まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その29.K-01 まさに暗室

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 ◆出会い

このデジカメは発売からそれほど月がたたないのに価格がみるみる下降していき、2万9千円になった頃に手に入れました。必要だから買うというより3万円以下でこんなユニークなのが買える、と思うと手を出してしまう悪いクセ。昔、6000円くらいした2枚組のレコードが、同じアルバム内容でCD2980円になっているとつい買ってしまったのと似ている。「298」という数字の並びに、なぜか引き寄せられてしまう悪い病気のせいで、ああ、買ってしまった。そんなデジカメでした。

◆唯一無比の形態

では、なにがユニークかというと、これミラーレス一眼です。それでもってAPS-C。ここまでは普通ですが、マウントとフランジバックが一眼レフと同じまま、というのが凄い。ペンタックス以外のメーカでは絶対やらないでしょう。ミラーが無い分、撮像素子とレンズの間を詰めボディを薄く可搬性良くデザインできるのがミラーレスの利点でもあるわけですから。ミラーが無いからといって、そこにカポッと穴を空けたままにしているというのは、中から三枝師匠が「いらっしゃい」と出てきそうでソワソワと落ち着かない気持ちになるのが普通です。ミラーレスを作ったというより、ミラーを外してコストダウンと手抜きをはかったとみられてもしかたない。何しろ、中は本当にガランドウ(西城秀樹的にはギャランドゥ)、これぞ暗室ですから。

そのためボディはミラーレスという言葉とは無縁に分厚く、ファインダ-の出っ張りがないからレンガのようにみえます。ただ、もし電子ファインダ-がこれについていたら、ひょっとして一眼レフよりガタイが大きくなってしまうかもしれず、それはそれで不気味だろうことは容易に想像つくのでこのレンガに留めたのは正解だと思います。

そして、マークニューソンなるデザイナーの手により、つまみやボディの造形に1970年代を思い起こさせるシンプルな造形が取り入れられていて、その形状やボタンの色分けのセンスが好きでした。ガランドウのレンガのくせに、外見に安っぽさも加飾過剰なところも無いのです。見た目だけでなく、モードダイヤルなどは50年まわし続けていたくなるほど感触が良いものでした。

◆手抜きなのか、理にかなっているのか

一見、手抜きにしかみえない構造ですが、それで何が嬉しいかというとペンタックスのKマウントレンズがそのまま付くこと。

一眼レフの話になりますが、ペンタックスオートフォーカスは速度もそこそこだが、精度がk-5に至っても甘く、撮影したあとでピントがまともに合っているかどうかを背面液晶で確認するみたいなことをチマチマしなければいけない。

それがいやなら、k-5の撮影モードをファインダで合わせるのでなく、撮像素子そのものでコントラスト合焦する方法をとれば高いピント精度が得られますが、そのモードに切り替える時や撮影が終わった時にミラー周辺からギャオギャオという壊れそうな音が聞こえ、同時にバッテリもみるみる減っていくのでおいそれとは使えない禁断の技のイメージがありました。

そこで、ギャオギャオ唸っているミラー作動系そのものを取っ払って、電源管理を撮像素子での合焦に特化したものに変更すれば、kマウントレンズの実力を高いピント精度でいかんなく発揮することができます。ということなのかどうか。

実際に撮影してみると、確かにピントの安心感は高い。手ブレ補正が働いている作動音がかすかに聞こえるのも、単なる箱ではない感じがしてよい。そして、最後に画質。

これがk-5よりもむしろクリアに感じる調整がされているのか、ペンタックスの一眼レフ同等以上の綺麗な写真が撮れました。絵に仕上げる時のチューニングが違うと感じました。

撮影中はミラーレスを手にしているというよりは、ウェストレベルの2眼カメラの画像を見る部分が地面に水平でなく垂直になっている、それを操作しているような錯覚に陥りました。恐らく、分厚い幅を持つ感覚がそうさせていたのかもしれません。

ミラーを取っ払うという暴挙に出たK-01ではあったが、しっかりしたピントと画質を提供しつつ写真を撮影する楽しみも不思議と犠牲にしてないデジカメだったといえます。ただ、一眼レフの位相差オートフォーカスでキャノン並に精度があったならば、ミラーレスになってフォーカスが安定する嬉しさに感激することもそんなにないかもしれません。

k-01ならではの良いところをもう一つ言うと、シグマやタムロンのレンズが安心して使えることです。一眼レフについている位相差フォーカスというのは、見えているボケ像から合焦点までの駆動量を予測計算してピントを出していると聞いた覚えがあります。それが事実だとしたら、フォーカスの時にレンズ個々のクセというか情報も計算のために必要と思うが、自社製でないレンズのクセまで拾うことをカメラメーカがするとは思えません。そのためなのか、一眼レフだとサードパーティのレンズでオートフォーカスを合わせるのは結構大変、というか、むしろ外れる経験が多かったのですが、k-01は届いた光をコントラスト検出するので、測光時の開放絞りと合わせた絞り値との違いで生まれる収差が被写界深度に入っていれば確実にピントが合ってました。

ただ、やはりファインダで像になる前の「ナマ」を確認しておきたい衝動はなんともおさえがたく、このようにミラーレスのデジカメをアレコレ冷静に見ておけるのも、手元に一眼レフがあるからです。ミラーの動きは「ナマ」と「結果」を仕切る一つの儀式を代行しているともいえます。「ナマ」が目に届く一眼レフをついつい求めてしまうのは、キャノンFTbを使っていた頃から経験してきたミラーショック、そこに世界を分かつ合図をいまだに感じ取ろうとしているからかもしれません。

◆ミラーレスならではの使い方:反省

純粋にミラーレスとして見た場合、k-01の液晶は日中では晴天でなくても見づらく感じました。そこがやはり、一眼レフを覗く時の楽しさとは違う。

しかし、これは今にしてわかったことですが、液晶の輝度を設定で思い切りあげてやると日中でも像を確認しやすくなります。これをやるとやらないとでは、え!と思うくらいの大きな差があります。というのを、つい1年前に別のデジカメをいじっている時に発見しました。もし、k-01を使っていた頃にこのことに気づいていたらと思いますが、ミラーレスとは使いこなすものではなく、誰でも使えて当然のものとタカをくくっっていたからいじって何とかしようなど考えもせず。仕方ありませんでした。

◇次回:そのデジカメ、単3電池で動くんです。