まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その43.Z50 静謐な佇まい

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◆出会い

あれは2年前、年の瀬も押し迫った2019年の12月に都会に赴きヨドバシカメラの各階を渡り歩いては電気光線やら無線電波やらの電磁エネルギ-をたんまりと体に補給していた時です。発売されてから間もなくのZ50に触りました。

ファインダを覗いた時に、「うわ、広い!」 それまでのAPS-C、といってもペンタックスしか知りませんがニコンD750を持つ身となっては「狭かったなあ」という印象があったので「うわ、広い!」が第一印象。ただ、見やすさということでは、店内の照明の元ではカメラを振ったときの像の遅延が目につきました。その点では横にあったZ6やZ7との違いがわかりました。

なぜにニコンのZ周辺をウロウロしていたかというと、飽きること無く田舎のアウトレットでZの2兄弟(マジンガーZグレートマジンガー)を眺めていてファインダに見える像の覗きやすさに興味を持ったからです。これは使いたい気にさせるミラーレスが出てきたぞ、と。アウトレットの店内は外光を取り入れ案外と明るいので、ファインダーにとっては晴天バッグと並んで厳しい条件の室内照明下でその様子を知るべくペタペタしました。

Z6やZ7ならこの状況での遅延もOK、Z50は劣ると言いましたが、では2兄弟のほうか? というと、19年当時においては今後どう展開するかもわからない新しいZシリーズ。なにしろ、ペンタックスニコンの小さなミラーレスが尻切れトンボで終わったことを身を持って経験しているのでZ6やZ7をいきなりバクチするのは怖い。ファインダの違いはわかった、でもこのプライスなら毎晩に風呂に入り毎朝に靴下を替えればサンタも許してくれるだろう、の思いで標準ズームと一緒にZ50を購入しました。都会体験おわり。

◆画質

さっそく撮影してみての感想は、「写真に撮ったように綺麗にうつる。」

そりゃ写真を撮る道具がカメラじゃん、ということではなくて、頭の中にずっとあった写真のイデアを垣間見た感じがしました。見たままにどこまでも精緻にモノが記録されている2次元、それこそが写真のイデアプラトンが言ったとしたら、コレです。D750のところでも触れた独特の赤の発色はあるにせよ、これはAPS-Cのペンタックスで頭にあった野武士的描写とはまるで違っていて、待てよ。待てーよ。待たんかーい。これはD750よりも こと精緻さとスッキリした透明感でいったら上ではないか。。とさえ思ってしまいました。

そして、小さな16-50mmの標準レンズにも関わらず、像がズーム全域で歪まない。そしてボケには変なクセがなくスッキリしている。そのために、50mm側で開放のf値が6.3と絞り気味なのに目立たせたい像がスッと浮き立って見えます。たまたまそうだろう、でなくて、そうではないレンズとカメラの組み合わせを数多く手にしてきたので明らかな違いとしてわかりました。写した写真を観察すると、レンズだけでなく画像処理の進化も感じました。暗部とかフォーカスが外れた部分で良く見るモヤモヤとかゴチャゴチャといった潰れがない。もともとD750もその傾向だったが、さらに上をいくこのリアル感。まあ、すごい。

◆電子ファインダとホワイトバランス

パナソニックのLX100など、これまで電子ファインダを積んだカメラで悲しかったのは実際の光景とファインダを覗いた時の像の印象がまるで違うことでした。コントラストや色相、彩度が違いすぎる。しかし、このZ50のファインダはそのズレが多少はあるかもしれないがこれまでが20点だとしたら80点くらいの自然な再現をしています。もちろん、デジタルで画素数も多くないのでドット感はあります。しかし、見やすさにとって大事なのは実際との像印象の違い、特にコントラストと色相というかホワイトバランスだということに気づきました。

そして、Z50の場合はホワイトバランスそれ自体も優秀です。D750やこれまで使ってきたペンタックスの一眼レフではこれがどうにも常に万能というわけではないのでライトルーム必須ですが、その必要もないくらい。もしあったとしてもカメラの中でのホワイトバランスの変更が見やすいファインダのおかげで容易なので、この点でもライトルームなしで済ませることができそう(な気にさせる)。違和感の無いホワイトバランス、すっきりした画像。写真を撮るのが楽になりました。撮ったあとの後処理のことをあまり考えずに済むからです。しかし、これは今までのカメラがなぜそういう方向に気を使わなかったのかなという疑問も同時に湧いてきました。というのは、アイフォンの写真ではこの2点がすでに実現できているからです。カメラではCPUや画面デバイスだけにコストをかけるわけにもいかないのだなあ、画素数自体もずっと多いもんなあ、と思いました。

ニコンFGとは違う

画像記録装置という側面だけでなく、道具という別の見方からしたらこのZ50はどうでしょうか。そういうとき、いきなり引き合いに出すのがニコンFG。というのは、FGこそが手に収まる小さな道具としてのオーラがムンムンしていたので、40年近くたってどーよ? とつい期待してしまう。同じニコンとして。そう、同じリトルニコンとして。

違いから言いましょう。ニコンFGよりもボディが(当たり前だが)薄い割にはグリップが大きい。いや、グリップの大きさの割にボディが薄い。グリップ自体は良くできているのですが、ボディが薄いために重心のつかみどころが左手の手のひらに来ない。組み合わせるレンズによって違うとはいってもボディの下にグッと重みがないところがFGと違う。

また、昔からカメラを上から見たあとでファインダをのぞくクセがあるので、上面にカメラの設定を示すダイヤルとか液晶とかないと心細くなってしまいます。といことで、ニコンのてんこ盛りコンパクト、その現代版再来を淡く夢想していたがそのベクトル線上にはなかったです。むしろ、Z6やZ7の方が「らしい重心感」「露出設定の撮影前確認」でいうとFGやnewFM2の趣に近い印象です。

いかん。これではグレートマジンガーが欲しくなってきた。

ニコンFGとは違う part2

もう少し語るとシャッターフィーリング。FGは「バシャコン」という、ややだらしないショックや音を残す、ついでに、かなりの高確率で手ブレも残す。このだらしない所業のなせるワザとして、どうせ写真もだらしなく写っているだろうよ、と思うとこれもまたかなりの高確率でだらしない駄作しか撮れていない。まあ、その頃の技量や美的センスが超絶赤ん坊レベルだったというのもあります。

かたやZ50は?というとシャッターフィーリングは「パコン」系に属する。ミラーが無いのでバシャッとはこないが、ボディが軽いためかシャッターの反動がボディ全体にパコンときます。これはこれで別の意味でだらしなく感じるので、どうせパフパフした甘々なのが写っているのだろうよ、と思うとイヤイヤイヤ。めちゃくちゃクリヤでビシッとしている。アイフォンを初めて触るオヤジが、「え~と、シャッタースイッチ(注:彼ら、というか私らはシャッターボタンとは言わない)はこの○で良かたいね?」といいながらカメラ毎日の巻頭を飾るような傑作を一発でしとめるのに似ています。

ニコンが他のキャノンやらコンタックスやらペンタックスと違うのは、手の中に包み込みたくなる道具感かと思っています。ペンタックスのK-3なんかはその感じはあるしなんとなく「ボクのこと包み込んでね」みたいに造形からしてソコを狙ってはいるようだが、ダイヤルとかボタンとかの配置が造形センスまでには行き届いていない。ニコンFGにはそれがありました。

Z50も、FGという記憶がなかったらデーリャーgoodですが、むしろグレートマジンガーへの憧憬を強める効果の方が先に出てしまった。

◆Zマウント のレンズを語る。一つだけだけど

持っているレンズは16-50mmの標準と50-250mmの望遠ズームの2つしかありません。どちらもAPS-C向け。後者にいたっては、部屋の中に乱雑に置かれた音楽CDに望遠端250mmをむけて「お、タイトルがくっきり見える」と感動した他はほとんど使ってないので、主に標準ズームのことしかいえません。

これは良く写ります。しつこいですが写真で撮ったように写ります。Z50の画素数が2000万画素くらいと思いますが、これをパソコンで等倍拡大してもユルさがまったく無く写ってます。

例えば、2月に梅を撮りに行った時にその良さを実感しました。梅というのは、花も面白いが枝ぶりが独特で、レンズによってはその枝によって全体の画像の中で花の存在をつぶしてしまったり、あるいは逆にひきたてたりします。レンズ性能でいうと、ピントの合った花弁のわずか前後の遠景側・近景側 双方のボケ性能が不自然だと残念な結果になるようです。この実戦において16-50mmズームは全く問題ありませんでした、素直なんといっても素直。

もう一つの例でいうと、古民家にあった古いミシンの撮影。周囲が当然暗い中で撮ったものですが、解像感、ボケ、暗部のトーンどれも実物を超えてしまうかのようなリアルなゾクゾク感が写し込まれていました。開放F値がf3.5~6.3と暗いもののZ50の高感度特性がこれまたペンタックスのK70並に優れているため、大抵のものを捕捉できしかも確実な画質を保持して記録される。似たスペックのレンズはペンタックス以外にも実はフジフィルムのカメラでも使ったことありますがユルさの有り無し、という点では全く違いました。

しかもこのレンズはすごく薄い。手ブレ補正機構を収めていることもあり太さという点ではZマウントの大口径そのままに土管が如くドーンですが、薄さの方が見た目の印象に影響するのか、大変小さく見えます。

※このカメラもAPS-Cのミラーレスでした。ちょっと相性が合わなかったのでこのブログでは記事にしていません。

◆そして 今

Z50。写りは先述したように撮像フォーマットがコレより大きいD750を超えてしまった感があります。では、D750ともバイバイかというと、そこはD750ゆえの理由で使い分けています。

その理由の一つはファインダ。電子でないガラスとプリズムで構成されたファインダは、カメラを振ったときの遅延がゼロなことはもちろんのこと、背中にドピーカンな太陽を背負った状況でも良く見える。電子ファインダを度のキツいメガネ野郎がのぞくと、隙間から入った日射が電子ファインダに写る像のコントラストを薄めてしまいどんな機種であっても見えにくい。まあ、これは電子ファインダゆえの特徴でもある撮影時の露出やホワイトバランスの設定が撮る前から目視できるというメリットの方が勝てばトレードオフで済む話でしょうが、もう一つ。Z50はピントの合う直前のオートフォーカスの挙動がちょっとギクシャク(というかピクピク)前後にフレる感が気になる時があり、目のためにもホットタイムしたい時はD750を覗いて休めるようにしています。

理由の二つ目はレンズ。36mmフォーマット用にタムロンの28-300mmズームと、同じくタムロンの45mm単焦点の2本を気に入って良く使っていますが、これらをマウントアダプタを介してZ50にとりつけたとしても当たり前ながら同じ画角にはならず1.4倍強に拡大されてしまいます。ニコンのFマウントの小さい口径なのに良くまあ光が回るなと感心しますが、この2つのレンズは周辺で光量がガクッと減ることなく全体が良く写ることも含め36mmフォーマットで使うからこそ価値がある、しかも写りが良いのでそれを画角的に切り落とすのは勿体無いです。

45mmに限って更にいうと、このレンズは解像が非常に細かいのでD750やZ50の2000万画素程度でさえ実力を十分発揮してない気がします。これは4500万画素クラスで使ってみたい、しかしD850は自分みたいにデブだからなあ。待てよ、グレートマジンガーは小さい割に同じ画素数じゃないか。。。

すみません、なんとなく話がZ7の方にどうしても向きがちなのでここいらで今回の記事を終わりにします。Z50に戻すと、FGの重心感を知らないならばこのカメラはとても撮りやすく写りは抜群で愛着もわくカメラです。重心、グレートマジンカーは結構FGの記憶に近かったなあ。。また始まってしまった。。

次回はコンパクトカメラ、光学35倍ズーム搭載機についてお話します。