まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

標準ズームのお話(4) ペンタックスのズーム、ダー!!

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ペンタックス K-20D 18-55 f3.5-5.6

コンタックスからペンタックス

 フイルム一眼レフを使ってきた順に並べると、キャノンFTb→ニコンFG→キャノンEOS1000→キャノンEOS100→ニコンnewFM2。ニコンとキャノンの間をいったり来たり。  

 この流れでいうとデジタル一眼レフも2つのメーカーの製品になりそうだったが、どういうわけかコンタックスのマニュアルフォーカスカメラに「カブれた」時期があり、そのせいでデジタル一眼レフが流行り始めた頃に乗り遅れてしまった。

 コンタックスAreaの広告写真を見てその形に一目惚れし、45mmテッサーと共にパチパチしたのが始まり。カブれた最後の頃はRXに50mmF1.4だけをつけて何でもかんでも撮っていた。ファインダスクリーンにミノルタα9の全面マットを組み込むと画面内の隅っこにでも面白いようにピントを合わせることができた。

 これは当時の私にとってはとても衝撃的なことだった。というのは、その時代のマニュアルフォーカスカメラのほとんどは中央のスプリットプリズムでピント合わせするのが常であり、一方、当時のオートフォーカスカメラも測距点が真ん中の辺りにしかなかった。

 つまり真ん中でピントを合わせてそれから構図を選ぶ、というのが当たり前だった時に、その逆である構図を選んでからピントを合わせるというプロセス反転を意味した。

 

 デジカメが一眼レフとして出たときの画素数が、まだ(雑誌で見た程度の知識でいうと)600万画素あたりと低かったことも移行しなかったもう一つの理由だった。

 当時はフイルムネガやポジを読み取ってデジタル化するフイルムスキャナーの方が画素数は高く、またそのスキャナーに付属の読み取りソフトにはシャープネスや色調補正も組み込まれており、何も知らない私は「へん、フイルムの方が階調が広くて自由度が効くしエライもんね。」と勝手に勘違いしていた。

 

 実のところを言うと、パナソニックLUMIX F-1という300万画素のコンパクトデジカメを使ってプリントした時に、ひょっとしたらコンタックスRXよりもプリントが綺麗かも。。。という一抹の揺らぎを感じていたのだが、色々とありもしない難クセをつけてはフイルム一眼それもマニュアルフォーマスのコンタックス固執していた。

 そういう親父は結構いたのではないかと思う。

 

 その頑固親父マニュアルフォーカス一辺倒モードが、根本からくずれる事件が起きた。 その事件の犯人はニコンであった。

 フイルムスキャナーとしてニコンの製品を使っていたのだが、パソコンのOSがwindowsXPからVistaに更新されたときになんとニコンはドライバーを対応させない事を公表したのである。

 少し遅れます とか 今、新しいOSに向けて開発中です とかではなく、対応させないというニュアンスのことをやんわりとであったがハッキリと言った。

 その頃、パソコンをVista同梱のものに新調したばかりで、「あれ、なんかドライバを読まないぞ。」と思ったらこの始末であった。フイルムをジーコジーコとスキャンしてあとは画面をみながら画像を見たときのイメージを思い出しつつ修正する、という自己完結ルーチンに移行していた私に、もうフイルムのプリントを街の写真屋さんの腕に委ねるという勇気はなかった。

 いや、実はサードパーティからやがて代用のドライバなどが出たりして対応しようと思えば出来たのだが、なんとなく自分に踏ん切りをつけるかのように困ったなあといいつつ実はデジタイル一眼移行の好機ととらえたのかもしれない。

 むひょ、どのデジタル一眼を買おうかな、るんるん。 というのが本音だった。

 だが、その候補の中にはニコンは事件を起こした真犯人だから入れるわけにはいかない。

 キャノンはというと、たまたま知り合いでキャノン一眼を持っていた若者がこまっしゃくれたガキ、という言い方が変であれば身なりのいい好青年で私と違う世界の方々の愛玩品に思えたのでこれも却下。

 するとAPS-Cという当時2008年頃に標準的だったフォーマットでデジタル一眼レフを展開しているのはペンタックスソニーに絞られた。

 この2者のカメラの方が機能的に私には好ましく思えたのも事実である。なんの機能かというと、撮像素子をグインと動かしてしまう手ブレ補正機構であった。この機構はスゴイと思った。

 だって、レンズ側で行う手ブレ補正はフイルムカメラでもレンズと接点を連動させればできるじゃん、であろうが、さすがにフイルムそのものをカメラ内でヨッコラセと動かすことはできない。そんなカメラがあったら、フジとか小西六とかがうちの製品に何してくれやがると言って怒り出す。どだい、そんな機構はどう考えてもフイルム相手ではできない。それは、撮像素子をカメラの一部として部品に持つデジタル一眼だからこそできる特権であった。写り云々よりも、ここに参った。新しい風を感じた。

 ソニーのα700か、ペンタックスのK20Dか、といったところでカタチの好みから言うと断然α700だったが、持ったときの操作感は饅頭みたいなカタチのK20Dの方が遥かにすぐれており尚且つ上面液晶窓もあったことからK20Dとなった。

 こうして、コンタックスのマニュアルフィルム一眼レフから、ペンタックスオートフォーカスデジタル一眼レフへと華麗な転身を遂げた(つもりだった)。

 

 そして、その時に最初に手にしたレンズがペンタックスオートフォーカス18-55mm f3.5~5.6であった。36mm換算だと、28mm~80mmといったところだろうか。

 

ペンタックスデジカメの標準ズーム4種切り

 ペンタックスのカメラは、K20D、K-r、K-5、K-01(これはミラーレスっぽいが、ミラーが入ってないだけの箱)、K-3、K-70と手にとってきた。何か、操作していて楽しいカメラなのである。そのすべてがAPS-Cフォーマット。

 カメラにつけるレンズ、その中でも標準ズームでは下の①②③④4つを使ってみた。

それぞれの印象を思い出していこうと思う。

 ①先述の18-55mm F3.5-5.6

 ②17-70mm F4

 ③18-135mm F3.5-5.6

 ④16-85mm F3.5-5.6

 

①18-55mm F3.5-5.6。

 何しろペンタックスを使ってないのにいきなりK20Dを買ったものだから手持ちレンズがゼロ。何かつけないと当然カメラ単体では写らない、ということで一緒に揃えたのがこの標準ズームである。

 その頃、同じ標準ズームではF2.8の16-50mmというのがあったが、その大きさと価格に魅力を感じず、この廉価な方を選んだ。

 オートフォーカスの駆動は今ハヤリの電気接点ではなく、カメラ側からネジ(のようなもの)でレンズの受け口をクククッと動かすタイプである。実際にはジジーという音がする。

 このレンズについては描写が優れているという印象は最後まで持てなかった。

 ピントの線が太く、一見シャープにみえるがそれは解像度が高いわけでなくエッジ面のコントラストをあげるペンタックスの画像処理によるところが大きい。

 とはいえ、色がうすくなることはなく普段使う上で支障をきたすまでには至らない。重さが軽いことも付けっぱなしで使うレンズとしてはラクで良かった。

 ただ、オートフォーカスの精度が低かった。これには、K20Dというカメラの性能もあると思うが、フィルムカメラのEOS100にFE28-105mmを付けたセットよりも15年以上後に出たカメラのセットがコレかよ、と非常に落胆したのを覚えている。

 焦点マークが点灯しOKのつもりが思いきりピントを外しているということが多かった。なかなか合焦しないというのでなく、「合っていない」のだから困った。

 そして、その理由を私はジジー野郎、つまりレンズのオートフォーカス機構が古いためと勝手に決めつけた。これを根本的に解消するにはレンズ内にモータを持つSDM内蔵レンズにしないといかん、と思い3ヶ月後には別のズームレンズに買い替えた。

 もう一つ、改善してたらいいなと期待したのはレンズのガタである。ズームをそれほど伸ばしてなくても指で触れるとカタカタした。キャノンのEFレンズもそうであったが、このレンズのソレは分かりきってやっているというよりも、工場品質が追いついていない甘さを連想させちょっとげんなりした。

 

②そして下取り交換したのが 17-70mm F4 であった。

 開放絞りがf4固定であり、35mm換算だと28から100mmなので使いやすい焦点域のいわば定番とも言うべき標準ズームである。

 出た頃はだいぶ人気があったらしく、発売されてから値段が下がることもなく割と高値で買った記憶がある。高値ではあったが、SDM内蔵であることからオートフォーカスの精度とビルドクオリティの確かさを信じて手にした。

 結果から言うと、オートフォーカスの精度は確かに上がった。

 しかし、今ニコンのZレンズのガチピンと比較するまでもなく、キャノンの古いEFレンズのレベルにようやく迫った(追いつくまで行かない)程度であった。まあ、それでも格段の進歩であるのは確かであり、ようやく使う気にさせるセットがK20D+17−70mmとして揃った。

 しかし、レンズとしての機能性や描写の実際を経験すると、上に挙げたオートフォーカスを別にしても魅力に乏しかったという印象しか残っていない。

 描写の良い点を(あえて)言うと、

 70mm側(35mmに換算すれば100mm側)でのボケ感が素直で綺麗。色がしっかり乗っている。

 と一行で済んでしまった。あまり誉めどころが無いと言うのが正直な感想である。

 具体的には3つの問題があった。

 一つは解像力がどのズーム域でも不足していること。特に望遠端ではそれが顕著であった。

 二つめはコントラストが時にキツすぎることがあるが、これはまあ後処理で何とかしようと思えばできる。ただ、後から修正することを前提に写真を撮るというのはあまり面白くない。

撮影の時は、そんな後のことなど考えずに今その時に集中できることが醍醐味なので。

 そして三つめが、画像の歪曲であった。当時のK20Dには今のデジカメなら標準的に備わっている歪み補正なるものは無かったのでレンズの歪曲収差がそのまま出るのは致し方ないが、その出る焦点域が広角端や望遠端ではなく、中間の焦点域それも私の好きな50mm近辺で目立つと言うのがキツかった。これはペンタックス純正のレタッチソフトでも修正できなかった。Lightroomだったらできたかもしれないが、最も多くの写真を残す画角域で歪曲があると言うのはレンズの稼動性を減らすことにつながった。実際、写真を撮る気が失せた。

 描写だけではなく、機構的にも私には馴染めない部分があった。

 ピントリングである。

 ペンタックスのレンズにはフルタイムマニュアルフォーカスという機能を持つものがあり、何かというとオートフォーカスで合焦した直後にピントリングを回してフォーカスを微調整できる仕組みであった。

 これは初めて聞くと何やら素晴らしいことのように思えたが、良く考えてみるとオートフォーカスの性能がドンピシャだったらそんな機構はいらないんじゃないかと気づく。

 で、これがこのレンズでは要らないだけでは無いのだ、明らかに余計であった。

 写真を撮るときに左手はボディと共にその指先はレンズの先端を保持することになるのだが、レンズの先端に幅の狭いピントリングがあるため、それが合焦のときにクルクル回転するのに触れないように保持する。

 これが無意識にできるレンズもあるのだが、この17−70mmの場合は毎度気にしないと自分の指がレンズのクルクルを妨げることになる。ここまででも結構神経質になるのだが、何とかクルクルを邪魔することなく合焦した後も、指がピントリングに触れないようにせねばいけない。ところが、かなりの頻度で指が触れてしまうことがあり、その度にまた合焦し直すということを繰り返す。

 50mm域での歪曲の違和感、それにピントリングにまつわる(私の持ち方にも依るのだろうが)操作性の相性の悪さには辟易してしまった。

 さて、このレンズの人気のひとつである開放F値の固定についても思い出してみる。

 F4固定については望遠端でもストロボの到達距離が短くならないことの他に、単純に望遠側のボケを稼げるというのが実用上の利点だった。稼げるというか、正確にはF5.6とかF6.3よりはマシ ということ。

 それでも、開放F値の絞りでは画質劣化が激しくて使えないなあ、というのが私の経験則にはあった。しかし、このレンズの場合は望遠端で絞っても期待する向上代が無いことの反面として、その落差にがっかりすることも少なかった。

 とはいえ、このレンズもまた次の標準ズームを探すまでの前座という短い付き合いになり、その後に真打ち候補として手に入れたのが18−135mmであった。

 

③18ー135mm  F3.5ー5.6。

 これはカメラをK20DからKー5に買い替えたタイミングで手にしたレンズである。

 ペンタックスのカメラはKー7がK20Dに代わり登場したのちは、それまでの中年太り体型からアスリート体型へとデザインを一新した。かなりな男前になった。

 それに合わせるかのように、この標準ズームも小ぶりでややクラシカルなイメージを

持ちつつシュッとした外観を備えていた。見た目の印象は悪くない。あとは中身が充実したオトナとして世間に耐えうるか。これであった。

 結論からいうと、これは耐えうる。だった。

 先のF4ズームで感じたピントリングの扱いづらさは全くない。というのは、ピントリングがズームリングよりも手前にあるため普段カメラを保持する場合に指が触れることがない。加えてオートフォーカスの機構がインナーフォーカスであるのでピントリング自体がクルクルと合焦の最中に回ることがない。まあ、これは1991年の時点でキャノンでは普通に実現していたことではあるが。

 画質についても、私が良く使う50mmでの歪曲もなく中心部のシャープ感も明らかにF4ズームより上であった。

 ボケ方も素直、というかペンタックスらしいやや甘さを含んだもの(多分、球面収差が大きい)で中心に被写体を置いて撮る分には十分使えるレンズであった。

 100mmを超える望遠域となると流石に中心のシャープ感は落ちてくるが、これ以上に周辺がよりソフトであることが幸いして意外と好ましい写真が撮れることが多かった。

 ただし、「周辺に至るまで均質」という単焦点レンズに匹敵する光学性能を目指したレンズでは無い。もともとペンタックスの絵作りがそこを目指すというよりもやや派手な色の傾向含めて被写体を浮き立たせることに向いていた。

 このレンズについてひとつ面白いことを加えると、Kー5で撮影した時と、その後のKー70での時とで描写にやや違いが見られたこと。Kー70の方がシャープなのであった。これはカメラ側の設定がそうなっているというよりも、カメラの画像信号処理の時点で収差を軽減する処理がKー70の方が進んでいたのではないか と感じている。

 今2022年でもこのレンズは販売されているが、中古だと1万円くらいである。使い勝手の良さ、それに得られる写真としての「自己」満足度を考えたら破格のコストパフォーマンスである。旅行の思い出を残すような用途であれば地図写真機さんでKー70とのセットで6万5千円。いかん、また欲しくなってきた。

 ただ、ひとつ気をつける点があるとすれば、手ぶれ補正はレンズ自体には無い。ペンタックスのレンズは全てがそうだと言ってもいいのだが、それはカメラの側が撮像素子を動かすボディ内手ぶれ補正方式を採用しているからである。それが私の場合はペンタックスを選ぶ最大要素であったわけだが、そのボディ内の手ぶれ補正がいつも効くというわけでは無かった。また、その効きも良くて2段半、平均して2段いくかどうかの印象があった。そのため暗くなると自然にISOを上げて撮影することになるが、初代のKー3の頃まではカメラの高感度特性も良いとは言えずISO1250くらいを超えると「えっ」というレベルでノイズまみれになることも多かった。Kー70になってこの特性も相当に改善したのであるが、古いペンタックスのデジカメ一眼レフ相手だと望遠端F5.6が意外と足枷になった。

 長く満足したレンズではあったが、ペンタックスがK-5Ⅱでローパスフィルターレスを打ち出したあたりからそれまでの線が太いこってり描写路線から本当の解像感もあげる方向へと方針転換、K-3もその素養を持って誕生したことからいつしか「周辺もパキッとした写真を撮りたい」と思うようになった。

 そんな頃に、パキッを単焦点でなくズームでも発揮できるという触れ込みで新しいズームレンズが発売になった。 16-85mm F3.5ー5.6 である。

 

④16-85mm F3.5ー5.6。

 35-135mmを持っていればそれよりも焦点距離レンジの狭いレンズに買い換えなくてもいいではないか、という気持ちもあったがヨドバシカメラさんや地図写真機さんのレビュー記事というかそこに貼られた作例写真を見て気持ちがグラッと動いた。

 こいつにはペンタックスらしくない透明感と解像感がある。

 ヒョコヒョコとヨドバシカメラさんに出かけたら、そこでチャ-リーとチョコレート工場という映画で見かけたような販売員さんから熱烈トーク「K-3のローパスフィルターレスを活かすにはこのレンズしかない!」に洗脳されてしまいお買い上げしてしまった。

 で、描写はどうか。というと、

 これは正にその通りで、これまでの①~③のレンズとは一線を画すシャープ感。歪曲収差はというと、広角端に多少の樽型変形が残るものの全域で私を満足させるレベル。

 そして、周辺までの均質性も高い。

 大変満足した。

 ピントの合焦もペンタックスにしては良く、安心して任せられるレベルになっていた。

 そして何よりも強固な防塵防滴性能、それは防水性能といっても過言ではないほどで実際に川にカメラごと「ズン」と沈めて川底の石を撮る、なんてことを平気でしていた。どこに水が入るかというと、レンズとフィルターの間しか入らない、という凄さであった。

 ただ、一つ難点があるとしたらボケが固くてあまり綺麗ではなかった。いつでも固いというわけではなく、後ろの位置に少し離れたモノの描写が固い。

 たとえば桜や梅の花を撮ろうとすると、周辺の枝が映り込むがこのボケかたがやや汚い。そういう意味では万能レンズではなかったが、長らくペンタックスを使ってきて感じた太いシャープネスでなく透明感あるシャープネスをズームで初めて具現したレンズであった。

 ビルドクオリティも先の防水性能からわかるようにしっかりしたものであった。ただ、部品の合いという話でいえば、今手にしているニコンのZレンズズームには及ばない。

 この16-85ズームは善玉がやや大きくマウント部からスッと伸びた姿はK-3と良く似合った。見た目のかっこよさ、それから先に述べた描写性能、その両面からみて「このレンズのためにペンタックスを買う」、ということが本当に言えるようなズームであった。

 

 こうして、わたしのデジタル一眼経験はペンタックスの標準ズームと共に、最初の①②は「なんじゃこりゃ」から始まり、③でまあまあ、④で納得 というステージアップを経て最終章に向かっていた。

 つぎはいよいよフルサイズ24☓36mmフォーマットのK-1へ と思っていたが右肩に新しく追加されたダイヤルが花びらのように見えたのに嫌気がさして購入することもなく別のメーカにマウント替えした。

 そう、私のフイルムスキャナーをお蔵入りさせた張本人のニコンに懐古したのであった。次回はこの話です。

 ただし、Fマウントのズームニッコールは一本も買わなかったのでZマウントズームニッコールについて。こいつは凄いレンズ達である、性能とビルドクオリティと。

 

 おしまい。           22年11月7日。