネスやキーコントロールといった調整パラメータをかけた画像をまた別の画像ソフトに渡して処理するとき、24ビットの情報量があるのでやりやすいのです。

ここまで興奮して書きながら、普段の現像は大きな画面を見てじっくり進めたいのでパソコンの前に座りライトルームを使います。ただ、撮影してすぐに画像を妻に渡したりするときや、旅先のテレビで大写ししたい時など、パソコンがないシチュエーションでJPEG画像が欲しい時は結構ある。そんな時にいかようにでも調整でき、ハードで処理するので圧倒的に速く、RAW撮影とは別のSDカードを渡すことが出来る。大変便利です。

ところで、ダブルスロットは双方ともSDカードである必要はもう無いと思います。むしろ、一方はマイクロSDカードにした方がボディのスペースを他に活用できるし、カードを渡して使う場合にも便利な時代ですから。

5)世に逆らう画像処理志向

ニコンで撮られた写真を見て羨ましいと思う時があります。それは、黒いザラザラ感がなくスッキリしているからです。逆にいうと、光線をとらえた写真というよりも絵の具を使った描画に近い印象を受けるともいえます。一方、ペンタックスは画像を拡大すると黒い粒がK20DだけでなくK-5でもブツブツと写っていました。拡大せずに見ると、この粒の存在は全体にザラッとした印象を与えます。透明感がありながらザラっとしている不思議な印象です。

さて、K-3ではK-5に比べ黒い粒を感じなくなりました。それでも、粒の子供みたいなものは何となく浮遊しており、特にISO1000を超えたあたりから気になり始めます。

世に出回るあまたの一眼レフが高ISO感度で出るノイズを必死のパッチで消しに回っているのに対し、異邦人の佇まいを思合わせるレベルです。世の中の言葉が通じてないような。。。その分、撮像素子が捉えた情報は少しの洩れなく救い上げる思想が貫かれているのか、K-3は色調や諧調のつながりが非常にスムーズ、それでいて繊細な解像度があるので撮られた写真に立体感があります。これはK-5よりもより明確な写真の進化として感じることができます。また、他のメーカで撮られた写真にはない独特の雰囲気を持ちます。上品だけど凄みがある画質です。

昔(ってどれくらい?ヒ・ミ・ツ)はISO100が標準だったので、ISO400でさえ画質を犠牲にし高感度を優先したフィルムと見なされていました。普通の人が写真機を首からぶらさげているときに、暗いところを撮ろうという思想自体が無かったと思います。そんなときは三脚を持ち出す、ストロボを焚く、写真を撮ることを考えない、手ブレや感度荒れ承知でシャッターを押す、のどれかでしたから。

その延長でいえばISO800まで常用できるK-3はアッパレともいえます。しかし、今は時代がちがーう。一歩間違うと兵器になってしまう三脚やストロボをゴソゴソして公安を慌てさせることより、スマートに写真機一つで撮るのがナイスガイを自認するための必須条件なので、より高いISO感度で綺麗に撮れなければいけない。今ではオートフォーカスのおかげでf値の暗いズームレンズが普通に使えるなったために、昔はISO100で撮れた場面もシャッター速度を確保するためISO800以上が求められるようになってきた背景もあります。

この時代性を考えると高感度ノイズ低減よりも立体感重視を貫く姿勢には独特なものを感じます。後発のK-70では見事に高感度ノイズが処理されているので、K-3はペンタックスの中でもフィルムカメラらしさを残す稀有な存在といえます。

なお、メニューの中でISO感度ごとにノイズリダクションのかけ方を自由に変えれるようになっており、リダクションを最大にかけると黒粒感はかなり軽減されISO1600でも実用的なレベルになります。そして、このリダクションをかけても、通常に写真1枚を見る限りは立体感の劣化はそれほど感じずに済みます。しかし、K-70の高感度性能と比較すると、その独立自尊ぶりにはやはり敬服せずにはいられません。昨年も今年も夜桜をK-3で撮るのは諦めました。

6)デザイン:自分を内省へと導く

K-5のデザインはその前のK-7を踏襲していました。このK-7は、それまでのK20Dや突然変異のK-30が持っていた「うわ、何コレ」感とは無縁のハンサムボーイでしたが、K-5は頭の部分の稜線をシャープにしたので更に男前ぶりが際立っていました。

で、K-3もその延長にあるデザインをしており、一見すると非常に似ています。しかし、いろんなところが凸凹していて全体として処理しきれていない印象を受けハンサム度は残念ながらダウンしました。特に上面液晶から右ストラップにいたる造形の無骨さにはガッカリします。その一因は、内部に詰め込む機構や素子や配線やらが増えてしまい、内側から外にはみ出さざるを得なかったためと推察します。

それは、30代の頃はやせていてうまくジャケットを着こなせていたヒトが、50も半ばを過ぎてあらゆる脂肪やらリンパやら糞やら内側からはちきれんばかりの肉体に変貌しているにも関わらず、愛用を理由にジャケットを着続けているために外からみたら肉塊が凸凹と表出している(しかし自分では気づいていない)様相そのものです。つまり、自分のことではないか。このように、K-3は手に取るヒトに肉体改造への意識を促す効果もあります。それが嬉しいかどうかは別ですが。

手に握った感じはK-5より向上しています。気になっていた左手にあたるエプロン部のでっぱりが小さくなったこと、そしてグリップがより握りやすくなったためです。

K-3の後継にK-3Ⅱがあります。内蔵ストロボの代わりにGPSとアストロトレーサをつけたために頭が少し上にあがっています。そのためにアクセサリシューまわりと段差が生じて更にヘンなことになっていますがあまりにも露骨すぎて誰も指摘する勇気は無いようです。ところで、ペンタックスが開祖である内蔵ストロボ、これを無くしてGPSに置き換えるというのは、脳ミソの一部をAIに置き換えるこれからの社会を暗示しているのかもしれません。深い。さて、そのころの人類はツムジの部分がAIの分だけ突出しても許されるのでしょうか。身長は伸びる。

◆抜群の操作性

情報を読み取り易い上面液晶・上からのぞいた時に自然に触れる前後のダイヤル配置・ISO感度変更のし易さ・メニューに入らず変えられるカスタムファンクションボタンの存在 などこれまでも操作性は優れてましたが、K-3ではさらにもう2つ使いやすくなった部分があります。

ひとつはフォーカスモードの設定です。左エプロン部にモードボダンがあり、これを押しながら前のダイヤルで一枚ピントか連続ピントか、後ろのダイヤルで自動ピントか選択ピントか を簡単に設定できます。これが普通のデジカメだったらメニュー画面の中でないとできないものです。そしてもうひとつは、巷のカメラでは当たり前ですが、モードボダンに3つのユーザ設定モードが登録できるようになってます。K-5では一つしかなく、それをメニューの中で5つにわけて設定するというやや煩雑な操作が必要でした。

3つで足りるか?というと、若くないので(ゴホッゴホッ)それ以上だと何を設定したか覚えきれず。おそらく、K-3を設計した方もそうなのでしょう。え?ええ?

◆操作性、それでも今までから変えないでほしかった部分

一つはこれまで背面右のど真ん中にあったAFボタンが右上に移動したこと。これは右目で覗く人は恩恵あっても、左目でしかもメガネで覗く者としては自分のメガネと指が干渉するので好ましくない位置です。前の位置だと親指がスポッとおさまるので丁度良かった。その位置には使ったことのないカメラとビデオの切り替えスイッチが将軍様よろしく鎮座されている。その上にあるグリーンボタンなら何とか指が届くので、メニュー設定でグリーンボタンにもAF機能が割り当て出来ると良かったと思います。

もう一つは、部分露出・マルチパターン露出を切り替えるスイッチがなくなり、ボタン押し+ダイヤル方式に変更になったこと。では、それまでスイッチにあったところはどうかというと、露出モードダイヤルのロック解除がこれまた鎮座されている。これはあまり必要ないと思うので、切り替えスイッチを止めざるをえない別の理由があったのでは?とつい勘ぐってしまいます。例えば、ユーザ設定モードで露出方法の設定を選べるようにするためにはメカ的なスイッチだと都合が悪い、など。

◆K-3クチコミ:ミラーのバタバタ

K-3は撮影していると突然ミラーがバタバタし出して、電源を切ってもおさまらない。電池を抜くしかない。という不具合の書き込みを目にしました。

4年間使っていますが、幸いというか、それが普通というか、連写モードのときもこの状況に遭遇したことはなく、ミラー作動が不安定になる気配も感じたことはありません。

個体差なのか、使い方の違いで出た不具合なのかわかりませんが、リコーはファームウェアでこの問題には対処済みなようなので、これからも気にせず使っていきます。

◆2段の露出ブラケット

一般にオートブラケットと呼ばれる、露出を3段階にわけて連写する機能はコンタックスが最初に採用したと記憶してますが、今ではどのデジカメにもついています。これを使うと、ポジフィルムをあとで見た時に、自分のイメージに合わせて3枚の中から選択することができます。ネガフィルムの場合は、よほどの露出ズレでない限り現像段階で明るさをコントロールできるのでポジフィルムほどの有り難さは感じませんでした。むしろ、3枚同じ光景を撮る中で1枚選択というのは、あとの2枚を捨てることも意味するので、高いフィルム代を考えるとブラケットする度胸はなかなかありませんでした。

そしてデジタル。JPEGで撮っても、±1段くらいならデジカメの中で明るさを変えて追加保存できるモノも多い。ただ、そのような追加保存したりパソコンで調整したりといった後処理も、それが楽しみでない場合は面倒なだけなのでオートブラケットで撮影し、要らない2枚は捨てるというやり方の方が簡単です。しかもデジタルだと、捨てるとしてもコストがムダになるわけでなく単に消去するだけなので、フィルムよりもオートブラケットを使う時の抵抗は減っています。

この、撮影画像を捨ててもお財布に対し罪悪感がない、というデジタルの特徴から3段に限らず5段ブラケットが出来るものも増えてきました。しかし、それは同時に選ぶことと捨てることの手間が余計増えることになります。

JPEGでなくRAWで撮影する場合は、後処理が前提なのでブラケットするにしても5段はおろか3段も必要なく2段あれば十分な場合もあります。それに2枚の場合はアレかコレかしかないので、選ぶ決心もつきやすい。

2段ブラケットができるデジカメは意外となく、それができるという点でもK-3を気に入ってます。大概は、-0.3EVと+0.3EVもしくは-0.7EVと+0.7EVの組み合わせでブラケットしています。

◆撮影に向かう気分のありさ

K-3を持つと、確実に撮影できるという安心感があるのでどういう風な気持ちでいま自分が撮影に臨んでいるかを客観的にみることができます。大体の場合、精密に写し込んでやろうという気分よりも、やさしく雰囲気を包むように写そうという気分でいることが多い。この気持ちはコンタックスのアリアを使っていた時に近い。

なぜそうなるかの理由として、シャッター音やその感触があると思うようになりました。K-3は動作が機敏なのでアリアのようなタイムラグはありませんが、シャッターを押した時の音の余韻や手の振動の伝達がアリアを使っていた頃を(なぜだがわからないが)彷彿とさせます。逆にいうと、これまでにアリアを使った経験がなかったら、たとえK-3を手にしてもこういう柔らかい写真を撮ろうという気持ちにならなかったかもしれません。

そう考えると、どのような写真の写し方をするかに対して、それまでどういうカメラを使ってきたかの経験も影響するものだと思いました。

◆防塵防滴性能、こんなところで発揮

K-3はフィールドカメラであることを打ち出していることから防塵防滴構造をしています。実際、小雨程度の日には写真機をしまうというより、むしろ喜んで持ち出すことが多くなりました。

そのほかに、この性能のおかげで助かったエピソードがあります。これはやってしまったな、という話です。

肩から下げる半月形をした胃袋型バッグ、それにいつもデジカメやらウォークマンやら飲み物やらを詰め込んで撮影に出ることが多いのですが、その時もK-3に16-85のズームをつけて歩いていました。と、何となく腰のあたりがヒンヤリするので何かと思ったら、カバンの中に500mLミネラルウォータをキャップを外したまま入れてしまっている。自分のズボンもびっしょりだが、バッグの中はジャボジャボ状態。当然K-3も潜水艦のようにつかっている。こりゃアウトだと思いましたが、レンズもK-3も問題なく作動したのにはビックリしました。以前、FGで同じように水がかかったときにシャッターユニットを交換する羽目になった苦い経験があったので、いくら防滴とはいえ何事もなくすんで良かったです。と、同時に別の安堵感も生まれました。実は自分がはからずも失禁してしまったかと思ったのだが、ミネラルウォータの水漏れで一安心。まあ、外からみたらズボンが濡れているので「アイツ、やったな」と勘違いされていたとしても仕方ありませんが。

ここに気を良くして、海の浜辺でちゃぽちゃぽしていた時に水越しに見える海底の様子が気に入り、K-3を海面から下にドップリつけて撮影したりしたこともあります。それでも大丈夫。ただ、電池ブタのあたりに塩が残ったりしたので次もやろうとは思いませんが。

◆サービス窓口の対応に びっくり

K-3を使っていて、ちょっとした不具合を見つけたことがあります。プログラム露出で撮影しているときに、ダイヤル操作でプログラムシフトができなくなる、というものでした。ペンタックスのプログラムモードというのはハイパープログラムという独特な制御をしており、二つあるダイヤルのうちどちらかを回すとシャッター優先モードになり、もう一方を回すと絞り優先モードになります。しかし、他社で普通の制御つまりプログラムシフトをダイヤルに割り当てることもできます。ハイパープログラムが標準なので、わざわざその設定を変えてまでプログラムシフトにこだわる人はいない、というのがペンタックスの見方だったと思うので、重箱のスミをつつくようで申訳ない気持ちもあったが東京のサービスセンターに連絡してみました。

原因は、デジカメ内のファームウェアをアップデートした時に伴うバグということが判明しましたが、びっくりしたのはその後の対応です。次のアップデートまでもうすぐなので、その時に直しますと返答が来ました。こんな、重箱のスミを、全機対応のファームウェアアップデートで修正しなおしてくれるのか半信半疑でしたが本当に治っていたのには驚きました。こんな声まで吸い上げるのか、と。

以前、キャノンの対応としてEOS7の視線入力がうまく作動しない原因がオートフォーカスセンサに工場出荷時からついていた汚れにあったことを書きました。そして、そのときの大阪サービスセンターの某氏のつれない対応のことも。そんな過去のある身としてはペンタックスの対応は全く逆、究極のお客様第一。

こういうメーカがまだ国内にあるのだな、と大変感動した経験でした。

◆交換レンズ標準機

K-3は光線を情報漏れ無くくみ取るので、レンズの差がはっきりとわかります。いろいろ使っているレンズの中で、K-3を使うなら外せないレンズを紹介します。マニュアルレンズも面白いでしょうがオートフォーカスレンズの中から選んでみます。

1)ペンタックス FA31mm リミテッド

このレンズは20年ほど前にフィルムカメラ用に設計された広角レンズです。APS-CフォーマットのK-3につけると焦点距離が46mm相当となり標準レンズとして使えます。レンズの周辺部分をムダにする贅沢な使い方にはなりますが、46mmという50mmよりすこし引いてみる画角の感覚が、対象に向き合う時に客観性と冷静さを与えるためか大変使いやすいです。50mmそのものよりも、たった4mmの違いだけでこれほど違うのは面白いことです。

画質は開放絞りf1.8から実用になるコントラストの高い描写であり、f2.5くらいまで絞ると対象が浮立ち背景がフワっとボケる、このレンズにしか出来ない上品な描写を連発します。特に、ボケた領域が均質でクセがないので、実物を見ているというより、何か名画でも見たような気にさせます。実は、このような描写は高価な望遠レンズを手に入れれば出てくるものかもしれませんが、これを46mmという引き感のある標準レンズ画角で成し遂げているところに、このレンズ唯一の存在価値があります。ただ、この描写はK-3でないと完璧に再現できないかもしれません。パープルフリンジが盛大に出ますが、出るなら出たで残せばよか、と思わせる何かがあります。

なお、このレンズには初期の頃の日本製と、現在のベトナム製の二つがあります。手持ちのレンズはベトナム製でしっかり写ります。製作精度としては日本製の方がガタが少ないです。当方のモノも鏡筒のガタが気になったので買った直後に修理に出してカタづめをしてもらっています。

FA31mmの性能を活かし切るカメラが、フィルム時代も通してようやくK-3として実現したと思っています。両者を組み合わせたバランスも手にとって心地よく、単焦点ではもっとも活用するレンズです。このレンズを使うまでは、ツァイスの50mmf1.4プラナ-とコンタックスRXの組み合わせが好きな写真が取れる最適組み合わせでしたが、それ以上に光線を画に変換する力がある最強タッグです。

双方を中古で良いから手にいれることから写真を始めると、大変幸せなデジカメライフスタートになると思います。46mmでf1.8でAPSーCサイズの組み合わせは、画角や深度の使いやすさだけでなく、持ち運ぶ大きさがコンパクトなため外に出て写真を撮ろうという気にさせるからです。そして、出てくる写真の上品でしっかりした仕上がりは光線を捉える事の楽しみを倍加させます。

2)ペンタックス 16-85ズーム

これはf値が3.5~5.6と暗く、昔の「暗いレンズは廉価品で性能もそこそこ、だけど小さくて軽い」というイメージに反して「値段高い、性能抜群、でかくて重い」という、特異点的異形のレンズです。K-3とは同じ異形同士なためか相性が良い。

相性の良さの例として;

・どちらも防滴:ジャボンと漬かるくらいなら平気だった。防滴を超えたレベルを達成してるのではないか。ジャボンは敢えてやることでないが。

・K-3がソフトな絵作りなのに対し、このズームはどのズーム域でもキリリと引き締まった像を結ぶ。その割にボケ味は点光源をのぞきクセが無く2線ボケの傾向がない。結果として、シャープだが温もりのある写真にしながる。

・K-3はISO感度を800以下に抑えて使いたいが、このズームはf値が暗いながらも開放からシャープなため、絞り込むことなく開放だけでも十分写真として成立する。加えて、レンズを持つ左手とK-3を持つ右手にそれぞれ配分される重量が適切で保持がしっかりし低速シャッターでもブレにくい。「開放多用+低速シャッタ-OK」の結果として、上限感度をISO800にしても、撮れる光の範囲は結構広い。

・ピントリングが後ろにあるので、意識せずに指に触れてピントをずらしてしまう危険が少ない(17-70f4ズームの時はピントリングにすぐ指が触れてしまってました)。

・K-3を持つとなぜか撮りたくなる標準画角域、ここでの歪曲や光量落ちを全く感じない。これも17-70ズームの弱点でした。

 ときりがありませんが、一言で言って「まあ、とにかくレンズの光学性能が非常に高い。そして、これもK-3の光線なんでも拾いこみ性能があって完璧に活きる」といえます。

3) ペンタックス 55-300 f4-5.6 PLM

このレンズも、各焦点域で十分に鑑賞写真として成立してしまう光学性能を持っています。加えて沈胴式でコンパクトになるので、小型であるK-3と共に持ち運ぶのに適しています。そして、PLMという新しいフォーカス機構によって、ピントが合うまでの速度が大変早くストレスを感じることがありません。

◆こんな写真機が今後も続きますように

K-3はバリアングル液晶を備えているわけでもなく、WIFI通信が単独でできるわけでもありません。いろんなシチュエーションでの記録としての写真を共有し合うという目的からは遠い処にいるデジカメです。しかし、その目的、デジカメでなくてもスマートフォンでもできるわけです。

となると、写真本来の光線の連なりを絵に変換して感動を留める、という別の目的に目を向けるとK-3はそこに非常に真面目に向き合い且つその到達点に達しているともいえます。それも、日常とり扱える大きさの中で。

そこに向けたリコーと旧ペンタックスの方々の製品でも商品でもなく写真機そのものを出そうという気概を感じるためにも一度でもK-3を手に持つ人が増えれば嬉しいと思います。あれ、これは手に吸い付く、と感動してもらえると思います。そして、あれこれいじるカメラ趣味に行くか、立体感ある写真を撮りためる写真趣味に行くか、いろいろ道は分かれるでしょう。

ただ、リコーの中での業績は芳しくなくコンタックスのように無くなってしまわないかの心配もあります。そうならないために、更に優れた写真機が継続して世に出るためにこれからもペンタックスを使い続けたいと思います。思えば、10年前、SONYのアルファを買うつもりがデザインは変だがエルゴノミクスの使いやすさだけでK20Dを選んだことに間違いがなかったことがこのK-3で証明されたのですから。真面目に光に向き合う写真機、これからも残って欲しいと思っています。

 

 

◇次回:小さくて良く写る。そしてネットリしている。