まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その2.FTbの 重さ

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◆出会い

2台目のカメラとなったのはキャノンの一眼レフFTbです。79年に父親から譲り受けたモノ。露出はファインダーの中で画面横の〇の枠に針が入るように追伸式メータを合わせるマニュアル操作で自動ではありません。

カメラを構えたのち、ファインダーを覗きながらシャッター速度を右上のダイヤルを回転させながら設定し、左手のレンズ絞りで露出を合わせる。これで終わりではなく、当然ながらレンズのフォーカスリングをまわしてピントを合わせ、シャッターを押して撮影完となります。

◆闘い

なにやら、手でいじることの楽しさがあるような書き方ですが、実際はカメラという金属の塊の重さとの闘いでした。カメラは700g、レンズはf1.4の50mmで300gを越えるので合わせて1kg強。しかし、この程度のカメラは今でもざらにあります。このカメラをとりわけ重く感じた理由の一つは、その重量バランス。ボディの上方に重心が位置しているらしく、シャッター速度や絞りをマニュアルで合わせるときに左手で持つ中でグラグラし、これが手のプルプルを誘う。そして、二つ目の理由がファインダー。ピント合わせがマイクロプリズムだけで、スプリットプリズムがないので厳密に合わせようとするとピントリングを前後にまったりまったり繰り返すことになる。結構時間かかります。とうとう支えている左手のプルプルが限界に達し、こらえきれずにシャッターを押す。

 そんなわけで、①覗く前にパッと画面イメージを構成する②露出の明るさと絞りを写真の出来上がりを考え設定する③ピントを主点に合わせる④もう一度画面構成をファインダ内で整理しフレーミングととのえ⑤最後にショックゼロとなるよう呼吸整えシャッターを下ろす なんてことなどできず。③と④のところで腕がプルプルし⑤になど構ってられない。現像した結果は、余分なものが写ってたり画面が四方に拡散しているものばかり。

◆50mm as オンリーワン

とはいえ、このカメラでは数多く白黒写真をとったものです。コダックのトライXというASA400のフィルムをつめ、一枚一枚左手を震わせながら撮影し終わったら暗室に入りキャビネサイズに焼き付けてました。自分で作ったプラモデルをマクロレンズでない普通の50mmで近接距離ぎりぎりから撮影したものなんかも含まれます。

 レンズについて少し言えば、当時は交換レンズなし、キャノンFD50mmf1.4しか持ってませんでした。しかし、前に使っていたコダックのインスタマチックに比べれば実際の見え方どおりにファインダで覗けたことが嬉しく、今も50mmが一番好きな画角なのはこの頃の原体験が元になっているのかもしれません。現代の目でレンズそのものの性能を語れば、樽型の歪曲は目立つ、周辺が流れる といった点で古いのですが、暗いところから明るいところまで破綻せずにとらえることができたので現像はし易い。

◆意外、人を撮るのにいい

ところで、写される側にとって、このレンズはなかなかいい表情を引き出したようです。当時は人の撮影にフィルムを使うことが多かったのですが、重さと闘っているためにフレームや構図まで注意はまわってないものの、中の人達は自然に写ってました。なぜだろうと探ると、今の標準ズームのように鏡筒がビヨーンと前に伸びることもないから第一に圧迫感を与えない。そして、前から見た前玉がデカい(しかしバカデカくはない)ため、写される人が小さいレンズを凝視して睨み付けたような目つきにならない、そして3番目は「ああ、またこいつココで撮っても現像失敗するんだろうな」というあきらめに似た気持ちからくる緊張感の無さ?

◆次こそは

重さに抗い筋肉をつける努力をすること無く、時は流れ1980年代、自動露出と小型軽量を謳った一眼レフが目白押し。ヨーシ、次は絶対軽いカメラを使うぞ、と心に決めてました。

 ◇次回:軽さだけではなかった。カメラの魅力、カッコイイ~ を感じさせてくれた機種とは一体?