まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その34.Nikon1 J3 人を撮る写真機

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◆出会い

1インチの撮像素子を積んだミラーレスデジカメ、Nikon1_J3。これも、プラプラとアウトレットをうろついていた時に購入しました。革の専用ケースとズームレンズがついて市価の半額程度。アイボリーの光沢あるボディは機械というよりもスマートフォンウォークマンのような電子小物の雰囲気がありました。あの精密カメラFM2を作ったニッポン企業ニコンの製品とは思えません。

小さいボディながらレンズ交換を楽しめるという意味ではペンタックスのQシリーズに通じるものですが、露出のモードダイヤルが省かれていたりするのでカメラ操作よりも写真を楽しむための道具だと感じました。

◆写した感想

 第一印象では、250gと軽いにも関わらずオートフォーカススマートメディアへの保存の素早さに驚きました。この大きさや軽さはレンズ一体式のコンパクトデジカメに近いので、それら機種に特有のモッサリ感をついイメージしてしまうのですが、全然違う。キビキビ動く。

撮影するときに見る液晶はやはりニコンらしく少し黄色がかっています。しかし、精細で色のノリも中庸なので撮影することが楽しくなりました。対象をじっくりと観察しようとする気にさせます。

ただ、セットでついてきたズームレンズは沈胴式のためいざ撮影しようとするとボタンを押して引き出さねばならず、更にはそこから吐き出される画質も線が太いので早晩このレンズは使わなくなりました。

その代りに買い足したのが、18.5mm(35mm換算 約50mm)の単焦点レンズです。ニコンが力を入れたレンズとは聞いていましたが、実際に使ってみると、開放のf1.8からピント面が立つ解像度を持っているので1インチと小さい撮像素子とはいえ十分にボケとの距離感を感じることができました。

このレンズは、細密感はあっても描写の傾向も固くならず柔らかいので昔のフィルムカメラの延長のようにしっとりした写真を残すことが出来ます。

それだけでなく、最短で20cmまで寄れるので虫や花を撮る時にも強い。キリギリスとかクツワムシとかカメムシとか、その辺の食べても美味しくなさそうな虫が結構リアルに撮れます。撮ったあと、その写真をどう使うかというと使い道はないのであるが。

◆人を撮る写真機

なんといってもこのレンズをつけたNikon1が最も適しているのは人を撮るときです。

というのは、大きさが小さい上に無骨な黒色でなくホンワカしたアイボリ色をしているので撮られる人に緊張を強いることがない。バシャッと跳ね上がるミラーが付いて無いばかりか、そもそも電子式シャッターなので切ったときに金属音がしない(撮られる人が無意識にビクッとしない)。

そして重要なのは見た目が安っぽくも派手っぽくもないことです。これは重要なことで、「ち、スマートフォンよりみみっちい写ルンですでワシのことを撮るでごわすか」とガッカリさせたり、「でっかい機械持ち出してなんばしよっとですか」と警戒させたりすることなく、「よかよか、どげんでも写真とりんしゃい」と思わせられるカメラはそうそうありません。普通の人は、そこそこの大きさのレンズを向けられる機会が滅多にないので、その場合に出来てきた写真を見るとジャガイモのように歪んだ形に顔が写っていることが多いですが、その原因はガッカリしてるか緊張してるかで、どんな表情をとったら良いか思考停止に陥っている間に撮り手にパシャッとされてしまうからです。「アウッ」と感じる間もなく、いつの間にかイモのようにクシャッとした表情が永遠の記録として保存されてしまう。そこから自分は写真写りが悪いと思い込み、次に撮られる時は異様にハイに顔をゆがめたヒョットコみたいな表情をさらけ出してしまう。。。

Nikon1では相手が自然な表情でいられるので、このような何世紀も繰り返されてきた悲劇とは無縁なのです。

一方、レンズ交換できることから、いろいろ撮影テクニックを駆使したい、という人には向いていません。何しろ、絞り優先からマニュアル露出に撮影モードを変えるだけでも、デジカメ本体を見ただけではどこをどういじったら良いのかわからないほどオート志向の操作設計をしているからです。また、この頃のニコンのデジカメ全般にいえるかもしれませんが、メニューの階層がわかりづらくて余りソコに立ち入ってアレコレする気も起きません。ただ、露出補正とホワイトバンランスくらいは、独立のボタンで操作できたら良かったのにと思います。出来上がりの写真を自分のイメージに近づけるのにこの二つは重要なので。

しかし。この二つは重要などと感じるのは、限られた人だけかもしれません。というのは、撮ったあとでいかようにでも修正や加工ができる時代になったからです。ライトルームのような専用ソフトでなくても、マックについてる写真管理ソフトでも十分出来る。それも、RAWで撮らなくてもJPEG画像から普通にイジる範囲なら何ら破綻せず出来る。そういう使い方までニコンが想定していたとは思えませんが、写真は撮る前にイメージを決め込まねばならない、というポジフィルムの呪縛に囚われていてはナウ(今時)なヤング(若者)のハート(気持ち)をベリグー(的確)に掴むことは難しいかもしれません。

◆来るべきスマートフォンとの闘い 

このカメラが出た頃は、コンパクトデジカメは高級な部類であっても1/1.7の撮像素子が最大だったのに対し、2017年の現在は1インチやAPS-Cといった大きなものが普通になってきました。そうすると、1インチで1400万画素のデジカメから出る絵のレベルは相対的に低くなるような印象を受ける。実際はそんなことなく立派な写真が撮れても、そう思われてしまう。つまり、Nikon1は1インチに留めたおかげでこの小ささに納まったにも関わらず、1インチに留めたせいで大したことないと先入観が持たれてしまっている気がします。それが証拠に、ミラーレスにAPS-Cを採用したキャノンとは大きく水を開けられてしまっており、Nikon1シリーズもここしばらくは新しいモデルが出ていない寂しい状況。

しかし1インチだからこそ、f1.8で撮ってもピント面以外が全て収差で飛ぶということがなく見た目に近い立体感と奥行きを持つことが出来ていることを考えると残念です。この撮像素子、このレンズでしか撮れない世界が確実にある気がします。

さて、更にまわりに目を向けると、最近のスマートフォンの写真撮影性能の高さ。くっきり見えるという点では十分使えるレベルに達しています。そうなると敢えてカメラを持つ動機としては、持っていて楽しい、もっと言うと持っている自分の所有欲を満たすモノであることが必須になってきます。所有欲というのは、持ったあとでなく持つ前に出てくるものなので、持ってからでないとわからない人物撮影のし易さやキビキビした動作はなかなか伝わらないだろうなあ=売れにくいだろうなあ と思います。持つ前のイメージとして、Nikon1のJ3はカメラという機械的存在感をむしろ消す方向、電子小物との違いを感じさせないような製品であるからです。その電子小物の権化であるスマートフォンが「撮影する」という機能を持つ人にとって満足できるところまで果たすようになった今では、電子小物狙いのデジカメにはむしろダブリ感を感じるだけ。ならば撮って送って便利な方が一つあれば済むことになってしまう。

◆いまでもバリバリ現役

このデジカメをペンタックス一眼と比較してしまうと、撮る人に寄り添う操作系とは設計志向がまるで違うことを思い知らされるので、写りは良くても持ち出すには。。。

とはならずに、実は今でもバリバリに使っています。正しく言うと使われています。

妻が18.5mmをつけた時の写真の撮り易さや仕上がりに満足しており、どこか行くときには必ず持ち出しているからです。

その写真を見ると、ハッとするくらい良く撮れているものが多い。何を良いと見るかの基準はいろいろありますが、例えて言うならフィルムの頃に撮られた写真が醸し出す情感が写っています。写されたモノ、写した側、双方がシンクロした時に出るアレです。結果として「残る写真、いつまでたっても賞味期限が来ない写真」になっているのです。

それだけではなく、このデジカメを持つことで光景を切り取る気持ち(ハート)が高揚するためなのか、あれ、イイ物も見つけているなあ と感心することも多い。

軽く、写りも良く、なんといってもキビキビしているのでストレスがない。そして、撮る人にも撮られるモノや人にも優しさを与える。良くできたミラーレスです。

まわりの環境がどう変わろうとも、このデジカメでこそ撮れる世界があります。

Nikon1シリーズが、これからも途切れることがないよう願いながらこの文を終えたいと思います。

◇次回:とうとう出てしまった、独立自尊写真機。