まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その14.アリア 触るように写る

a.keyword { border: 0 !important; text-decoration: none !important; pointer-events: none !important; cursor: default; color: #5A5A5A; }

 f:id:olguin:20170407082607p:plain

コンタックス、アリア。

感じたものを写すことを可能にし、それまでの写真への向き合い方さえ変えてしまったカメラです。出会いを語る前に、2000年を前にまだフィルムが優勢であった頃の状況を思い出しながら、なぜそんな力がこのアリアにあったのか見つめてみます。

FTbでの白黒現像の楽しさ、FGでのポジフィルム鮮明さの衝撃、EOSでのズームレンズへの信頼 それら自分にとってのエポックと並ぶ記憶をひもとくので少々長くなります。

◆フィルムスキャナのショック

まずはその頃に持っていた一眼レフの話から。ニコンFGをnewFM2を買うために放出し、そのカメラも左目で覗ける仕様でなかったことで手放した後、残ったのは91年から使っていたEOS100の米国版ELAN。単焦点レンズはニコンで付け替えしてたので、もっぱらズーム28~105mmをはめてパチパチしてました。

その頃にネガ現像を出していた写真屋さん、オペレータの方が変わられてからは濃いめにプリントするようお願いしても色が浅く仕上がりされてくることがありました。そんな折に、ニコンのフィルムスキャナcoolscanというものがあることを雑誌で知り、「ひょっとしてこれは自分でカラー現像できるかもしれない」と花火が炸裂。色も、露出も、トリミングも、自分の意のまま!! 値段は10万円を超え、パソコン環境も変えざるを得ないなどハードルは高かったが、ドーンと購入そしてセッティング。高校時代に白黒現像していた興奮が、カラーで蘇りました。

しかし。ネガの一コマにつき3分くらいかけてジーコジーコとスキャンする手間の割には画像と撮った時のイメージが一致しない。晴れた日のものは綺麗だが色が派手、曇りの日はコントラストが薄くピント合わせたものが浮き上がらない、ような気がしました。スキャンした画像は拡大して見たりできるが、それはそれで、合わせたハズのオートフォーカスが実は曖昧であることを発見してガックリする。

第一の問題の原因をレンズの諧調再現性が十分でないからと解釈し、第2の問題についてはELANのオートフォーカスの限界だと受け止めました。ホントのところはわかりません。

フィルムスキャナ、それ自体は想像どおり素晴らしいものでした。シャープネスや諧調幅もコントロールできるので画像のメリハリも自分のイメージに近づけることができます。と同時にネガフィルムには写真屋さんのプリントでは表せてなかった膨大な情報が入っていることもわかりました。ならば先ほどのレンズに諧調の問題も解決するように見えるのだが、フィルムに届く前の光のところで情報が痩せてしまうとスキャナ側での修正は困難。また、露出ミスをしてもネガはラチチュードが広く大丈夫との先入観あったが、撮る前にイメージに近い露出に合わせておかないと諧調幅を自在に操れない事もわかりました。

このように、フィルムスキャナは写真をプリントでなく情報として、より素の部分として意識させてくれた機械でした。さきほどのネガの露出の他に先入観を改めたものに、ネガとポジの違いがあります。それまではポジの方が鮮やかで解像度とコントラストが高いと思い込んでいたが、同じEOSとズームの組み合わせの結果をスキャンしてみると、ネガも全く同等の解像度を持っている。コントラストや鮮やかさは、フィルムに届く光さえしっかりしてればあとでどうにでもできる。透明感はポジの方が出ますが、ネガフィルムの実力を思い知りました。と同時に、フィルム現像だけは写真屋さんで1本500円でしてもらっていたが、そこでの薬剤や温度や時間のコントロールで後の像が変わってしまう。写真屋さん選びも大事でした。

以上、イメージ通りにスキャン画像を処理したいが、それにはスキャナとがっぷり4つに組める画質性能を持ったレンズやカメラが必要になる。レンズの諧調再現性。ビシビシに合うオートフォーカス。常に露出補正を意識させる表示&操作系。そんな組み合わせを新たに探し始めました。98年初頭の頃です。

 ◆第一候補、断念

そしてロックオンしたのがペンタックスのMZ-3です。まあ、上にいろいろ選考基準を挙げてはいますが、ようは見た目が9割。小さいながらアナログのダイヤルが大きくシャッターボタンがグリップの上でなくボディ上にありカメラらしい。あとの1割、ロックオンの理屈をスキャナ水準に沿ってこじつけるならば、①エスピオミニと同じSMCコーティングのレンズならば諧調は十分なはず(だろう)②露出補正ダイヤルが独立してるので撮るとき常に最適露出を意識する(だろう)。反面、危ういと感じていたのはペンタックスオートフォーカス精度。スキャナでは画像を拡大できるので、ピントが外れていた時のショックも写真屋さんでハガキサイズのプリントを手にするときの数倍に拡大される。ペンタックスの精度にはあまり良い評判を聞いたことがなかったので心配はありました。

だが、やはり見た目。EOSは体格が大きく、他のメーカのカメラはルイジコラーニの幻影をひきづっていたため食指動かず。MZ-3のピントも③いい加減ELANより数年たってればビシビシ(だろう)と強引に自分を納得させボディを手にとってみました。結果、寸前で購入にいたらず。オートフォーカスの精度についてはファインダ覗く限りではわかりませんでしたが、拍子抜けしたのが裏ブタのペコペコ感です。撮るときに顔がヌチャッと密着する裏ブタがペコペコ。その展示個体だけの問題かも知れないが、一挙に興ざめしました。残念。シャッターとかダイヤルの操作感は良いと感じただけに。

◆出会い

 そんなとき、夏頃でしょうか。 アリアが発売されました。

まず、その真正面からとらえたカメラボディのカッコ良さに惹かれました。右と左にアナログダイヤルが分かれ、最小限の情報表示のための液晶もついている。プラスチックなのに丁寧な艶消し塗装により軽さを感じさせない仕上げ。あれ、ここまではMZ-3と似ている。加えて魅力なのが、いかにも脳ミソがつまっていそうな四角いペンタトップ。このクロマニョン人並のオデコの大きさを前にすると、それ以外のカメラのアウストラロピテクスのような狭い額が前時代のものに思えてきました。

そして、今まで考えてもなかったT*コーティング。エスピオミニ以来、コーティングのノウハウが諧調に直結すると理由もなく思い込んでいたので、雑誌媒体にクリアでかつヌメッとした描写を叩きだしているT*があったことを思い出し、期待が膨らみました。

ただ、オートフォーカスでは無い。スキャナの求める厳しい水準にマニュアルなピント合わせで合格するのだろうか。ところが、突然の発想の転換というか逃げの思想が浮かびました。「外れたら外れたとして自分で受け止めるだけである。」そうです、合わせたつもりが外れていることをスキャナ画像から逆に学び、次に撮影するときに自分の頭の中でピント補正をしピントリングをあとひとつまみゴリッとまわしてやる事を思いつきました。そうするとファインダ覗いているピントからズレますが、自分の目よりスキャナが自分に蓄積させた本当のピントを信じよ、という言わば経験フォーカスという手法です。

これで(無理に)ふっきれた気持ちになり、大阪梅田の小さなカメラ店でまだ製造番号の新しいアリアを45mmf2.8のテッサーと共に購入しました。ボディが小ぶりだったので最初のレンズも小さいのを選びました。

スキャナに通す前に操作してみた感じは、一言、軽やか。シャッタのレスポンスはゆったりと感じましたがショックがなく、持ったときの重心のおさまりも良い。ひとつ、露出補正のダイヤルが他メーカのカメラとは逆に後ろからみて右側にあるのに最初はとまどいましたが、むしろこの方が補正量が一目で目につく上に、絞り優先でファインダ覗きながらでも操作できるのですぐになじむことが出来ました。

ピント合わせ自体は、ファインダ像に立体感があり合わせ易かったです。像の大きさも、メガネ越しにのぞく自分にとって丁度よい大きさ。FGは大きすぎて4スミまで一度に見渡せず、ELANはやや小さく穴倉を覗くイメージ、その中間の大きさに感じました。

◆満たされたスキャナ水準

スキャナにネガを通してみて、色合いが自然なことがわかりました。派手といえば派手ですが、色が記憶にある色と違う色に変わっているという事はなく、元の色のまま濃厚になっている印象です。そして、曇りの日でも像がぼやけることなくしっかり残っている。京都の金閣寺を、まだ雪が残る季節の日も暮れかける午後に撮影したときでも金色がぼやけることなく再現されていたり。

ひょっとしたら、レンズの諧調表現力の差だけではなくスキャナを使い慣れてるうちに画像の出し方がうまくなっていたのかもしれませんが、その時はこれまでとは違う、現実に近い、というか現実そのものを難なく捉え切れていることに驚きました。

と、同時に写した時は気付かなかった邪魔なものが案外と入り込んでいることにも気づいた。おそらく、撮るときには主題に意識が集中しすぎているため、45mmのような普段の視角より少し引いた画角だとそれ以外のモノまで気がまわってなかったのでしょう。これも、シャコーンシャコーン(パシャパシャという音ではない)と撮っているうちに、いつの間にか気にならなくなりました。

露出補正も、ネガであっても積極的に使うようになりました。補正ダイヤルが上からカメラを見下ろした時にわかり易い位置にあるおかげです。これが左側にあったりダイヤル自体がなかったりすると、自分が補正したことを忘れたまま撮り続けるという失敗が必ず起きていたが、それも防げます。

マニュアルレンズのピント合わせとしての経験フォーカスでいうと、テッサーはf2.8では自分の目でもピントを合わせることができましたが、それより絞り込むとピントが後ろにずれることがスキャナ結果をみてわかったので、たまに絞って撮る時には忘れずにゴリッと前にずらしていました。

◆アリアにしか出せない絵

コンタックスが昔に謳った文句に「写真はレンズで決まる」という言葉があったと記憶してます。スキャナ水準を満たす諧調表現力を知るとまさにそうだなあと思う反面、コレは何だろう?というのをアリアを使っていて感じました。

コレ。ホワッとした、現在から過去につながる時間というか、音というか、そういうものが写真に出ている。スキャナ使わずに町の写真屋さんで同時プリントで出しても出ている。のちに同じコンタックスのRXを買うのですが、レンズを同じにしてもRXでは出ない何物かがアリアにある。

テッサーはRXで撮ると大変硬く、時間も凝縮された印象を受けるが、アリアではそこにホワッがのっている。黒がペンキの黒でなく、水に溶いた炭のように連続的に滲むのがそう感じさせているのかもしれない。では、なぜペンキでなく炭の黒がアリアで出るのか、というとシャッタのシャコーンにヒントがあるかもしれません。シャコーンという長い間にシャッタの幕間から光がにじむ。にじみながら露光すると像には少し遅れた滲みの光景が重なる。その滲みを生むのはシャッタ幕とフィルム面の間が少し広いのでは。みたいな妄想はともかくとして、アリアだと過去の時間が、寂しさと愛おしさを含みながら不思議と残っている。

それからです。見つけて撮る、ということから、感じたら撮る という写真に変わりました。

写す対象が、モノやコトから、感じた何か、光景と言うのだろうか光とその織りなす反射の有り様に変わった時期でした。

カールツァイス28~70mm f3.5~4.5

ネガフィルムとアリアとフィルムスキャナ。鑑賞はパソコン画面またはプリンタで好きな大きさに印刷。撮り方だけでなく、撮ったあともスキャナ取り込みでの画像現像ふくめ楽しみ方が大きく変わりました。そうなると、写すレンズがテッサー一つだけではもったいなく感じ、次には標準ズームに手を出しました。カールツァイスにしては鏡筒が金属ではなくレンズ構成枚数も少なく値段が安いものでしたが、写りは十分満足できるものでした。スキャナでみると、その解像力、コントラスト、自然なボケ味、周辺光量の豊富なことがより明確にわかりました。アヤメや菖蒲を撮ると、鮮やかな色や複雑な花弁の捉え方に感動しました。その全幅の信頼感をもとに、スペインのアンダルシアに旅行したときはアリアとこのズームレンズ一本で日本とは違う乾いた光景を感じたままに撮ることができました。そして。どんな時でも、アリア独特のホワッというか音が写っている。スペインのヨーロッパとイスラムの滲みが、そのまま光の滲みとして少し寂しげに写っている。

特に、アリアというカメラの持つシャコーン時間に、構えるコチラがマニュアルフォーカスを動かしながら合わす呼吸のタイミングが微妙に重なった時に オオ! が生まれた。マニュアルフォーカスが生み出す時間も大切かもしれません。

◆電池はどこにある?

機構的な面白さにも触れておきます。スペックだけみるとアリアは平凡なカメラです。だからといって、カメラとしてまとめ上げる志は平凡でなく図抜けていると感じたのが3つ。

一つ、巻き上げ音とショックが非常に小さい。そして品が良い。シャコーンのほとんどの成分はシャッタ幕が滲みを軌跡するときに出ています。 二つ、ファインダの視野率が95%と高い。覗いたままに写るように、との配慮がうかがわれます。三つ、電池の収納、これがすごい。

3VのCR2リチウム電池を二つ使うのだが、この小さいボディのどこに収納するのか一見したところではわからない、二つの電池を縦に並べるようなフタが無いから。また、カメラの大きさ、特に高さからしてそんなスペースがあるようにはまるで見えない。では、どこに電池が収まっているかというと、何と巻き上げスプールの円筒の中に入っている。こんなところに電池を入れる発想、どこから沸いたのでしょうか。そのおかげで、電池ブタもかつての露出計カメラのボタン電池を収めるようなコインでまわす金属ブタですむ。 カメラの性能として全然うたい文句にはならないが、アピールするしないを超えた設計者・企画者のこのアリアへの愛情が感じられて脱帽してしまうのです。

◆誰に向けてのカメラだったか

コンタックスでは一番軽く、安く、プラスチックであることから初心者向け・入門向け と言われることもありましたが、そもそもオートフォーカス全盛の頃にマニュアルフォーカスが入門向けであるはずはない。誰に向けてか? というと たぶん そんな事はどうでも良い。何しろ、比較できるカメラがいないんだから。 ペンタックスエスピオミニとこのアリアは、今でも手放したことが悔やまれるカメラでした。

 

◇次回:デジカメ初デビュー。なるほど便利である。