まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その34.Nikon1 J3 人を撮る写真機

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◆出会い

1インチの撮像素子を積んだミラーレスデジカメ、Nikon1_J3。これも、プラプラとアウトレットをうろついていた時に購入しました。革の専用ケースとズームレンズがついて市価の半額程度。アイボリーの光沢あるボディは機械というよりもスマートフォンウォークマンのような電子小物の雰囲気がありました。あの精密カメラFM2を作ったニッポン企業ニコンの製品とは思えません。

小さいボディながらレンズ交換を楽しめるという意味ではペンタックスのQシリーズに通じるものですが、露出のモードダイヤルが省かれていたりするのでカメラ操作よりも写真を楽しむための道具だと感じました。

◆写した感想

 第一印象では、250gと軽いにも関わらずオートフォーカススマートメディアへの保存の素早さに驚きました。この大きさや軽さはレンズ一体式のコンパクトデジカメに近いので、それら機種に特有のモッサリ感をついイメージしてしまうのですが、全然違う。キビキビ動く。

撮影するときに見る液晶はやはりニコンらしく少し黄色がかっています。しかし、精細で色のノリも中庸なので撮影することが楽しくなりました。対象をじっくりと観察しようとする気にさせます。

ただ、セットでついてきたズームレンズは沈胴式のためいざ撮影しようとするとボタンを押して引き出さねばならず、更にはそこから吐き出される画質も線が太いので早晩このレンズは使わなくなりました。

その代りに買い足したのが、18.5mm(35mm換算 約50mm)の単焦点レンズです。ニコンが力を入れたレンズとは聞いていましたが、実際に使ってみると、開放のf1.8からピント面が立つ解像度を持っているので1インチと小さい撮像素子とはいえ十分にボケとの距離感を感じることができました。

このレンズは、細密感はあっても描写の傾向も固くならず柔らかいので昔のフィルムカメラの延長のようにしっとりした写真を残すことが出来ます。

それだけでなく、最短で20cmまで寄れるので虫や花を撮る時にも強い。キリギリスとかクツワムシとかカメムシとか、その辺の食べても美味しくなさそうな虫が結構リアルに撮れます。撮ったあと、その写真をどう使うかというと使い道はないのであるが。

◆人を撮る写真機

なんといってもこのレンズをつけたNikon1が最も適しているのは人を撮るときです。

というのは、大きさが小さい上に無骨な黒色でなくホンワカしたアイボリ色をしているので撮られる人に緊張を強いることがない。バシャッと跳ね上がるミラーが付いて無いばかりか、そもそも電子式シャッターなので切ったときに金属音がしない(撮られる人が無意識にビクッとしない)。

そして重要なのは見た目が安っぽくも派手っぽくもないことです。これは重要なことで、「ち、スマートフォンよりみみっちい写ルンですでワシのことを撮るでごわすか」とガッカリさせたり、「でっかい機械持ち出してなんばしよっとですか」と警戒させたりすることなく、「よかよか、どげんでも写真とりんしゃい」と思わせられるカメラはそうそうありません。普通の人は、そこそこの大きさのレンズを向けられる機会が滅多にないので、その場合に出来てきた写真を見るとジャガイモのように歪んだ形に顔が写っていることが多いですが、その原因はガッカリしてるか緊張してるかで、どんな表情をとったら良いか思考停止に陥っている間に撮り手にパシャッとされてしまうからです。「アウッ」と感じる間もなく、いつの間にかイモのようにクシャッとした表情が永遠の記録として保存されてしまう。そこから自分は写真写りが悪いと思い込み、次に撮られる時は異様にハイに顔をゆがめたヒョットコみたいな表情をさらけ出してしまう。。。

Nikon1では相手が自然な表情でいられるので、このような何世紀も繰り返されてきた悲劇とは無縁なのです。

一方、レンズ交換できることから、いろいろ撮影テクニックを駆使したい、という人には向いていません。何しろ、絞り優先からマニュアル露出に撮影モードを変えるだけでも、デジカメ本体を見ただけではどこをどういじったら良いのかわからないほどオート志向の操作設計をしているからです。また、この頃のニコンのデジカメ全般にいえるかもしれませんが、メニューの階層がわかりづらくて余りソコに立ち入ってアレコレする気も起きません。ただ、露出補正とホワイトバンランスくらいは、独立のボタンで操作できたら良かったのにと思います。出来上がりの写真を自分のイメージに近づけるのにこの二つは重要なので。

しかし。この二つは重要などと感じるのは、限られた人だけかもしれません。というのは、撮ったあとでいかようにでも修正や加工ができる時代になったからです。ライトルームのような専用ソフトでなくても、マックについてる写真管理ソフトでも十分出来る。それも、RAWで撮らなくてもJPEG画像から普通にイジる範囲なら何ら破綻せず出来る。そういう使い方までニコンが想定していたとは思えませんが、写真は撮る前にイメージを決め込まねばならない、というポジフィルムの呪縛に囚われていてはナウ(今時)なヤング(若者)のハート(気持ち)をベリグー(的確)に掴むことは難しいかもしれません。

◆来るべきスマートフォンとの闘い 

このカメラが出た頃は、コンパクトデジカメは高級な部類であっても1/1.7の撮像素子が最大だったのに対し、2017年の現在は1インチやAPS-Cといった大きなものが普通になってきました。そうすると、1インチで1400万画素のデジカメから出る絵のレベルは相対的に低くなるような印象を受ける。実際はそんなことなく立派な写真が撮れても、そう思われてしまう。つまり、Nikon1は1インチに留めたおかげでこの小ささに納まったにも関わらず、1インチに留めたせいで大したことないと先入観が持たれてしまっている気がします。それが証拠に、ミラーレスにAPS-Cを採用したキャノンとは大きく水を開けられてしまっており、Nikon1シリーズもここしばらくは新しいモデルが出ていない寂しい状況。

しかし1インチだからこそ、f1.8で撮ってもピント面以外が全て収差で飛ぶということがなく見た目に近い立体感と奥行きを持つことが出来ていることを考えると残念です。この撮像素子、このレンズでしか撮れない世界が確実にある気がします。

さて、更にまわりに目を向けると、最近のスマートフォンの写真撮影性能の高さ。くっきり見えるという点では十分使えるレベルに達しています。そうなると敢えてカメラを持つ動機としては、持っていて楽しい、もっと言うと持っている自分の所有欲を満たすモノであることが必須になってきます。所有欲というのは、持ったあとでなく持つ前に出てくるものなので、持ってからでないとわからない人物撮影のし易さやキビキビした動作はなかなか伝わらないだろうなあ=売れにくいだろうなあ と思います。持つ前のイメージとして、Nikon1のJ3はカメラという機械的存在感をむしろ消す方向、電子小物との違いを感じさせないような製品であるからです。その電子小物の権化であるスマートフォンが「撮影する」という機能を持つ人にとって満足できるところまで果たすようになった今では、電子小物狙いのデジカメにはむしろダブリ感を感じるだけ。ならば撮って送って便利な方が一つあれば済むことになってしまう。

◆いまでもバリバリ現役

このデジカメをペンタックス一眼と比較してしまうと、撮る人に寄り添う操作系とは設計志向がまるで違うことを思い知らされるので、写りは良くても持ち出すには。。。

とはならずに、実は今でもバリバリに使っています。正しく言うと使われています。

妻が18.5mmをつけた時の写真の撮り易さや仕上がりに満足しており、どこか行くときには必ず持ち出しているからです。

その写真を見ると、ハッとするくらい良く撮れているものが多い。何を良いと見るかの基準はいろいろありますが、例えて言うならフィルムの頃に撮られた写真が醸し出す情感が写っています。写されたモノ、写した側、双方がシンクロした時に出るアレです。結果として「残る写真、いつまでたっても賞味期限が来ない写真」になっているのです。

それだけではなく、このデジカメを持つことで光景を切り取る気持ち(ハート)が高揚するためなのか、あれ、イイ物も見つけているなあ と感心することも多い。

軽く、写りも良く、なんといってもキビキビしているのでストレスがない。そして、撮る人にも撮られるモノや人にも優しさを与える。良くできたミラーレスです。

まわりの環境がどう変わろうとも、このデジカメでこそ撮れる世界があります。

Nikon1シリーズが、これからも途切れることがないよう願いながらこの文を終えたいと思います。

◇次回:とうとう出てしまった、独立自尊写真機。

その33.MX-1 重さは正義か

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◆出会い

カメラ雑誌の記事でこのデザインを見たとき、目についたのは真鍮で覆われた古典的な外形よりも、手に持って右手で操作しやすい位置にある露出補正ダイヤルでした。

露出のプラスマイナスで写真の印象は大きく変わってしまいますが、だからといって手軽さが身上のコンパクトデジカメに専用のダイヤルをつけてきたことにペンタックスの心意気を感じました。

NikonP310も露出補正そのものはできます。だが、そのためにはボタンを一度押してその機能を呼び出す手間があったことを思えば、MX-1は場所も限られるコンパクトなガタイに良くも専用ダイヤルを載せたものだと思います。

実際に触ってみると、それ以外にもディスプレイが低照度でもスムーズに表示されることや、チルト式のモニタがあるので御腹の位置で写真を撮るには便利なことがわかりました。各種の設定メニューは自分が慣れたペンタックス一眼を踏襲していることから使いやすさに魅力を感じ、ネットで最も安い販価をさがし購入しました。2万5千円だったと思います。

◆画質:極めて高い評判

価格.comやアマゾンのレビューを見ると画質に対する満足度は非常に高いものがありました。独特なデザインだけにカタチへのコメントが多いのかと思いましたが、写真そのもののレベルの高さが評価されたデジカメでした。

その大きな要因としては、F1.8から2.5の明るさであるにも関わらずコントラストが高くシャープ、そして歪曲も少ないレンズの優秀さがあります。とにかく、使っていてレンズの甘さを感じない、というかレンズを意識することなく対象に向かい合える安心感がありました。

そして、それだけでなく、ペンタックスらしい色再現と諧調表現、それを実現する画像処理がこのMX-1にもしっかり生かされていることが画質の良いもう一つの理由と思います。それまでにペンタックスのデジカメを選んできた人は少ないでしょうから、他メーカのコンパクトカメラの色の浅さとか諧調の狭さとか濁りのある色調に慣れた後で、透明感と立体感のあるペンタックスの絵作りに驚く人もいたことでしょう。

実際に写した時の印象でも、晴天時に写したものを見るとペンタックスのK-5やKrで写した場合とパッと見には変わらない印象を受けました。

 細かいことをいえば、画像を拡大していった時の解像感はさすがに一眼レフには及びませんし、iso感度が400を超えるとノイズのザラザラしたところが目についてきます。800になると、ライトルームでの修正も簡単にはいきません。

しかし写真1枚をテレビやパソコンの画面一杯あるいは印刷一枚で見る普通の見方をするならば、諧調がなだらかにつながっているので撮影された対象に引き込まれるような質感を感じることが出来ました。特に、カスタムイメージをB&Wモードにして撮影すると大変格調の高いモノクロ写真が撮れました。

◆使い勝手

写したあとは素晴らしい、として、写す前はどうかという話になるとコレがそう簡単には褒められない処が出てきます。いくつかあるので箇条書きすると、

①首からぶら下げることを考えていない。

重さも横幅もあってコンパクトデジカメというには大きいサイズなので、ポケットから取り出して使うことはできず首から両吊りで下げて持ち運ぶのですが、その吊輪の位置が前にありすぎてMX-1の重心の位置からズレています。そのため、首から下げるとMX-1が常に上を向いた不格好な状態になります=あまりにもカッコ悪すぎてぶらさげられない。

②レスポンスが遅い。

起動からシャッタを押すまでにかかる時間、それと撮影してから画像が保存されるまでの時間が遅い。重さや大きさが一眼レフとコンパクトの中間くらいなので、勝手といってはナンであるが、レスポンスもそのあたりかなと思うとそんなことなく大変遅く感じる。この意外さに拍子抜けして、撮影に向かう意欲がそがれてしまうのです。

③夜間照明下でのオートホワイトバランスが暖色に偏りすぎる。

ホワイトバランスは概ね良好で、とくに晴天のバランスは良く調整されていますが夜間照明(電灯、蛍光灯、LEDなど)のもとでのオートホワイトバランスが橙色に偏る。そういう場合はホワイトバランスをオートにせず照明に適したモノを選んだらどげんですか?というのも分かるが、ペンタックスの他のカメラではオートでも十分使えるので「そうでないこと」の意外さにこれもまた拍子抜けしてしまいます。実際、気軽が身上のコンパクトカメラでホワイトバンランスモードをいちいち変えるのは手間でもあります。

そして、そのホワイトバランスを変えようと思っても、背面のボタンに設定されてないのでINFOボタンを押してから選ぶか、メニュー階層に入って変更するか、と更に手間のかかる作法が必要になります。

④極め付け:撮ったすぐあとの画像を削除できない

フィルムとは違うデジカメの使い方として自分に身についたのが、撮ったあと背面液晶にプレビューされた像を見て、”気に入らなければすぐに削除する。”、という写真道の風上にもおけない下劣で姑息なルーチーンなのですがMX-1はこれができない。撮ったあとに「イマイチだな」と舌打ちしながら削除ボタンを押してもウンともスンとも反応しない。一度再生ボタンを押すことで画像をSDカードに保存(前述、これが時間かかる)させたあとでないと出来なくなっています。まあ、撮った写真を保存する前に知らずに消すことがないための配慮なのかもしれませんが、姑息ルーチーンからしたら面倒以外の何物でもありません。

⑤大したことないけど。。:撮影するときよりも保存された後の露出が明るい

カラーで撮っても、白黒で撮っても、上の現象がおきます。MX-1のこのクセを見込んでおいて、撮影するときのイメージから脳内変換で撮影後のできあがりを想定し、露出ダイヤルで撮影時に暗めに調整しとけば良いのですが、こんなことを撮影者にさせるのはコンパクトデジカメとしてどうなんだろう?と思ってしまいます。

⑥敢えて触れると:なぜ真鍮?なぜ重い?

MX-1の外装には真鍮が使われていてこれが重量を重たくしています。真鍮といえば、昔はキャノンFTbを含めどのカメラの金属外装にも使われていましたが、今ではアルミやマグネシウムがあるので真鍮を使うのはこのデジカメ以外には見当たりません。文房具を扱う伊東屋のシャーペンに真鍮で出来ているものがありますが、丈夫でプラスチックやアルミには無い剛性感とヒンヤリ感を味わえる代わりに、明らかに重い※。すなわち、同じ素材のMX-1も明らかに重い。

で、その重さが撮影する行為において必要かといえば、オデコあるいは厚ぼったい一重マブタをファインダに密着させる場合ならば写真機をより安定させる意味で「アリ。」といえます。しかし、ファインダのない場合は、両手の間でカメラを挟んでいるだけなのでもともとホールディングがプルプルしており重さ分の制振効果が得られるとは思えません。

となれば、素材の頑丈さのための重さという見方もできますが、それはチタンやマグネシウムとは言わないまでもアルミ合金では駄目なのかと考えてしまう。成型絞りが単純に見えるので。

使い込んでいくうちに、真鍮の地金が見えてそれがかっこいいという声もありますが、そのためだけに重さが増分することのデメリットを甘受できるかという問題になります。

ただ、塗装は大変に綺麗です。ヌラーと均質な黒が塗られていて、これは他の素材では実現できないであろう非常に美しいものです。それでも、そのためだけの重さ? の思いは消えない。 

※(番外)伊東屋の真鍮製シャーペン..気にいってます。理由はペン軸のどこを持っても安定して文字や絵や線を書け(あるいは描け)、手の延長のように扱うことが出来るからです。

MX-1は大まかな設計やデザインを終えて使う立場でチューニングするときに、何か抜けていたのではないかと思ってしまいます。ペンタックスのカメラはおしなべて使う立場を良くわかった操作感を実現しているので、なおさら意外に感じてしまう。

◆最大のライバル:ペンタックス Qシリーズ

MX-1の撮像素子は1/1.7インチです。ということは、同じペンタックスのミラーレス一眼のQシリーズと同一です。ここで、互いにバッティングしないか?と変な心配をしてしまいます。

というのは、Qの標準ズームの画角が35mm換算で23~69mm(f値2.8~4.5)、MX-1レンズが28~112mm(f値1.8~2.5)。Qよりも数値だけみるとMX-1のレンズの方がズーム比が大きく且つ明るい=使いやすい。

それだけでなく、実際の画質でみてもQの標準ズームよりもコントラスト、シャープネス、諧調のいずれもMX-1のレンズの方が実写してみる限りでは、明らかに優れていると感じました。

つまり、MX-1みたいな画質のすこぶる良いコンパクトデジカメがあると、同じ銘柄のレンズ群までそろえてしまっているミラーレス一眼を喰ってしまうことになり気弱な者としては気が気でならなかったわけです。

しかし、先ほどあげた使い勝手の疑問点①~⑥、これはQシリーズでは見事に解消されています。大きさはQシリーズの方がMX-1より小さく軽いのですが、アレは紛れもなく一眼レフの系譜につながる設計がされていてコンパクトデジカメとは別物です。

そして、画質。実はQの標準ズームの出来がいま一つなだけで、標準単焦点レンズをつけると画質の優位性は逆転します。さきほど挙げたコントラスト、シャープネス、諧調の3項目どれもQの単焦点レンズPRIME01の方がすぐれています。

ということで、個人的な印象の範囲ですがQの存在によってMX-1のどっちつかず感が逆に露呈してしまった気がしました。また、Qのレンズは保護フィルタをねじ込むことが出来るが、MX-1ではフィルタ枠が無いのでレンズキャップが必要になります(今では改造してムリヤリ保護フィルタをアロンアルファで接着してしまっていますが)。

Qシリーズか、それともMX-1か? は気にする方もいるとみて価格.comの口コミにも時々出てきていました。MX-1の方がQよりも良いという意見もあり、何を重視するかで見方はいろいろ出来るということだと思います。

◆今のMX-1の使いかた

このブログではカメラの絵を万年筆で書いてますが、それをデジタル化というのかデータとして取り込むのにある時期までのカメラ絵は全てMX-1を使っていました。最高1200万画素でそれほど重たくないうえに、低感度で撮ってさえいればJPEGであっても画質が良く諧調の幅が広いので後でライトルームで加工しても破綻しないからです。(ここ最近のカメラ絵はパナソニックのLX-100で取り込んでいます。)

それ以外の使い方は、白黒写真です。MX-1でカラー写真をとっても画質性能が高いために全く問題ない結果を手に入れることができますが、いかんせん使い勝手の悪さを感じてしまいしっくりこない。

これが白黒写真専用と構えれば、もともと色の自由度ありきという俗世間とは隔絶した世界の中に自らの身をおくことで、これまた俗世間的な尺度にすぎない使い勝手なぞ「もう、どうでも良かではなかとですか」というステージに自分の心をも置くことが出来て、コダワリのない澄み切った写真が撮れるのです。かどうか。

ひとつ言えるのはMX-1の白黒写真は白黒フィルム写真とは全く違うということです。フィルムにはできない表現が立ち現れてくるから不思議です。例えて言うなら、フィルムだと記憶に残るような夢の断片をとらえるような像になるのにたいして、MX-1のB&Wモードだと、夢全体が時間の幅をともなってイメージされるような写り方をする気がします。それが、純機械的に撮像素子や画像処理プログラム、レンズ特性から導き出されるものなのか、それとも古典的形態とヒンヤリした硬質な感触が撮る者に何らかのスイッチを押させた結果によるものなのか、それはわかりません。

重たい真鍮にしたことの見えない効果が、理屈を超えてこの独特のモノクロ像に結びついているのだとしたら、それでもう十分に「重さは正義だ」といえるでしょう。 

◇次回:送る写真でなく、残る写真を撮る。 だけど極力カンタンに。

 

その32.ニコンP310で寄り道

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◆出会い

このニコンP310も、お決まりの「アウトレット破格値につられ衝動買いパターン」に沿って購入とあいなりました。前から見たNIKONの文字の掘り込みが深くオトナの雰囲気100%。それでいて、小さい、安い。ろくすっぽ操作を確認することもなく、気づいた時にはNIKONの紙バッグを下げていました。

◆品位あるデザイン 文字表記にその意気込みをみる

P310もコンパクトデジカメの作法に従いレンズはヒャクメルゲでカバーされています。しかし、ヒャクメルゲのヒダヒダが上下とも1枚だけなので、全体のバランスを崩すことなくうまくおさまっています。

全体にスクエアで、黒でマットな仕上げ、そしてなによりも各ボディパーツの精度が高いので高級感があります。そしてひときわ美しいのが、NIKONというブランド文字の掘り込み塗装。掘り込み方がザックリでなく曲面を描いていて、そこに光沢のある厚みたっぷりのインクが乗っています。その出来栄えにはホレボレしました。

文字を見ていてそれ以外に気づいたところでは、白文字のインクを明るさやツヤで3パターンに分けてモードダイヤルや背面ボタンの表記に使っています。この手間をかけたことで、全体を見渡した時の品格がグッと高まって見えます。

◆見た目どおりの操作感で心地よい ただ、機能ボタンが惜しい

実際に手にもってみると、ボディが薄いながら右手が触れるところにゴムの滑り止めがはってあるので手からすっぽり落ちる失敗は起こりにくくなっています。

起動や操作はキビキビと速く、画像サイズも小さい方では640×480まで用意してあるので、メモする写真機としては良くできています。

ただ、もう少し意図通りに写そうと思うとISO設定やホワイトバランス設定を変えたくなりますが、背面にその機能に相当するボタンがなくメニューを呼び出して行わないといけないのは少々面倒に感じました。

その対応として、このP310には、前面にFn(ファンクション)ボタンがあり、そこに好きな機能を割り当てることができるのでISO設定をそのボタンに登録すればダイレクトに操作できるようになります。

しかし、Fnボタンというのは自分が何を登録したのかを忘れてしまうことが多く、設定の自由度がある反面、実は使いづらさを感じたりもします。できれば専用のボタンでISOやホワイトバランスの設定ができたら、と思いました。それが出来ているコンパクトデジカメもよそにはあるので。

さて、この写真機の操作感でもっとも気に入ったところ。それはストロボです。ボディ左横のバネスイッチをリリ-スすると上面に格納された部分が角度を上向きにしつつポップアップするだけですが、操作した時のブレのない節度感、目にもとまらぬ早い作動、ポップアップ後の形状バランス、そして使用後にストロボを指で格納し直す感触、そのどれもがすばらしい。この部分だけをずっとさわっていたくなります。

その他、ダイヤル、ボタン、どれもがペチペチした安っぽさとは無縁で実に心地良いものです。価格がこれより上であっても、この感触を得られる写真機はそうそう無いと今でも思います。

ところで、ボディをムリに左右にグイグイねじるときしみます。そんな使い方は撮影とは関係ないと言ってしまえばそれまでですが、ここまで品位が高いと剛性もガッチンガッチンしてると思いたいところ、少し残念でした。

◆撮影してみて

撮影するときは、これも2012年当時の小型デジカメなので内蔵ファインダみたいなものはなく、背面の液晶で対象や光線をみてシャッタを切ります。その液晶には92万ドットの高精細なものを奢っており、ニコンとしての意地が伺えました。

ところが、精細というからには対象がよりリアルに捉えらえることを 期待したのですが、そうは感じきれなかった。理由の一つはオートでのホワイトバランスが黄色や緑によりすぎた気がしたこと、もう一つはハイライトの飛びが目立つためです。

一つ目の理由について、小型デジカメにホワイトバランスの精度を求めるのは酷という意見もありますが、高品位な造形をして画質優先をカタログで謳う製品ならばもう少し煮詰めて欲しかったところです。というのは、P310はRAW保存がないのでアトでホワイトバランスをいじることができないのです。

ただし、マニュアルプリセットを使えば満足できるレベルになるし、プリセットの仕方も他のデジカメより簡単なので、これは使い方で対処することができました。

もう一つのハイライトの飛びが目立つ点は、液晶の調整範囲が明るさしかないのでどうしようもありません。さらには、暗いところでのフラッシュレートが低くカクカクした画像表示ともあいまって、色鉛筆の紙芝居のように感じ始めると撮影意欲は一挙に減退。一言で言うと、撮る楽しさが感じられないのでした。

デジカメによっては、パソコンやテレビに取り込んでみるよりも背面液晶で見た方が見栄えがするモノもありますが、撮影する気にさせるという意味でそれは大事なことです。液晶が理由で写す気がおきずに写真機が棚の中でプラプラしていたのでは、これだけ詰め込んだ技術や努力がパーになってしまいますから。

写す気を起こす写真機であったか否か。個人的には、それは撮影したあとの写真をみれば一目瞭然でわかります。なぜか、写す気にさせる写真機で撮るとタテ位置の写真の比率がグッと増えるからです。横位置の比率が高いデジカメの場合、タテ位置で撮ろうとか、しゃがんで撮ろうとか、無意識に頭に浮かぶまえに撮り終わっていることが多いです。

◆そして、画質

最後に、もっとも優先したという画質についてふれます。1/2.3インチという小さな撮像素子を使っているわりには解像度もありノイズも低い。良く撮れるデジカメです。画像の鑑賞倍率をどんどん拡大していっても、結構くっきり写っていることにはむしろ驚かされました。

ところが、諧調の滑らかさが足りないのか、色彩コントラストがぼやけているのか、すっきりした透明感が足りない気がしました。わずかににごったプラスチックレンズのメガネをかけて対象を見たような感じで、クッキリとは写っているが自分がクッキリと写したい方向ではなく途中に処理装置が介在しているというか。

1/2.3のデジカメにそこを期待するのはおかしいかというと、そうではない。というのは、同じ撮像素子サイズのペンタックスQがそこをクリアしているからです。どういう記録を残すか、写真なのかメモなのか。Qについてもう少し振り返れば、拡大して見た時のクッキリ感はP310より劣ります。しかし、キャビネ程度でのリアル感ではこっちの方が自然です。

P310の目指す方向は、その高品位な操作感やデザインや精度からして、Qと同じ写真リアル感を追及することだったと思いたいですが、でてきたものは高精細メモ機に感じました。

◆撮る楽しさ について

高品位で操作感もよかったP310でしたが、撮ろうとして液晶のトビトビ感にがっかり、写してみて色鉛筆的描写に首をひねる。撮る楽しさを感じることは出来ずに、今は小型高性能メモ機として手元においています。操作していて壊れそうな印象を全く受けず、確実に記録できますから。

ただ、それで終わるなら、こんな写真道楽に期待持たせる格好にしなくても良かったのにと思います、見た目は英国紳士、じつはホリが滅茶苦茶深いだけのべらんめえしか話せない日本人みたいなチグハグな印象で終わってしまいました。

ニコン様といえば、機構も高品位、デザインも高品位、操作も高品位、吐き出す結果は更に輪をかけて高品位 と信じていだけに、この最後の部分、P310では少し世間を見て指向が寄り道してしまったのかなと感じます。同じ寄り道するなら世間を見ずにペンタックスを見ればよかったのに。もっというと、真似すれば良かったのに。

◇次回:いまどき真鍮のボディ、そのナゾに迫る。

 

 

 

 

その31.S1000pj 昔懐かし幻灯機

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◆出会い

良く行くアウトレットモールの中にニコンが入っており、いつものようにブラブラ惚けていた時にS1000pjを見つけ購入しました。買った時にはもうすでに年次の古い写真機(2009年製)ではありましたが、相当安くなっていたことと他では手に入りにくいことから、エイヤッと決断しました。「プロジェクタ付き」が謳い文句。

ところで、アウトレットに行くと何かを持ち帰りたいようなムズムズした気分が沸いてきます。服を買うでもなくニコンの破格値の写真機を持ち帰ることが多くなりました。

◆デザイン

小型デジカメの一種かもしれませんが、他と違う独特の雰囲気があります。好き嫌いのモノサシに乗ってこないというか。昔、コダックにディスクカメラというのがありました。アレに少し似ています。

手に持ってみると案外と重たかった。あ、これは道具というより装置だな、と感じました。

◆写す性能

S1000pjは、パッと見た限りではレンズが二つついているように見えます。前から見て中央と、右上と。しかし中央のものは、レンズはレンズでも映写用に拡大するためのものであり、写すためのレンズは右上の小窓の中に納まっています。このわすかなスペースの中で5倍のズームができ、どの焦点距離であってもレンズが外にビヨーンと飛び出したりしないので重量バランスが良い。そして、撮られる側(たとえば猫)に警戒感を与えなくてすむメリットがあります。

レンズが小さい分、起動も遅くなく撮影をコツコツとこなすことができます。ただ、対象を観察する液晶が23万ドットと粗いだけでなく、コントラストが低く黄色がかってみえるので撮っていてあまり楽しさを感じません。また、フォーマットが4:3か16:9しかないので、町のプリント屋さんで3:2にプリントしてもらうと像の一部が欠けて勿体ない気がします。

しかし、そうしてプリントされたものを見ると、背面液晶で見るのとは違って かなり綺麗に写っていたことにビックリしました。質感描写のレベルが高い。写真をとってもプリントしない人も多いでしょうから、液晶の質に引っ張られて画像性能が良くないと勘違いされていたかもしれません。

また、4000×3000の大サイズだけでなく、640×480や1280×768の小さなサイズでも撮影できるので、見て鑑賞するだけでなく文書に取り込むときなど、とにかく画像1枚の容量を低く抑えたい時には重宝する仕様です。

パソコンで画像を確認するとホワイトバランスが崩れていることに時々気づくことがありましたが、一眼レフではないので非難することでもありません。液晶の質が低くてホワイトバランスの良否を撮ったその場で確認できるような写真機ではありませんし。

S1000pjは、映写プロジェクタを組み込んだことによる全体コストの制限や、「鑑賞はプロジェクタでせよ」のつもりで液晶のグレードをケチってしまったのかもしれませんが、撮るために液晶を使うことにも配慮して欲しかったなと思います。

◆映す性能

 さて、この写真機の最大の特徴である「映写機能」です。結論からいえば、個人的には十分楽しめました。

どんな使い方かというと、ベッドの上にダラダラと横になり天井に映すというパターンが多かった。部屋を真っ暗にすれば、何とか視認できる程度の明るさではあるものの、「壁面に映したものをみている」ことに感動です。

映写画素が640×480しかないので細部をみるのは到底ムリなことは承知の上で、こんな小さなモノで映写機能が一体化されている、まがりなりにも機能している、その事実だけで満足でした。

ただ、映写していると本体がものすごく熱を帯びてきてこれはヤバイのではないか?という心配だけはありました。いきなり発火してベッドのシーツや枕に着火、しかも真っ暗な中で。。。これを想像すると怖いです。

別の使い方としては、机にS1000pjを置いて壁に映す。といっても、遠くの壁ではなく、すぐ横の壁。これだと、部屋を真っ暗にしなくてもA4までの大きさに抑えれば何を写したかは十分わかります。写真機の液晶だと、たとえそれば高性能であってもせいぜい3.2インチどまりで視野角の制限もあるが、映写だと視野角の制限がないので複数の人間で画像を確認するのに向いてます。

プロジェクタという言葉を聞くと、企業プレゼとか大画面映画鑑賞の方が頭に浮かびますが、この写真機の性能ではそもそもそんなこと出来ません。なので、小型幻灯機という言葉の方がしっくりきます。天井に薄ぼんやりと映し出された写真をみてると、小学館の良い子の雑誌「小学2年生」7月号の付録についてきた「ドラえもんの幻灯機」を思い出す。色付きセロファンの後ろから懐中電灯を当てるアレです。

◆今でも欲しい幻灯機

プロジェクタ機能のついた最初の写真機がこのS1000pjですが、その後にニコンから後継機が一つ出たり国外メーカが出したりしたあとは、この機能を搭載したものはパタッとなくなってしまいました。

コストがかかるのか、バッテリの持ちや制御に難があるのか、映写品質に不満があったのか その辺の事情はわかりませんが残念なことです。

なにしろ、撮ったらあとは別のデバイスを使ったりSDカードを移し替えたりすることなく、手元に小さな写真機1台あるだけで「大きな画面」で見れることは大変嬉しかったからです。余分な手間なくドーンと見れるだけで価値がある。

と思っている人は少数なのかもしれません。それでも、SDカードを移し替えたり無線で飛ばしたりしなくても映写できる機能を今でも渇望してやみません。移し替えてパソコンやテレビの大画面で見たら、色再現や精細さなど それは目を見張りますが、所詮テレビ自体が大きいので「そりゃ当然だろ」と思ってしまいます。見ている画面はテレビの枠よりは小さいわけですから。

もし、電源管理の問題だったというならば、コンパクトな写真機におさめなくても構いません。

例えば、一眼レフのホットシューにメーカオプション品として装着できる小型プロジェクタがあっても良いと思います。一眼レフ側の画像を呼び込むためにプロジェクタとの間に連携ケーブルがあったり、電源を自ら供給するためプロジェクタのガタイが大きくなったとしても、「一体化されたモノの中で映写ができる」嬉しさをまた味わいたい。

ペンタックスあたりがやりそうな気がします。究極のフィールドカメラ、野に出て自然と向き合おうと語るならば、テレビもないパソコンもない無線すらも届かない洞窟の壁に撮ったばかりの写真を映写するくらい本気でやりそうな気がする。

◇次回:これは、ちょっと、寄り道してしまったのか? ニコンなのに。

 

 

 

その30.k-r 電池といえば単3

 

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◆出会い

城崎の合戦では温泉の踏み石との壮絶な戦いを制したk-5ではあったが、そのガタイには痛々しい打撃キズが残りました。今は気丈に動いてはいてもいつポックリいくかわからない。ペンタックスのレンズも揃ってきた頃、いざその時を迎えても対処できる予備が欲しくなりました。そこで、k-rという初心者向きの機種を追加しました。

LX-5やらQやらも手元にありましたが、ズームをつけて撮影したとき、現像ソフトでのイジリ許容度やプリントしての情報量はさすがにAPS-Cには及ばない、と思っていました。

え?では同じAPS-CのK-01ならどうなのか?

というと、それはソレです。不問の案件としてここでは触れないことにします。ここというかこれからも。

◆予備として、十分な性能

以前にコンタックスRXの予備としてケンコーのカメラを買い、そのファインダとの相性の悪さに結局使いこなせなかった過去があるので「まず、写真として残せるか」という基本的なことを、展示品をさわり回して確認してから購入しました。

<良い点>

シャッター速度が1/6000秒まである、これはベース機種として価格が抑えられている中ではありがたい仕様です。そんな高速シャッタ使う機会あるのか、ニコンFM2でさえ1/4000秒だったのに。というのはフィルムの頃の話で、デジカメになってからレンズ側への要求水準も高まり開放絞りでも使えるものが出てきた今では1/6000では足りなかった。コシナのフォクトロン40mmF2.0を描写が好きで良く使っていた頃ですが、昼間にf2.0で撮ると1/4000でも露出オーバになる時があったので1/6000秒はグッドでした。ちなみに、k-01は1/4000秒です。

また、操作性がペンタックスのk-5・Q・k-01と概ね同じであり、慣れた身には使いやすい。特に、k-5(ひょっとしたらk-7?)からは撮影中にINFOボタンを押せば撮影に関わる設定項目が表のカタチで背面液晶に表示され、その項目を選んですぐにダイヤルで設定変更できるので重宝しました。

そして、ミラーショック。これはk-5と比べればまるで違っていて支えている掌全体にバスンという衝撃が来るのですが、これはこれで撮ったという感じがして好きでした。

最後にデザイン。上方の液晶がないところにモード切替ダイヤルを移してあるが、ペンタ部をしっかり造形しつつ内部の密度感を外に表すよう直線と曲線をビシビシ決めた意匠で大変気に入りました。シルエットだけでみたら個人的に今まで目にしたデジカメの中でもっともカッコいいと思います。細部になると、k-01にみられる全体と調和する部分という点で欠けるところはあるかもしれませんが些細な事。なお、k-5では左の掌に違和感があったフォーカス切り替えの出っ張り部分が、k-rでは小さくなっていてここは嬉しい点です。このビシビシなデザインをそのまま黒にしておくのも勿体なく、グリップ部分はブラウンに変更した個体にしました。商品が届いてみると、そのブラウンが注文したときのパソコンで見た色合いよりもくすんでいてちょっとションボリしましたが。

<予備機と割り切り許容した点>

操作性の点では2点、一つは背面のAFボタンがAEロックボタンと共用であること。ボタン位置がそれに伴い上にあるため撮影中に押すのが難しい。というのは、メガネをかけた左目効きがファインダを覗きながらこのボタンを押そうと右手親指を移動すると、メガネと干渉してしまうからです。これがk-5であれば、AFボタンが鼻の右側に位置するので問題は発生しません。K-rでどうしても必要なら顔をグニュッと変形させることで対処することにしました。やってみると、けっこう変形するものです。

もう一つは、背面の十字ボタンの中にk-5だったら在るカスタムイメージのボタンが無いこと。これがあると、撮影前に対象を見た時に「お、これは白黒にしよう。」と感じたらスッと切り替えられるのですが、無いならばメニュー画面から設定を変えなければなりません。k-rはisoボタンにこの席を譲っているので仕方ありません。

そしてファインダー。覗いた時のサイズがk-5より一回り小さい。サイズが大きすぎると覗いた時に全視野をみるのに目玉をグルリとまわす手間があるので、小さいことが全て悪いわけではありませんが、どうしてもk-5と比較してしまうので覗いた感動が面積縮小の分だけ小さくなる気がします。まあ、ペンタ部もプリズムでなくダハミラで済ませることで軽量化しているし、ケンコーのカメラのようにフォーカスが合わせきれないということは無かったので良しとしました。

最後の妥協点は防塵防滴でないこと。これは、小雨の時ほど写真を撮りに行きたくなる衝動が出た時はk-5にまかせ、そのk-5がもし入院している場合は部屋でガーナチョコをかじりポリフェーノールのリラックス効果によって衝動を抑えるしかない。

 このように、予備のデジイチとして写真を残すのには十分な性能です。

実際、フォクトレンダ40mmをフォーカスエイドでピント合わせし撮影してみても期待どおりの写真が撮れました。軽く出かけたいときには、むしろ、この組み合わせだけで撮影することもありました。

ところで、予備のデジカメのことをサブ機といったりしますが、それにはまだまだ馴染めない処があります。サブというと、石森章太郎の「佐武と市捕り物控」を思い出し、サブというのは予備というより主役でないか?という固定観念があるからです。

◆単三電池が使える

デジカメを使おうとするときのメンドくささの一つが、電池を専用充電器を使って充電しなければいけないことです。写真を撮る時というのは出かけている時が多いので、充電池が切れたらその場で充電することもできずオシマイせざるをえません。それがイヤなら、スペアの充電池を持参しますがそれとて「あと何枚撮れるか」を心の中においとかないといけない。

その点、k-rはk-100Dから続くペンタックスの伝統として単三電池が使えます。出先で使い切ってもコンビニがあれば調達できます。

そういう一般的な安心感もありますが、それ以外の嬉しさは単三電池のカタチさえしていれば何でも使える=エネループが使えることです。というのは、ストロボはどのメーカも大抵は単三電池型のエネループで動かすことが多いので、エネループさえ持っていればストロボとデジカメで電池の種類を分けたりする必要がありません。エネループと充電器さえあれば済みます。特に、ペンタックスのk-5等に使われる充電地の専用充電器は満充電になるまで5時間くらいかかる印象なので、そこに縛られずに短時間で充電できることは大きなメリットがあります。エネループの充電器はサンヨーの正規品だと時間かかりますが、energizerの急速充電池と充電器のセットだと4本が1時間足らずで充電できます。

Qシリーズでは電池抜くと日付がリセットされたりして、電源制御には不安のあるペンタックスですが、なぜか単三電池には異様な思い入れがあるらしく他のデジイチが単三電池仕様に見向きもしない時でもこのように互換可能な機種を残していました。そして、そのこだわりの一端は、k-rの電池ブタを開けると驚愕します。なにせ4本をキュッと束ねたカタチの通りに電池穴が空いているのだから。そして、何気なくエネループやenergizerが使えていますが、普通のアルカリ電池の1本の電圧が1.5V、一方のニッケル水素は1.2Vと電圧差があるので 昔はアルカリ電池で使えるコンパクトカメラがソコソコあったとはいえニッケル水素電池もしくはニッカド電池が使えるものはあまりなかったことを考えると、どこ吹く風でどちらにも対応しているペンタックスはたいしたものです。

といいながら、2017年現在、単三仕様のデジイチペンタックスからも姿を消しています。おそらく、4本を収めるとなるとそれなりの大きさが必要で、もはや電池にそれだけのスペースを与えられなくなったとか、単三電池自体が昔ほど汎用的には使われなくなったせいかもしれません。そういえば、energizerの急速充電器も発売中止になってしまいました。

タミヤの戦車のプラモデルにマブチモータとナショナルの単三電池2本を入れて、道なき道を走破させることが清く正しい精進の心得であるとひたすら信じて育った身としては単三電池には特別な思い入れがあります。そして、ニッケルの名がつく充電池とは、サングラス姿のナイスガイ達がこれまたタミヤの電動バギーで更なる世界を意のままに駆る原動力とイコールであり、少年少女にとっては超魅力的だった。この、単三とニッケル何某がむすびついた究極のエネルギー源であるエネループ。エネルギー礼賛の未来を黒部第4ダムと共に明るく鮮やかに描いて見せたエネループ。掌に握るだけで明日への活力が沸いてくるエネループ

今現在はデジイチ本体には使えませんが、バッテリグリップには使えます。ええ、使っています。ペンタックスの電源メータは信用が薄いと言いながら。エネループ、好きですから。

◆撮影ルーチンと上面液晶

 かように惚れていたエネループ、ではなくてk-rですが使っていくうちに自分の撮影リズムと少しズレを感じるようになりました。いつのまにか染みついた無意識の撮影ルーチン、その中に、写真機の上面で設定状態を見て取る過程があったことに気づきました。

ここに撮影するまでのルーチンを書き出してみると、これまでの一眼レフの扱いでは、

①見出す・・・・光景を見渡して、撮る対象や範囲を定める

②見下ろす・・・カメラ上面の情報をみて、設定する 絞り、モード、露出補正

③見つめる・・・ファインダを覗いて、撮影像とシャッタ速度を確認する

ーーーーー以下はデジカメになってからーーーーーーーーーーーーーーー

④見直す・・・・背面液晶をみて、撮った写真を再生する

⑤見回す・・・・背面液晶をみながら、現像する

の5つを、順々に気にもとめずテラテラとしていたことに思い至りました。

k-rの場合は、②の「見下ろす」ことを、「上部液晶が無い」からスポイルせざるえない。背面液晶を使って代わりに設定を確認することになりますが、長年のリズムである「ファインダを覗く前には自動的にカメラの上面をながめる」という体の動きがなくなるので、撮影のテンポがつかめないことがわかりました。そうすると、撮れた写真が綺麗か否かとは関係なく、撮っているときの無心で高揚した気分を持続できなくなってしまう。

k-01の時はファインダが無いから以上のルーチンにあてはまりませんが、ファインダを覗く行為が伴う場合は、その前に「写真機の上面で設定を確認する」というルーチンが無いと心が落ち着かないことに気づきました。

また、k-20Dやk-5のペンタックスを使い続けると、このブランドのダイヤル配置が上面をのぞきながら操作するのに好適であることにも気づきました。上からのぞいている時に右手の人差し指が自然と前ダイヤルへ、親指が自然と後ろダイヤルに触る配置になっているのです(そのかわり、ファインダを覗くために手を持ち変えると後ろダイヤルはやや窮屈な位置に来てしまう弊害がありますが)。その素敵なペンタックスでありながら「上面液晶」もない、後ろダイヤルも無い、となるとペンタックスならではのいじくりまわす楽しみが無い。最初は予備だからそんなこと気にならないと思ってましたが、そのうち予備であろうともこの「上から覗いて設定を確認する」ルーチンは自分にとってキャノンFTbの時から続く重要なリズムだったことがわかりました。

単三への熱い気持ちをたぎらせてくれた写真機、k-r。スタイルも良くて気に入っていました。ただ、今になってもk-のあとのmとかxとかrの意味が良くわからないままなのですが。

◇次回:撮ったあと小さな液晶では勿体ない。大画面をデジカメだけで鑑賞しよう。

その29.K-01 まさに暗室

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 ◆出会い

このデジカメは発売からそれほど月がたたないのに価格がみるみる下降していき、2万9千円になった頃に手に入れました。必要だから買うというより3万円以下でこんなユニークなのが買える、と思うと手を出してしまう悪いクセ。昔、6000円くらいした2枚組のレコードが、同じアルバム内容でCD2980円になっているとつい買ってしまったのと似ている。「298」という数字の並びに、なぜか引き寄せられてしまう悪い病気のせいで、ああ、買ってしまった。そんなデジカメでした。

◆唯一無比の形態

では、なにがユニークかというと、これミラーレス一眼です。それでもってAPS-C。ここまでは普通ですが、マウントとフランジバックが一眼レフと同じまま、というのが凄い。ペンタックス以外のメーカでは絶対やらないでしょう。ミラーが無い分、撮像素子とレンズの間を詰めボディを薄く可搬性良くデザインできるのがミラーレスの利点でもあるわけですから。ミラーが無いからといって、そこにカポッと穴を空けたままにしているというのは、中から三枝師匠が「いらっしゃい」と出てきそうでソワソワと落ち着かない気持ちになるのが普通です。ミラーレスを作ったというより、ミラーを外してコストダウンと手抜きをはかったとみられてもしかたない。何しろ、中は本当にガランドウ(西城秀樹的にはギャランドゥ)、これぞ暗室ですから。

そのためボディはミラーレスという言葉とは無縁に分厚く、ファインダ-の出っ張りがないからレンガのようにみえます。ただ、もし電子ファインダ-がこれについていたら、ひょっとして一眼レフよりガタイが大きくなってしまうかもしれず、それはそれで不気味だろうことは容易に想像つくのでこのレンガに留めたのは正解だと思います。

そして、マークニューソンなるデザイナーの手により、つまみやボディの造形に1970年代を思い起こさせるシンプルな造形が取り入れられていて、その形状やボタンの色分けのセンスが好きでした。ガランドウのレンガのくせに、外見に安っぽさも加飾過剰なところも無いのです。見た目だけでなく、モードダイヤルなどは50年まわし続けていたくなるほど感触が良いものでした。

◆手抜きなのか、理にかなっているのか

一見、手抜きにしかみえない構造ですが、それで何が嬉しいかというとペンタックスのKマウントレンズがそのまま付くこと。

一眼レフの話になりますが、ペンタックスオートフォーカスは速度もそこそこだが、精度がk-5に至っても甘く、撮影したあとでピントがまともに合っているかどうかを背面液晶で確認するみたいなことをチマチマしなければいけない。

それがいやなら、k-5の撮影モードをファインダで合わせるのでなく、撮像素子そのものでコントラスト合焦する方法をとれば高いピント精度が得られますが、そのモードに切り替える時や撮影が終わった時にミラー周辺からギャオギャオという壊れそうな音が聞こえ、同時にバッテリもみるみる減っていくのでおいそれとは使えない禁断の技のイメージがありました。

そこで、ギャオギャオ唸っているミラー作動系そのものを取っ払って、電源管理を撮像素子での合焦に特化したものに変更すれば、kマウントレンズの実力を高いピント精度でいかんなく発揮することができます。ということなのかどうか。

実際に撮影してみると、確かにピントの安心感は高い。手ブレ補正が働いている作動音がかすかに聞こえるのも、単なる箱ではない感じがしてよい。そして、最後に画質。

これがk-5よりもむしろクリアに感じる調整がされているのか、ペンタックスの一眼レフ同等以上の綺麗な写真が撮れました。絵に仕上げる時のチューニングが違うと感じました。

撮影中はミラーレスを手にしているというよりは、ウェストレベルの2眼カメラの画像を見る部分が地面に水平でなく垂直になっている、それを操作しているような錯覚に陥りました。恐らく、分厚い幅を持つ感覚がそうさせていたのかもしれません。

ミラーを取っ払うという暴挙に出たK-01ではあったが、しっかりしたピントと画質を提供しつつ写真を撮影する楽しみも不思議と犠牲にしてないデジカメだったといえます。ただ、一眼レフの位相差オートフォーカスでキャノン並に精度があったならば、ミラーレスになってフォーカスが安定する嬉しさに感激することもそんなにないかもしれません。

k-01ならではの良いところをもう一つ言うと、シグマやタムロンのレンズが安心して使えることです。一眼レフについている位相差フォーカスというのは、見えているボケ像から合焦点までの駆動量を予測計算してピントを出していると聞いた覚えがあります。それが事実だとしたら、フォーカスの時にレンズ個々のクセというか情報も計算のために必要と思うが、自社製でないレンズのクセまで拾うことをカメラメーカがするとは思えません。そのためなのか、一眼レフだとサードパーティのレンズでオートフォーカスを合わせるのは結構大変、というか、むしろ外れる経験が多かったのですが、k-01は届いた光をコントラスト検出するので、測光時の開放絞りと合わせた絞り値との違いで生まれる収差が被写界深度に入っていれば確実にピントが合ってました。

ただ、やはりファインダで像になる前の「ナマ」を確認しておきたい衝動はなんともおさえがたく、このようにミラーレスのデジカメをアレコレ冷静に見ておけるのも、手元に一眼レフがあるからです。ミラーの動きは「ナマ」と「結果」を仕切る一つの儀式を代行しているともいえます。「ナマ」が目に届く一眼レフをついつい求めてしまうのは、キャノンFTbを使っていた頃から経験してきたミラーショック、そこに世界を分かつ合図をいまだに感じ取ろうとしているからかもしれません。

◆ミラーレスならではの使い方:反省

純粋にミラーレスとして見た場合、k-01の液晶は日中では晴天でなくても見づらく感じました。そこがやはり、一眼レフを覗く時の楽しさとは違う。

しかし、これは今にしてわかったことですが、液晶の輝度を設定で思い切りあげてやると日中でも像を確認しやすくなります。これをやるとやらないとでは、え!と思うくらいの大きな差があります。というのを、つい1年前に別のデジカメをいじっている時に発見しました。もし、k-01を使っていた頃にこのことに気づいていたらと思いますが、ミラーレスとは使いこなすものではなく、誰でも使えて当然のものとタカをくくっっていたからいじって何とかしようなど考えもせず。仕方ありませんでした。

◇次回:そのデジカメ、単3電池で動くんです。

 

その28.ペンタックスQ 小さなオトナ

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◆出会い

ペンタックスのk-5でようやくフィルムを使わない写真スタイルへの脱皮を果たしたころ、一眼レフを持ち出さないまでも日常をパチリする写真機としてはLUMIXのLX-5がありました。この「5」の連中二人だけでも良かったのに、道楽の延長としてペンタックスのQをただカタチが気に入ったという理由で仲間に加えました。

標準単焦点がついて25千円だったと思います。このQは、発売当初は7マンエンくらいの高値がついてましたが、あれよあれよという間に値下がりしてこの値段になりました。撮像素子がLX-5よりも小さい1/2.3なので写りには期待してません。ウリであるレンズ交換にも期待してません。なにより、マグネシウムをまとった写真機らしいカタチが第一、あとはk-5とほぼ同じ操作メニューで扱えることが魅力でした。

操作メニューに慣れている、ということではなく、ペンタックスの操作メニュー自体が他のカメラと比較してみて自分にはもっともわかり易かったからです。

◆意外に速く写せる

操作そのものに難しいところはありません。そして、コンパクトではあるが全自動だけを指向したデジカメではないので、露出やブラケットやホワイトバランスが一眼レフ同等に設定しやすい。使っていると、押せば写るコンパクトというよりも、撮った写真を見返して設定をいじりながら記憶の像に近づけていくこともできる正真正銘の写真機であることを感じます。

このQで当初期待してなかったが感心したのが速射性です。というのは、つけたレンズが単焦点でもズームであっても、電源を入れてからレンズがジーコジーコ作動しないのですぐ背面液晶で対象をとらえシャッタを押すことができます。機械が作動スタンバイを終えるのを待つ時間が短い。この感覚はsanyoのマルチーズを使っていた時に近い。レンズの先にはフードもキャップもつけず、保護用のフィルタをつけていただけなので電源スイッチさえ入れればすぐ撮れる、レンズバリヤの開閉を待つ時間さえ必要ない。ここでフィルタと言いましたが、この小ささでレンズ前にフィルタやキャップを装着できるのはこのQしかありませんでした。

この速射性は、k-5と同じ一眼形態であるためレンズ動作を待たずに済むことから生まれるわけで、希望の画角で撮ろうとすると時間がかかるコンパクトデジカメに対する大きなアドバンテージです。軽く小さいカメラなら、サッと出してサッと撮れることも大切だと思うので。

◆意外に良く写せる

 Qの撮像素子は一般的なコンパクトデジカメと同じく1/2.3インチしかありません。世にあるその辺のデジカメで写した画像をみると、素子が小さいためにボケないという物理的な要素はおいといて、諧調が狭く色味も薄いものか、あるいはそれをカバーするためデジタル的に彩度をあげシャープネスをかけすぎたものか どちらかにしてもk-5などAPS-Cサイズの撮像素子で得られるものと比べリアル感の無い写真という感想を持っていました。それを承知のうえでQを購入しました。

だが、単焦点をつけてISO100で写した画像をみるとビックリ。それをキャビネくらいの大きさで見る限りにおいては、コンパクトデジカメではなく明らかにk-5同等といえるようなリアル感を持っていました。フィルムカメラとの比較になるがコンタックスT3よりも上です。そして、カスタムイメージをモノクロにして撮影すると、デジカメながらフィルムで撮影したようなコクのある像が得られます。この経験から、撮像素子の大きさによらず、デジカメ内の画像処理のクセや巧さが非常に大切だと学習しました。同時に、撮像サイズが大きいことが全てに優先するのでなく、諧調や色味が自分の満足に足るならば素子が小さい故のシステムの簡素化や近傍撮影での深度の確保、望遠撮影上の倍率上昇などのメリットにも目を向けた方が良いと思うようになりました。ただ、高感度になると素子の小ささゆえの破たんが輝度ノイズとして表れ始め、その限界はさすがに早い。ISO400までが許容して撮影できる限界と感じました。

◆交換レンズの意味

こんな小さなデジカメでも、レンズ交換するとその違いが思った以上にわかって面白いです。単焦点レンズと標準ズームレンズとを、同じ焦点距離と同じ絞り値に合わせて撮影比較してみるとが明らかに単焦点レンズの方が線が細かく諧調もコントラストも高い像が得られ、明確な差を感じることができます。標準ズームだと、LX-5で撮影した方が誰の目からみても明らかに上ではないでしょうか。しかし、一つのレンズで様々な画角に対応できるズームの利便性が必要なときもあるので、そういう時は3つのレンズ(単焦点・標準ズーム・望遠ズーム)を持っていけばことたります。望遠ズームは標準ズームよりも画質が良く、開放絞りもf2.8固定なので、そこそこ楽しめます。レンズ自体も小さいので大変軽いシステムで済みます。

ただ、それならばコンパクトデジカメでも高倍率ズームをカバーする機種はあるので、かえってレンズ交換の分だけ面倒にみえるかもしれませんが、前述しているようにズーミングが電動でなく手動、つまりレンズが勝手に作動し始めることがないので自分のペースで撮影できるところが違います。また、繰り返しになりますが単焦点(prime 01)の描写性能はコンパクトデジカメのズームでは得られない優れたものなので、これを中心に使う機会が自然と大きくなります。

Qを使っていると、単焦点で7,8割の撮影をこなすスタイルが定着しました。画角上どうしても対応できない時に、画質に不満が残るもののズームを持ち出す使い方です。名前は標準ズームでありながら使い方は緊急対応ズーム。これも、画角固定のコンパクト(例えば、コンタックスT3やフジのクラッセ)にはどう転んでもできないことなので、小さいながらレンズ交換できるメリットは実用写真を撮る意味でもあります。

余計な心配としては、Qに標準ズームだけつけて撮影するとLX-5より劣る写真しかとれないので、本来の良さがわからずに終わってしまう方が多いのではないか。1/2.3インチの撮像素子に対するイメージが強い分。これが、1/1.7インチだったら、安かろうではない素子として認知されているので、要らぬ先入観なしにQの画質訴求(標準ズームは除く)の姿勢がより良く理解されたかもしれません。

◆Qならでは衣装合わせ

さて、Qを買う契機となったデザインについていうと、ボディ色を黒にするか白にするか?でずいぶん迷いました。白ボディはグリップ部分がベージュで色分けされており、昔使っていたエプソンのPC-98互換ノートパソコンに似た白を生かした品の良さがありました。ヨドバシのお兄さんが勘定を始めた間際に、やはり黒にしますといって変更しましたが、その理由は、小さいからこそ目立たない黒でよかよ、という内なる声が聞こえたからです。

このQにはサードパーティから意匠グッズが販売されていて、その中で手を出したのはAKI-ASAHIさんがネットで扱っておられる貼り革キットです。これは表面をカバーしている合成皮革というかゴムを自己責任で剥がして、代わりに気に入った色と柄の貼り革を貼るというものですが、その貼り革の精度がペンタックスが作ったのかと思うくらいピッタリでした。黒ボディだと、銀色のレンズとの統一感が無いのですが、その間にダークブルーが入ることで色のバランスがとれてより男前になったと自己満足しました。これに、ニコンがnikon1シリーズ用に展開している皮のストラップをつけると更に色男になります。撮るという写真機本来の機能には全く関係ない衣装直しですが、着ているファッションが決まると撮影する気概が高揚するので実は大切な事だと思います。ところで、ニコンはストロボの制御もダントツですが、カメラを体に保持するストラップの出来も他メーカに比べ抜きん出ているように感じます(現在持っている写真機は全てニコンのストラップをつけています)。

街で撮っていると「素敵ですね、なんと言うカメラですか?」と良く声をかけられました。そこでペンタックスと言っても知らない方が結構いて、なるほどフィルムから写真を撮ってない人がイメージするカメラブランドはだいぶ違ってしまっているのだなと思いました。同じようなことが、自動車でも電気自動車が浸透してくると起こる気がします。

◆Qからみえるペンタックスの有り様

 最後に、Qというかペンタックスというブランドについて、改善して欲しいと感じた点もあげておきます。以下の3つが解消されれば、知らない方に対してこのブランドをより強く推奨できるでしょう=「昔から続くペンタックスというメーカーがありましてね...どうですか、一台。」

①ストロボ制御が芳しくない

Q、それに続くQシリーズも同様だがボディの中でストロボ機構が占める割合はものすごく大きい。そして、発光部がボディからなるべく離れるよう、その構造は大変工夫してあることがわかります。そこまで気を配っておきながら、ストロボの外光とのバランスが良くない。これは一眼のk-3を使っていても感じます。

②ボディスタイル及びネーミングが安定しない

Qの次機種、Q10。これも購入しました。ボディはマグネシウムでなくプラスチックになり意匠も変更。原価の都合上プラスチックを採用し、その質感ダウンの目先を変えるためにデザイン変更した、とは穿った見方とは思いますが、意匠を変えた理由が伝わらない。同様に、10がつく意味。そして、その次がQ7。そのまた次はQ-S1。シリーズとしての名前の付け方の意図がわからない。 ペンタックスは世にないものを出すのは巧いが、その後継をどうすべきかまで考えずに出しているように感じられる時があります。

話はそれますが、Qに比べてQ10のシャッターボタンは大変押しやすくなりました。指の腹をささえる周囲のリングの高さが絶妙に設定してあります。ところがQ-S1になると、そのバランスが崩れてしまいました。指先の感覚は人によって違うとはいえ少々残念です。

③電源まわりが弱い

バッテリの持ちが悪いということでなく、電源の制御に不安がある。Qの後継のQ10を使っていたとき、電池を抜いてしばらくすると日付がリセットされてしまう。このしばらくが1日なら問題にならないが、20分とか10分でリセットされてしまうので、下手すると電池交換のたびに日付を設定し直すというマネをしなければなりません。買ってから1年くらいたつとそういう傾向が出てきました。ボディ内蔵キャパシタのヘタリもあるかもしれないが、露出や画質の設定は消えないので日付に関わる記憶保持の制御がおかしいことが疑われます。この現象、今手元にあるQの3世代後継であるQ-S1でも直っていない。

生産製造の技術や画質性能が秀でたブランドなので、k-5の時に体感した壊れない信頼性だけでなく、使い続ける信頼性がより高まればブランドの認知度もあがり「ペンタックス?what?」は無くなっていくと思います。デジカメにとって電源制御の安定性は、コンタックスのフィルム給送と同様、使い続ける信頼性に直結すると思います。

◇次回: 大いなる手抜き? or 革新的で先取な発想? 撮るためのレンガ。