まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その47.ニコンZfc Cの皮を被ったN

出会い

このZfc、昔の一眼レフFM2をモチーフにしたという話が伝わり、それならばとヨドバシカメラに触りに行きました。

しかし、実際に手にとると本物(というと、もう一方が偽物っぽく聞こえますが)のFM2とはフィーリングが違う。本物は一つ一つの部品に機械的意味を感じられるキシキシした操作感があるのですが、Zfcはダイヤルをいじってもあまり機械のダイレクト感はなく電子制御を動かすためにいじっている感がありました。こういうのが手に伝わるというのは不思議ですね。その一つの要因は重さが軽い、だから中味に機械よりも基板を手の平で感じてしまったせいかもしれません。

なのに。感触や外形には感動しなかったのに。購入しました。

それは、Z50と比べた時に操作系のレイアウトがZ7Ⅱに似ていたからです。同じように使えるということが決め手でした。

ボディのカラーはサンドベージュにしました。昔、プロのサッカー選手の中に周りは黒いスパイクはいているのに一人だけ白いのを履いている選手がいました。その真似みたいなもんです。

Z7Ⅱに似ているところ

値段で比べたらそりゃあ3倍違うし、向こうは24☓36mm、こちらはAPS-Cなので同列に比較できるものではありません。

しかし、カメラ雑誌の執筆者の中にはZ7系よりもZfc含めたZ50系の方がカメラとしてまとまっているという方もいらっしゃるようです。まとまっているどころか、性能が上とまでも。値段とセンサーサイズを考えると「それはないだろー」と思ってました。

結論をいうと、「それはないだろー」が正解です。Z7Ⅱの方が性能も画質も標準で、Zfcはそこを起点に語って然るべきカメラだと思いました。

では、まず似ているところからZ7ⅡだけでなくZ50との比較もまじえて見ていくことにします。

①背面のスイッッチ配置 その左側

Z50を使っての不満の一つは、背面の左側にあった再生ボタンとゴミ箱ボタンが右側に移ってしまい、そのせいで右側にあった拡大・縮小ボタンが液晶パネル操作に押しやられたりと、かなり変わってしまったことです。暗黙のうちにカラダが覚えていた「撮ったあとの操作はまず左手で」と違うのでとまどってしまう。

ZfcはそれがZ7ⅡさらにはD750とも同じ左側に復活したので自然な撮影フローができます。

②背面のスイッチ配置 その右側

右側に目を転ずれば、一番うれしいのはiボタンが上にあること。これもZ7Ⅱと同じです。この位置にあるとファインダを覗きながらでもiボタン設定を呼び出すのが容易です。静音シャッターやHDR合成とかメニュ階層の深い所に入らずに設定できるので重宝しています。

③上からのぞけばカメラの設定がわかる

ダイヤルがついてるので、シャッター速度とかISO感度とか目盛りでわかって便利。ってところですが、あいにくZfcであってもダイヤルではなくボディの表と裏にあるグリグリを使って設定しているのでその方面での恩恵はあまり感じていません。

何の設定が見えるのが嬉しいか? というとレンズの絞り値が小さなデジタル小窓に見えるのが嬉しい。ニコンのZレンズは開放から性能が出るので、面倒なときはいつでもどこでも何にでも絞り開放で撮るという横着作戦をとっているのですが、ふとしたことで絞りが開放からズレた時でもファインダだけ覗いているとそれに気づかずにいることがあります。それが、この小窓があるおかげで、自然とカメラを構える前に絞り値がズレてないかを確認することができる。そこが嬉しいです。ただ、ちょっと小窓すぎて老眼にはきつい。この上に後付ではれる拡大レンズをどこかのサードパーティが出してくれないだろうか。10セントくらいだったら確実に買う。

④垂直・水平出しの表示が控えめ

ファインダの表示設定をいじり垂直水平マーカというか円を出しておくと、自分の三半規管をこっぱみじんにするほど冷徹に垂直水平を出すことができます。この表示がZ50の時にはNINTENDO DSの戦闘ゲームみたいで邪魔でしたがZ7Ⅱでは控えめになり好感が持てます。そして、Zfcはその控えめタイプになっています。Z7Ⅱと同じように扱うことができます。

⑤充電がUSB-C

カメラに電池を入れたままの充電または給電ができるのもZ7Ⅱと同じです。端子はZ50のマイクロUSBから現在の状況に合わせるようにUSB-Cに変えられています。ここもZ7Ⅱに共通するところです。

⑥画質

Z7Ⅱは滑らかな描写が魅力的です。ZfcはAPS-Cなので流石にそこまでではないですが、Z50に比べたらチューニングが違うのか硬さが取れた絵になっています。

 

では、次にどうしても及ばないところを見ていきます。

①ファインダ倍率

これは使っているものが違うのでZ7Ⅱと較べては酷ですが、狭くなっているので50mmレンズをつけると実物を裸眼でみているときよりやや小さく感じます。

Z7Ⅱくらいの倍率があると50mmでファインダを覗いた時にそのままの大きさを感じることができて楽しいです。それはZfcでは無理です。

なお、ファインダ倍率が大きいことの背反として昔は4隅がケラれると感じてました。なぜか今はそれを気にしなくなりました。電子ファインダなので光学ファインダと違うのかもしれません。

②ホワイトバランスの精度

同じ画像処理エンジンのはずですが、ここには明確な差があります。Z7Ⅱを100点とすれば65点くらいのイメージです。だからといって、それより前に使っていたデジカメはもっと合わなかったことを考えると、ライトルームでいじりさえすれば問題ありません。逆にいうと、それだけZ7Ⅱのホワイトバランスがすごい。オートフォーカスの性能よりも個人的には気にするところです。

③24☓36→APS-Cのクロップ撮影

これはもともとがAPS-CのカメラであるZfcには無理な相談です。しかし、これが使えると単焦点レンズを(画角変化はありませんが)2焦点レンズのように扱うことができるので結構便利です。まあ、こういう軽いカメラを持ち運ぶときには、潔く1画角オンリー勝負でいった方が使い方として合っている気がします。

 

こうして並べてみると、Z7Ⅱに近いところの方が、違うところよりも多く気がつくので、全体的には同じような使い方ができる良い相棒だと思います。と同時に、改めてZ7Ⅱの完成度に感心しました。

最大の欠点

これを言っていいのかどうか不安ですが、言っちゃいます。このシルエットはじぇんじぇんニコンじゃないじゃん。これって、キャノンじゃん。

何がそうさせるかというと、上から見たときのレンズの位置。これが左右の真ん中に来ている。ニコンの一眼レフはレンズは上から見て左に寄っているというのが超カッコイイと思っていた身からしてみれば、これは大きなマイナスポイントです。左側のISOダイヤルのある方が異様に間延びした感じに見えてしまう。ここは7mm以上削ってもらいたかった。

キャノンのシルエットになってしまっただけでなく、実際に構えた時にも右手側にはあまり余裕がなく、左手側にはムダなスペースがあることを手に伝わる重さとして感じてしまうのもなんだかなあ感を出しています。

バリアングル液晶だったりの問題もあるのかもしれないが、かなり惜しい。

グリップの必要性

このZfcには昨今のカメラが備えている右手側のグリップがありません。そのため2万円近い値の純正の追加グリップが用意されています。サードパーティからもいくつか出ています。雑誌やWEBのレビューを見てもグリップ必須のようなことが書かれています。

実際に手に持って操作すると、その必要性は全く感じません。良くホールドできます。なぜそれほどグリップグリップと巷では言われているのかわかりません。合わせているレンズがほとんど18-140ズームだけ、というのも関係するのかもしれません。

左手側の保持が安定するので、右手はボディを親指側から前につつむ感じでカメラを持つことができます。

注目されたお話

普段は一眼を首からさげて歩いていても、周囲にとって近寄りがたいモノを出しているらしく人に話しかけられることはありません。(そのモノが何なのか今だに把握できずにいます。鼻毛? 腹? 脇汗? 人面魚?)

ところが、このZfcを下げていて初めて声をかけられました。神戸の商店街でアメリカ人らしいヤング男性に。SONYのカメラでKOBEを激写していたお兄さんはこう聞いてきた。「FUJI?」「No,this is a NIKON.」「H...m. Nice camera.」嬉しかったです。

総論

良いカメラだと思います。でも、やはりZ7Ⅱは持ったときの重量バランス、ボタンの適切な配置、ホワイトバランスの安定性、そしてクロップが効くなど別格であることを再認識することができました。

一抹の不安

それは、ブラックボディで左端が短くなったバージョンがZfcⅡとかで出てきたらどうしよう。絶対かっこいいに違いない。それに、案外出るかもしれない。でも、もう買いませんよ。わかりませんが。

...

ひとまず、これで1974年から2022年7月現在まで47台のカメラを使ってきたヒストリーは終わります。1台1台に作った人や販売した人のいろんな思いが詰まって世に出てきたカメラ達、ふれてみれば面白くないはずはありません。幸せな時間です。

その46. ニコンZ7Ⅱ 令和新時代

◆ショック。。。

いつもは写真機との出会いから書き始めますが、今回はショックから。上の絵です。例によって鉛筆で下絵を書いて万年筆でシコシコなぞって書きました。出来上がってみて気づいた。

「レンズがラッパになっとる!!」

実物はNIKKOR Z24-120mmといいます。超カッコエエ外観を有し、使い心地も良い。力が入りすぎたせいか遠近の取り方が狂ってしまいました。

◆出会い

このZ7Ⅱに目を向けたきっかけはレンズでした。といっても上のラッパさんではなくタムロンの45mmレンズです。D750で使っていて、このどこまでも刻み込むような解像度、もっと画素数の大きい写真機だったら一体どうなってしまうんだろうとずっと思っていました。

だけど4000万画素以上あるD850は見た目がデカすぎて(値段もデカすぎて)こりゃ違う。Z7があるなあ、小さいし持ちやすいなあ、中古で安くならんかなあ、とネットをいろいろ見ていて注文直前までいきました。しかし、タッチの差で誰かさんにさらわれてしまった。その頃にはZ7Ⅱが発売されていましたが、「どこまでも解像」という点で差があるとは思えず、量販店で比較して触れた時のシャッターフィーリングはむしろZ7の方が心地よく感じられました。それに何と言って値段の開きが大きい。

ところが。

youtubeでZ7とZ7Ⅱの画質を比較している動画を見て、「うわ、こりゃ結構違うで」と認識を新たにしました。その動画を出しているお兄さんはどちらかというと、Z7の方が低感度では繊細だと評して自ら撮った作例で説明されているのですが、手前の古いパソコンの2K画面で見ても「いやいやいや、ISO64でも逆ではなかとですか?」Z7Ⅱの方が細いし自然な写りをしていました。

ググッと気持ちが動いた時に、このお値段だけど行っちゃうか!と舵を切らせたのはNIKKOR Z24-120mm(ここでの通称はラッパ)の発表でした。F4の明るさ一定で、APS-Cクロップも併用すれば24~180mmまでをカバーしてしまう。見た目は(知らんが)何か写りが抜群そうな雰囲気を醸し出している。こればお迎えするまえに、それなりのボディを用意ばせんと。

ちょうど、Fマウントレンズを装着する場合のアダプターが新型のFTZⅡに変わり出っ張りのないデザインに新調されたことも背中を押しました。もともとはFマウント対応のタムロン45mmをつけることが大前提、中間に挟むアダプターが持った時に控えめであることが望ましい。

と、いろいろ理由をつけてお買い上げさせて頂きました。こんな高い写真機は初めて、ひいい。

ニコンのシルエット

最初は外形から。この写真機はミラーレスにも関わらず、そのシルエットは一眼レフのD750よりもマニュアルフォーカスの頃のニコン一眼レフに近く見えます。それはペンタ部分を除く上面と下面の間隔が左端から右端まで均等に並行であるせいかもしれません。

Z50に似てるように見えて直線の通し方はZ7Ⅱの方が徹底しているため雰囲気はだいぶ違います。上面右側に絞りやシャッター速度などの状態を表示する液晶があるのですが、ここも真っ平らなところがマニュアルだった頃のニコンに共通する道具っぽさを感じるところです。

◆指で押す それが自然にできる操作性

では、何から何まで定規で引いた線かというと、指の動きに係わる所については良く考えられていると感心しました。

たとえば、AF-ONボタンは少し右手側に傾斜させてついていたり、その下にフォーカスポイント選択ボタンがあったり。上下にフォーカス関係のボタンが並んでいると、操作するときの右手親指の移動が指を伸ばすことなく出来るので楽です。

また、写真機の設定を一覧で呼び出して変更するためのiボタンがその下にあり、これも親指を第3関節(というのかな)を中心に動かすだけで済むのでファインダを見ながらのアクセスが楽チンです。Z50だとiボタンがD750と同じようにもっと下にあるので、操作しようとすると右手の持ち方を少しずらす必要がある。億劫だなあと思って段々やらなくなるけど、Z7Ⅱの配置なら大丈夫です。

そしてシャッターボタン。これはZ7Ⅱに限ったことではなく、これまでのニコン、そしてキャノンにも共通することだと思ってますが、落とすというよりは握ることで切れるような位置にシャッターボタンがあります。「握るように」と感じるもう一つの理由としてグリップの良さもあります。コンタックスペンタックスではシャッターはやや落とすイメージになるのはグリップのせいかなあと思います。

握る感じでシャッターを切れるので、自己満足かも知れませんが手ブレを最小限に押さえられているだろうという安心感があります。

◆令和の写真機 その1 ホワイトバランスが良い

さて、それではZ7Ⅱを実際に使ってみて感動したところを書き留めていきます。

ファインダや液晶が自然で且つキレイに見えるというのはZ7Ⅱのレビューで良く目にしますが、ここでは「どんだけラクに撮れるか、そのおかげで、撮ることのみに集中できる」という見方で紹介しようと思います。

その1として最初に挙げたいのはホワイトバランスです。

オート設定の中に3つの選択:白見優先/雰囲気を残す/電球色を残す がある中で2番めの雰囲気を残す にするとほぼ肉眼で見たイメージがファインダー内に再現されることに驚きました。Z50を使っていて同じ設定をしてもここまで実物に近い色合わせはされない。まず、このホワイトバランスの性能に驚きました。

もちろん、天候の次第によってはオートから外して晴天やその他に設定した方がいいこともありますが、とにかくホワイトバランスの色味が自然です。ひょっとしたら、ソニーにしてもキャノンにしても今のフルサイズミラーレスではこれが当然なのかもしれません。触ったことないのでこれは何ともいえませんが、これまでのデジタル写真機で長い時間を共にしたペンタックス一眼レフの場合は自分でケルビンをマニュアルで合わせたりグレーカードで基準をセットしたりしてもここまで合うことが無かったのでこれは写真を撮るのがとても楽になりました。

◆令和の写真機 その2 ピントが合う

え、そんなのオートフォーカスだから当然と言われそうですが、これもペンタックスを引き合いに出して申し訳ないですが、

当たるも八卦K20D<K5<K3(=実はEOS100同等だったりして)<<D750 とピント精度が向上していく様を写真機が新しくなるたびに体感し、そのたびに「スゲー、スゲー」を連発してきたこれまでと比べても D750<<<Z7Ⅱ。

くらいの進化です。ピントの合う速度でいえばヨドバシさんでいじった感じからしてキャノンの方が早いですがこのZ7ⅡもZレンズであれば不満なく早いと思います。そして、同じ事をまたいう酔っ払いみたいですがピントの精度がとにかく高い。これでハズしたら単に自分の体が腹筋と背筋の弱さを反映しプルプル前後に震えていた、もうソレ以外には考えられない。

写す対象の99%は止まっているものなので動いているものを追うときはどうなのかはわかりませんが、その限りにおいて全くピント精度を気にしなくていいというのを初めて経験しました。たぶん、同じニコンのZ50もそうかもしれません。ただ、Z7Ⅱは装着するレンズも含めて重量が重めなので、老齢化プルプル自励振動(制御不可)を抑え込む効果もあるのかも知れません。このプルプル起因のピントズレもオートフォーカスの設定をAF-Cに設定すれば解決するようですが、常にレンズのピント機構が動いているというは昭和ふたケタ世代としてはあまり気持ちのいいものではないので重さがプルプルを止めてくれるならそれに越したことはありません。

◆令和の写真機 その3 小さい

そりゃあ、ミラーレスですから。ミラーボックスないから。という物理的容積という話でなく この画素数で、この余裕ある階調で、という感覚に対し小さい。

というのは、D750、D850と連なるニコン連峰をイメージしてきたので、その最高峰であるD850岳と同じ画素数が、このD750より小さく軽いガタイの中で実現されてしまっているという違和感が「小さい」という歪んだ感覚を想起させるのです。

実際、両手の中での収まりが良く、あれ、この感覚? そうニコンFGを握っていた頃のものに良く似ていると感じます。FGの方がもっと軽いのですが中が金属の塊だったせいか重さ感がそれなりにあり、なぜかZ7Ⅱとドッコイドッコイに感じるのが不思議。

まあ、4000万画素を超えるのにこの大きさなので取り回しや操作が本当に楽です。

ソニーには更に多い画素数で更に小さい機種もありますが、昔触れたときのシャッターボタンのフィーリングが合わずそれっきり触ったことありません。今ではその辺も改良されているでしょうから、小さいけど画素がデカいはニコンにかぎらず令和の写真機の基本なのだろうと思います。

◆令和の写真機 その4 画質がキレイ

Z50の画質を目にしたときもD750とくらべてムムムッと思いました。でも、このZ7Ⅱの画質はそのZ50よりもキレイです。線や面のつながりがスムーズです。そのくせ、画像を拡大していくとどこまでも解像しています。そして、すっきりしていて濁り感がないので見ていて気持ちがいいです。

もうコレ以上いいやってところまでキレイに勝手に撮れるので、その後にライトルームで「まず最初にキレイにする」という手間が省けて これも楽です。RAWで撮影してますが、現像することがめっきり減りました。現像しないで、撮った写真はどうなっているかというと、ニコンの最終ウェポンのアプリであるスナップブリッジの勝手に1620☓1080画素にリサイズしてくれる機能を使ってもっぱらアイフォンに転送しています。

◆令和の写真機 その5 つながる

これは前述のスナップブリッジのおかげです。元がRAW、しかも4500万画素を超えるのに文字通りサクサクッとアイフォンに自動で転送してくれます。これ、JPEGにするだけでも大変でなかろうか、26分の1までリサイズするのも大変でなかろうかという余計な心配をヨソにサクサクッと。アイフォンの先にZ7Ⅱがくっついている感覚で送られてきた画像を自由に扱える。元がJPEGならわかるけど、元が300万画素ならわかるけど、一体どういうソフト処理になっているのだろう。楽です、本当に。

◆令和の写真機 その6 水平垂直取りやすい

どうしても下手くそな時代がありました。結構長い時代でした。なんで下手くそなのかがある時に突然わかりました。水平と垂直が取れてなーい!!

自分では画面の中の窓枠とか道路とかを参考に撮影した気でいても、いざプリントやスライドができるとウゲゲということが何度も。

そんなときに、ペンタックスでもD750でも今どきのデジタル一眼レフならどれだけ傾いているかをファインダ像の下に簡易的に表示してくれる機能があって随分助けられたと思います。特に縦に構える時なんかは、自分では水平垂直を出しているつもりなのに、スゴく傾いていることが多かった。大丈夫か三半規管っていうくらいに。

しかし、それも画面の下にテロテロと出るくらいなので厳密な精度が出せるものではない。これに比べミラーレスだとZ50の時に知ったのですが、画面のど真ん中(昔のマニュアル一眼レフのスプリットプリズムがあるあたり)に水準器をドーンと出してくれるのでだいぶ水平垂直が精度良く取りやすくなりました。

しかし、一点難点もあります。あまりにもドーンと表示されるので、肝心の撮影対象を邪魔している感が強い。というか、はっきり邪魔でしかない。

これが、Z7Ⅱの水準器だと控えめな表示に変わっているので見ていて許容できるレベルに落ち着いています。さっき書いたところのスプリットプリズム程度には許容できる。ということで常に表示させるようになりました。

おかげで水平垂直をとるのがとても楽です。その効果は、実際に撮影された写真をみれば「あ、良かった」と実感できます。ポスト処理で傾きを補正し直したりしなくて良いのでラク

◆令和の写真機 その7 いきなり望遠

まあ、このいきなり望遠ワザは平成の貴公子D750でも使っていたもの。フルサイズの写真機で、APS-Cサイズに撮影範囲をクロップする、というワザです。

ただ、これには弱点があってそれは画素数がその分減ってしまうので、後でトリミングしようとすると厳しい。これがZ7Ⅱの場合は、元々の画素数が多いためAPS-Cサイズにクロップしても2000万画素くらいは確保できているので後で削るとかしてもそこそこ対応できます。

そして、ミラーレスの電子ファインダなので、APS-Cサイズにクロップしても、一眼レフみたいに枠がちっちゃく狭まる、というやや悲しい見え方になるのではなく見ているファインダ像一杯に表示されて気持ちがいい。たとえば、同じZマウントのAPS-C専用のレンズをつけてもZ50につけている時と見え方の差はない。むしろ、ホワイトバランスや全体の画質の余裕からして好ましい撮影結果も期待できる。

いきなり望遠ワザは、応用としてレンズを小さく軽くするワザ=あえてAPS-C専用のレンズをつける という禁じ手も使えるわけです。実のところ、たまにしか望遠撮影をしないので、その手のレンズはAPS-Cサイズで重量が軽い50~250mmレンズしか持っていません。それでもフルサイズ換算で望遠端375mmまでいけます。画質もキレイです。

◆令和の写真機 その8 ボディ内手ブレ補正

これは一眼レフのペンタックスミノルタでは出来ていたことなので、令和になってというものではありません。ただ、効き方に大きな差があります。なんとなく気休め、まあブレていたとしてもそれが普通というレベルから、ブレていないことが普通になりましたから。組み合わせるレンズに手ブレ補正機構がなくても遅いシャッター速度が使えるので楽です。冒頭にあげたラッパに見える24-120mmのズームがZ7Ⅱと組み合わせることで万能感が更に増すのは、この強力なボディ内手ブレ補正のおかげです。シャッターをサイレントモードいわゆる電子シャッターに設定すると、補正効果がより効くようになります。そんなこんなで、一時はZ7の方がZ7Ⅱよりシャッター音が良いとか言ってましたがもう音のことはどうでも良くなりました。だって、音がしない使い方がデフォルトになってしまったので。(一方、シャッターフィーリングは音のありなしに関わらず大事ですが)

いつのまにか、あれもこれもと気付き点が8つになりました。写真を撮るのが楽になったと実感しています。

◆最初の目的について

最後に、タムロンの45mmの話をします。もともとはこの解像度を活かすべくこの写真機に目が向いたわけですから。

結論からいうとこのレンズを組み合わせた使い方はしていません。FマウントとZマウントを結ぶアダプターのFTZⅡを介して使うことになるのですが、オートフォーカスが非常に遅くて実用的ではありませんでした。タムロンのレンズ用デバイスのタップインコンソールを使ってレンズのファームウェアをバージョンアップしないとFTZⅡとZマウントの組み合わせで使えない、てなことが書いてあるので買いましたとも、タップインコンソール。バージョンアップ、ええ、しましたとも。それでオートフォーカスは何とか動くようにはなりますが、そのスピードは令和にあって明治時代を彷彿とさせます。

とはいえ、純粋に最近の写真機はすごいなあ、というのを実感できたブツなので大満足です。同じZマウントなのに、Z50にくらべ安定感が半端なく違う。それが良くわかりました。

◆次回

次に買い足したのもZマウントのニコン写真機です。Z50よりも操作感はこっちの方が好きかも。。。というと察しがつくかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

その45.iphone12 敵か味方か

◆出会い

アイフォン12。まあ、カメラかと言われるとスマホです。でも写真が撮れることには変わりないので今回は登場とあいなりました。これを選んだ動機は、キレイな画像を楽しむための(そしてグリグリいじれる)カメラが欲しいということではありません。

フリップ式携帯+パソコンで昨今の電波情報環境にいつまでも対応しているわけにもいかなくなった「ある事情」が生まれ、それではスマホデビューするのに何が一番カンタンそうか?で選んだのがアイフォン12です。周囲を見渡すとガラケー野郎はゼロ。完全に乗り遅れてしまいもうスマホなんか使えないとアウアウしていたのにデビューへの決断を促した事情。それはメルカリでした。

高校生の時に車のプラモデルに凝り始めたのをきっかけに40数年、手元には組み立てていない箱のままのプラモデルが120個くらいありました。老眼+近視+乱視が進んだ今となっては組み立てることおぼつかず。狭い部屋をただただ空気体積80%の紙箱の山が占拠している状態が続いていました。模型雑誌にのっている買取店に電話してひきとってもらおうと何度も思いながら、どの品にも愛着があるのでどうせなら本当に欲しい人に受け取って欲しい気持ちがあり躊躇していました。そこに、メルカリ。

パソコンの中でヤフオク!を一度使ったことはありますが、どうにもやたら文字が目につく画面デザインになじめず。そして、メルカリというのがあることを知り本屋でガイド本を買ってみたところ、手順がシンプルに見えてこれならできそう。ただ、写真を撮ってすぐに売りに出すというステップではカメラが一体となったスマホの方がだんぜん簡単。 ということで、

プラモデルの箱の中に埋まっている→減らしたい→メルカリを使おう→カメラと送信側が一体化したもの→スマホが要る→簡単そうなやつ→アイフォン12 となりました。近くのDOCOMOショップで5ギガライトで契約、さっぱりわからないので横で嫁さんの指導を受けながら購入と電波契約を済ませました。

 

◆カメラ、写真機としての感想

あ。これは凄い。端的にいえば、写真を始めた時に撮りたかった写真が簡単に撮れてしまう。

大昔にKODAKポケットカメラを手にして格闘していたのは、シャープでピントのあった写真を何とか撮れないかということ。今思えば、ポケットサイズというフォーマットの問題、固定焦点という問題、なによりも自らが引き起こすすさまじい手ブレの問題が複合的に重なればそりゃシャープな写真なんか望むべくもない とわかりますが、当時は写真というのは画面の隅々までシャープに写るものだという妄想が昆虫図鑑のカラー写真とか雑誌の広告写真を見て膨らんでいたので、それはもうショックの度合いは大きかったです。写真家あるいはカメラマン=世界中で最もシャープに写真が撮れる人 と思っていたわけです。

それでいうと、アイフォン12は何の気無しに撮った写真どれもがガチピンときている。しかも、色がキレイ。階調もつぶれていない。撮影している時は片手保持も多く、持ち手はブレブレの中でコレです。

だけど、これまで撮りためてきた感覚とは違う絵になるのを感じました。それは、撮るもの何でもが「広角」のパースペクティブで収まる ということにあります。

普段から何気なくカメラを除いた時の画角が50mmくらいなので、このアイフォン12の画像の遠近感はなかなか馴染めない。たまに広角ならいいけど、撮るもの全てがこの遠近感で写るということに対して。24☓36に換算して26mmだそうです。

ただし、アイフォン12にはその上のグレードとして12proがありソチラは50mm相当のレンズが追加されています。それを使えばこの遠近感の問題は容易に解消されてしまう。また、使いにくさは感じるけども射影変更できるアプリで遠近感そのものを調整するという方法もあります。

そんなことを考えていると、そのうち本当に写真機はスマホにとって替わられてしまうという気もしてきました。フィルムがデジタルになった時に、「家にいながら」カンタンに調整できる・カンタンにプリントできる・カンタンに焼き増しできる。いわば「外」→「家」という変化がありました。ガラケーのカメラではソレが「家にいながら」カンタンに外に送れるという「家」→「世界」という変化があったものの画質がショボくメモとしか見てませんでした。

ところがアイフォンだけでなく今のスマホのカメラ性能ならば、まさに写真が撮れてしまう。なにより「どこにでも送れる・置ける」し、手に持つ物品として一つで済んでしまう。

一眼の単焦点のようなボケは表現できないでっしゃろ、といってもボケ効果(チック)を付加する程度ならアイフォンの基礎アプリの中で撮影時にできてしまう。その後の処理にかける手間を厭わなければ、より詳細に調整できるアプリもあります。

撮っている最中あるいは撮った後での加工によって、記録としてだけでなく作品としての写真もそれらしく出来てしまう時代になったと感じます。

◆写真機はいらなくなる?

実際、スマホのカメラ性能の向上に伴い記念写真が撮れれば良いといった低価格のデジカメはあまり見かけなくなりました。たぶん、撮れれば良いというだけではより美しく失敗なく撮れるスマホには太刀打ちできないからでしょう。写真をフィルムのように別メディアとして手に実感のあるものとして残しておきたい、という人はいるかもしれませんが。

さらに、最近は画素数を伸ばしてきたスマホも見受けられます。そうすれば、一部分を拡大してトリミングしても像が破綻しないので、簡易望遠としても使えることになり低価格デジカメだけでなくレンズ交換式写真機もうかうかしてられなくなります。

nikonのA1000のように超望遠がグイーンと効く、というのは写真機が生きる一つの道かもしれません。逆にいうとそこらあたりしかないとしたら、厳しい。そもそもそれを求める人は少数でしょうから。

ただし一つ感じるのはアイフォンで撮影していてもそんなに楽しくはない。

これはファインダを覗かずに撮影するという行為に関わっている気がします。撮影しているモニタ-液晶の外に本物の姿がどうしてもチラチラ見えるために、「本物をコピーしたモノあるいは加工されたモノを撮っている」というズレ感から来るのかもしれません。一方、ファインダで撮るときには、そのフレーム内しか見えている世界が無いので、本物とコピーとの対比を素感覚で意識することはありません。ファインダに見えるのが光学ファインダでなく小さな液晶や有機ELであったとしても、ソコから外の本物が見えないことには同じなので、コピーを切り取っている感覚はないです。逆にだからこそファインダの場合は実際はこうだろうと想像しているイメージと見える像が違いすぎる場合、たとえば色が違うとかコントラストがきついとか線が太いといったことが余計気になってしまうところはあります。

この、ファインダがもたらす臨場感というのが写真機しか味わえ無い楽しさの一つだと思います。

もう一つの写真機ならではの楽しさ、それは物理スイッチの触感ではないでしょうか。アイフォンを手にとると、スイッチらしきものは電源と音量の上下くらいで後はタッチパネルでの操作。ピント位置を変えたり、露出を変えたり、レンズ倍率を変えたり そのどれもがタッチ操作です。便利である半面、タッチするということは指の一部だけでなく案外と手を動かすことになるのでスマホへの保持があいまいになる。一方、写真機の場合は専用のボタンなりダイアルなりを押したり回したりするのは指先だけで済むので安定した保持を保ったまま操作でき、且つ指先への機械からの反力を慈しみとして味わうことができる。車のハンドルを回したり、オーディオアンプのボリュームをクイッとやるのに似た操作している楽しみです。

というようなことをもっともらしく語るのも、

タッチパネルどころか液晶さえカシオの電卓しか知らなかったジジーならではかも知れません。だって、究極に構造を削ぎ落とした「写ルンです」にさえついていたファインダとダイアルが無くなる時が来るとは思ってなかったから。

裏を返せばそのノスタルジーに浸りたいだけの願望を、単に写真機ならではの楽しみと言い換えているだけのような気がしてきました。いかん、負けるなジジー。わしらのわずかな楽しみも奪わんでくれー、やめてけーれゲバゲバ。いかんいかん。

しかし。

そんな写真機の断末魔を救うどころか、新たな可能性を見出すこともアイフォンはやってくれとるのです。アイフォンもといアップルさんがやったというよりは、傍目にはニコンさんが勝手にそれもコソコソやっている気もするが。それは。。。

◆スナップブリッジ。下手するとアイフォンのカメラを瞬殺しかねない最終ウェポン

AppStoreにあるアイフォンのアプリです。グーグルにもあります。無料です。ええ、その通りセブンブリッジの初心者向けアプリでトランプゲームの定番。ただし賭けは出来ないお子様向け。違う違う。名前はそんな感じだけど、これはニコンの写真機で撮った写真をスマホに自動転送するアプリです。ニコンさんはストロボのことをスピードライトと言ったり独自の言語的センスをお持ちでいらっしゃるから、あやうく道を誤るところでした。ふう。スピードライトだって、超音速で複葉機を飛ばすライト兄弟かと間違えかねないからそろそろやめて欲しい。あるいは早く仕事を片付けるのが正義で中身がいい加減な昭和サラリーマン根性なのかとも間違えてしまう。

という話ではなく、スナップブリッジのもう一つの機能としてスマホから写真機をコントロールすることもできるが、これは今まで散々難癖をつけてきたタッチパネルうんぬんを逆に礼賛するようなことになるから立場上割愛します。

最初の話。スマホに転送できるについて。そんなの、今どきのデジカメなら当たり前でしょう。では済まないのがこのスナップブリッジです。箇条書きすると

ニコンの写真機で撮ってすぐに「いつのまにか」アイフォンに転送されとる!

②「何もせんでも」1620☓1080画素にリサイズされて転送されとる!

③アイフォンが家のWIFIにつながったままでOK。だってブルートゥースやけん!

④転送するたび電池喰うでひょ。いやいや、転送モード常時ONでも大丈夫!

解説します。

①:普通はアイフォンのアプリをよっこらせと起動し、写真機で撮った画像のサムネイルがズラーと表示されるのを待ち、その中からアイフォン本体に落とす画像をプチプチ「選んで」呼び込むという作業がいります。一つ、アイフォンで画像一覧を見る。二つ、アイフォンで画像を選ぶ。この見て選ぶという手間が結構たいへんです。ところが、このアプリはカメラで撮ったらすぐにアイフォンにコチラが何の指示をしなくても、アプリを立ち上げてなくても、更にはアイフォンがスリープ状態でも、ドンドコドンドコ送りつけてくる。送りつけられていることも意識しないので、アイフォンの写真フォルダを気が向いたときに開いてみるとニコンの画像がダーと並んでいる。アイフォン自身で撮った画像との間に何の区別もなく紛れ込んでいるといってもいいでしょう。言い方を変えると、「アイフォンのカメラの先がニコンの写真機に直結している」ような感じでしょうか。

となると。

アイフォンのカメラで撮ったらキレイではあるけど自分のイメージに近づけるために後でテロテロと加工したりするのが、ニコンで撮る時は撮っている最中にそのテロテロを終了済み。なんと、写真として仕上げる手間がアイフォンでやるよりも簡略化されちょる、ということになります。差別なく画像として扱われているので、その後にアチコチに電信したりするのもお手のもの。

②:アイフォンに送られてくる時に、最初に「縮小サイズでヨロシク!」と設定しとくと、あとはアプリを終了しようがアイフォンの電源を切ろうが、また使う時にはいつでも縮小サイズで転送してくれます。これが、元画像がRAWファイルであってもお構いなしなので、昔やっていた転送することを考えて撮る時の画素数を小さくしたりJPEGに変えたりなんてことは必要ない。そして、その容量が700kB程度、アイフォン12で撮る場合の1/3から1/4しかないのでアイフォンの残容量を気にせずニコンでドンドン撮れます。1620☓1080あれば、テレビに映してもHV画質ですし。なんといっても、画素数を誇る写真機の画像の方がアイフォン本来の画素数より小さくても構わん、という逆転の割り切りが気持ちいいです。なので、用途も割り切って使えるわけです。

③:このスナップブリッジはWIFI経由でもつながりますが、何といっても本領発揮するのはブルートゥース接続です。①や②の自動転送はこれでやります。WIFIでないので、家とかモバイルルータとか4Gにつなげていた接続を切ってニコンの写真機特化で接続し直すなんてことは要りません。WIFIWIFIでインターネットやメールのためにつないだままにしといても、ニコン写真機との連携は一切かまわない。これが、さっきのアイフォンのカメラの先にニコンがくっついているイメージを生んでいます。

そして、このブルートゥース接続が一度ペアリングができてしまうと、写真機やアイフォンの電源を切ったあとにもう一度使おうとしたときでも何の苦もなくつながる。時々、ブルートゥースのイヤホンがつながらなかったり町中で切れたりすることがありますが、そういう接続ミスが起きないという安心感があります。

④:その昔、Pentaxを使っていて画像をパソコンに無線転送しようと思いFlashAirという無線付きSDカードで飛ばしていたことがあります。売り文句は確か、JPEGだけでなくRAW画像でも飛ぶ、だったでしょうか。コイツがものすごく写真機の電池を消耗します。あっという間に減っていくという言葉が当てはまります。

ところが。スナップブリッジというアプリは、もともとがWIFIでなくブルートゥースであることに加え、そのブルートゥース自体も更に省電力仕様とかで電池の減りが少なくて済みます。これは単なる能書きではなく、実際に使っていてもわかります。なので常時接続をONにしています。それで問題はありません。

このように、①~④をダラダラと書くと余計に何が嬉しいのかわからなくなってきたので一言でいうと、「アイフォンの先にニコンがくっつく」アプリということです。

使い慣れた一眼で、仕上がりを想定してグリグリとダイアルをいじり、「今だ、ソレ!」で撮った写真の方が、どうしてもアイフォンの画像を後加工するより印象が強いモノが撮れます。

ということは。アイフォンに備え付けのカメラ機能を使わなくても、思い描いた写真がカンタンに撮れるということになります。アイフォンのカメラを不要にしてしまいかねない恐ろしいアプリです。キャノンやソニーペンタックスも同じようなアプリを揃えているとは思いますが、「画像をリサイズして、本人の了解なくブルートゥースでササッと確実に送るワザ」これを写真機各社が一斉にやりだしたら、スマホのカメラの高機能化=高価格化は頭打ちになり最低限のメモカメラ機能さえあれば良い。になってしまいます。実際は、今更写真機なんか別で持てるか、スマホで十分なのに。とか、余計な接続とか面倒なことしてられっか とかが大多数でそうはなりません。でしょう。

しかし、写真機を追いやったはずのスマホが、逆に写真機に利用されとる というのが出てこいシャザーンの掌の上を連想させ興味は尽きることなく続きます。

◆と思ったら、アップルさんの抵抗強し(だと勝手に類推している。かしこ)

この手の写真機画像転送アプリ系を野放しにしていたらイケナいと気づいたのか、あるいは自動でドンドコドンドコ落ちるというのがセキュリティ上許せないのか、その辺はわかりませんが、スマホがOSを更新すると何故かスナップブリッジで新しい写真機をペアリングする時にエラーになってしまうのを何度か経験しました。そういう時はどうするかというと、しばらくしてアプリ側がアップデートされるのを待ちます。そしたら、またOSの方が変わって。。。とこの戦いは一進一退の攻防の様相を呈しています。

アプリ側のアップデートが待ちきれない時はどうするか。これはググッてその通りにしてやった例をいうと、アイフォンの言語設定を日本語から英語に変えてやるのです。その状態だと確かにペアリングが巧くいき、そのあとに日本語に戻してもキープされた状態が続きます。おそらく、アメリカの方がこの「スマホの延長としてのニコン」の要望が多く、早く対策されるせいではないかと思ってます。

スナップブリッジ。このアプリは、ニコン写真機の画像を一挙にお手軽に世界に発信できる武器、アイフォンを購入した満足度は確実にあがりました。もともと世界につながっているスマホの上に乗っかるとはさすが写真機メーカはすごい。

◆関係ないけど 当初のアイフォン12の目的、その達成度

最後に、メルカリでプラモデルを出品はうまく出来たか? について。

出来ました。出品もブツの梱包も配送方法も全くわからないので、メルカリが定期的に無料で開催している出品初心者セミナー(ウェビナー)に申し込んで、40分くらいフンフンと話を聞きながら手元に用意しろと言われた物品、このときはロータスエランの1/24スケール(グンゼ産業製)を捨て駒として画面向こうの先生のマネをして写真をとったり説明文を書いたりしました。「では、皆さん、出品しましょう!」というので「え、え、もうやるの」と焦りながら出品ボタンを押したらウェビナーも終わらぬうちにすぐに買い取られてしまった。「え、え、えー、次は何するのー」という感じで、すぐ梱包部材を買いにいったりとビビりました。そんなこんなで、無事やり方を覚えて今では50個近くが手元を離れていきました。あとまだ70個以上あります。

◆次回:4500万画素+新マウント

次は高画素一眼を21年の12月に購入したので書いてみようと思います。いやあ、ここまで写る、というかこれまで使っていた2000万画素と全く違うとは想像もしてなかった。○9に押されて地味な存在だけど、使っていると40年まえのニコンFGを思い出します。それもまた楽しい。

その44.A1000 エーセン(A1000)いっとる

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◆出会い

レンズを交換するカメラを触りだすと、その副作用で徐々に発病する「コンパクトカメラが欲しい病」。またかかっててしまいました。場所はアマゾンのホームページ。最初は何気なくソニーのRX100のシリーズを見ていて、ファインダに注目。手持ちのパナソニックLX100はのぞいた時のコントラストと色味がイマイチなんだよなあ、おおぉ、これは有機ELなのか? では期待しちゃおうかな。。とそんな感じでした。でも、前から見ると男前だが上からみると安っぽいなあ。ぶつぶつ。そして、こんな機種もありますよ、としてひっかかったのがこのニコンのA1000です。24mm~840mmまでの35倍光学ズームを積んでいる。そこで一挙にそれまでの思考が飛びました。ファインダどうのこうのよりも「いまどきのコンパクトはスマホにできないこと出来なきゃ、あわよくばD750にもできないこと出来なきゃ、つまり無茶苦茶遠くを撮るということではなかね?」

最近のスマホの内蔵カメラの画質はすごい。これに対抗してRX100の1インチ撮像素子は大きいぞ、ボケるぞ、と言ったところでソコから生まれる写真のボケや解像性能はどうしてもその上のAPS-Cサイズや24☓36サイズにかなわないわけだし、同じカテゴリと言ってもいいLX100のソレよりも物足りない。写真全体としてみればスマホチックな絵にしかならんかも、と有機ELファインダーの事は忘れて何故かスマホへの対抗意識として「拡大なら負けないもん。」が頭の中を占めることに。そう、違う土俵で生きる道をさがす。巨人で5番を柴田と争ったあと代打の切り札に転じた末次のように。今の天皇陛下が幼少の頃にお好きだった背番号38番。

撮像素子が1/2.3インチというのは非力すぎないか、というと、そうは思わなかった。前に使っていたペンタックスの小型ミラーレスと同じサイズです。あのときのペンタックスの画像(画質性能ではない)には満足していたので、フィルムカメラで撮る写真よりはかなり良いだろうと。

ファインダも今どきのコンパクトカメラらしく小さいのがついている。あれだけLX100のファイダがどうのこうのと言ってましたが、もう付いてりゃいいや。でポチりました。実機を触るどころか見ることもなく。ポチッと。

◆見た目と質感:正体がわかったもんね

ニコンのコンパクトでは前にP5100というのを持っていて、その塗装の仕上がりや質感がしっとりとして剛性感も含めてとても良かった覚えがあります。転じて、このA1000も同じかと思いきや否。金属外装ではあるが塗装がヘンにテカテカした梨地で興ざめしました。値段との兼ね合いもあるかもしれないが、ココの質感は案外と買う時の魅力に影響する部分なのでもう少し詰めて欲しかったです。実物を見ていたら買っていなかったでしょう、愛着を持とうという気にさせるものではないから。逆に、見た目に愛着が湧けば、多少の機能的な欠点はなんとか自分でカバーしようとする、あるいはソレはソレとして気にしないものです。ここは残念。

そして、デザインのまとまりについてですが、アレ、これどっかで見たことある。上面の左右でLX100(というか元はコンタックスGシリーズというか)のように左右に段差があったり、グリップのラバーが指先ちょっとの部分だけ貼ってあってしかもそれが上方に向け斜めに切り上がるのでなく長方形にストンと上がっていて見た目を台無しにしているとか。思い出しました。幻の高級コンパクトデジカメのニコンDLです。2016年頃に大々的に開発発表し完成写真までメディアで公開しながら生産に至らなかったカメラ。あれにファインダをつけた形をしている。さきほど述べた塗装質感も含め、全体に煮詰めの甘さを多く見受けるのは、ひょっとして、DLのアイデアや部品の残骸をかき集めてササッと企画でもしたかな、と感じました。

そういえば、チルト液晶の部品およびその作動はとてもしっかりしています。これ、ニコンDLの成れの果てといってはナンだけどそう考えれば納得。反面、DLを出さなかったことは英断だと思った。だって、この質感で高級路線の価格では絶対売れないですから。

◆操作感:いろいろ。人生いろいろ。

起動は一眼に慣れた者からすれば遅いです。コンパクトだからそういうものだと昔は思ってましたし、その範疇の中ではむしろ早い方です。だが、スマホがあまりにも手軽にスグ撮影できるものだから「遅い」と感じてしまう。もうひとつ、そう感じさせる理由は、起動すると最初にチルト液晶に表示されたあとでファインダ-に切り替わる、その切り替わりの動作が間に入るためです。ホンの瞬間ですが待たされ感が伴う。とはいってもLX100よりもキビキビしています。

ファインダは小さいがまあまあ使えます。10年ほど前のデジカメにオプションで3万円くらいで用意されていた外付けファインダよりはよっぽど見えるし、メニュー表示の文字も読めるし、露出補正とかの設定も即座にわかる。想像した以上にいいです。

むしろ、チルト液晶の画質の方が残念な印象は強い。というのは、黄色味が強くて、撮影した写真そのものが汚いかのように感じてしまうからです。液晶の画質設定は明るさしか変えれないので、それならばココも煮詰めて欲しかった。あるいは、製品によってバラツキのあるところなのか。。

操作していてコレはいいと思うのは、レンズの根本にズーミングレバーが円周方向についていること。これでズームできる事が良いのではなく、このバーの設定をズーミングでなく別の操作機能に割り当てることができる事です。ここにホワイトバランス機能を充てると、結果がすぐに反映される電子ファインダの利点を最大限に活かすべく、のぞいたままで手軽にホワイトバランスを選ぶことができるのです。カメラのフォールディングを崩すことなく操作が出来てとても便利です。

反面、操作していて不満があるのは背面についているクルクルホイールです。キャノンの一眼レフだと露出補正ホイールと呼ばれているor勝手に呼んでいる、あのクルクルの操作感がこのニコンのA1000は宜しくない。節度感がないだけでなく、最近は動作が狂ってきました。回転と逆の方向に設定されたり、反応がなかったり。まあ、ここはキャノンの呪いがかけられているようなので仕方ないですね。自分の身にも降りかからないよう、なるべく触らないようにします。

あとは、USBマイクロ端子で充電ができたり、スマホbluetoothWIFIで連携できたり今どき出来ることは普通に出来ています。 やっぱり、液晶が黄色っぽいというのがなんとも残念。

◆画質:ちょっと意外

これはいい。というか、すこぶるいいです。カメラ背面の液晶ではがっかりしますが、それをパソコンでみるととても良くとれています。ただし、ISO感度を800以上にあげると当然アラが目立ってくるので、カメラ内の手ブレ補正も信じてISO400くらいまでで撮るのがいい。そうすると、コンパクトカメラにしては、という注釈なくても十分に見ていて楽しくなる写真が撮れます。

さらに、このカメラの撮影フォーマットはRAWファイル保存もできるのでライトルームでの加工や修正もできます。実際には、RAWフォーマットは4:3のアスペクトで撮影したときのみなので、3:2が染み付いている身としてはJPEGでしか撮ってないのですが、そのJEPGもFINEで撮影したものであればライトルームでチョコチョコするくらいの画質耐性があります。そのチョコチョコをすると、さらに「え、これ本当に1/2.3インチサイズ? 嘘でひょ!」になります。元々の画質として、ライトルームを使おうかという気にさせるものがあります。

そして、それが24mmからグイーンと840mmまでカバーする。というのが凄い。

◆使い所:パースのコントロール

ライバルはスマホ。サッと出して撮るでは負け。ファインダで見れるでは勝ち。圧倒的に勝ちなのはそのズーム域。ここに勝機がある! だって、所有欲をくすぐるという点ではボロ負けですから。

こういう超望遠までカバーするカメラに対し、昔であったらこう自問していました。「そんな遠くを写す機会なんてそうそうあるかよ。鳥とかセブンイレブンの看板とか撮るにしても、レンズが暗けりゃ被写体ブレブレ、手ぶれブレブレで絵になんないぜ。運動会だってブレブレだぜ? しかも高速で動くものにはピント合わんだぜ? 急に江戸っ子だぜ? でも、このだぜの使い方、あってるかだぜ? どこかヘンだぜ? 地方にいる自分ではわかんないだぜ?」でした。

実際、元々の画質の良さを考えてISO400に抑えるとしたらシャッター速度はますます遅くなり、超望遠でなくても普通の撮影域でも天気が暗い環境ではカメラ内の手ぶれ補正に期待せざるを得ない状況です。当然、その能力には限りがあり、近景を撮った場合でもブレ写真は混じってくるわけです。

しかし。どれだけ拡大できるか。の視点が間違っていることに気づきました。撮れた写真のバランスにおいては構図とならんでもう一つの要素、パース(遠近感)が重要なことに気づきました。自分が動かずにズームをジーコジーコして対象を拡大するのでなく、望むパースをズーム域で先に決めてしまい、それ合わせて自分が逆に近寄ったり遠くにいったりするという逆転の写真術。対象にはそれが絵として輝く最適なパースがあるという事実(本当にそうかな。だぜ)。

と勝手に思い込んでからは、気が大きくなりました。そして。

◆最強の相棒:スマホではコレはできない。

そして。三脚。重いモノだとカメラより目立ってしまい、何か棒っ切れみたいのを振り回しているヤバいおっさんにしか見えないからテーブルにおくマンフロットとかの小さな三脚。こいつの上に乗せて、セルフタイマーで撮影すればブレずにキレイに撮影できる。そんなの当たり前だろ。ではあるが、なんせ、それをテーブルの上で840mmまで出来るのだからすごい。逆にテーブルないときは超ど級三脚を持ち歩くかというと、それは自衛隊騒ぎになるからそんなことしません。潔く撮影をあきらめる。こういう日もあるさ、だぜ。というふうに。

またまたスマホと比べるてみるとこのマネはできないでしょう。自撮り棒とかなんとかいったって、アレは手ぶれをテコの原理(ちょっと違う)でよけい何倍にもしているだけだし、しょせん三脚ネジ穴はついてない。やった。勝った!

といいながら、このA1000、三脚ネジ穴が重心からだいぶずれた端にある。スペースの都合で仕方なかったのでしょうけど、この辺りが冒頭で考察した出自を思い起こさせるところです。

◆そして今

ヒュー。あ、冷たい風が吹いてきた。というのは、このカメラは22年初頭現在、生産中止になってしまってますから。売れなかったのでしょう。後継機も出てません。普通、このような超望遠をウリにするカメラは運動会目当てなので、そこでは周りのお父さんを横目に、「チビ、ダディーも負けてないぜ!」を見せないといけないのでちっちゃいカメラがこの路線で売れるというパイは元からしてほとんど無いのです。奮発して一眼+望遠レンズか、見た目が一眼ッぼく見えるけど素子は1/2.3インチのカメラか、ビデオのヒトコマを写真として切り出すか、あるいは、そんなことせずスマホでとって思いっきり拡大トリミングしてヘノヘノモヘジとしか認識できない我が子の写真を年賀状にのせ受け取った側のゲロゲロゲーを年頭から煽るか(今年は3例)、4択のどれかです。

とはいえ、これはおそらくDLの遺伝子を多分に受けついでいたようなので写真機として、特に画質とレンズ横の設定スイッチの点で良くできています。ファインダも値段を考えたら視度補正もついているし使えます。

惜しむらくはやはり、塗装の質感。外装のイメージは大事ですね。似たカテゴリーのカメラでオリンパススタイラス1S。あっちはデザインからして優秀でしたが、プラスチックのチリが粗くてA1000同様興ざめしました。

でも、もう無い と思えば逆に愛おしくなってきた気がします。次に機種を出すときはP5100の再来みたいなのを期待します。

さて、次回はカメラではありません。でも撮影できる。。そういよいよスマホです。

 

 

 

 

その43.Z50 静謐な佇まい

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◆出会い

あれは2年前、年の瀬も押し迫った2019年の12月に都会に赴きヨドバシカメラの各階を渡り歩いては電気光線やら無線電波やらの電磁エネルギ-をたんまりと体に補給していた時です。発売されてから間もなくのZ50に触りました。

ファインダを覗いた時に、「うわ、広い!」 それまでのAPS-C、といってもペンタックスしか知りませんがニコンD750を持つ身となっては「狭かったなあ」という印象があったので「うわ、広い!」が第一印象。ただ、見やすさということでは、店内の照明の元ではカメラを振ったときの像の遅延が目につきました。その点では横にあったZ6やZ7との違いがわかりました。

なぜにニコンのZ周辺をウロウロしていたかというと、飽きること無く田舎のアウトレットでZの2兄弟(マジンガーZグレートマジンガー)を眺めていてファインダに見える像の覗きやすさに興味を持ったからです。これは使いたい気にさせるミラーレスが出てきたぞ、と。アウトレットの店内は外光を取り入れ案外と明るいので、ファインダーにとっては晴天バッグと並んで厳しい条件の室内照明下でその様子を知るべくペタペタしました。

Z6やZ7ならこの状況での遅延もOK、Z50は劣ると言いましたが、では2兄弟のほうか? というと、19年当時においては今後どう展開するかもわからない新しいZシリーズ。なにしろ、ペンタックスニコンの小さなミラーレスが尻切れトンボで終わったことを身を持って経験しているのでZ6やZ7をいきなりバクチするのは怖い。ファインダの違いはわかった、でもこのプライスなら毎晩に風呂に入り毎朝に靴下を替えればサンタも許してくれるだろう、の思いで標準ズームと一緒にZ50を購入しました。都会体験おわり。

◆画質

さっそく撮影してみての感想は、「写真に撮ったように綺麗にうつる。」

そりゃ写真を撮る道具がカメラじゃん、ということではなくて、頭の中にずっとあった写真のイデアを垣間見た感じがしました。見たままにどこまでも精緻にモノが記録されている2次元、それこそが写真のイデアプラトンが言ったとしたら、コレです。D750のところでも触れた独特の赤の発色はあるにせよ、これはAPS-Cのペンタックスで頭にあった野武士的描写とはまるで違っていて、待てよ。待てーよ。待たんかーい。これはD750よりも こと精緻さとスッキリした透明感でいったら上ではないか。。とさえ思ってしまいました。

そして、小さな16-50mmの標準レンズにも関わらず、像がズーム全域で歪まない。そしてボケには変なクセがなくスッキリしている。そのために、50mm側で開放のf値が6.3と絞り気味なのに目立たせたい像がスッと浮き立って見えます。たまたまそうだろう、でなくて、そうではないレンズとカメラの組み合わせを数多く手にしてきたので明らかな違いとしてわかりました。写した写真を観察すると、レンズだけでなく画像処理の進化も感じました。暗部とかフォーカスが外れた部分で良く見るモヤモヤとかゴチャゴチャといった潰れがない。もともとD750もその傾向だったが、さらに上をいくこのリアル感。まあ、すごい。

◆電子ファインダとホワイトバランス

パナソニックのLX100など、これまで電子ファインダを積んだカメラで悲しかったのは実際の光景とファインダを覗いた時の像の印象がまるで違うことでした。コントラストや色相、彩度が違いすぎる。しかし、このZ50のファインダはそのズレが多少はあるかもしれないがこれまでが20点だとしたら80点くらいの自然な再現をしています。もちろん、デジタルで画素数も多くないのでドット感はあります。しかし、見やすさにとって大事なのは実際との像印象の違い、特にコントラストと色相というかホワイトバランスだということに気づきました。

そして、Z50の場合はホワイトバランスそれ自体も優秀です。D750やこれまで使ってきたペンタックスの一眼レフではこれがどうにも常に万能というわけではないのでライトルーム必須ですが、その必要もないくらい。もしあったとしてもカメラの中でのホワイトバランスの変更が見やすいファインダのおかげで容易なので、この点でもライトルームなしで済ませることができそう(な気にさせる)。違和感の無いホワイトバランス、すっきりした画像。写真を撮るのが楽になりました。撮ったあとの後処理のことをあまり考えずに済むからです。しかし、これは今までのカメラがなぜそういう方向に気を使わなかったのかなという疑問も同時に湧いてきました。というのは、アイフォンの写真ではこの2点がすでに実現できているからです。カメラではCPUや画面デバイスだけにコストをかけるわけにもいかないのだなあ、画素数自体もずっと多いもんなあ、と思いました。

ニコンFGとは違う

画像記録装置という側面だけでなく、道具という別の見方からしたらこのZ50はどうでしょうか。そういうとき、いきなり引き合いに出すのがニコンFG。というのは、FGこそが手に収まる小さな道具としてのオーラがムンムンしていたので、40年近くたってどーよ? とつい期待してしまう。同じニコンとして。そう、同じリトルニコンとして。

違いから言いましょう。ニコンFGよりもボディが(当たり前だが)薄い割にはグリップが大きい。いや、グリップの大きさの割にボディが薄い。グリップ自体は良くできているのですが、ボディが薄いために重心のつかみどころが左手の手のひらに来ない。組み合わせるレンズによって違うとはいってもボディの下にグッと重みがないところがFGと違う。

また、昔からカメラを上から見たあとでファインダをのぞくクセがあるので、上面にカメラの設定を示すダイヤルとか液晶とかないと心細くなってしまいます。といことで、ニコンのてんこ盛りコンパクト、その現代版再来を淡く夢想していたがそのベクトル線上にはなかったです。むしろ、Z6やZ7の方が「らしい重心感」「露出設定の撮影前確認」でいうとFGやnewFM2の趣に近い印象です。

いかん。これではグレートマジンガーが欲しくなってきた。

ニコンFGとは違う part2

もう少し語るとシャッターフィーリング。FGは「バシャコン」という、ややだらしないショックや音を残す、ついでに、かなりの高確率で手ブレも残す。このだらしない所業のなせるワザとして、どうせ写真もだらしなく写っているだろうよ、と思うとこれもまたかなりの高確率でだらしない駄作しか撮れていない。まあ、その頃の技量や美的センスが超絶赤ん坊レベルだったというのもあります。

かたやZ50は?というとシャッターフィーリングは「パコン」系に属する。ミラーが無いのでバシャッとはこないが、ボディが軽いためかシャッターの反動がボディ全体にパコンときます。これはこれで別の意味でだらしなく感じるので、どうせパフパフした甘々なのが写っているのだろうよ、と思うとイヤイヤイヤ。めちゃくちゃクリヤでビシッとしている。アイフォンを初めて触るオヤジが、「え~と、シャッタースイッチ(注:彼ら、というか私らはシャッターボタンとは言わない)はこの○で良かたいね?」といいながらカメラ毎日の巻頭を飾るような傑作を一発でしとめるのに似ています。

ニコンが他のキャノンやらコンタックスやらペンタックスと違うのは、手の中に包み込みたくなる道具感かと思っています。ペンタックスのK-3なんかはその感じはあるしなんとなく「ボクのこと包み込んでね」みたいに造形からしてソコを狙ってはいるようだが、ダイヤルとかボタンとかの配置が造形センスまでには行き届いていない。ニコンFGにはそれがありました。

Z50も、FGという記憶がなかったらデーリャーgoodですが、むしろグレートマジンガーへの憧憬を強める効果の方が先に出てしまった。

◆Zマウント のレンズを語る。一つだけだけど

持っているレンズは16-50mmの標準と50-250mmの望遠ズームの2つしかありません。どちらもAPS-C向け。後者にいたっては、部屋の中に乱雑に置かれた音楽CDに望遠端250mmをむけて「お、タイトルがくっきり見える」と感動した他はほとんど使ってないので、主に標準ズームのことしかいえません。

これは良く写ります。しつこいですが写真で撮ったように写ります。Z50の画素数が2000万画素くらいと思いますが、これをパソコンで等倍拡大してもユルさがまったく無く写ってます。

例えば、2月に梅を撮りに行った時にその良さを実感しました。梅というのは、花も面白いが枝ぶりが独特で、レンズによってはその枝によって全体の画像の中で花の存在をつぶしてしまったり、あるいは逆にひきたてたりします。レンズ性能でいうと、ピントの合った花弁のわずか前後の遠景側・近景側 双方のボケ性能が不自然だと残念な結果になるようです。この実戦において16-50mmズームは全く問題ありませんでした、素直なんといっても素直。

もう一つの例でいうと、古民家にあった古いミシンの撮影。周囲が当然暗い中で撮ったものですが、解像感、ボケ、暗部のトーンどれも実物を超えてしまうかのようなリアルなゾクゾク感が写し込まれていました。開放F値がf3.5~6.3と暗いもののZ50の高感度特性がこれまたペンタックスのK70並に優れているため、大抵のものを捕捉できしかも確実な画質を保持して記録される。似たスペックのレンズはペンタックス以外にも実はフジフィルムのカメラでも使ったことありますがユルさの有り無し、という点では全く違いました。

しかもこのレンズはすごく薄い。手ブレ補正機構を収めていることもあり太さという点ではZマウントの大口径そのままに土管が如くドーンですが、薄さの方が見た目の印象に影響するのか、大変小さく見えます。

※このカメラもAPS-Cのミラーレスでした。ちょっと相性が合わなかったのでこのブログでは記事にしていません。

◆そして 今

Z50。写りは先述したように撮像フォーマットがコレより大きいD750を超えてしまった感があります。では、D750ともバイバイかというと、そこはD750ゆえの理由で使い分けています。

その理由の一つはファインダ。電子でないガラスとプリズムで構成されたファインダは、カメラを振ったときの遅延がゼロなことはもちろんのこと、背中にドピーカンな太陽を背負った状況でも良く見える。電子ファインダを度のキツいメガネ野郎がのぞくと、隙間から入った日射が電子ファインダに写る像のコントラストを薄めてしまいどんな機種であっても見えにくい。まあ、これは電子ファインダゆえの特徴でもある撮影時の露出やホワイトバランスの設定が撮る前から目視できるというメリットの方が勝てばトレードオフで済む話でしょうが、もう一つ。Z50はピントの合う直前のオートフォーカスの挙動がちょっとギクシャク(というかピクピク)前後にフレる感が気になる時があり、目のためにもホットタイムしたい時はD750を覗いて休めるようにしています。

理由の二つ目はレンズ。36mmフォーマット用にタムロンの28-300mmズームと、同じくタムロンの45mm単焦点の2本を気に入って良く使っていますが、これらをマウントアダプタを介してZ50にとりつけたとしても当たり前ながら同じ画角にはならず1.4倍強に拡大されてしまいます。ニコンのFマウントの小さい口径なのに良くまあ光が回るなと感心しますが、この2つのレンズは周辺で光量がガクッと減ることなく全体が良く写ることも含め36mmフォーマットで使うからこそ価値がある、しかも写りが良いのでそれを画角的に切り落とすのは勿体無いです。

45mmに限って更にいうと、このレンズは解像が非常に細かいのでD750やZ50の2000万画素程度でさえ実力を十分発揮してない気がします。これは4500万画素クラスで使ってみたい、しかしD850は自分みたいにデブだからなあ。待てよ、グレートマジンガーは小さい割に同じ画素数じゃないか。。。

すみません、なんとなく話がZ7の方にどうしても向きがちなのでここいらで今回の記事を終わりにします。Z50に戻すと、FGの重心感を知らないならばこのカメラはとても撮りやすく写りは抜群で愛着もわくカメラです。重心、グレートマジンカーは結構FGの記憶に近かったなあ。。また始まってしまった。。

次回はコンパクトカメラ、光学35倍ズーム搭載機についてお話します。

 

 

【久々】その42.D750 あ、カメラだ

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◆出会い

孤高の一眼レフ:ペンタックス。 ズーッと使ってきて、もう一生ついていくからね。その思いでKー70の事を書いてから早3年半。気がついたら、棚にはひとつのペンタックスも居なくなってました。シェー!! チェストー!!

代わりにあるのはニコンのD750です。3年前に買いました。ペンタックスカメラの皆さんはその獲得資金のために金銭トレードの運命をたどることに相成りました。今頃はそれぞれの立場で第二の舞台に立ちご活躍されていることでしょう。

と、血も涙もない言い方をしていますが、ここに至る「なぜ、D750になったか」について振り返ってみようと思います。

ペンタックスは好き、でもカメラ自体が好きである性分なので三ヶ月に一度の楽しみでアウトレットモールに行った時にはニコン店を必ず巡りそこにあるカメラ達をペタペタ触ってました。一番ペタペタしていたのはニコンDfです。シャッターを切った時の音とショックが何とも心地よく、何回もパシャパシャしていました。それに比べ、他の一眼レフ(ギリ庶民派プライス)はD750も含め音の余韻が長く感じどうもリズムが違う気がしました。

ではDfを買い増すかというと、ニコン店にあった展示(&勝手に操作?)用個体はシャッターダイヤルや露出補正ダイヤルの節度がバカバカになっていて「いや、せっかくのダイヤルが早晩こうなるようでは気が失せますたい。」でした。ひょっとしたら、我先にとペタペタしていたオヤジ達の中にキャノン贔屓の巨漢が混じっていて「クイッ」とワザと破壊して行ったのかもしれないが真相は闇の中です。もう一つ、DfのガタイはニコンFM系のソレに近い感じがあるように見せかけてはいるが、前後方向の厚みが大きい。シャッター感触に興奮した後で冷静になるとカメラというより箱を持っていることに気づき、それも興ざめの一因でした。カメラのような箱ではなあ、と思っていて傍らのD750を見て「アレ?」と気づいたことがありました。そして、「コイツこそ実は箱でなくカメラではないか?」と急に興味が湧いてきました。それは何か。

それは、撮像面マークの位置です。

40年以上も前にコダックポケットカメラを使った時からフィルムは一番後ろにあるべし、というか、「光が入って、レンズを通って、最後は感光体に届いてアウトプット」という順序で写真がなりたつものだという思い込みに支配され、デジタルカメラの撮像面の後ろに電子回路の厚みがあるというのはどうも変な気がしていました。「口から入って、お腹をとおって、最後は○○○としてアウトプット」という喩えが適切かどうかわかりませんが、その後ろにある電子回路基板はいわばオムツか海水パンツのサポータみたいな感じでしょうか。 しかし、それは見た目のこだわりに過ぎず、電子回路がなければ像ができないのだから原理的には仕方がない。ペンタックスのK-3もメカメカな写真機のルックスをしているが、撮像面のマークは結構前の方にありました。全く気のせいでしかないことだが、光を通る距離が短くそれでは不十分なので後ろの電子回路で何か修正しているのでは。。頭で考えたら光を通る距離自体が短くなることなんて無いハズですが、マークから後ろの距離が結構あるのでそんな風にふと思えたりしたわけです。

で、D750。この撮像面マークは「ゲ。」と思うほど後ろにあります。これをペンタックスのK-70と比べると「ゲゲゲ。」となるほどびっくりします。更に、それでいて液晶のチルト稼働機構がその後ろに控えているのです。デジカメのくせにどうなってんのコレ?と思いました。暫くの間、その仕組みを知るべく触り続けているとニコン店のお兄さん二人が寄ってきたので、D750のことをいろいろ聞いているうちに、

・ミラーダンパーに凝ってないので撮像面を後ろに持って来れた。

・2段露出ブラケッティングがこのカメラでもできる。

・握った左手は小指があまらないグリップ形状をしている。

・前ダイヤルと後ろダイヤルの使い方はほぼペンタックスと同じ。且つ、後ろダイヤルが右によっているので牛乳瓶の底のようなメガネをかけた左目使いであっても、操作でメガネが邪魔になることがない。

ことがわかりました。

今までのペンタックスとほぼ同じ操作で、更に使いやすそうでした。

ただ、シャッター音のバフンという響きと、頭頂部のストロボまわりがニワトリのトサカに見えるのが残念。グリップの赤いラインもジウジアーロがデザインしたわけでもないし...

最終的には撮像面マークが異様に後ろにある、というまあ今となってはどうでもいいことが決め手になって、一旦その場をひきとりペンタックスカメラ達とおさらばした後の札を握りしめてご購入いたしました。

あ、買った時ですが、50mmF1.8のレンズとのセットでした。昔、ニコンFGやnewFM2を使っていたのでニコンのFマウントのレンズは総計8つくらいは買いましたが、全て手放していました。まずはこの昭和40年代の一眼レフセットのような組み合わせだけでペンタックスファミリ軍団とおさらばしましたが、交換トレード時にいくばくかの残り金ができたのでタムロンの28-300mmズームを後で買っています。

ペンタックス K-1の存在

運命的な出会いの裏には、なんらかのほろ苦い思いが隠れているものです。

それがペンタックス K-1を「次に買うからね~、FAリミテッド31mmが待ってるよ~。」と心に抱いていた時期がありながら”振って”しまったことでした。このカメラがディザー広告で次々に出るたびに楽しみにし、発表会にも行きました。触りました。握りました。ズシッとした凝縮感、手に伝わるシャッターの感触。しかし。

軍艦部に一つダイヤルが増えたことが、急激に醒める原因になってしまった。最初は、このダイヤルがあることで設定を更にメカメカにできることに寄与していそう、左目で覗く身にとっては後ろにあるコマンドダイヤルがメガネと干渉する問題も、このダイヤルに機能を割り当てれば実用度200%とかそんな事も夢想していました。でも、このダイヤルがあることで全体のシルエットがとてもダサく思えてしまう、という気持ちが先にたってしまった。ダイヤルそのもののデザインも後からとってつけた様、これが、上面の左側のモード選択ダイヤルが印字が刻印になっていたりしてやたら高級感があるだけに余計際立ってしまう。このダイヤルが無く、そのスペースに上面液晶を面積広く割いていたら間違いなく一家とおさらばなんてことには成ってなかったことでしょう。

それと、ペンタックスではサードパーティの新レンズが期待できないというのも一家を揃え始めるうちに不安としてあったのも事実です。それも、まあ、FA31mmとか孤高のカメラっぽくで良かたいね、とかいってた時期もあったが、K-1用に合わせて出た標準ズームレンズが○ムロン(体温計メーカでない方)製のOEMであり、そのレンズはニコンやキャノンマウント用であればずっと安く手に入ることを知ってしまってからは、いや、孤高どころかソレってやっちゃいけないって高校の倫理の先生が仰ってた正にそれでは。。。。とメーカ姿勢への思いが揺らいでしまったのもあります。

さて。他メーカのことも。

キャノンは同じサイズの一眼レフとしてEOS6Dがあり、ソニーはミラーレスとはいえ人気高いα7がある。そっちはどうなのよ、というと最初から興味はありませんでした。どちらもシャッターのフィーリングがどうしてもなじめませんでした。

◆画質:ペンタックスとは違う、これがニコン

撮影はRAWで撮り、後で自分の好みにチョコチョコいじります。面倒ではありますが、フィルムをスキャナで読み込んでデジタル化していた頃に比べたらハトのフンみたいなものだし、結構この過程が面白い。なので、画質の評価は元の素材としてどうか という見方になります。ネガフィルムのコダックのロイヤルゴールド100が好きだったので、そのイメージでシャドウは落としハイライトの階調は出し、色味は少しビビッドに、という傾向です。

最初に思ったのは、ペンタックスのK-3はAPS-Cだったけどハイライトのレンジは広かったんだな、と変に前のカメラのことで感心しました。次に目についたのはD750はローパスフィルタがあるのに結構シャープであること、そして、一方ローパスフィルタがあるためなのかそのピントから外れたところのざらつきが無くて(いや、K-20Dもザラつきがあったからそれが原因でないなあ)好感が持てるということです。このアンフォーカス部分のイメージがペンタックスとは画像の印象を大きく分けるとこで、ライトルームで操作するにしても一手間いらずで楽です。画の印象としてはザラ感というかツブ感のあるペンタックスの方が実物が実際の距離より前に出てくるような力強さがありました。ただ、撮る方が年を重ねたせいか、これくらいのシットリ感をちょうど良いと思えるようになりました。D750はシャドウの表現が丁寧に感じます。

もう一つ、あれっと思ったのは赤色の出方です。薄い、淡白です。ペンタックスは、それはもう飽和お構いなしに赤系統は彩度モリモリでしたが、ニコンD750は違った。それも、彩度が薄いだけならまあまあそんな事は小せえ、ですが赤色の濃さも控えめなんです。ここはかならず後でいじるようになりました。D750の画自体が決して地味なわけでなく色全体ではペンタックスほどではないにしろ割とパキパキですが、こと赤に限ると色の出し方の違いがよくわかりました。それと、もう一つ色についていえばホワイトバランス。ペンタックスの場合は、バランスを撮影前にいじる時の自由度が高いのに比べD750は青←→黄色の1軸しかない、これも違和感です。色のそのままの出方はペンタックスの方が魅力的だと感じました。

あと、カメラの裏面の液晶の色がニコンニコン1でもコンパクトカメラでも黄色によった色彩をしていますが、D750もその方向に感じました。ここも、ペンタックスは液晶の色合い補正ができますが、どうもそれが無い。見つけられてないだけかもしれませんが。

高感度の特性でいえば、ペンタックスのD-70になるとAPS-Cでも同じフォーマットのK-3より随分綺麗になっていたのを経験していたので、D750がフルサイズゆえのメリットでここを大きく引き離しているとは感じていません。

◆良いところ

D750は良くできている、と感心します。項目ごとに気づいた点をあげると

オートフォーカス。合焦までの速度が早いというわけではないが、合った時の精度が高いです。とても高い。驚くほど高い。ペンタックスはここが17-85mmズームでは改善したとはいえ、D750に比べたら僅かな前後ズレが多いため、家の中で暇な時には10回撮って何枚当たるかをみてその日の運勢をみる、なんてことしていました。撮る対象が食卓の上に置いた蜂蜜のプラ容器だったりするので何枚撮っても後に使えるものではなく単なる占いみたいなもんです。D750でこれをやったら毎日が強運野郎、そんなことになりかねません。それも、ニコンのレンズでなく、タムロンで。

・3Dトラッキング。これに似た機能はペンタックスにもありました。一度ピントをあわせた被写体部位を、他の測距点で補足して捕まえつづけるという機能。しかし、D750のそれは本当に良く合い続けます。一度見失ってもまた合わせにいくようなこともしてるのではないか、と思うくらいです。このおかげで、もっとも精度の高いと言われる中央1点の測距点で合わせたあとは構図を自由に振ることができます。この3Dトラッキングを知らないころは、親指フォーカスというか、一旦フォーカスを固定させたあとカメラ構図を振るということを自然な作法としてましたが、この機能を知ってからはデフォルトの人差し指フォーカスで中央合わせたまま構図が決まったら「今だ、それ!」といとも簡単に撮影できるようになりました。そして、花なりカマキリなりカメムシなりをマクロ的に撮る時にも効果的です。なぜなら、体幹が日に日に弱くなってきたせいか、カメラを構えていると前後に体がプルプルしてしまうのですが(別にカメラを構えてなくてもプルプルしているかもしれませんが)、この3Dの意味は前後にブレてもフォーカスを合わせてくれるということでプルプルピンぼけが無くなりました。そして面白いのは、この3Dトラッキングを含めたオートフォーカスモードの切り替えが、左手の親指でしかるべき専用ボタンを押しつつ、EVFではない光学ファインダーを覗いたままで、もう一方の手の右手で前ダイヤルと後ダイヤルをグリグリして変更できること、さらには設定を3Dトラッキングにすると、なんとフォーカスポイントで”3 D"と表示されること、この発想には驚きます。

・ボタン配置が左目覗きには適切。メガネを使う立場でも干渉しないことだけでなく、わかりやすいところに其々があります。特に、ファンクションボタンという機能を割り振れるボタンが普段は目に触れない前面のレンズ装着部脇にあるのは良い。というのは、この手のボタンが目につくところにあると、「はて、ここに何を割り振ってたっけ?」というのが気になり撮影を忘れてカメラのメニュー階層を探るなんてことをパナソニックのLX100でしてたりしていますから。

・クロップできる。撮像範囲を36☓24フォーマットだけでなくAPS-Cに狭くした場合も撮影できます。さらには、その中間の30☓20と言ったらいいのか、中途半端なワクでも撮影できます。この中間のワクで撮ると、画素数も1600万画素くらいを確保しつつ、同じレンズでも画角とパースが新鮮な不思議な気分を味わえるので結構好きです。タムロンの45mmの単焦点を使ってこの中間ワクで撮影すると、パースは50mmよりついているのに画面構成は50mmより切り取られた何とも夢を見ているような世界が1600万という細密な情報をもって再現され面白いです。(残念ながら、ミラーレスのZシリーズではこの中間ワクはなくなっているようです。)。実用的な意味でも、この中間ワクだと見た目の測距点の範囲が相対的に広がり、3Dトラッキングの素晴らしさをより実感することができます。

・ストロボ。ニコンの制御の素晴らしさはFGを使っていた頃から感じてました、ペンタックスではこうはいきません。そのストロボが最初からISO400ならばガイドナンバー24という使える光量を持ちつつ最初から頭についているのです。トサカがピョコッと上がるので見た目は更にニワトリに似てしまうのがちょっとアレですが、これは先にあげたクロップと組み合わせるとかなり実用的なシーンが出てきます。というのは、ストロボの照射が画面済まで届かないことが広角でなくてもあったとしても、最初からクロップしてしまえば気になりません。外付けの小さなスピードライト(ニコン語:日本語に訳すとストロボ)SB-500も便利です。ISO400ならガイドナンバー48であり、単3電池2個だけで稼働するうえバウンスもできるは、FP発光という高速度照射もできるは、無線も受ける、果てにはLED点灯もできると良くできています。ストロボが安心して使えるのはニコンならではの利点だと思います。

・グリップが深い。しっかり握れるというだけでなく、小指までしっかりとグリップに収まる。これは使っていてカメラの安定感につながります。

◆悪いところ

あくまで主観ですが、持ち物としての満足感や使い方で気になったところもあります。

・シャッター速度上限が1/4000秒まで。おい。それ以上の速度使ったことあるのかよ。と言われればありますと答えます。K-3を使っていた時は、f値が1.9とか2.0とかのレンズを晴天で使って絞りを開放付近まで開けると、案外と1/6400秒になることが多かったです。なので、D750でF1.8のレンズを使うと不便を感じます。では、どうするかというとNDフィルター、それも光量を一気に1/16とか1/32まで落とすものを持参します。ここまで一挙に落とすと、あわよくば1/250秒くらいになり、トサカについているストロボでボケていながら日中シンクロというワザを使うことが出来るからです。もちろん、ストロボの光量もそんだけ落ちてしまうので、ごく近くの葉っぱにピカッというくらいですが(そこまでしてニコンのストロボを使っているファンがいることをわかって欲しい。SB-15、あれは名品だった。終わり)。

・手ブレ補正のないレンズは結構ブレる。1/60秒くらいでもブレが出るときあるし、1/30秒で標準レンズだとかなり気にしててもブレが出ます。このあたりが、バフンというシャッター音が示すように、シャッターのブレーキ機構とかにあまりお金を使ってないのかなと思わせるところです。対策としては、手ブレ補正のあるレンズしか使わない。これでしのいでます。

・デザイン。全体の形は許せるとしても、やはり頭のトサカ。この部分を上からみると、昭和の香りよろしくガニ股のオヤジさんが履き古したステテコにしか見えません。更に、ストロボを上げてごらんなさいと言うので上げるとよりステテコ感が増す。というか、ステテコが起立している。撮影者側から見た場合。しかし、ここはどうにも直しようがないのでそんままにしています。APS-C機のD7500ではココがうまく造形してありステテコ感が回避されていて羨ましい。

・防水性能はペンタックスK-3より劣る。内部のシール部分に施してある処理を見るとK-3みたいに水中につけて3分、なんて真似は到底できません。というより、これはK-3がすごすぎる。一体どういう用途を目指してあれだけシール密閉したのかその理由がわからないほどです。

◆D780への誘い

これを書いている時点で、D750の発売からすでに7年が過ぎているので後継機ともいうべきD780についても触れておくと、一時あのシャッターフィーリングが気に入り買い換えようと思った時期がありました。向こうさんには1/8000秒があるし、トサカは無いし。しかし、そうは言っても買い替えに至ってないのもこれまたデザイン。D780は、上にビヨーンと間延びしている形に見えて、昔の持ちカメラでいうとキャノンのFTbに少しシルエットが似ている。D750はそこが低く見える造形をしているので、タイプ的にはニコンFG的雰囲気も少しある。まあ、D780も魅力だけど、そろそろミラーレスのZ7もいいかなと思っているところがあり買い替えにはいたってません。Z7どころかZ7Ⅱがもう発売されているご時世ではありますが、Z7の方が好きです。これも性懲りもなくシャッターフィーリングの違い、どちらが好きかという結局ソコですね。といいつつ、バフンのD750を使っているからあまり説得力ありませんが。

◆総合的にみると

43年のカメラ歴の中でもっとも近い立ち位置を探すとEOS100です。何でも撮れる、そして撮った結果が期待以上のモノになっている事が多い。操作感にスキがない。だから、このカメラも長く手放さずにおくことになりそうです。

そして。

ニコンFG。あの写真機。最初に自分が買った一眼レフとして愛着を持った時の記憶を、今では斜めに傾いてしまったNIKONロゴを見ながら少し思い出したりしています。

◆次回

次もニコンです。Zマウントです。APS-Cマウント。そう、あのカメラについて書こうと思います。

 

 

 

 

 

写真との出会い

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        (フジフィルム KLASSE)

ここに写っているのは猫である。初めて顔の平べったい東洋人を目の当たりにし、チッポケな額の奥底でどうカテゴライズして良いかわからずにヤヤヤ状態で固まっているのである。

こういうヤヤヤ状態になるときが、猫に限らずヒトであっても時として起きる。

45年前の自分、少年だった頃の自分にとってその瞬間の一つが、ある写真との出会いであった。

通学路の途中の壁に貼られたポスター、その背景をなす白黒写真にはビルが林立する都会の様子が収められていた。

その何がスゴイんだっぺ? であるが、ビルの際立つ稜線、一つ一つの窓枠、それらが遠くから近くまでシャープに写しだされている様に見入ってしまったのだ。小学4年生だった当時の私は、家に帰るとテレビでマンガ(今ではアニメというらしい)ばかり見ていたせいか眼が急激に悪くなり、やぶにらみをしないと遠くが見えない状態にあった。近くは見えても、向こうの看板や標識がクッキリスッキリとはいかない。さりとて、メガネをかけるということは自らをのび太か魔太郎と同列にみなす事と同義であり、自我の目覚めた少年が異形の世界に足を踏み入れるには相当な勇気を必要とする時代であった。

そんな多感でナイーブな時期だったので、このビル林立の写真を見たときに「ヤヤヤ。そうか、写真に撮れば遠くもクッキリするぞ。メガネいらんけんね。」と閃いたわけである。だが、残念ながら自分が写真を撮るということまで直結して考える創造力を持ち合わせてなかった。撮ればクッキリ見える、の中の撮ればの部分が欠落したまま、写真=シャープあるいは目で見える以上にモノの有り様を正確に写しだすもの というイメージが私の中で芽生えた瞬間であった。

写真は見たままを写すだけではない。当時の視力0.6ではボンヤリしていたものがシャキッと露わになるということを通し、見たままを超えてより現実に近づく、それも意志を介さず物理や化学の法則のみで理論的に。という冷徹で鋭利な大人チックな事実に参ってしまったのである。

だが、これは現実を超えた彼方にモノ・コトの別の面を覗きにいくシュール的嗜好とは全然違う。単に、現実をもっと見たい。この性癖は、ド近眼+老眼+二重アゴ+三段腹+五十肩になった今においても、撮ったデジタル写真をマウスでツィーと倍率を上げて一画素一画素までついつい確認してしまう行為となって表れている。

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この小学4年生が成長して現在に至れば、最も解像度の高いカメラを一生をかけて求めにいく、という処にいきついたハズであるが現実はそうなっていない。(いや、そうなっている元小学生もいるだろうが)。

なぜなら、写真の楽しみ方がシャープ一辺倒ではなくなってしまったからである。そうなった理由、カメラが良くても撮り方がわかってなければキリキリした写真は残らないことを今の私なら知っている。レンズの選択、被写界深度の選択すなわちシャッター速度の選択、そこからきて感度やプレの対策、撮ったあとの現像のプロセス、メンドクサイ三脚の使いこなし、鑑賞サイズの問題etc。そうして傷つきながらも大人になった私は、自分にはキリキリした写真を撮る技量も堪え性もないことを自覚している。今回はりつけた猫の写真も全然シャープではない。

しかし、別にシャープでなくても良いと考えるようになった。ということは、現実への執着が無くなったということだ。これは、いよいよあの世の事を考え始めたということではなく、現実のさらなる向こうの現実を求めにいってもキリがないことに気づき、いうなれば今ここに身を置いている現実らしきものとどう関わっていくかということの大切さに気付いたということである。

とすると、現実を切り取る写真への興味も失せてしまいそうだが、そうでなく、写真への愛着はますますもって盛んである。何がそうさせているかというと、2次元でも3次元でもない写真だけが持つ表と裏が一緒になった次元、そこに惹かれている。

フランスにはパリを撮り続けたアジェという写真家がいた。その写真家の作品を見てしまうと、この2次元でも3次元でも、はたまた本人の意志の創出でもない、なんとも写真でしか表せられないモノを感じずにはいられない。

そういう写真を撮りたい。今の私は45年前と同じであることはなく、そういう写真を撮りたいからこそ、今日もカメラを触っている。