まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その21.オプティオ どこでもメモ

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◆出会い

趣味とは別に、仕事で記録を撮る道具としてパソコンとの連携がラクなデジカメを探していました。そのときに、このオプティオを選びました。何が決め手になったかというと、パソコンのディスプレイと同じVGAXGAに相当する記録画素数があること、専用の充電池は要らずに乾電池やエネループで作動し一回電池を詰めたら200枚はそのまま撮れること。

パソコン文書に載せることを前提とした写真では、画素数が多すぎるとかえって余計な手間がかかってしまうこともあるので、XGA程度の少ない画素での保存にも対応できるのは有りがたかった。記録にかかる時間も短くて済みます。

また、電池に目を向けたのはこれまでのデジカメ2台の苦い経験に基づくものです。最初に買ったサンヨーのマルチーズは、XGA画素なのは良いとしても背面液晶で確認したりしてると、30枚いかずに電池切れに遭遇。次のpanasonicのlumixは専用の充電池(あるいは充電回路)がすぐにいかれてしまい何枚撮れるかさえバクチのような状態。どこにでも手に入る単三電池で安定して200枚撮れるなら、このような問題からは解放され記録撮影に専念できると思いました。実はそのようなカメラは別のメーカでもありましたが、ニッケル水素充電池への対応まで大っぴらに謳っていたのはペンタックスだけだった気がします。価格も手ごろでした。

◆操作感触:家電のようなペチペチ感

大き目のシャッターボタンは良いにしても、背面にある各種設定やコマンドに使う小さいボタンを押した時の感触はペチペチとすぐに底付きし、中身がスカスカのように感じるボディ剛性ともあいまってプラスチックの頼りなさを感じました。まあ、それでも誤動作することなかったので値段を考えたら仕方ないのかもしれませんが、ペンタックスの名がつくカメラは、その後の機種も小さなボタンの感触にはあまり拘ってない印象を受けることが時々あります。

全体的な操作感は、といってもあまり操作するところはありません。右手で支える手にしっかりおさまるグリップ(というか電池収納部のデッパリ)があるおかげて小さく軽いカメラながら落とす危険性はなく、片手だけでも不安なく扱えました。

◆プロの技法:ノーファインダ撮影

このオプティオには目で覗くファインダがありません。携帯電話にカメラ機能が付くようになってから、マルチーズやlumixについてたような光学ファインダを持たないデジカメが増えてきました。背面の液晶を見ながら構図と瞬間を決め撮影します。

それはそれで、カメラを目の前にヨイショと持っていく動きがいらないので速写には良いということをマルチーズで回想しましたが、それは光学ファインダを備えている余裕があるから気安くいえることでもあります。背面液晶だけで勝負となると、その性能や機能性を実用的に判断せざるをえなくなる。これしかないのだから。

で、オプティオはどうだったか というと 見づらい液晶でした。解像度が11万画素しかないとかサイズが2.4インチに留まるからではありません。これらの要素は作品を撮るのでなく「写ればいい」だけ目的にするのなら大して問題ではありません。

問題は、あまりにも狭かった視野角です。自分の目を液晶に真正面に持ってこない限りコントラストも色も飛んでしまった像にしか見えず、「写ればいい」としてもその対象すら良くわからないのです。しかし、記録を撮る場面というのは、大抵急いでいて片手でスチャッと写したいことが多い(=右腕を振り回している)ので液晶の真正面に顔が向くことがそんなに無い。だから何を撮ってるか良く見えない ということになりました。もし、バリアングル液晶なりがこの頃に存在し、液晶の方を顔に向けられればこういう問題は起きなかったかもしれませんが、そうでなくても今2017年のデジカメが普通につけている液晶であれば視野角は十分広いので対応できたと思います。

しかし、これはオプティオだけの問題ではなく、当時の小さなデジカメにはそういう液晶が多く、今だからそれを問題といえますが、撮ってた時は当然なものと捉えて対処してました。どのような対処かというと、ノーファインダ(正確にはノー液晶)撮影技法です。つまり、液晶で判別できないということにこだわるよりも、結果として写っていれば良いことに割り切れるよう自らの精神性を1ステージ高め、カメラのオートフォーカス自動露出をひたすら信じ撮影する。でも、ピンぼけがコワい時にはカメラ位置を少しずらし、押さえで2枚撮るというやり方です。このほうが、液晶が見えるように腕や顔をアレコレ調整するより早かったりしました。

ただ、昔はノーファインダ撮影というのは、見るモノを撮るのでなく在るモノを撮るためには自己の視覚が対象に及ぼす介在性をとっぱらい直観に基づきシャッターチャンスのみに身体を集中させる。それにより、写った作品の中に、見るを超えた在るがリアルに立ち上がる...といった不確定性原理をわかった風な孤高な巨匠ゆえに許される技法でしたが、「見えないから仕方ない 当たれば勝ち で バシバシ撮る」というのはだいぶ意味あいが違う気もします。また、まともに液晶が見れれば本当はこんなことしたくない という気持ちがあり、同じ撮影法ながら その精神性には相当な開きがありました。

ところで、今の液晶は視野角が広いのでこのような事は起こりませんが、それでも日中の晴天時には液晶が明るさに負けて全く何を写しているかわからない時があります。デジカメに限らず携帯電話でもタブレットでも。それでも、あちこちで写真が撮られている。絶対に見えてないはず、という環境下でも。ということは、ノーファインダ撮影を完全マスタしている人々が世界中に何億といるということで 本技法の浸透度には目を見張るものがあります。写ルンです。の簡便なファインダ通して撮影した方がよっぽど写真撮影の本来の方法に沿っていると思うのは時代遅れなのかもしれません。

◆マクロ撮影:まあ、苦労した

記録としての写真を撮っていると、時として近くの物を残す機会もあります。そのときには、背面ボタンのフォーカスモードボタンをペチッと押して切り替えると20cmくらいは近づいて撮ることができました。ところが、続いて2mくらい離れた物を撮ろうとするとピントが合わないのでマクロモードを解除しないといけません。マクロモードであっても遠景でもピントが合うようにはなっていないので、写すモノとの距離を目測してモードを切り替える必要がありました。これは結構厄介でした。

◆機能:ひととおり出来るが、やはり液晶が。。

 このカメラで撮影するときに、色合いといった画質を調整したり、マニュアルでフォーカスしたり、露出を補正したりと「自由に扱える」機能は一通り揃っていました。では、それを一枚一枚撮影するときにしていたかというと、露出補正すらせずカメラまかせでパチパチしてました。

どういう風に写すかでなく写れば良いで使っていたので凝ったことをする気がさらさら無かったせいもありますが、液晶を覗く角度を少し変えただけで明るさやコントラストが変化してしまうので露出やピントの細かな違いを判別しにくかったのも要因です。

エネループ御用達

このカメラの良いところというと、それはエネループが完全に使えた、ということです。これらのニッケル水素充電池は電圧が乾電池より低いせいなのか、使えない又はすぐ電池交換しないといけないカメラが当時は多かった中で、カタログどおりにしっかり使えたのは目的どおりでした。エネループを4本持っていれば500枚は撮れる勢いで、更にとりたければ先に使った2本を1時間でもいいから後の2本をカメラに入れてる間にそこいらのコンセントを借りて充電しておけば済む。特にモーレツな勢いでパチパチ撮る記録写真としては大変ありがたかったです。

また、このカメラには後追い録音という機能があり、撮影直後の写真を確認したときに、声をその画像ファイルに一緒に後から追加することができました。製品の写真を場所を変え体を動かしながら撮っている時、後から何を撮ったかわかるようにノートにペンでメモするよりも、このボイスメモ機能を使うとペンはいらないしカメラから手を放す必要もなく非常に便利でした。ただ、このようなことが出来たことがあまり知られていない。ちょっと残念でした。

◆画質について

最大で700万画素ではありますが、色彩コントラストの幅が狭いためかそれだけの解像度を感じることはなく、ハガキサイズ程度にプリントするのであれば300万画素のlumixの方がくっきりシャープに見えました。また、色が薄いというか軽く白飛しやすい傾向がありました。ペンタックスというと、フィルムカメラエスピオミニのコントラストのはっきりして深みのある写りの記憶があっただけに、この色の軽さは意外でした。そして、今の一眼レフのpentaxの色はやはりエスピオミニに近い発色なので、ひょっとしてこのoptioは自社製品ではないのかもしれません。

◆その後

10年前に手にしたカメラですが今でも手元にあります。乾電池が使えることを生かした緊急用というわけではなく、ただなんとなく残っています。今、こうして年月の隔たりを最近のデジカメと比べて思い起こすと、背面液晶の進化には目を見張るものがあります。プリントしなくても、さらにいうとパソコンに移植しなくても写真の面白さを楽しめるほどにキレイな液晶になりました。

逆にいうと、液晶はおおまかに像が捉え切れれば良いと思っていたこの頃は、撮った写真が永久にカメラの中に留まったり、逆に電波でどっかにピューッと飛ぶなんてことなどなく、フィルムの頃とおなじように写真屋さんでプリントして楽しむ、そんな気分がまだあったなあと思います。

◇次回:フィルムカメラ、最後を飾る珠玉の一台。