まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

案ずるよりマウントアダプターが易し

iphone12

◆1972年: あるレンズが誕生した

   1. 腹ペコのまま学校へ行かぬこと

   2. 天気のいい日に布団を干すこと

   3. 道を歩く時には車に気を付けること

   4. 他人の力を頼りにしないこと

   5. 土の上を裸足で走り回って遊ぶこと

ゴウヒデキがM78星雲に戻るとき、次郎少年に託した誓い。

今の自分はどうだろうか。マルバツをつけてみると

1.バツ:午前10時を過ぎると社食の献立を見てしまう。なんせシニアだから。

2.バツ:天気のいい日こそ布団に入っている。うぬ、その方も同じでござったか。。

3.マル:歩くこと自体に気をつけねば。右足、次に左足、そして右足。 痛!

4.バツ:人間は社会的な動物である。と、ゴウヒデキに教えてあげたい。

5.サンカク:裸足の時は足指拡げパッドをはめている。開放感、ベリグー♡

と、まずまずの成績であった。

 

この誓いが生まれた1972年に、プラナーと呼ばれる50mm f1.4レンズがカールツァイスからヤシコン一眼レフの標準レンズとして誕生した。

カールツァイスの50mmf1.4 標準レンズ

標準レンズの何が「標準」か、というと 一般の人がフンパツして一眼レフを買った時にカメラにフツーにくっついている だから標準 だと私は思っていた。

そして、そこから28mmの広角とか135mmの望遠とかに手を出すことなく、50mm一本だけ。これこそがイカしたカメラオタクを自称する猛烈サラリーマンのスタイルであった。

 

「レンズ交換なかで何ば面白かと?」というと、50mmという画角だけで十分ワクワクしたのである。

巷にあふれていたコンパクトカメラのレンズは観光写真で家族の足(最悪ケースでは顔)が切れるのを恐れるためか、38mmから35mm。 このやや引いた画角に慣れた目から50mmで撮った写真を見ると、引っ込んでいたモノが前に飛び出してくる。 あるいは見たままの距離感で写る。ファインダーとレンズとの間に視差がないから切断写真がアルバムの2割を占めることもない。これが新鮮だった。

写る範囲は狭まるけれど、その場にいるような感覚が一眼レフ写真のプリントだった。

 

カメラオタクにとってはもう十分。当時は絞りなんて光量調節のためにあると思っているから、開けて背景をボカそうなんて考えない。

最初に手にした50mm f1.4 がキャノンFD。次がニコンAI。画質で気になったのは今にして思えば歪曲収差。前者はひどかった、ニコンではそこがまともに写るようになったが開発時期が違うので比較してもしかたがない。

が。

がががの、が。

 

私はコンタックスアリアの中吊り広告を見て一目惚れし、その流れで99年にMMJタイプと呼ばれるカールツァイスの50mm f1.4 を購入した。猛烈サラリーマンだから当然中古。2万3千円であった。

この描写には驚いた。その時に比べた50mmはニコンAIの他にキャノンのEFもあるのだが、

 

「濁りなく、そのまま物が写っている」

 

であった。

 

色が濃く、線はしっかりと且つ柔らかく出る。と言うことも出来るが、物が写っているという表現の方がしっくりくる。プリントは紙なのに見入ってしまうのである。

のちに同じカールツァイスの50mmのf1.7も買ったが、こちらは淡白で物の重みまでは写らない。(最短撮影距離がやや長いという難点もあった。)

 プラナーf1.4のこんな描写、今時あるか〜といったら一つだけ似た印象を持つ。

ニコンZマウントの24−120mmf4レンズ。収差補正やガラス硝材は全然違うのだろうけど、これも物が写るので毎回ゾクゾクする。

逆からみると、この印象の写りを、「小さく軽く、ヘリコイド操作を楽しみながら、絞りももっと開けれたら」 が カールツァイス50mm f1.4。  とも言える。

 

◆付くボティは持っているけど問題

なら、このレンズ今でも使っているかといったら 使う気がしない。

コンタックスのRXⅡというボディを完動のまま、悲しいことにメーカー不具合も完動のまま、一つ残している。今あるフイルムカメラはこれ1台。

それでイカすカメラオタクの所作として何も問題はないのであるが、

とにかくフイルム代が高ーー無限延長ーーーい。 のであった。

24(+3)枚どり3本1000円以下が当然の感覚にとって、今のフイルム価格は桂三枝師匠がしつこく出身大学を聞く前に「ガソリン何リッター入るねん!グー♡」と絶叫するほどなのである。

だから、使う気がしない。

使いたいけど、使わない。時々ヘリコイドを回して空シャッターを切っては ほほう と呆けていることを通常は使っているとは言わないのだ。

 

◆50mm標準レンズは他にもあるけど問題

どうするよ、フイルム時代のレンズをフイルムでなく使う方法。

について、解はあるのか。

ある。

デジタル一眼のマウントとフイルム一眼時代のマウントをつなぐ架け橋、ザ・マウントアダプタを使えば良い。

なんてことは、ソニーαフルサイズデジタル一眼の使い方として10年以上も前から知れたことであった。だが、デジタル一眼デビューをペンタックスで始めてしまった私には無縁の話題であった。

その後、ペンタックスのカメラ事業への向き合い方に限界を感じてニコンZマウントに移行したものの、Zというのはレンズ自体が素晴らしく、そんなマウントアダプタつけてまでどうするよ、ケケケ と思って幾数年。

 

Zマウントの50mmf1.8が放つ光学機器そのものの描写には満足しているが、ハテ? この大きさはたとえこれがf1.4だとしてもオカシイのではないか?と思うようになってきた。なんせ、大根と同じくらいに太いのである。プラナーは蓮根サイズだった。

 

ならば、ニコン純正のマウントアダプタを介してAIマウントのニコンレンズをつければ良い。ではあるのだが、今度はAIレンズの描写はどうにも趣向が違う、そしてZレンズのような精緻さも無い という問題にぶち当たってしまう。

 

それに加えて間をつなぐマウントアダプタFTZⅡ。持ってはいるけど、この空洞がなんともバカボン(パパでない子供のほう)の遠い眼差しに似て茫洋感満載なため、ウウッときてしまう。

 

◆始まりはNIKON ロゴ

そんな昔回帰の毎日を過ごしていたころ、もう一つの昔回帰に向き合いたくなってきた。

そう、全国7000万人ニコンファン共通のアレ。

Nikon なんとか Nikon に戻らないか 案件」 である。

この斜体ロゴになってからそろそろ40年になるかと思うが、いまだにヘンだと思う。

なんで斜めに傾いているのだろう なんでシャチョーは格好悪いと思わなかったのだろう。

これに似て大失敗したのが音響メーカーのパイオニアである。

昔はオメガに似たマークと機械メーカらしいロゴで、イカしたヤングボーイズの心を虜にし、

ラジカセのランナウェイをはじめヒットを飛ばしていたがロゴを変えたあたりから傾いてしまった。 そう、文字を傾けると社業としても危ないのではないか?

 

ということで、Z7Ⅱのオデコのところに、縦型Nikonロゴを貼ってみた。

インターネットで縦型ロゴを画像検索し、画面コピー(無断)したものをエプソン写真用紙光沢タイプに印刷。その裏に両面テープをつけて貼り付けて完成したのが冒頭の写真である。

本体塗装の粗目調にあわせるように、貼り付ける前にはプラモデルの艶消しクリヤーをオリンポスのピースコンで粒的状に吹くという石橋ゲル首相直伝のオタクテクもココには使っている。

むひょ、カッコインテグラ

とはなったが、今度は大根だらけのZマウントレンズとのイレギュラ感が目立つ結果となった。

 

あ〜、せめてプラナーだったらバッチグーなのに。

→ よっしゃ、マウントアダプター デビューするぞ。

 

◆先入観との戦い

しかしFTZⅡならまだ電気接点があるものの、そうでないマウントアダプタは本当に空洞でしかないことにはビビっていた。

 

・自分がわかってないことの不安;どうやって露出が合うのか。どのモード使うのか。

・工作精度への不安①;無限遠や最短距離が合うのか。

・工作精度への不安②;すごく偏芯するのではないか。

・工作配慮への不安;ちゃんと裏塗りしてあるのか。

 

まあ、1番目はいくら多く撮影してもタダで済むデジタル1眼なのだから露出を変えながら数打ちゃなんとかなりそうな気はする。

問題は工作精度である。

無限遠が合わなくても所詮は道楽と割り切りその領域を使わなければ済むだろうが、偏心への恐怖は拭いきれない。 これにはペンタックスデジタル一眼時代の苦い経験が影を落としている。とにかく、ズームと名の付くペンタックスレンズには何らかの偏芯があり苦労した。メーカ-純正でさえそんな事が起きたのだから、サードパーティ製の単なる空洞は大丈夫か という気持ちになっていた。

 

しかし、自作縦型ロゴとのマッチングを考えると、ここはプラナーを付けるしかない。すでに論点が描写ではなく見た目に行っている事からしてズレでは来ていたのだが、「たとえ使えなくても飾っているだけでネスカフェゴールドブレンド一杯はいけそう」という保険的読みも手伝い、マウントアダプターを実物も見ずにamazonでポチることにした。

 

焦点工房が扱うSHOTEN CY-NZ 5000円也。

 

◆装着してみて い・け・る

さてさて、来て見たときの印象をいうと武骨の一言につきる。

 

Zマウントとヤシコンマウントでは直径に大きな開きがあるのだが、このSHOTENはそこをなだらかにではなく階段のように唐突につなげている。そして太いZマウント側の装飾として金属のまま加工されたダイヤカットが黒光りしている事もこの印象を強化している。

とはいえブツとしての工作レベルは相当高く、カット一つ一つが綺麗に揃っている。空洞の中も裏塗りが均一に厚みをもってされていて一片のダレもない。こいつは相当いけるのではと期待を持たせるツクリであった。

 

いざ装着してみた感も上々。ボディ側もレンズ側もしっかりハマり、且つ抜けにくくなることはない。

そして、いよいよレンズ長方向の精度の確認。無限遠と最短距離。

これも意外なことにしっかり出ている。十分使える精度を持っている。

 

ジャーン。肝心の露出合わせはどうか。何のことはない。超ラクであった。

私は種々のWEB情報から、マニュアルモードに設定することが前提と思っていたが使ってみるとそんな事はない。普段に使い慣れている絞り優先モードで十分いける。

ISOをオートにして、シャッター速度の低速限界を1/30に設定、手ブレ補正をONにすれば絞っても開いてもISOと速度の二つで撮像素子に入る光量をコントロールしてくれるおかげで下手な鉄砲数打ちゃ当たる作戦をしなくても十分に露出が合う。少し違うな、と思えば露出補正ダイヤルをいじるだけで済む。Zマウントレンズをつけている時とほぼ変わらない。

たぶんソニーのαでも同じだと思うが、この手の一眼だからこそファインダーで露出の明暗が確認出来るので何の不安もなく撮影できた。このラクさは、むしろ驚きに近い。

 

プラナーを装着した外見も、まあまあ3年落ちの中古カッコインテグラくらいに自分としては許せる程度にはなっている。

 

◆写してみて 広がった

写してみて、まずは偏芯についての心配は全くの杞憂だったことに安堵した。

写りについてのイメージは、コンタックスRXⅡで使っていたものとは少し違う。

何が違うかというと、コントラストである。これが、強いと感じていた印象から中庸へとシフトした。見た目の柔らかさをより伝えるようになった。おそらくは、Z7Ⅱのもつ諧調がネガとはいえフイルムを元に構成されるソレよりも潤沢なのではないだろうか。

プラナーでさえこうならば、フイルム時代に使っていたレンズを今にマウントアダプタを介して使うと中庸どころかポワポワに見えるのではないか とさえ思った。もちろん、Z7Ⅱはデジカメなので諧調をいじることはお茶の子さいさいであるが、意外な発見であった。

(ここでの印象はスタンダード諧調に設定した時のことを述べています)

 

再発見といえるかどうかであるが、嬉しかったのは開放側の絞りが案外と使えることである。

フイルムの時代には、このレンズのf2.8以下なんて収差が勝って解像度は出ないと思い込んでいたがそんなことはない。f2.5で十分にくっきりと写る。周辺光量もそれほど落ちない。

つまり、ボケをより積極的に使う気持ちに余裕が出る。

そしてまた、絞る場合においてもシャッター速度が遅くなった時には強力なボデー内手ブレ補正が効くため撮影に余裕が出る。

 

つまりは、フイルムの時よりもプラナーの良さをあます事なく使えるということで撮影の幅は広がった。さらには、マウントアダプタの分伸びるとはいっても、Z7ⅡというカメラがコンタックスRXⅡほどデカくも重くも無いので持ち出す時のハードルも低い。

 

と、いい事づくめなのであった。

これに気分を良くして、昔手放したカールツァイスを中古で買い漁ろうとしたらその値段の高騰ぶりに驚いた。これならば、プラナーだけで良い。

ゾナー85mmとか捨てがたいレンズも多いがプラナーの別格さに比べたらZマウントレンズで十分カバーできる画質ではあるので。

 

◆Z7Ⅱの側から

最後に、他社のマニュアルレンズをマウントアダプタを使ってくっつけたZ7Ⅱとしての良さにも触れておきたい。

一つには、高画素モデルであるので焦点をあわせるターゲット枠が小さい事である。レンズがオートフォーカスではないので、その枠の範囲で焦点をあわせるには拡大機能を使ってファインダ目視しつつヘリコイド回すことになるのだが、小さいために対象により正確なピント合わせができる。なによりも、ターゲット枠が小さいとそれだけでマニュアルでピントを合わせようという気持ちがわいてくるのが良い。

二つ目としては、露出の2段プラケットができることである。

同じ光景を撮り直すことなく露出を変えて連続撮影できるのが40年前からあるブラケット機構であるが、これが➕・適正・➖の3段である機種が多い。3段というのはラチチュードが狭いポジフイルムの場合の事情であって、そうではないデジタルの現在ならば2段あれば十分な気がする。逆にまったく無いと、もう一枚撮り直さないと何となく不安にかられる時があるので、2段プラケットができるZ7Ⅱは特に作画重視のために持ち出すプラナーとの相性を考えたらベリグーなのであった。

なぜ、ことさら2段2段と、高見山関が2倍2倍と言うように拘るかというと、ニコンの映像エンジンがExpeed6であり最新のExpeed7ではないからである。 最新の7では、私がヨドバシでさんざんZ8やらZ6Ⅲをいじくり回した限りでは2段プラケットがもう出来なくなっている。というか見つけきれなかった。

これは私の使い方でいうと、被写体認識が7になってダントツに良くなったとかそういう発展面を全て無にしてしまうくらい大きな出来事なのでもう少し調査したいと思う。

 

ところで、オデコの縦型ロゴであるが今はない。簡単に剥がれて無くなってしまった。

ニコンがこの縦型ロゴのプレートをオプションで作ってくれたら、私は買う。298円だったら絶対買う。それ以上だったらどうかな、なんせシニアだから。

残念〜。

 

最後に、Z7Ⅱとプラナーで撮った写真を掲載します。それではまたです。

Z7Ⅱ  ツァイス 50mm f1.4

2025年 7月 20日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その49.Nikon Z30 腰に構える

◆出会い

23年1月から暮らし始めた猫の動画を収めるのにiphone12を使っていました。

やがてもっとユトリのある雰囲気で撮れないかなと。。。

ニコンAPS-CカメラのZ30を買いました。

このカメラにはファインダが無いので後ろの液晶画面を見ながら撮ります。

画面は横に開いて回転して見るバリアングル方式です。前に所有していたペンタックスのK70や、いま家族が使っているニコンのZFcと同じ方式です。

◆動画をとる機械

Z30は動画を取る人の使い方を想定しているので、録画ボタンの位置や大きさが使いやすくなっています。

それ以外の操作性や機能という点ではファインダが無いことを除けばZfcとほとんど同じです。それならばZ30買わずにZfcのままで良いかというと動画を撮るときの気分に違いがあって、もっぱらZ30ばかりを使っています。

 

動画の対象とするのは猫です。カメラをその目線まで下げて撮ることが多いので液晶を使って撮るのですが、そのときにカメラ上部がゴテゴテせずにスッキリしたZ30の方が集中できます。

また、液晶を左に横に開いて使うときに、反対側の右手側のグリップがしっかり握れるので安定します。

ハード的な手ブレ補正はボディに備えてないので、そこはキットレンズに内蔵された補正機構を頼ることになります。ちょっとだけ心許ない。

 

動画の画質はどうかというと、くっきりすっきりとしながら立体的な厚みがあります。ihoneで撮るとノイズやベタ潰れがどうしてもあり描写もアニメーションっぽく見えてしまいますが、Z30はこの厚みをしっかり残すことができます。

 

◆ビデオカメラと写真機のバロムクロス

さて。

昔はビデオカメラという機材、ビデオテープという巻物がそれぞれ専用にありました。その昔となると8ミリフィルムかもしれませんが、仕事で使い始めたのはVHSカメラ。

これを肩にかついで業務の様子を撮影していました。撮影といってもテープさえ回し始めたらあとは対象にカメラを向け続けることだけなので「撮影する」=「カメラを肩にかつぐ」ことでした。

それと並行して写真も撮っていましたが、そこはビデオとは別に写真機の王様ニコンF3が鎮座しており同僚がハロゲンライトを3脚穴に装着して別動作業として担当していました。

そんな経験をしているので動画も出来て写真も撮れる、まあiphoneがそうなのですが両者合体というのはあたかも自分と同僚(当時20代の二人)がバロムクロスして合体したかのようなムズムズした気持ちです。

 

Z30はそのムズムズがiphone以上にあります。

 

というのは、動画マシンのつもりで購入したのに写真もとてもキレイに撮れるからです。

使う操作性という点でもファインダーが無いだけで、手ブレ補正付きのキットレンズを使っている限りではZ7Ⅱと遜色ないほど自由な設定ができます。

ここまで写真機としての素性が良いと動画を撮っている時にどうしても写真を撮る機能を捨てている感覚、ああ勿体ない という不思議な感覚が湧いてきます。これにはなかなか慣れません。

そしてファインダーが無いのが、ああ本当に勿体ない。

コンタックスGに似た外形しているのだから左側に小さくてもいいから付かないかなあ。

 

◆それでも動画は動画

ただ、鑑賞という点ではやはり動画は動画。

写真の時のように、拡大して細部を食い入るように見るとかはしません。

撮影においても写真のように構図に最大限の気を配るようなことはしない、というか、構図を構図たらしめる画像枠というのさえあまり意識してない気がします。

それほど動きを動くがままに記録する魅力というのは、写真とは別の感覚を刺激しているということなのかと思います。

そして その延長には写真と動画の双方を高いレベルで成立させることから離れて、写真はソコソコでエエから動画に振ったモノの方が没頭できるのではないかという思考も湧いてきます。Z30さん、ごめんなさい。

とはいうものの、今ある民生用の動画メインのカメラには昔のVHSカメラが持っていたクログロとしたマニアックさはなくなってしまってます。それは媒体がテープからメモリカードに移行したと同時に始まったことなので仕方ない気でいます。テープというモノの重さが物理的にも意識的にも無くなってしまったのだから。

 

◆動画って大変

ところで、今は動画を撮るのが簡単そうに見えて大変なことがわかりました。

テープだった頃は撮ったらそれで終わりで済んだのに、今していることは撮ったあとも編集だとか音を入れるとかなんかそっちの方がとっても大変。

そんな編集しなくてもと割り切れるかというと、世の中にこれだけ動画がありふれてしまうと編集しないと価値がないような気がしてなのかどうしても編集してしまう。

まあ、

写真でもライトルームで現像する、あれと何が違うかと思うけど現像は楽しい、編集は大変。

いつかは編集が楽しいと思える日がくるのだろうか。。

それとも、もともと写真ほど真剣に向き合ってないからこうなるのでしょうか。

動画撮る行為よりも好きなのは断然猫ですから。

 

24年9月22日

 

 

 

 

コンパクトカメラのお話(3) 記念写真+α

ペンタックス エスピオ ミニ

◆フイルムで撮る

デジタルカメラもカメラ付き携帯もなかった頃、写真といえばフイルムだった。普段は24枚撮り1本しか使わなくても旅行に出る前には36枚撮りのフジISO400を2本奮発。ところがパチパチしているうちに使い果たしてしまい、仕方なく観光地の売店で3本だけ売っていたコニカの12枚撮りを3本とも買ってその場をしのぐ。そしてプリントに出したときに、急いで買ったフイルムがカラーでなく白黒だったことに気付き驚愕する。

そんなフイルム時代のコンパクトカメラの事を思い出してみたい。

フイルムといっても、一般ピーポーが手にするのはもっぱらカラーのネガフイルム。それをクリーニング屋さんのオヤッサンが扱う同時プリントに出して受け取るというのが昭和の心象風景だった。

そして、そのときにオヤッサンが目にした数々の思い出写真はメイドインジャパンのコンパクトカメラで撮影されたものだった。

 

◆超高速 コンパクトカメラ技術史

オリンパスペン。このハーフサイズのカメラを父親が遠い昔に持っていた気がする。しかし、それを当時4歳の小僧がいじくるわけにもいかず、どんなものかはさっぱりわからない。

そこで、ここでは多感な思春期を迎えた頃から見聞きし経験したコンパクトカメラの流れを振り返ってみることにする。順不同。

1)フラッシュを内蔵した! ストロボ持たずに室内を撮れる。

2)ピントが自動で合うようになった! これぞ夢のカメラ。

3)フイルム送りと巻き上げが自動になった! 撮れてなーい を減らした。

4)自動格納のレンズ保護✳︎がついた! キャップしたまま撮影 が過去へ。 ✳︎ヒャクメルゲに見えるアレ。 

5)レンズが電動沈胴式になった! より小型、よりカッコインテグラ

6)2焦点レンズが付いた! 画角チェンジが楽しめる。

7)ズームレンズがついた! ますます一眼レフに肉薄。

8)手ブレ補正がついた! レンズ一体だからできたこと。

1から4まではピーポー目線で如何に失敗なく楽に撮れるかという方向。5は持つ人をダサい→イカすに変えた魔法。6と7はとうとう一眼レフの領分に足を踏み入れ、8に至ってはその踏み入れた足が超えてしまった瞬間。

技術的には一眼レフに先んじて実現した自動焦点が画期的だった。最初は近・中・遠の3段階くらいしかなかったが、次第に7段階、20段階と精度が向上していくにつれてレンズ性能も負けじと向上していった。

また、レンズが電動沈胴式になったことのインパクトも思い出深い。コニカビッグミニを見て、使わない時にレンズが飛び出してないだけでこんなにスッキリするものかと思った。

それまでのカメラはザ・男塾みたいな形が標準だったが、ビッグミニ以降はフェミニン路線も含めてデザインの間口がパッと一気に広がった。

◆主要用途=記念写真

大量のコンパクトカメラで、これまた大量に生み出されたもの。それが記念写真であることは想像に難くない。いわく、「熱海行きました〜」「読売ランド行きました〜」の類である。

まあ、熱海はわかる。青いはずが白飛びした空。旅館の門の前に立たされている子供(遠いために兄と弟の顔は判別できない)。ほんの少しだけ見える海はぼやけている。そんなものでも記念写真として成立している。

しかし、読売ランドになると、コーヒーカップの回転は緩いにもかかわらず日暮近くでシャッター速度が遅い上にオトーサン自慢の手ブレ効果(手ブレ補正ではない)が入るものだから単なる抽象画の体をなしているに過ぎない。何が写っているかわからない。にも関わらず、記念写真として成立している。

記念写真というのは場所や時間の記録写真とは違う。

何時どこにいたかの痕跡を残すのなら記録写真だが、記念の念は念を押すの意味だととらえれば写りがどうであれ構わない。そこでシャッターを押したという行為が家族共通の頭というか念として残ればいい。からである。

え。それでいいの? まわりの人が見たらさっぱり何を撮ったかわからないのに。

いいんです。 なぜならば、記念写真を撮る時に周りの人に見てもらおうとか、そんな平成野郎(令和野郎含む)のような姑息な事は一切考えていない。自分たち、あるいは自分だけで念として残っていれば良い。ユリゲラーにTVの向こうから波動を送ってもらう必要もない(送ってもらったけど私の目覚まし時計は止まったりしなかったし。)

さらに暴言すると、しょせんはコンパクトカメラである。大判カメラと三脚で撮っているわけでなく、撮ったよ=そこに確かに行ったよの実感を残せたらそれで良い。

コンパクトカメラの意義は撮った写真の画質うんぬん機能うんぬんよりも、自分の生の一瞬をシャッターを押すことで念に残す、そのコトを成立させることにあった。

コンパクトカメラで撮る写真はスタンドアロンであった。

 

スタンドアロン と 送信共有

スタンドアロンとはパソコンの話でいうとネットや回線やマザーCPUから切り離され1台だけで完結しているパソコンのことだが、この言葉を聞くとランボー怒りのアフガンのポスターがいつも頭に浮かぶ。ええと、シルベスタースタローンとは別である。

で、フイルムコンパクトカメラは1台1台が全部スタンドアロンである。通信手段がないんだから。どころか、ケーブルをつなぐところがないのだから。

撮った写真をすぐヨソの手に渡すこともできないし、もちろん後の加工をしようなど思いもしない。こういうことが出来ることを前提に成り立つ令和現時代の写真のあり方とは違う。

スタンドアロンといっても、一眼レフでは単にコトを念として留めればいいわけではなく綺麗にありのままに残せたらの願望を満たす道具として期待してしまうが、ここでもしょせんコンパクトカメラである。ラクであることがベストである。

で、ラクであることベストを志向するコンパクトカメラは最も写真らしい写真が撮れたりする。

というのは、はなから画面全体をガチガチにコントロールしてやろうなんて意識がサラサラないから気にもとめてなかったものが写る。このちょっと不気味ともいえる部分は、全てを筆という道具でコントロールしてキャンバスに向かう絵では表せられない写真独特の面白さである。念には意識だけでなく無意識も含まれるから、まさに記念写真が撮れている。

一方、今の送信共有ありき後加工ありきの写真のとらえ方になると、コンパクトカメラいやスマホで撮った写真であってもどうしても意識化されたモノになってしまい無意識が入らない。

とはいえ、一眼ミラーレスでRAWで撮ってそれをライトルームでバリバリにいじる楽しさは全能感を満たし創造性を刺激してそれはそれで大変楽しいのも事実。でも、写真本来の楽しさというより絵を描く楽しみに近いのかもしれない。

 

◆好きだったフイルムカメラ

なんか偏屈なジジイらしい堅苦しい文章になってきたので、ここで話題を変えて自分がいじって好きだったコンパクトカメラを2つ書き留めてみる。

もっとも好きだったもの。=ペンタックスエスピオミニ。

カタチが好き、その製品としての仕上げが好き、画質が好き、画角が好き、操作感が好き。

そして何よりもレンズの輝きが好き。本当に宝石のようにキレイで、これは相当画質が良いなと予感させるのだがその通りなので参ってしまうカメラであった。

次に好きだったもの。=コニカのビッグミニの3代目。

画質やレンズの輝きといったコンパクトカメラ意義とは少し違う部分はエスピオミニに軍配があがるが、なんといってもこれぞコンパクトカメラという風情が素晴らしかった。持った重さも空気スカスカでもなく石のように重いわけでもなく重心の座りも良く最高。

では、すでに手放したこの2つのいづれかを物色しているかというとそれはない。

道楽するにはフイルムの値段があまりに上がり過ぎてしまった。

加えて、ラクに撮るというコンパクトカメラ意義に照らしたらコンデジの方が遥かに良い。ニコンのA-1000という機種でそこそこ満足しているのでフイルムカメラに改めて手を出すことはないだろうと思っている。

 

◆今

さて、若い人達の間でフイルムカメラが人気という記事を何度か目にする。その真偽はわからないし、真だとしてもその理由をフイルムらしい画質と言われてもピンと来ない。なにせ、フイルムの画質はカメラやフイルム自体が握っていたのではなく、同時プリントのオヤッサンの腕というか性癖が83%を占めていたのだから。

でも、フイルムカメラそれもコンパクトカメラに触れる中で全てが意識化された世界でないことを覗く人が増えるのならそれは素晴らしい。

 

23年9月1日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンパクトカメラのお話(2) コンデジが残したもの

ペンタックス MX-1

【目次】

 

◆2002年

◆コンデジの特長1  残す前に写真を消せる

◆コンデジの特長2 現像費用ゼロ&現像時間ゼロ

◆ コンデジの特長3 撮像素子が小さくてもかまわない

◆コンデジの特長4 撮影はアイレベルだけじゃない

◆コンデジの特長5 いつでも白黒

◆コンデジの特長6 トリミング自在

◆コンデジの特長7 連写どんだけ~

◆コンデジの特長8 大きな画面でチェックできる

◆コンデジの画質① 解像度:画素は81万画素と300万画素が分岐点

◆コンデジの画質②:周辺画質向上と構図意識

◆コンデジの画質③:白飛び

◆コンデジの画質④:高感度ノイズ

◆コンデジのポイント①:バッテリと撮影枚数

◆コンデジのポイント②:操作は簡単か

◆コンデジが残したもの

 

◆2002年

今から20年以上前のこの年、何が起きたか。

カメラの出荷台数においてフイルムカメラをデジタルカメラが追い越したのである。

EOS 10Dやnikon D70といったようやくアマチュアでも手の届く価格の一眼レフが出てくるのはこれより後の2003年以降のことであり、2002年のデジタルカメラとはほぼレンズ一体型カメラのことを指すといってもいいだろう。 通称コンデジである。

 

カシオのQV-10が出た1995年からわずか7年でコンデジはカメラ市場の主役を奪い更に2008年まで出荷台数は年々上昇する。しかし、2007年に初代アイフォンが登場すると雲行きが怪しくなり2022年には2008年当時の2%未満にまで激減してしまった。

フイルムコンパクトカメラが築いた40年をコンデジは10年ちょっとの超短期間で葬り去ったものの、その後の10年ちょっとでアッという間にしぼんでしまった。

 

しぼんだ遠因として、日本でカメラつき携帯電話が同じ時期に隆盛を極めていたことも関係ありそうだ。送るための写真というコンセプトはスマホに先んじていたものの、当時の通信環境もあってカメラ性能および写真の質はコンデジとは比較にならないほど低かった。自動車と電動自転車みたいなもので、残す写真の側からしたら送る写真は全く敵ではなかった。

ところが、敵は国の外からやってきた。

通信技術発展の波に乗ったスマホ黒船によって、島国のお得意分野2つが2つとも駆逐されてしまった。

 

え。いやいや、駆逐されずに残っている。それを前回に記事にしたので今回は百花絢爛の頃を思い出してみたい。

その時に所有したカメラの一台一台の印象はこのブログの中ですでに触れています。今回はポケーと全体を見渡してみます。

 

コンデジの特長① 残す前に写真を消せる 

QV-10が出た1995年、私は職場所有の1台を借用台帳に使用予約を入れて使っていた。そのときに個人が持つ類のカメラとの想いは全然無かった。320X240画素でギザギザが目立つその画像はまるでビデオカメラの一時停止画面を見ているよう。厳しい言い方をすれば何が写っているかよりも何と何が違うかを記録する程度の装置だった。

とはいえ、パソコンに電子データとして画像を取り込めたことは、確かに記録性を重視する仕事では有用ではあった。だって、写真読取スキャナも一般化してない頃で紙に絵を書いてたのだがら。下手くそな絵と50歩100歩の画質であっても、パソコンの処理に乗るというだけで早さやゴマカシを防ぐ(?)の意味ではじゅうぶん価値があった。

 

が、同じコンパクトカメラでもフイルムの方はまだまだ元気、どころか、一眼レフの領域を侵食するかのように自動焦点の高精度化やズーム領域の拡大が進化していた時代。1994年にニコンが手ブレ補正を搭載するに至っては「もう一眼レフでなくても良いか?」的勢いさえあった。”写るんです。”より遥かに低画質のQV-10が同じ土俵に立つことはなかった。

 

違う土俵の上にピョッコリと現れたQV-10だったが、のちの撮影作法を根底から変えてしまうモノを持っていた。 確認用の背面液晶。 

モノになる前に写真を消すというスタイルはココから始まった。

 

それまでの写真はカメラにずっと留まり続けて終わりではなく、カメラは箱でその先に利用媒体がプリントだったりスライドだったりポジやネガの印刷原稿だったりする。失敗したり気に入らない写真があったとしても一旦は利用媒体に転化しないとその良し悪しはわからない。

ところが、撮ったその写真というか画像を媒体✳︎に渡すことなく即座に背面の液晶で確認したあとで「ポス。」っとその場で消し去ることができたのである。この世の中に何の痕跡を残すことなく消えるのであった。(✳︎ そもそも、QV-10には取り出せる媒体自体がない)

 

これは衝撃であった。一旦は存在したものが完全に消えるのである。

カセットテープの録音を消すくらいなら、もともと音自体が無いようなものと思えばそんなもんかで済むが、実体を写したものが消える。ええのかええのんか。

 

当初は一旦撮った写真を消去する行為には後ろめたさを感じていたが、やがてそれも慣れてしまった。QV-10の前にもデジカメがあったと聞くが、「その場でポスしてもいいんだよ〜。」を可能にする再生確認液晶を搭載したのはこのカメラが初めてだった。

 

コンデジの特長② 現像費用ゼロ&現像時間ゼロ

その頃の写真の一般的なあり方は、写真屋さんにネガフィルムのパトローネを持ち込み後日2〜3日後にL判プリントを受け取るというスタイルだった。L判を受け取って初めて、何が写っているのかわかる。それまではドキドキ。ザ・同時プリントである。

ところが、QV-10はその場で確認できるからこのドキドキも費用も手間時間もなし。ならば、画質がどうあれフイルムカメラは喰われるだろう、なにしろ時短&コスパ最強&手間ナシだから。

とすぐにはならなかったのは画質が低いことだけが理由ではなかった。プリントこそ写真なのだ、というムードの中では「パソコンで見れてそれがどうした?」だったからだ。その先にプリンターで出力するにしても、ノートパソコンがようやくカラー画面になった頃に写真画質を出せるモノなど無かったのである。

それに、ネガの現像だけなら500円以下、プリントも安いところだと(時間かかるが)一枚十五円とか7円とかあり、フイルムも3本で1000円なんてザラだったので毎日家族写真を撮るわけでもなく「写真とはそんなもんだ。」と思える出費に収まっていた。ドキドキ待たされることも、今思えばイライラではなくトキメキを生んでいた気がする。

 

そんな時にプリンターメーカーのエプソンコンデジCP-100を出した。

もう、その狙いは明らかで「家でプリントしてください、写真画質に足るプリンターもご用意しますから〜。ざんね〜ん。」(byギター侍)であった。

私は使ったことないが、QV-10より多い画素数を持つその画像を見せてもらった時は何てド派手な色なのだろうと思ったことを覚えている。プリンターで出しやすい色味といっても良い。

キャノンもポカ-ンとしていたわけでなく、しばらくしてカメラとプリンター(+スキャナ)の2面作戦がこの2社によって加速、お家deプリントが浸透しはじめた。

ところで、CP-100にはQV-10のような背面液晶はなかった。PCに接続しないと何が写っているかわからないところも、フイルムカメラの写真屋さんの代わりにお家deプリントしてよーが狙いだったことを伺わせる。CP-100は撮影用液晶がない代わりに光学式ファインダーを備えていた。この点では、見た目に限りQV-10よりもカメラらしい外観だったが、横にバカでかい割に前面レンズは小さいというヤッチマッタ系のデザインをしていた。

デジカメが職場から家庭に入るきっかけはコンデジ自体の進化もあるが、性能向上していくプリンタ-の寄与も大きかった。

年賀状がインクジェット対応になり、こまっしゃくれた子供達かわいらしい坊ちゃんお嬢ちゃんの写真が元旦を飾るようになってきた頃であった。

 

コンデジの特長③ 撮像素子が小さくてもかまわない

フイルムカメラを先にいうと、フォーマットは一般的に36X24mmでありこれはコンパクトカメラでも同じだった。どうしても暗箱分の前後幅はとらねばならずそれでも小型化しようとすると周辺光量不足や画面の歪曲を招く。フォーマットにはAPSやハーフサイズやポケットサイズもあったが36☓24mmのL判プリントでさえ時により粒子の荒れが目立つためか一般的では無かった。

対して、デジタルカメラは撮像素子が大きければ画質は向上することがわかっていたとしても消費電力や発熱、製造コストの点で36X24サイズが出たのは2002年のコンタックス一眼レフが最初だったかと思う。技術的に一般ビデオカメラに近い小さい画面素子から始めざるをえない事情があった。

技術的に無理なんだから撮像素子が小さくてもいいじゃない、という暗黙の了解のもとフイルムのように画面サイズにとらわれずに済んだコンデジは小さい素子ゆえに被写界深度が深くなることから手ブレやピンボケに対しての素性も優位であったと思う。

 

さらには、撮像素子が小さければ暗箱部分のスペースも小さくなる。これがフイルムカメラではできない小型化とデザインの自由度を生んだおかげで、縦に長かったりレンズ部分が独立していたりとそれまでにない製品が生まれた。

しかし、これらのデザインのいくつかは性能や機能よりも新奇性を狙うあまり、使いやすさを犠牲にしていると思われる物もあった。1990年代はフイルムカメラにも言えることだがルイジコラーニ風をこれぞ人間工学だと解釈したブヨブヨのデザインが流行っていて、どのカメラも針でつつくと黄色い脂肪がジューッと染み出してきそうな感じだったが「これがイマ風。」だったのである。

 

95年から時を長くすることなくコンデジが爆発的に普及した理由の第一はお家deプリントがもたらす利便性とコストメリットだと思うが、フイルムの持つ形や大きさに縛られずに自由な造形で目を引いたこと及び素子が小さい事でピントや手ブレの点で画質有利だったこともあると思う。

 

コンデジの特長④ 撮影はアイレベルだけじゃない

QV-10はレンズ部分をボディに対してクルクルと上向き下向きに回転させることができた。液晶ビューカムなどビデオカメラから来た機構だが、それまでのカメラではファインダーを覗くのが当たり前、アイレベル視点が当たり前だった認識を変えてしまった。これも、フイルムに割くスペースに縛られることがない設計自由度がもたらしたものであった。

カメラ単体だけでアイレベルにこだわらずに撮影できる、してよい というこの新しいお作法は今でも撮影液晶のチルト機構やバリアングル機構に受け継がれている。

 

コンデジの特長⑤ いつでも白黒

ピント。絞り、シャッター速度。その組み合わせからくる露出。一眼レフやズーム付きコンパクトカメラならば加えて画角の変化。写真の出来上がりをイメージしてカメラで出来ることはフイルムカメラでは限られていた。

イメージに大きく関わる色味についてはカメラでなくフイルムが担うものであった。ところが、コンデジは①像をキャッチする機能も自身の中に含んでいる②像はデジタル的に後処理されて生成される ことから、色味を自在に操ることを可能にした。

 

フイルムを入れ替えなくてもカラー写真になったり白黒写真になったりする。

ええ!! なんですとー!! デーベロン!!

「俺はモノクロ派だからF3にはネオパンしか入れてねーゼ。カラー?そんなものはこっちの”写ルンです。”で十分だゼ。フォッフォッフォ。」なんて格好つける輩がいなくなった。カラーで撮った写真を元にコピーして白黒に変換なんてこともできた。アンセルアダムス泣いただろうなあ。

 

また、フイルムを入れ替えなくてもISOを高感度に設定できる。

ええ!! くるくるバピンポパペッピポ!!(だったっけ?)

感度を上げるとコンデジでもフイルムと同じく画質は荒れるが、フイルム時代の永遠の呪縛テーマ「旅行では画質優先でISO100かそれとも旅館の中も撮るだろうし400にするか考えすぎて前日夜に眠れない」から解放された。まあ、悩んだどころでフイルムのコンパクトカメラだと手ブレとピンボケと逆光真っ黒が70%の時もあったが。

 

さらには、ホワイトバランスを調整できる。

ええ!!巨人軍の4番ホワイトの何を調整するの?グリップ位置? ではなく色温度を変えられる。

これも、同時プリントだとオヤッサンの腕一本に頼らざるを得なかった。オヤッサンが釣りにでかけて奥さんが代理すると逆にそっちの方が色が良かったりした。(オヤッサン、ごめん)

 

コンデジの特長⑥ トリミング自在

一般にフイルムのコンパクトカメラではプリントに写っている物と写真を撮った時に見た物は同じであった。そんなこと当たり前のようだが、そこには「撮った範囲全てをプリントする」というお決まりがあった。

本当は動物園のゾウさんの顔だけを撮りたくても、カメラで見える範囲の中に飼育員さんや隣のカバさんとかも入ってきてしまう。プリントをゾウさんの顔だけにすること(ザ・トリミング処理)など思いもつかない。同時プリントではそもそも「ね、ゾウの顔だけ引き伸ばしをお願い。」なんて注文できない。フイルムに何撮れてるか自体がわからないから。出来てきた掌にのるL判プリントの中でゾウさんを見つけ出し更にその顔が5mmくらいしかなくても心のバリヤーで飼育員さんやカバさんを消すという高等テクが必要だった。

しかし、コンデジでは撮影終わった写真というか画像に対し自分でグイッと見たいとこだけを拡大トリミングして別写真で保存ということが出来てしまう。コンデジによっては備えるレンズの最大ズームアップ以上の拡大を撮影時においてさえもデジタル的に行えるものまである。

その結果がギザギザのモワモワ過ぎてもはやゾウさんだか実は飼育員さんだったか見分けがつかなくなろうが、ともかく「そのものだけを抜き出す」というのが自在にできるようになった。

 

こうなると、あれよあれよと画素数が増える意味が出てくる。トリミングした時のギザギザ度は画素が多いほど目立たなくなるのである。(スマホの撮像素子が高画素化する脅威というのは実はここにある、とは前回の記事に書いた。)

しかし、これは2つの問題をはらむ。と、某フォトグラファーは語る。

一つは本来は写し手とレンズが担うべきことを、撮像素子に頼ってよいかということ。ゾウの顔が撮りたけりゃバズーカ級の望遠レンズと筋肉をつけよ、でないのか?

もう一つはトリミングに慣れると撮影時に構図をギリギリ詰める緊張感が無くなるが、それって楽しいのか? うーん、楽しくないかも。でも、Z7Ⅱの1.5倍クロップ機能は良く使ってますよ便利だから。てへっ。

 

コンデジの特長⑦ 連写どんだけ~

フイルムのコンパクトカメラで連写機能があったとしても使う人がいただろうか?

まず、連写したいというのは主要被写体が明確である=おのずと望遠レンズ寄りになる=f値が暗い=普段以上に手ブレする。そうして連写できたとしても、貴重なフイルムが湯水のように消えては無駄になる。

そんな事考えると、そんな連写オタクはいなかったのでは?

学芸会や運動会はどうする と言われたらビデオで撮れば良い。で終わっていただろう。手ブレ補正はアッチが先だし。

 

ところが、コンデジだとISOを自由に上げることで手ブレも被写体ブレにも対応し、且つフイルム代がかからない。バッテリーが果てるまで連写どんだけ~が出来るようになった。1秒で10枚撮れるものまで出てくるようになった。

「待てよ、それならビデオ積んじゃえ」でコンデジの格好していながらビデオ撮影できるのが普通になった。

 

フイルムでは出来なかった事がお金をかけずに出来るようになった。コンデジ万歳!

しかし。これ、スマホでも出来てしまっている。しかも、より簡単に。オーマイガー。

 

コンデジの特長⑧ 大きな画面でチェックできる

フイルムのコンパクトカメラを買う人が4つ切りや6つ切りにいつも引き伸ばすという話は聞いたことない。たいていL判プリントまたはそれより小さいE判プリント、あるいはちょっと大きなKGサイズあたりだろうか。

コンデジはプリントはL判といっても、パソコンで見れるので画面サイズでいったらA4やA3並に拡大して見ることがょっちゅうである。フイルムとは鑑賞サイズが違う。

大きな画面でチェックされるのでシャープ感、色の諧調(といってもRGB)が重視されレンズの粗までわかってしまう。

だけでなく、写真の楽しみ方も変わってきてその粗捜しと紙一重のようなところも少しある気がする。

フイルムカメラ、ましてやコンパクトカメラでは気にしなくて済んでいたことに目が向くようになったのは果たして良いことなのだろうか と思ったりするがパソコンやタブレットとの親和性が高いコンデジゆえ仕方のないことと受けとめる。

 

コンデジの画質① 解像度:画素は81万画素と300万画素が分岐点

デジタル=ギザギザのイメージを体現していたコンデジだったが、97年頃になってそれまでの35万画素から2倍強の81万画素の製品が増えると写真に大分近づいた印象をもった。パソコンの画面でいうと640X480ドットが800X600ドットになった時よりも、それが1024X768ドットになった時に世界がパーッと急に広がった感じがしたのと似ていた。81万画素あればL判サイズのプリントがそこそこ写真っぼく見え始めた。

と思っていたら、あっという間に130万画素、200万画素、300万画素と増えていき、もはやL判プリントには十分な精細度を持つようになった。

以前にフイルム(ネガ、ポジ共)をスキャナで読み込み、取り込み解像度を変えてA4印刷したことがあるが、そのときの印象では400万画素以上では見分けがつかなかった。こういう言い方が正しいかわからないが、その時の経験からしたら300万画素あれば従来のフイルム並の解像性能はことプリントということでいうとほぼ近いところに到達したのではと思う。

近いどころか、コンデジで300万画素(パナソニックDMC-F1)あればネガのL判同時プリントで出来たものよりも色の分離、鮮やかさ、シャープ感でフイルム一眼レフ(コンタックスRX+プラナー50mmF1.4)と肩を並べるレベルだったことに驚いた。

一般的に手にすることの多いL判プリントでの画質においては、あっという間にフイルムに並び超えていった感がある。

 

コンデジの画質② 周辺画質向上と構図意識

フイルムの頃のコンパクトカメラと比べて大きな向上を感じたのは周辺画質である。周辺光量不足、像面歪曲、加えて像の流れ。この3点とも良くなった。

さきほども述べたがフイルムでは画面フォーマットが大きい割にレンズが小型であるため、届く光の質を周辺まで保つのは難しいことはすぐわかる。また、撮る方もなんせコンパクトカメラだから写したいものが写っていればよい。そしてこれまたこれもコンパクトカメラだから写したいものは真ん中にもってきたがる。全体の構図がどうの、とかはその先の話でそもそも周辺を気にしない。ということをカメラメーカーに読まれているので周辺画質にこだわるコンパクトフイルムカメラはほとんどない。

コンタックスT3は例外的に良かったがお値段も例外的だったし、画質性能をうたったフジのクラッセは像の流れまでは修正できていなかった。

ところが、コンデジでは撮像素子が小さいため、フイルムのコンパクトカメラと同等の大きさのレンズをつければメーカーがさほど苦労せずとも周辺画質が劇的に良くなった。

 

それで、普通の人でも写真の撮り方が変わってきた。

構図を気にして撮るようになってきたのである。

 

ファインダーや撮影用液晶にパララックスがなく全体を見通せることも一因であるが。

 

コンデジの画質③ 白飛び

現像料タダでありながらフイルムよりも画質が向上したコンデジだったが、白飛びという新たな弱点を抱えていた。

画面の中で明るいところがあるといきなり真っ白に抜けてしまう。明るくて少し白っぽいかな から 真っ白 までの幅というかグラデーションが狭くていきなり真っ白になる。

肉眼で見える実際の印象との違いが最もわかる欠点だった。眩しく感じるのである。

ネガフイルムはどうかというと、スキャンしてみるとわかるがフイルム自体は明るい方向へのグラデーションが豊富であった。しかし、同時プリントというダイナミックレンジの幅から抽出せねばならない機構を通すと実は青空が白くぬけていたりしていたものである。ただ、真っ白になりそうだなと思えば(カメラが調整できれば)マイナス露出補正をかけていた。同じようにマイナス補正をかけているのにコンデジの真っ白限界を見た時は異様な感じがした。写真の中に写した時にはなかった眩しいところがチラホラとあるのである。

 

この白飛びは明度方向へのダイナミックレンジの狭さから来るらしく、ではそれは何によるかというと撮像素子の1コ1コが受け取れる光の容量、それな~に? それは結局面積によるから撮像素子が大きくて画素数がむしろ少なければいいんだよ。らしい。

ということで、同じ解像度ならばセンサーサイズが大きい方が有利。

と某フォトグラファは語るが、私の経験でいうとセンサーサイズよりもそれを使いこなす画像処理技術やデフォルト露出をどこに置くかの方が大きい気がする。

4/3インチセンサを使用したオリンパスの例を出して申し訳ないが、そのカメラで撮った岩合さんの動物カレンダーが出た当初は白飛びのオンパレードだった。それが年を追うごとにオリンパス内の処理技術の進歩なのか気にならなくなった。岩合さんがキャノンを使う前の話。

もう一つは1インチセンサ。コンデジの中では最大サイズにして白飛びにも強いと思われるが、私の印象では1/1.7インチの方が真っ白が眩しくなかった。

そんな自分の体験それももっとも気になる白飛びの扱いを通して、私はコンデジのセンササイズが大きいとか小さいとかを画質の面で気にすることはしなくなった。コンデジという限られた部品、限られた予算、限られた人員で扱われる製品においてはセンササイズによる画質の差は部品だけでは決まらないということかもしれない。

 

ついでだが、デジタルになって暗部方向のシャドーについてはフイルムネガL判だと黒つぶれしていたところが再現できるようになった。この描写は肉眼に近い。しかし、シャドーが撮影時にどう見えたかは実はあまり気にならない。かえってこれまで締まっていた黒がそうでなくなったことで写真の強さが無くなったように感じる。

 

コンデジの画質④ 高感度ノイズ

コンタックスRXという一眼レフとタメをはる画質をL判プリント上で叩き出したパナソニックDMC-F1。であったが、ISO感度を400にすると画質が荒れるという特性を持っていた。

さて、

感度を上げると画質が悪くなるのはデジタルカメラの特性である。なので、どこまでのISO高感度ならば実用的に耐えられるかがカメラの画質性能として重要である。〇〇カメラならISO6400は常用できる。。。

とは良く聞く話。

ここで、ふとフイルムの時を思い出すとそもそもISOの上限はせいぜい1600ではなかったか。常用されていた400も100に比べれば描写に硬さがあり色は浅く粒子も大きい。フイルムだって高感度は得意でないのである。そんな時代からすれば、DMC-F1でISO400になると画質が荒れるといってもフイルムの400が100と違う印象のプリントを出すのに比べれば大きな問題でなかったかもしれない。

また、デジタルカメラは白飛びに弱い代わりに暗部方向の明暗描写には余裕があるので、そこにどうしてもノイズがのってしまう。ではこれもフイルムはどうかと思い起こすと、まず暗部が表現されずいきなり黒におちる限界が早いのでそこのノイズがどうかという話がまずない。そして、黒に落ちる寸前あたりのノイズの量や大きさといったらデジタルどころの話ではなかった。

コンデジが優勢になりフイルムカメラを追い出してしまうと、コンデジ同士の比較に焦点が移りいつしか高感度性能の得意・不得意がホットな話題になった。高感度が得意なカメラほど高速でブレのないシャッターが切れたり絞りを絞ったり出来るので「モノを写しとめる」という写真の成功率があがるのは確かである。では、何を持って得意かというとノイズの少なさと解像感の維持らしい。

しかし、この優劣は近い将来も残るだろうか?というのは、最近ライトルームに追加されたノイズ除去機能は時間はかかるが低感度に近い画質まで変換してくれるからである。他の写真ソフトもそうであるだろうから、やがてカメラ自体の中にも人知れず実装されていくかもしれない。

 

ところで、ノイズついでにフイルムで今思い出したことがある。ネガ現像である。これが丁寧に新鮮な薬剤で処理されたかそうでないかによって、プリント以前に粒子の荒れ方が変わってしまう。現像してくれるお店を変えるとその差がテキメンにわかる時があるくらい。逆にいうと、それも含めてフイルムで撮った写真の一般ピーポーの画質許容度は今よりもだいぶ甘かったあるいは知らなかったのではと思う。

 

コンデジのポイント① バッテリと撮影枚数

私が最初に自腹で買ったコンデジはサンヨーのマルチーズという単焦点のカメラだった。手動のレンズバリアーに連動してスイッチがONになり、形もオーソドックスで撮りやすく気に入っていた。しかしながら、バッテリの持ちの悪さには閉口した。

気温にもよるが、ニッカド単3電池2本新品でも20枚撮れるかどうかの時もあり、フイルムの24枚撮りの方がよっぽど安心して撮影できた。

撮像素子を持つことは色々と電力を消費するのだなと思ったが、6年後に買った画素数が5倍以上のペンタックスコンデジは同じ電池2本ながら100枚くらい撮影できた記憶がある。省電力設計がその間にどんどん進んでいたのだろう。

で、その省電力設計も限界までいったら後は電池自体の高効率化に頼るしかないが、これはカメラメーカーの本業でなく納めている電池セルメーカに委ねることになる。

バッテリと相談しながら枚数を気にしながらというのはコンデジの弱点ではあるけど、今はその克服が悪く言えば他人任せになっている。カメラメーカーが自分達ではどうにも出来ないという意味では、コンデジの宿命という言い方をしてもいいかと思う。

しかし、カメラは小さく軽くしたいのにバッテリを逆に大きくするというのはできる相談ではない。

どうだろう、今はUSB給電できる機能を持ったコンデジが増えてきたからもう一声でネックストラップにバッテリを内蔵してそこから給電ソケットに入れるというアイデアは? これならカメラの重量を気にせず、撮影枚数を存分に確保できる。

(ただ、ネックストラップ内のバッテリあるいはその電極線がむき出しになったときに撮影者が感電バタンキューになる危険性は考えないことにする。)

撮影する瞬間だけでなく、撮影するために電子ファインダーなり液晶なりを見つめ続ける間も電力を消費するというのは考えてみれば無駄な仕事なので、光学ファインダーが、その面から復活しても良いかもしれない。機構が複雑になるから第一の案の方が将来性がありそうだ。

 

フイルムカメラだったら? こっちはCR2電池がコンパクトでは良く使われていた。当時はコンビニでも手に入ったので撮影枚数を気にしたことはなかったが、フイルム10本=撮影枚数240枚も持たなかったのではないか。

それを考えるとマルチーズの時代はともかく今現在のコンデジは結構十分なところに来ているかも。私の場合はコンデジになってからはフイルムと同じモノを撮るにも撮影枚数は2/3くらいに減ってしまった。フイルムだとどう写っているのかその場で確認できないので、どうしてもオサエで撮る分があり無駄的に撮る分があった。ただ、昔ながらのパチパチスタイルで撮るような人間の数がコンパクトカメラであっても減ってきているのかもしれない。パチパチでなくパチパチパチパチ・・・パチ。

 

しかし、撮り方がどうのこうのに限らずコンデジの場合は一旦バッテリが切れるとその充電に結構な時間がかかる。コンビニどころか電気屋さんでも売っていないところが多い。バッテリ自体の値段も高い。このあたりがバッテリの持ちを気にしてしまう理由として大きい。

 

コンデジのポイント② 操作は簡単か

まあフイルムカメラにも共通するが、何のためのコンパクトかというと写真を撮ろうという気を妨げないため だろう。撮るために何処か行く、ではなく、どこか行ったついでに撮る の人達が多く使うカメラであるためには重いよりも軽い方が良い。そのうえで、撮る行為にフォーカスした一眼レフでなくとも撮っている時間が楽しめたらそれは素晴らしいがファーストプライオリティではないだろう。

小ささだけでなく操作性についても撮ろうという気を妨げないことが重要と思う。カメラや写真についての知識が無いと撮れないとなると、そうでない多くの人にとって撮ろうという気は失せてしまう。

電源を入れてシャッターボタンを押せば撮れる。さっと取りだしてすぐ撮れる。

この所作はフイルムカメラだと”写ルンです。”になる。

ここまでに出てきたサンヨーのマルチーズやズーム搭載したパナソニックDMC-F1はそういうカメラだった。だからバッテリの事を除けば使いやすかった。

 

ボタンもスイッチも出来るだけ少なくが操作性には大切だが、実はそれだけではない。

ボディが小さすぎないこと。これも大切である。

しかし、2008年頃のコンデジ絶頂期の頃に、なぜか小さすぎるコンデジが数多く製品化されていた。先にコンデジは素子が小さいのが特徴であると書いたが、だから小さくできるとばかりに小さくしすぎたのではないかと思える製品群である。

これではシャッター押すだけといってもボタンが小さく操作しづらい。背面液晶も同じく小さく、バッテリも同じく小さい=見にくい、撮り続けられない で3重苦である。

そんな時にスマホ(asカメラ)が出たものだから沈没するのは目に見えていた。

スマホは画面タッチといっても操作するところがチマチマしてないしバッテリの持ちはともかく充電に困ることもなかった。そのうえ、画質は写メール携帯の比でないどころか白飛び処理を含めコンデジより明らかに上だし送信時共有もお手のものだったのだから。

シャッター押すだけコンデジが消えていったあとに残った高機能コンデジは、その少し大きいガタイそのままに操作ボタンやダイヤルを減らすのではなく、むしろスマホに対抗するかのようにボディを小さくし逆に機能面のソフトも含めボタン類は増えていったきらいがある。いわく、カスタムボタンとかファンクションボタンとか、何のことかわからない。撮り手が設定しろって、それはメーカーさんの横着にもみえる。

そのうえ、価格の方が大幅に肥大してしまった。

一部のカメラ好きには受けたかもしれないが、ますます撮るのに必要な知識を要求する代物になってしまったものだからこのカテゴリも萎むのは当然といえば当然だろう。

 

今後の希望としては、いろんな事をするための操作ボタンでの設定をしやすくするなんてことではなくて、そんな操作をしなくてもいいことだが、限られたカメラ好きの意見しか吸い上げられなくなった現状からして期待できない。

 

コンデジが残したもの

 

最後に、今まだあるとはいってもスマホにポスッされそうなコンデジが残したものを考察してみる。

 

フイルムからデジタルになったコンパクトカメラが実現したものとは、

自由なデザイン、小さいガタイ、お家deプリント、誰でもアングル自在、誰でも連写、誰でもトリミング、送信性向上(=写メール市場への殴り込み)、一発白黒化を始めとする写真加工、フイルムより明らかに向上した画質・自動焦点・手ブレ補正、構図意識の啓発 みたいなところか。特に最後の構図意識はそれまでのコンパクトカメラユーザにはあまり無かったと思うと、縦横比を3:2や4:3だけでなく1:1や16:9に選べたりと「写真の枠感覚」そのものを一変してしまったので一番意味があったと思う。

実現したものはそうだが、では残したものはというとコンデジ自体が無いに等しいのでどう答えたものか。

 

あえて答えると、残したものはスマホのカメラ機能 になる。なんのこっちゃ。

スマホが単純に撮影性能としてこれだけ簡単にしかも良く撮れるのは、単なる「カメラ機能をつけました、送信できます。どっちかつーとビデオに使って欲しいな」で済まさずに、一般の人が喜ぶ写真とは何かを理解していたためだろう。そこにコンデジの弱点が反面教師として生かされたのである。

コンデジは喜ばれる写真とは何かを詰める間もなく、ライバル同士の何でもできます競争に巻き込まれてしまった。もちろん、写真が像の後加工で完成するという性質上、スマホほど高性能のCPUを搭載できないハンデの分は差し引かねばならないが、残した爪痕は大きい。コンデジがポスッと無くなりそうなだけでなく、60年以上続いたコンパクトカメラという言葉自体も無くなってしまうことにつながるのだから。

 

以上です。

 

23年8月23日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンパクトカメラのお話(1) スマホ時代の今

NIKON A1000

◆今=スマホ時代 → デジタル時代 → フイルム時代=昔

以前に標準ズームを使ってきた体験をこのブログに書いた時には、時系列そのままに昔から今にいたるまですんなりと記憶をたどることができた。

ところが、

ここで「よし、コンパクトカメラについても振り返ろう」と思ってパソコンを前にしてもなかなか書き出せずにいる。

なぜだろうか。 恐らく、それは

標準ズームが進化の過程を辿れば良かったのに対しコンパクトカメラは、フイルムの頃・QV-10に始まるデジカメの頃・スマホ写真が当たり前の今 と大きく3つの時代の境目でその役割が様変わりしてしまい直線でつなげることができないからだと思う。

フイルムの頃は普通の人が写真を撮る道具といえばコンパクトカメラの事を指していて一眼レフは特殊な機材であった。。。みたいなところから強引に始めると、もはやそれがスマホに置き換わってしまった今では「そして用無しになってしまいました」という衰退の線しか出てこない。

しかし、実際には置き換わったように見えるだけでそうではない。

何がそうではないのか。

コンパクトカメラ価値再考への思いを込めて、ここでは逆に今を取り巻く状況を見つめてから過去について思い出していくことにする。

  ところで、上の写真。

A1000というニコンのカメラでズーム域200mmくらいで撮影したケシの花です。見た時の印象そのままに写っていて鼻唄が出ました。

ヒンナゲシーのは〜な〜🎶

 

◆そもそも コンパクトカメラと言うときのイメージ?

コンパクトカメラの コンパクト というのは何なのか。

大きさがコンパクトであること。と当たり前に繰り返せば、

では、何センチ以下、何グラム以下? みたいな事をとっちゃん坊やに聞かれた時に困る。

私は、ポケッタブル(自分のポケットに入るかも)というイメージでとらえている。

 

そして、大きさと並んで形態的な特徴として

レンズ一体であることが前提の写真を撮る道具

 

という見方もしている。

レンズ交換式のカメラだったら、いくらベルボトムの年代物ジーパン(メルカリ売却価格1300円)を人目も気にせず愛用していようが尻ポケットには入らないし。

 

本当は更に加えて

レンズ一体でポケッタブルでどこにでも携行できる、

そりゃ何のためかといえば

確実に誰にでも写せること、そこに至る操作がカンタンであること

 

と言いたいけど、そうではない高級コンパクトカメラ(✳︎)というものがあるのでややこしい。

 

✳︎すんごく値段が高くて、ミラーレス一眼+ズームレンズが買えてしまう。

 

◆撮る道具。 スマホ>コンパクトカメラ

なぜ今こんなにもコンパクトカメラの種類が少なくなって数も出ていないかというと、そりゃあ写真を撮るということであればスマホで出来てしまうから。

撮れました、だけでなく とても良く撮れました を高性能CPUで実現している。

ピンボケしない、手ブレしない、真っ暗や真っ白にならない、近くが撮れる。

ここの 撮れました の部分だけでもコンパクトカメラの中には苦しい物があったりするけど、

スマホはそれが難なく出来るだけでなく

シャープ、ノイズが浮かない、色が混じらない、歪曲がない、周辺光量がガタ落ちしない。

といったキレイな写真が当たり前に撮れる。 

 

そして、単に撮れるだけでなく写真の活用範囲を広げたのもスマホである。

そういった今どきのスマホ(asカメラ)の特長を思いつくままにタラタラ書くと、

 1。撮る時にスマホ1コで済ませられる。

余計にものを持つ必要がない。出費もいらない。スマホ以外の操作を覚えなくてよい。

 2。残す写真だけでなく、伝える写真として機能する。

伝えるには通信機器に写真を転送する必要があるが、そもそも通信機器の上に乗っかっているのでそんな事を意識すらしなくて済む。

 3。画質がきれい、その1。=センサ&レンズ。

広角寄りでセンサーが小さいためピント合う遠近範囲が広く、見せたいものが確実に写る。

昔のフイルムコンパクトカメラで「固定焦点F8の35mmなので近くから無限遠までジャスピン!」とかいいながらボケボケだったのとは大違いで本当にピントが合う。

ピントを合わせる被写体認識性能も高い。

さらに、これだけ小さいレンズだと歪みとか当然あるだろうがCPUで瞬時に補正。

 4。画質がきれい、その2。=高性能CPU。

階調のコントロールが優秀なため意外と明暗の幅が広い。

シャッターは一押しだが、実際は露出を変えて複数を高速連写しHDR合成しているという話を聞いたことがある。それが出来るCPUを有しているというのもあるが、デジカメの弱点が白飛びにあることを知っていてソコに注目し対処し好結果につなげている。

また、片手撮りを前提に制御しているので光学式含めて手ブレ補正制御が練れている。

 5。画面ディスプレイ表示が高性能できれい。

きれいなのでまた次の写真を撮ろうという気にさせる。

その後の画像修正も目が疲れる事なく簡単にできる。

 6。撮影後の修正が楽。

撮ったらそれで終わりでなく、撮ったあとで修正することが前提になっている。撮る前に撮影要素を設定するのでなく、後で修正するという考え方のためシームレスに編集修正に移れる。

 7。とはいえ、凝った撮影もアプリ次第で出来る。

アイフォンの標準カメラアプリだと撮影時にホワイトバランスやシャッター速度、ISO感度をマニュアルで設定することはできないが、ライトルームアプリの撮影機能を使えばアイフォンでも撮影時にこれらを設定できる。

 

スマホ撮影の弱点について

では、あらゆる面でコンパクトカメラに勝つかというと、スマホゆえの弱点がある。

スマホでしか写真を撮ったことがなければこれは気にならないが、逆にスマホでない写真機とのつきあいが長い身にとってはアレレ?と感じた部分を以下に列記する。

 

 1。画像ファイルでスマホクラウドの容量がみるみる減る。

コンパクトカメラでも、数多くとっていたら記憶媒体であるSDカードの容量は減る。

しかし、その影響はカメラの範囲に留まり一杯になったらカードを入れ替えれば良い。

ところが、スマホの場合は「画像ファイルが、他の空き容量を圧迫する」という写真以外のところに影響するというところが違う。写真をとるか音楽をとるか、とかクラウドの容量をサブスク費用を割いて増やす とか 本来の写真では考えなくてもいいことを考えさせられていることになる。

これはあまり楽しくはない。

 2。「標準画角」の位置付けがズレている。

普通に構えて撮った時の画角が26mmである。小さいレンズの作りやすさとか動画撮影するときの使いやすさとか事情があるのだろうが写真でいうところの広角28mmよりもさらに広い。

すなわち肉眼に比べて遠近感がかなり強い。

50mmの画角に慣れた身だからそう思うのかもしれないが、フイルムの頃はコンパクトカメラのレンズは大体35〜40mmだったことと比べてもいささかズレすぎな気がする。

まあ、スマホの画角を望遠側に2倍ズームしてもそれほど解像度が落ちる感じではないのでイヤならそうすればいいのだが、デフォルトが28mmの更にアッチというのがなかなか慣れない。

 3。ファインダーを覗く撮影ができない。

そりゃ、無いのだから当たり前である。しかし、これは撮影スタイルとして時として無礼を演出してしまう。あの、腕を伸ばして画面を見ながら撮るという方法。

人を撮るときに、撮影者は人の方ではなく自分の手元を見て撮影する。

無礼じゃないかなあ。と思うのは昭和フタケタ世代ゆえか?

なお、

「ファインダーであれば日中明るくても見ている像に太陽光が当たらないので見やすくて良い!だからスマホでなくカメラを持とう!」という意見があるが、

画面ディスプレイを見て日中に撮る場合であっても、画面の明るさを自動的に最大明るさにしてくれる機能がこれまたライトルームアプリの撮影機能に備わっている。そういったモノを使えば、あえてカメラを買うほどのことでは無い気がする。

 4。望遠性能が心許ない。

スマホであっても、撮影するときに画面を広げれば5倍程度になるので昔の望遠レンズ135mmくらいまでは写真に撮れないことはない。

しかし、レンズで光学的に望遠しているのでなく、元々画素数が限られている中で更に狭い範囲を拡大して見せている仕組みなので撮れた写真は画素の粗を見ることになる。

私の印象では3倍望遠を超えたあたりから見映えがあやしい、と感じ始める。

 5。シャープネスがきつい。

良くとれてキレイというのは的確に情報を読みとれるという意味ではそうだが、自然であるかという尺度が入るとスマホの場合は崩れてしまう。なぜなら、広角レンズで且つ撮像素子が小さい為もともと被写界深度が深いのに、画像処理でのシャープネスが掛かりすぎていてすべてが色鉛筆で縁取りされたように思う時があるからである。

この過度のシャープネスはユーザが臨んだ結果なのか、それともHDRを破綻なく合成させた時の副産物なのかはわからないが人工感アリアリに感じる。

スマホの中のアプリにも、撮影時にシャープネスを調整できるものがCAMERA+などあるらしいが、使おうとするとそれなりのサブスク料がかかるので二の足を踏む。

 

以上5つの中で、2と3は個人的な言いがかりみたいなものであり1の容量圧迫の問題もそれはそれで通信しやすい利点もあるのでスマホカメラの宿命と思えば気にならないかもしれない。

だが、4の望遠性能は小さな撮像素子の画素数が飛躍的に増えたとしてもレンズ上の制約から弱点として残るであろうし、5のシャープネス過多はスマホの写真のキレイさとはそういうものだという見方がほぼ確立している現状からして変わることはないかもしれない。

 

そうなると

①「望遠撮影に強い」

②「シャープネスが過度でない、あるいは撮影時に調整できる」

①②ともレンズ交換式カメラなら当たり前のことだが、大きく重いボディと長いレンズではなくてポケットに入りそうな大きさで補完してくれるなら、そこにコンパクトカメラの存在価値が出てくると思う。

 

◆コンパクトカメラ>スマホ ①望遠撮影

グイーンとズームできればそれだけで済む。わけではない。

レンズの望遠が効くということと、それで撮影した写真が期待どおりかということを結びつけるには、

ピントの合焦精度、手ブレ補正の効き具合、開放f値によるシャッター速度、レンズやデフォルト画質の傾向、といったことを含めてとらえねばならない。

その中でも、合焦精度は小さな撮像素子で検出しているので恐らくそう問題ではないだろう。

問題は、開放f値がどうしても暗めになることとかボディ自体が軽くて保持が安定しないことからくる ”手振れ” である。

”手振れ”をいかに抑えるかがカギになる。

手段その1は

ファインダーがあること。カメラ保持安定のために。

メガネ越しに覗く私であっても、背面液晶を見ながらよりもファインダーを見ながらの方が確実に手ブレは減る。レンズ交換式カメラのように表示性能が優秀なものではなくても、カメラ保持の安定化のためにファインダーは必要と感じる。

手段その2は手ブレ補正。

カタログにはその補正効果を3段とか5段とか書いてあることがあるが、これはあまりあてにならない。同じ段数でもカメラ製品というかカメラメーカーによって効き方に大きな差があることを実感している。そういった生の情報をWEB口コミで探したうえで、自身が人身御供として使ってみないとわからない部分がある。

なんとなくの経験では、撮像素子が小さい割にガタイが大きいほど効く。

撮像素子が大きい割にガタイが小さいほど効かない。ような気がするが全てに当てはまるわけではなかった。

 

◆コンパクトカメラ>スマホ ②シャープネスの度合い

シャープネスを瞬時にかけるにはそれなりのCPUパワーが必要とされるだろうから、逆説的な言い方をすればスマホに対しパワーが少ないコンパクトカメラであればそれほどかからない? かどうかはわからないが、

これまで使ってきたデジタルのコンパクトカメラではスマホほどのシャープネスをデフォルト画像で感じたものはない。

乏しい経験をベースに独断するのは危険だが、スマホの人工的解像感ギンギンに辟易してきたらコンパクトカメラを持つというのは良いと思う。全てがクリアでないが自然、という見た時のイメージに出会える可能性がある。

また、コンパクトカメラの範疇に入りながら撮影時にシャープネスを変更できる機種を検討するのも一考である。その分、値段が全然コンパクトでなかったりするが。

 

◆コンパクトカメラとスマホの共同 = 転送アプリ

以上は、スマホの弱点の裏側としてのコンパクトカメラの残された可能性をみてきたが、今どきの写真野郎としてはスマホによって実現された写真の新しい使い方すなわち送信共有について「いや、それできないよ」では困る。

コンパクトカメラで撮影したとしても、それがすぐ通信可能なことが要求される。

そのために、ここでスマホとの共同作業が発生する。

スマホこそが現在の通信の基地であるためである。

 

カメラからスマホへと、いかに簡単に確実に画像を転送できるかが大事であり、どのカメラメーカーもそのためのアプリを提供しているのでここは問題ない。

だが詳細にみると、WIFIを使わずにbluetoothでも送れるもの、送る画像を選択しなくても自動的に送るもの など各カメラメーカー毎に使い勝手に差があるので使うカメラのメーカーを選択するときにはカメラからスマホに転送するアプリのことも知っといたほうが良いと思う。

 

◆コンパクトカメラの操作性

補足としてスマホとカメラの違いをもう一つ挙げるとすると、それは操作性である。

別の言い方すれば、操作するときに何に触れるか。

 

スマホは、物理キーなりスイッチがほとんどなく操作は画面ディスプレイのタッチが主であることが一つの特徴である。

一方、コンパクトカメラにはシャッターボタンはもちろんのこと、各種設定のためのダイヤルやレンズのズームスイッチなど手で押したり回したりする物理スイッチが多い。それをもってコンパクトカメラの扱いやすさに結びつける向きもあるが、所詮はコンパクトカメラの小ささからして簡単な操作で済ませられることに越したことはない。

そういう意味で、操作性や操作感うんぬんのプライオリティをあげるならば最初からコンパクトカメラを使わずにレンズ交換式カメラを使えば良いと思う。押したり回したりの操作のし易さとか楽しさとかは小さなボディでは最初は面白いがやがて窮屈すぎて億劫になる。

シャッターさえ押せばどんな時でも写る、これが小さなカメラに期待することでありそこの母数が多いからこそスマホのカメラ機能がここまで盛んになってきたことを思えば、簡単な操作だけで自然な写りと望遠撮影ができればコンパクトカメラの意義は十分ある。

 

しかし、望遠はできるしファインダーもあるというコンパクトカメラになると、そこそこに操作ボタンや機能も欲張ってついている。いかに簡便にとれるかを目指そうとすると、こちらの知識や経験が要るという何だかわけわからないことになってしまう。

 

◆私の今どきベスト = ニコンA1000

ここまで、今どきのコンパクトカメラの生きる価値として、望遠性能が高いこと、シャープネスが自然あるいは調整ができること といったスマホにない利点を持ち、同時に転送ソフトや操作し易さなどスマホ同等の簡便性を備えていることを挙げてきた。

 

グイーンと望遠ができてファインダーがまがりなりにも付いているという形態をコンパクトカメラとして探すと、ソニーパナソニックニコン・キャノンあたりから数機種がしぼり込まれるが、そのうちに私が使ったことのある2機種について感想を述べて最後にする。

 

一つはソニーのRX100M6。

これは望遠が200mmまで効き、撮影時にシャープネスの調整ができる。コンパクトカメラとしては大きな1インチの撮像素子を備える。見た目もカッコインテグラ

カメラの記事媒体では結構ベタ褒めされている機種である。いわく、ミラーレス並の写真がこの大きさで撮れるとか。

 

使ってみた印象では

・手ブレ補正が弱く、せっかくの望遠200mmが活かしづらい。通常の標準域でも暗い環境で撮影すると手ブレを起こしやすい。

・素子は1インチではあるが、画質はその上の4/3インチよりも1/2.3インチ素子に近い。これはむしろ1/2.3インチの方の性能を褒めるべきかもしれない。

・ファインダーや背面液晶は見やすい。

スマホとの連携の手順がわかりづらい。

といったところ。

手ブレ補正の弱さにその他に良いところがあっても全て引っ張られている。ひょっとしたら私の個体の問題かも知れないが、それ以外にも1インチが特にすぐれた画質を提供するわけでもないとわかったので使用頻度は低い。また、カメラとしてみたときの設定メニューの階層がわかりづらい。

 

もう一つ、望遠側のレンズを持ちデフォルトのシャープネスが適度なカメラとしてニコンのA1000を持っている。

このカメラを使ってみての印象は、

・手ブレ補正が良く効くので望遠域(~840mm)がそこそこ使える。

・レンズの描写が自然である。

スマホ連携ソフトが使いやすい。というか余計な事を考えずにできる。

・ファインダーや背面液晶の質は辛口で言うと「付いている」程度。しかし、SDカードをパソコンにいれて画像をみると1/2.3インチ素子ながらその描写に驚く。(ちなみにアイフォン12の撮像素子は1/2.55インチらしい。あまり変わらない。)

といった具合である。

せめて背面液晶の質をもっと良くしておけばそこそこ売れたのではないかと思わせる。ここの再生画像の表示の悪さ(黄色っぽく、コントラスト・色・解像度の再現がどれも萎えるレベル)がカメラ全体が悪いかのような誤解を生ませていて残念。

 

なお、A1000についてはときおり画面中央に赤いゴーストが発生することがある。これは光の入る向きに対してカメラの向きを変えると回避できるのであるが、あまりにはっきりしたゴーストのため諸所記事で叩かれて印象を悪くしている。

A1000を絶対買うなという動画もあったりして概してレビュー評価は芳しくない。そのせいか、1年ほど前に直販で安い値が出たあとはディスコンになってしまった。

(今では中古でしか手に入らないが、その価格は新品最終価格の2倍になっている)

 

また、このA1000は背面のグリグリダイヤルが壊れたので修理に出した。

その時の修理費が2万円。カメラを買った価格の半分近く、その修理費の8割が工賃であった。

たぶん、カメラを組み立てる時も部品代よりも工賃の方が高くつくことだろう。

一方、スマホはその構造のシンプルさから製造費用の多くをCPUの設計と部品に振り分けていることは想像に難くない。

そりゃあスマホでキレイな写真が撮れるはずだ。

 

以上です。

Z7Ⅱを使った感想:動体も動画も撮らない一人として。

iphone12

◆今、使っているカメラ と そうでないカメラ

今回は、23年現在で使っているカメラについてお話しようと思います。

ニコンのZ7Ⅱです。 

 

隣はファインダー付きコンパクトカメラのA1000。

840mmまでの望遠を楽しめてISO1200くらいまでなら十分綺麗な画質です。手ブレ補正も強力。RAW保存もできるので重宝しています。

ただ、背面の設定グリグリが接触不良を起こし修理に出すのが億劫で使用頻度は減りました。

 

この他に

持ってはいるけど積極的に使っていないカメラというのが4つあります。

ニコン Zfc

ニコン Nikon1 J3

・SONY RX100M6

コンタックス RXⅡ

 

Zfc;軽くてスマホ転送も簡単なことから家族が使う頻度の方が多くなりました。

Nikon1;ミラーレスカメラ幕開け時代の製品で今となっては古い。標準レンズの出来が良いため手放す決心がなかなかつかずに今でも手元に残っています。

RX100M6;24〜200mmのズームレンズそれに見易いファインダーを備えてます。 使った感触でいうと手ブレ補正の効きが弱くまたISO1000を超えるとノイズがバーッと出始めることから明るい野外とか使えるシーンを選ぶカメラです。 その野外にしても、撮像素子が小さいA1000の方が自分には綺麗に見えるので使わなくなりました。

RXⅡ;フィルムカメラ時代に一番使ったカメラ。フィルムが値上がりしたりデジカメ側の画質が向上したので今では出番無し。空シャッター時のシャコン音が心地良く時々いじってます。

 

所有でいうとiphone12を入れて7台、その中でニコンが4台を占めてますが昔からニコン一辺倒だったわけではありません。

常用カメラがキャノン2台だったことも、コンタックス2台だったことも、ペンタックス3台だったこともあります。

 

その時々で、操作性と画質の安定性を優先して今はニコンが自分にとって相性が良いのでこうなりました。

それぞれのカメラの印象は、このブログの中で1台毎に購入経緯や使用感そして時に私的な思い出を含んで記事にしています。48台あります。たとえばニコンのD750は下記になります。

 

◆私的お断り:使う用途はすごーく狭いです

ここで、どういう用途で今のカメラを使っているかをお話ししておきます。

 

昔はカメラは写真を撮るためだけの道具でした。それも動いているものではなく止まっているものを撮る。一般人の場合。

子供が動き回るようなら、「正座しておけ。まばたきしたら夕食ぬきだ。」みたいな感じで人形のように静止させてから撮っていました。そこで、撮る親父の方がレンズキャップをつけたままだとかフィルムを入れ忘れたとかでマゴマゴしていると子供はドンドン悲惨な身体的状況に追い込まれホントに人形のようになってしまう、という景色を日本津々浦々で見かけました。

 

どうしても動いている子供を撮りたい、という時にはビデオカメラ。動いているものをおさめるのだから動いている状態でおさめるというごく健全な発想です。しかし、ビデオを構える手もプルプル動くためテレビで見るとブレブレでウチの子か全く知らないお子ちゃまか見分けがつかない。なので、手ブレ防止機構ブレンビーとか出てきたのは記憶に新しい。

 

ところが、自動焦点が一眼レフでも現実的になり、その延長で動体予測レンズ焦点駆動が出始めるとこれまでとは180度反転して「カメラで動いているモノを撮るのが当然」みたいな輩が一般人カメラマンの中に出始める。駅員の制止が聞こえないフリして特急ツバメを狙う、暗い体育館で300mmF2.8を振り回す。

これがフイルムの頃は、なんだかんだ言っても連写で消費したコマ数がもったいない(大体がゴミになる)という庶民的感覚が働き主流にはならなかったものの、デジタルカメラの時代になると一変しました。コマをいくら連写しようがタダなのでカメラはどんどん動体予測AFと連写性能それに手ブレ補正効果を上げる方向に進んできました。その恩恵として、「犬が走っ来て4足ともに地面から浮いている空中浮遊写真」が誰でも撮れるようになりました。

また、記録媒体の容量が増え撮像素子の発熱対策が進むと、動体の一瞬とは別に動画そのものも撮れるようになり現在に至っています。動体にせよ動画にせよ動きまわる対象を捕捉するのが難しいので、それさえも自動でやってしまう被写体認識機能が一般化してきました。

 

動体予測駆動、連写性能、手ブレ補正、被写体認識。 ニコンFGを構えていた頃からは想像できない新機能がもはや普通になってきていて、Z7Ⅱにも付いています。

 

自分はカメラを構えても動体を撮ることも動画もとることも無く、止まったものを昔から変わらずパチパチしています。猫。こいつは動きますが、止まったところしか撮らないので大抵は目をつむっています。

そして、背面液晶は使わずファインダーを覗いて撮ります。

 

そんな時代から取り残された使い方で、Z7Ⅱは何が嬉しいのか、あるいは足りないのか。

 

では、1年以上使った個人的な印象をツラツラしていきます。

止まったものをパチパチ撮る。そんな使い方でどうなのか。

 

◆嬉しいところ

は、他社のミラーレスカメラでも実現している機種があります。

は、おそらく同じZマウンドのZ6Ⅱ共通仕様と思います。

は、Z7Ⅱだからのところ。です。

は、改善もしくは向上すれば と感じているもの。

 

 可搬性:小さいのが嬉しい。

重さの軽重よりも何より寸法が小さいことが嬉しい。横幅134mm。フイルム時代のリトルニコンEMが134.5mm、それよりも小さいんです。

高さはEMの86mmに対し100mmですが、24−120F4ズームを装着してもいつものメッセンジャーバッグに収まる。→いつも持ち出せます。

フイルムの頃のイメージでは写真が大伸ばしできるほどカメラもでかい。ところが、この小ささで精緻で滑らかな写真をはきだすというギャップが気持ちインテグラ

 操作性:瞳検出の精度が良くて嬉しい。

猫と人の瞳検出精度は4500万画素の高精細画像を拡大してみてもピントが合っているので安心して使えています。検出が遅れるとかもありません。

ただし、横を向いている時でも瞳は無理でも顔検出してほしいです。猫や日本人は犬や欧米人と違い横向くといきなり平面になるので難しいですが、他社では出来ているようです。

操作性:バッテリを入れたままUSB-C充電できるのが嬉しい。

これは今のカメラであれば当然の仕様だと思います。端子がマイクロUSBでなくUSB-Cなのも対破壊性の点で当然です。(話それますが、ZFcがZ50より好ましい理由がこれです。ZFcは水平垂直ガイドも控えめになっていてZ50より改善したところが意外と多いです。)

操作性:再生ボタンと消去ボタンが隣同士で嬉しい。

撮影した画像を再生ボタンで確認するときには、要らない画像を消去するという整理と同時なのでこの2つのボタンは左右に並んでいると使いやすいです。

右手側にボタンがあった方がファインダ-を覗きながら作業できますが、このカメラは左側にあります。万が一の誤操作を考えると、頻繁に使う右手側よりも今ある左手側にある方が好きです。

操作性 & 作画性:ホワイトバランスのケルビン合わせし易さが嬉しい。

Z7Ⅱのオートホワイトバランスは良く合います。それでも、自分でケルビン合わせをしたいときにファインダーでその変化を直に確認できるのはミラーレスならではの利点です。

作画性:4500万画素が嬉しい。

精緻な画像が残るので撮ったあとで拡大したときの喜びが大きい。それが画素数の少ないPCのディスプレイに表示してどうかは別にして。

実用面としては1.5倍にクロップしてもまだ精細なため、単焦点レンズを2焦点レンズ、ズームレンズなら望遠端延長として問題なく使えることが嬉しいです。

作画性:機械式シャッタ-と電子シャッターを選べるのが嬉しい。

静物を最小限の手ブレで撮影したいときは電子シャッター、反面、手ブレの気にならない高速シャッターを切るときやストロボを使う時は機械シャッターと撮影者側で選択できます。電子シャッターだけで高速シャッターまでローリング歪みなく賄おうとすると画像素子やCPU処理速度の点で価格向上と若干の画質低下を招くと思うので、選択することを面倒と思わなければ今の併用シャッターのままで十分です。

「所有感」:金属外装が嬉しい。

剛性感が触れてわかるのも嬉しいですが、気分的に長く使おうという気にさせてくれます。以前、プラボディのカメラを使っていた時に経年で塗装が剥げてくると見てはいけないものが出てきてしまった感があってゲンナリしました。金属が出てくるならばこれこそ道具という感じがしてワクワクすることでしょう。たぶん。

(個人事情)CFexpressカード媒体が嬉しい。

SDカードってカメラに差しているもの以外にも何だかんだとたくさんあって、どれに何がはいっているのかさっぱりわかりません。ですが、CFexpressカード。こんな値段の高いカードは持ったことが無いので、一発でZ7Ⅱでしか使わないヤツとわかる。これはコジツケみたいなもので、本当はSDカードの2枚差しでも良かったのにと思います。

 操作性:ンズが左に寄っているのが嬉しい。

Zマウントは径が大きいため横幅が小さいとカメラを保持したときに右手で持つグリップとの隙間が狭くなります。そこを、レンズ位置を左にギリギリ寄せることでスペース余裕を生んでいるのでカメラ保持が安定します。

 操作性:メインダイヤルが思い切り右にある(しかも上に露出している)のが嬉しい。

効き目が左目そして特にメガネ着用者の場合には、顔の右半分と干渉しないところにダイヤル・ボタン・レバーがないと操作が大変です。Z7Ⅱのメインダイヤルは横位置でも縦位置に構えても絶対に干渉しないところにありストレスありません。

 操作性:上面のサブ液晶が嬉しい。

カメラを首からぶら下げているだけで、ファインダーも背面液晶も見ずに露出補正や絞りを電源ONすればすぐ確認できる。この価格帯ではニコンだけはないでしょうか。Zfcのようにダイヤルの刻み文字で視認するよりも見やすいと思っています(また、専用ダイヤルをつけるとそれだけ軍幹部がゴチャゴチャして傍目の威圧感が増す気がする)。

 操作性:シャッターの底付きが無いのが嬉しい。

自分の感覚で押す寸前のタイミングを見極められるので。ただ、底付きがあった方が嬉しい人もいるとは思います。

操作性:iメニューボタンの位置とダイレクト操作が嬉しい。

それまで使っていたD750と違い、右手を普通にグリップして親指が届く位置にあるのですぐに押せます。そして、設定を変えたい項目を選んだらOKボタンとか押さずにすぐメインダイヤルまたはサブダイヤルでダイレクトに設定変更できる。このメインでもサブでもどちらでも変えれるというところがラクです。

操作性:オートエリアAFとターゲット追尾AFを一発切り替えできるのが嬉しい。

D750で多用していたAFモードが3D-トラッキングだったので、Z7Ⅱにこのモードが無いのが残念でした。その代わり、ニコンのコンパクトカメラには昔からあったターゲット追尾AFが独立のモードではなくオートエリアAFの付随モードとして備わっています。コンパクトカメラ版の印象からとても3D-トラッキングを代用できるものではないと思ってましたが、Z7Ⅱのものはシャッター半押しすればターゲットをとらえるように作動性が向上し、追従精度も3D-トラッキング同等に感じます。

それならば、オートエリアAFの付随ではなく独立のAFモードにしても良さそうですが、1年使ってみて付随だからこその利点がありました。それは、この2つのモードの切り替えがボタン一つで出来ることです。切り替えをたとえばfn1ボタンに割り当てておけば、通常は顔や瞳認識のオートエリアに設定しておいて、合わない時だけターゲットAFに即座に切り替えることが簡単です。

また、3D-トラッキングと違うところでいうとAF-CでないAF-Sの時にもターゲット追尾AFは使えるため、一枚撮りが主の身としては構図調整に重宝しています。

望むべくは、ターゲット枠の大きさを可変できたらと思います。そう、もう一回り小さければ言うことありません。

また、オートエリアAF自体の使い勝手でいうと、顔や瞳以外のものへの被写体認識はなかなか思い通りにいかないケースが多いです。ここは改善を希望する声は出てくるでしょうが、個人的には開発費用を回すなら純正ストロボとの連携(コマンド操作)が先と思っています。

視認性:ファイダー表示が自然に見えることが嬉しい。

ピント面に縦線や横線があるとデジタル画素数が今としては少ないのでジャギーが出ますが、それが些細な事に思えるほど見やすく目が疲れません。合焦からはずれたところの見せ方がなだらかで丁寧なためだと思います。

ファインダー倍率も高いので、50mmレンズが本当に素通しの画角感覚で見れます。

視認性:ファインダー内の水平垂直ガイドが控えめなのが嬉しい。

Z50にくらべてガイド表示が控えめになりました。おかげで、ファインダーに常時表示させても昔のMF一眼レフのスプリットプリズムに慣れた目には邪魔になりません。その結果、水平垂直のとれた写真を意識できます。

また、このガイドの中心点があるおかげで1点AFポイントが中心からどれだけ外れているかがわかります。

作画性:手ブレ補正が強力なのが嬉しい。

カタログ記載の数値ではなくこれまでに他社のボディ内手ぶれ補正カメラと実際に比較してみて、効きと安定性の両面で信頼できます。

作画性:ピクチャーコントロールのノーマルとスタンダードで色調が変化しないのが嬉しい。

この2つは色味は同じながら階調・シャープネス・コントラストが違うので通常スタンダードにしておいて、見たままのしっとり感をより残したければノーマルに切り替えています。

作画性:Zマウント 24−120 F4ズーム使えるのが嬉しい。

このズームレンズはF4の開放からどの焦点距離でも解像度と歪曲と周辺流れの点で「単焦点並に完全に使える」それでいて最短撮影距離が35cmと短い稀有な存在です。このレンズの存在だけでZマウントの価値を感じます。

ところで、Zマウントのレンズをいくつか買って使ってみた印象は製造品質が大変安定しているということです。他社のレンズでは時々見受けられたガタや片ボケ、露出ムラに遭遇したことがありません。そういう事に惑わされずに安心して使えます。

拡張性:ストロボSB-500が使えるのが嬉しい。

どちらかというと、SB-500の存在そのものが嬉しい。バウンスができてLEDがあり、何よりも単3電池が4本でなく2本で済む。つまり軽い。 そしてFP発光ができる。

惜しむらくはZ7Ⅱはストロボ内蔵でない=コマンダーモードが使えないので、SB-500をリモート発光できないことです。LEDでその代用というには光量が足りませんし、TTL延長ケーブルでは長さが限られます。

光コマンド信号だけでもアクセサリと追加機能で実現して欲しいですが、時代は無線コマンドに移っているので期待できないですね。

拡張性:延長グリップGR-Z1が使えるのが嬉しい。

24−120F4ズームでのホールディングがより安定します。小指が落ち着くだけでなく、このレンズと重量バランスがとれるので手に吸い付く感じになります。工具を使ったり電池室フタを外したりする必要なく簡単に手で脱着できるので単焦点で軽装したい時は外しておきます。

拡張性:ファインダーが角窓なのでDR-6が付くのが嬉しい。

丸窓の方が縦位置で覗いたときにはいいのかなとも思いますが、角形だとアングルファインダーのDR-6を使えます。これは脱着が丸窓タイプより簡単なのです。

利便性:スマホ連携アプリsnapbridgeが嬉しい。

画像を転送するときにWifiでつなぐ必要なくBluetooth接続なのがうれしい。そして2M縮小版が送れる。スマホとしての画像の使い方に向いています。また、接続エラーがなく安定した通信が今のところはできています。IOS版です。

「所有感」:軍艦部の背が低いのが嬉しい。

軍艦部が右から左まで一直線で、下からの高さが低いことでよりコンパクトな印象を受ける意匠になっています。D750の時はなで肩のおデブさんの風情、どちらかというとキ○ノン的だったところから、MF一眼レフだった頃のニコンに戻った気がして大変宜しい

LUMIX S-5Ⅱも似ていますが、あちらにはサブ液晶でなくダイヤルが並んでいるので私的な好みとしてはZ7Ⅱになります。また、Z7Ⅱの方が小さくその分凝縮感があります。

「所有感」:横から見たペンタ部造形が嬉しい。

正直、Z7&Z6のペンタ部を見たときには「やっちまった」と思いました。第2世代になってのっぺりしていた左右面へのつながりに稜線が入り俄然カッコインテグラになりました。横から見ると、アクセサリーシュー前端を起点に斜めに切り下がっておりシャープで美しい。もし第3世代があるならばこの造形はキープして欲しいです。

「所有感」:ダイヤル類のヘアライン無し処理が嬉しい。

こういうダイヤルの上面には大抵は放射状のヘアライン加工が入っているものですが、Z7Ⅱのコマンドダイヤルやモードダイヤルの上面にそれはなく半艶のブラック塗装一発です。これが刻まれたローレットの精緻な造形を引き立て惚れ惚れします。使い込んで塗装が剥がれた時にもさもありなんと思わせる処理です。

作画性:暗部の描写が丁寧なのが嬉しい。

静止画しか撮らないので動画はわかりませんが、主体である被写体と対比するように写した暗部をみると滑らかでノイズが目立ちません。そのため主体が浮き立ち異様な立体感があります。

作画性:高感度に強いのが嬉しい。

4500万画素の高画素にしては、の但し書きがつきますが恐らくはZ7から改善した部分だと思います。(WEB上で見たZ7作例を見ての印象です)

作画性:基準ISO64が嬉しい。

ISO64が基準感度、というと昔のコダクロームを思い出します。コダクロームが良い色を黄色とか赤とか出していたのでその類推でZ7Ⅱも良い色だろう、という勝手な思いです。それに、大変明るい晴天で単焦点開放絞りを使ったときにシャッターが1/8000でも心許ない時でも、最悪ISO32までなら落とせる、という保険にもなります。

なお、色についてはD750で初めてニコンのデジカメに触れてからの思いとして赤を濃くして欲しいと言う気持ちがあります。

 

最後に、ここだけは直して欲しいところがあります。

露出補正ボタンの位置。

どうしても指をおって窮屈にしないと押せない位置=シャッターボタンの右横についてます。

おそらくは、このカメラを使う人は露出簡易補正設定(メインダイヤル操作のデフォルトを露出補正に割り当てる設定)をすると見込んで、あえて誤操作を避けるために押しにくい位置につけたようにも見えます。しかし、ISOをオート設定にして絞りとシャッター速度をマニュアルモードにした時の露出補正はこのボタンを使わざるを得ないのでD750のように普通の位置にして欲しいです。

 

なお、Z7Ⅱを購入した時のいきさつや当時の印象をカメラ雑感の中にも書いています。いくつか上の内容と重複したところはご容赦ください。

 

こうしてZ7Ⅱの嬉しさを並べてみると

操作性の嬉しさが多いですが、その内容はミラーレスだからこそ又はZシリーズだからこそに被るモノでもあります。

 

では、Z7Ⅱならではの凄味は何か。それは画質です。

 

昔ならば大判のカラーネガで撮れていた世界を、この横幅がリトルニコンEMよりも小さなボディで撮れてしまうという驚きなのです。

 

◆Z8 触ってきました

ところで、23年5月に発売されたZ8に触ってきました。

第一印象は意外と軽い。大きなグリップが握りやすくそうさせているようでした。

その一方で、ややプラスチック感とか重心の座りの悪さとかも感じられ、これまで使ってきたカメラで似たものを探すとキャノンEOS100になります。ドヒャー、値段が違いすぎる。

好みとしてはZ7Ⅱです。

静止画画質が劣らないのであれば、

ニコンFGに初めて触れた時の喜びを思い出させてくれたのがこのカメラだからです。

重心の座り。これ、大切だと思いました。

 

23年6月13日。

 

 

 

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ニコンZ7Ⅱ 24-120mm F4

◆上の画像

これはニコンのミラーレスカメラで撮った飼い猫の写真3枚をスマホ(iphone12)に転送し、PictFrameという写真枠設定アプリで一つに集めたもの。知り合いにLINEで猫の様子を知らせるために使った。

 

猫の表情の違いを強調するために、3枚それぞれの後ろの背景を白抜きで消している。

 

白抜き。

ポートレートに代表されるように主題にのみピントを合わせてその周りの景色をぼかす撮影方法があるが、それどころかもはや主題だけ=背景を消してしまうという技である。

 

こうなると、写真というよりもコラージュに近くなる。後ろが写ってなければ真実を表しているとはいえないからだ。

しかし、この真実を表していない加工した有りようだからこそ、実際にその場にいたときに感じた猫の表情の豊かさを伝えられた とも思う。

 

◆伝えるものの中身

私の昔からの頭の中にあった写真とは、自分の目に見えた光景そのままの様子を写し取ったものであった。

 

しかし、そうしようと努力しても、自分の腕、カメラやレンズの性能、フィルムやデジタル素子の限界によってそのままが写るということはなかった。

ボケていたり、光が足りなかったり、逆に飛んでいたり、ブレブレだったり、発色がくすんでいたり。

 

その対処としては、自分が撮り慣れて手ブレ・ピントズレ・露出ズレを減らすことが第一。

それでも、簡易的なコンパクトカメラだと固定焦点&固定露出でどうにもやりようが無いのでそれ相応にコントロールの効くカメラ機材を使うことも必要になる。

そして、その時々で機材を選んできたつもりでいても、たとえば昔の一眼レフの手動焦点のためのスプリットプリズムやマット面はどう転んでも今のミラーレス機の素子単位でピントを検出する自動焦点には精度の点で全く敵わなかった。

 

自動露出、自動焦点、手ブレ補正、高感度での発色向上などカメラ側の進歩に助けられながら見たまんま光景に近づける写真が昔よりも撮れるようにはなった。気がする。

 

それでもイマイチ感はある。ここは、デジタル化の恩恵に授かりパソコンやスマホで色調やトーンをチョコチョコとコントロールして近づける。

カメラで写す前の光景が真実(と思っている)なのに、写した後はそうでないことがある。だから近づける。加工もする。

 

こうした目に見えた光景に近づけるという一点に向かい、私のカメラ趣味は空回りして過ぎていった。

 

で、白抜き。

これは目に見えた光景そのものではない。 これを私はどう捉えたら良いのか。

 

◆写真物

どう捉えたかというと、これは光景ではない、モノであると捉えた。具体的には色んな表情をした飼い猫上半身が写っているモノ。背景が写ってないので写真でなく写真物。

 写真物。 今造った言葉。

 

周りを見渡すと、背景を白抜きした写真物はたくさんある。

amazonのページを見てみれば、猫のキャットフードもニコンの最新型カメラも靴下も

ぜ〜んぶモノの背景が白抜きしてある。そりゃ、モノを知るのが目的だがら当たり前である。

バックが水色やピンク色をしている化粧品ポスターも写真物に含める。

ネットでの買い物が普通になってくると、写真よりも写真物を目にする機会の方が断然多くなってきた。

 

◆写真

写真=背景があるもの という強引な見方がなぜもっともらしく聞こえるかというと、写真は対象をキャッチするのでなく光をキャッチするものだからかもしれない。

 

濃淡も光、色も光、形も光によって生まれる。

そして、光の特徴は、遮るものがなければどこにでも行き渡ること。

なので背景を消すと、この、どこにでも行き渡る光ではもはや無くなってしまう。

 

もう一つの特徴は、光は2度と同じありようをしないということ。時間を内含している。

いやいや、スタジオで照明をずっと点けていれば同じ状態が続く、ように思えるがどこからかもれてくる外光までは制御できない。外光まで閉した中ではどうか? となればそれは時間が消えているといえる。そして、その有り様はすでに写す対象がモノにいってしまっている。

 

絵画とは違う、写真の持つ凄さというのは、この光や時間といった写す側がどうしても受け身にならざるを得ない事象を相手にしているということだと思う。

受け身にならざるをえないのでモロい。しかし、モロいはずなのに成立しているところに何か奇跡に似たゾクゾクを感じてしまう。どうにもならない得体の知れない感じというか。

 

さて。

絵の方が健全で伝え易いという例。昆虫図鑑(昭和45年頃)。

虫の多くは写真でなく絵で描いてあった。そして、ここぞというページしか写真が無かった。カブトムシのオス同士の戦いとかカイコが糸を出している養蚕場の一部とか。

モノであることを伝えるのに写真である必要はなく、むしろ背景がそもそも無い絵の方が伝わり易いのでそうなっていたと思う。そこにはキリギリスもカナブンも絵でしか少年達は知らないのであるが、実物のカナブンをみたら皆がカナブン!と言うほどに、絵は的確に事物を指し示すことができた。

例2。漫画。

ニャロメを描け。と言われて、背景を含んで描く人はいない。大抵は、耳がでかくて歯が一本でのどちんこがあるアレを描くはずである。絵になると時間の観念が希薄になるので、少年サンデーを借りてきて「今日でニャロメは何才になった」とか気にする少年もいなかった。

まあ、漫画とかニャロメとか引き合いに出さなくても、絵画にはuncontrollableな印象はあまりない。

 

そう、絵画は伝わることが第一である気がする。

その伝えたいものが事物なのか、画家の思いなのかは別にして。

これは写真でない写真物にも通じる。

 

写真は、見た時の光景をとらえるもの。そして、光景には時間もふくめ何か得体の知れない自分では制御できないものが入り込んでしまうゾクゾク感があるもの。そのゾクゾクをその場にいた時の気持ちに近く表すことが写真のひとつの方向と思う。

 

一方、写真物は対象を伝えるもの。どちらかというとその心持ちとしては絵画である。

カメラで写した時、それが写し手にとって伝えたいものであればあるほど、それは受け手にとってはオエッチョになることがある。(例。年賀状の子供の写真)

 

◆今

今はゾクゾクよりも伝えることが大事な時代であり、その最たるものがスマホである。

なので写真がどんどん光景である原点を離れて(白抜きはしないにしても)写真物に傾いていっている。

 

そんなことない、軽井沢ナウ!をスマホのレンズでとって送ってくるとき時間がナウ!として刻まれているではないか。といったところで、その時間は撮り手がコントロールというか意識した時間であり、写真本来がもつ得体の知れない光、得体のしれない時間とは別物である。

 

現象学の言葉にアポケーというのがある。その延長でカメラを構えれば、いまよりも自分の納得できる写真をあたかもゾーンに入ったような気持ちで撮影できる日が来るのはないか。

来ない方の確率の方が高いが。

 

23年6月4日。