まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その20.京セラTズーム 強化学反応

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◆出会い

前回書いたLUMIXのように、デジカメの中にはフィルムと全く遜色ないプリントを楽しめるものが出てきました。そうすると、失敗したコマも含めてフィルム料金というものが発生する従来のコンパクトカメラは自然と減っていく。そんな先細りの中、2002年にコンタックスの京セラからTズームが発売されました。

コンタックスRXとプラナー50mmが醸し出す余裕ある描写が気に入っていた身としては、バリオテッサーを冠するこのカメラのツァイス魂をついつい試したくなる。その裏には、LUMIXの画質に驚いた反動で、いや、フィルムカメラだって同じズームコンパクトで負けていないものがあるはず、と思いたい気持ちもありました。

◆操作感・デザイン

日常を撮るカメラとして、操作感は非常に良好。ストロボや露出の設定は背面の上側にボタンが横に並んでいるのですが、上面の液晶と位置が近いために直観的に使えました。電源を入れたあとレンズがニューと伸びるのはこの手のズームの常とはいえ、その伸び代が短いためにスグに撮影に入れる気がしました。

そして、この、少しレンズが伸びた状態での形体がカッコ良い。ファインダ、AF窓、ストロボ発光部、ゴムグリップがあるべき場所に自然に配置され、をの中心にレンズがある。ボディはガンメタで真っ黒でない分、普通の道具として気押されなく使える雰囲気を持ちつつ、ボディ全面のヒヤリとした金属触感は同時に機械であることを主張します。

機能的には、F4.5~8の開放絞り、1/360秒に留まる最高シャッター速度、最短撮影距離はマクロでも50cmであることからしてスペック自体は普通のカメラです。ズームも連続ではなくステップズームです。身の回りのモノ・コトを収めるための道具と言ってよいですが、そこにプラスしてツァイス魂はどうブランドされていたのか思い起こしてみます。

◆独逸の描写というより 独特の描写

このカメラを持っていた頃、仕事の都合でドイツにもしばしば出かけました。ツァイスのレンズはヨーロッパの色彩に合わせてチューニングしているという神話のようなハナシを日本で聞いたりしましたが、コンタックスを使う限りは日本だろうがドイツだろうがプラナーF1.4の写りに違いはありませんでした。はたしてバリオテッサーについても同じく土地の差はないだろうと思ってましたが、ドイツの町中を写しておけば、もし日本で描写が良くなかったとしても「本場の独逸じゃないからね。」みたいな負け惜しみをかまさず冷徹に公平にその写真なりを評価できます。

ということで、その独逸国も含めてパチパチとネガフィルムに収めスキャナで読み込んでみた像はいかほどかというと。。。ただ一言。非常に濃い。濃淡というより、濃しかない感じでコントラストが深く派手。これは、濃いめの描写で定評あるプラナーf1.4と比べても明らかに濃いです。

一方、解像感の方はあまりよろしくない。線と線との境がぶっとく、モノが浮き立つような立体感とは縁が無く、年長組幼稚園児がクレヨンで塗りつぶしながら書く絵を彷彿とさせます。周辺光量不足も顕著なので、画面の隅の青空など、ありえない紺色をしてたりします。似た描写でペンタックスエスピオミニがありましたが、あれは対象を、その時のこちらの心の有り様も含めて像に焦点する描き方だったのに対し、このTズームはこちらの思いの介入するスキマもなくクレヨンでべったり塗りつくすようなイメージでした。

とにかく、色彩コントラストは高いのにそれがシャープ感につながらないほど解像力がないレンズという印象で、その画像レベルには何を狙いとして撮ったかさえ消し飛ぶほどの図太さを感じました。スキャナで取り込んだ像の仔細をみてみると、そんなに拡大しないのにフィルムの粒子がゴロゴロ浮いてきます。バリオテッサーの中に太陽光増幅装置みたいなものが仕組まれていて、フィルム面に強力なエネルギーを焚き付けたためにフィルムの乳剤が過剰な化学反応を起こし溶け出したのかと思うくらい。

アリア用の28-70ズームの描写が良かったので、コンパクトカメラとはいえこのレンズも、との期待は外れ 太い。 そして 濃い。

ここまで濃く太い描写だと、露出オーバであったり、開放絞りが暗いことによる手ブレを疑いたくなりますが、プラナ-と比較して、しかもスキャナで像をいじりながらの印象なので このレンズの特性であることは間違いありません。

このカメラはこういう風にとれる、ということをあらかじめ計算して対象にレンズを向けるというのもあるかもしれないが、それは広い意味の写真ではなく、努力も修練もなく絵をたしなめるある種退廃的な感覚のような気がする。良い子には真似できない世界です。

もう一つのTであるT3と比べてみるとあまりに描写が違いすぎるので、双方を知るとどちらが本当のツァイスなのかわからなくなります。一眼に匹敵するT3のゾナーの方が正当で、Tズームのバリオテッサーが異形だと思いたい。ひょっとしたら、このカメラは京セラでなくどこかがOEMしたのではないか、と思うと妙に納得できたりします。

◆プリント事情

スキャナで読み込むだけでなく、ヨーロッパの写真屋さんでプリントもしてもらいました。その結果というと、え?というくらいに色彩がくすんでいました。良くまあ、あれだけ濃い像をもつフィルムから、こんなくすんだプリントができるものだ と感心するくらいです。

経験だけでいうと、アメリカはロスの写真屋さんが仕上げに最も気をつかい、次いで日本、写ってればいいのレベルがこの写真屋さん(ブリュッセルの日本人があまりいない地区のカルフールというスーパーに入っている写真屋チェーン店)でした。

もう、その時点で「ヨーロッパの空気感をあますことなく伝えるために、このレンズは生まれた」みたいな言葉の重みが根底から吹き飛んでしまいました。

写真の生まれた故郷ではあるが、デジカメもたくさん売られていたし、それほど写真を撮るという行為自体は格式ばったものでもないようでした。その一方よその人が商品として撮った写真に対しては違うようで、価値を認めたらお金を出すようです。 カルフールでポケッとソーセージなど買い物しながらそんな処が見えたりしました。

◆コンパクトズームの限界

解像度や周辺光量という点で、35mmフィルムを小さなズームレンズで感光することの限界を知りました。LUMIXだとレンズの先にある照射面積が小さいため小さなレンズでもムダなく光がまわるところが、24×36mmの面積では光を回すだけで手いっぱいな事がわかりました。コンパクトゆえレンズ枚数も限られるし仕方ないのかもしれませんが、かたや2倍程度のズームとはいえティアラズームが非常に良い描写をしていたので、京セラがここを煮詰めきれなかった感は否めません。ティアラズームと違い、タフなカタチとわかり易い操作性は気にっていたので、これにティアラズームのレンズがついていたらフィルムコンパクトカメラ市場がもう少し長生きする名機になっていたかもしれません。

まわりにデジカメが増えていく中、デジカメが使えない人にはこの程度でいいだろう、こっちはツァイスじゃけんね。ということではないと思いますが、名前負けしたカメラでした。

まだまだフィルムを信じたい身としては、それなら、フィルムなしでは生きていけないメーカのカメラはどうか、と次の食指が動き始めました。

◇次回:いつも手元に単三電池。