まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

その13.ティアラズームの 繊細さ

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◆出会い

ティアラという名が浸透した2年後、ズームが発売されました。金属の外装は気に入っていたものの28mm画角に違和感を感じていた頃に、このティアラズームはテレ端を56mmに伸ばして登場してきました。

カタログをめくっているうち、「今度のズーム版の画質は相当いけるのではないか」と期待が膨らんでいく。確か、伏見稲荷かどこかの赤い鳥居が連続する様を撮影例として掲載してありましたが、その色のクリアさと繊細さに見とれたことを覚えています。

◆凹レンズの自信

レンズバリヤを開けると、レンズ前面がへこんでいる、つまり凹レンズが採用されています。カメラのレンズは虫眼鏡のように焦点を中心に結ぶというイメージから、前面は凸レンズであるという先入観がありました。その凸レンズの屈曲ラインの美しさが、意味もなくレンズの性能を反映するような気がしてました。それがこのカメラでは逆にへこんでいる。そのへこみの中に、画質に対するフジフィルムの自信が渦を巻いてたまっていた。のかどうか。

最初に試写したのは雨模様の冬の日。傘だったり、寺の仏像だったり、寒牡丹だったり。ネガをいつもの写真屋さんで現像してもらいプリントを見て驚きました。線が非常に細かく、かつコントラストと諧調があり、一眼レフのレンズと遜色ない写りだったからです。その後の撮影の中で、遠くのビルを切り取ったりしたが、ピントをマニュアルで無限遠にあわせるとガラス窓の枠もクリアに再現されていて非常に良いレンズであることがわかりました。

当時の高級カメラにコンタックスのTVSズームがありますが、種々の媒体の撮影写真をみてもティアラズームから出てくるネガのなんてことないL版写真の方が描写が優れているのは明らかでした。

グッドデザイン賞

 このカメラは97年のグッドデザイン賞を受賞しています。実は元祖ティアラも95年に受賞しています。素晴らしい、と言いたいところだが毎年かなりの数のカメラが同賞をもらっており名前どおりの箔があるかというと疑わしい。ただ、デザインを設計という意味でなく、意匠やスタイリングといいう目でみるとティアラズームはなるほどと思う。それは、沈胴式レンズが3段型でありながら、スッキリとまとまっているからです。最近の3段型たとえばパナソニックのLX100が手元にありますが、これなどはかなり不格好です。3段だから恰好悪いのかと思うと、かたやティアラズームを見てそれが原因でないことがわかる。

この差は何なのだろう。それは、1段目の太さです。ここから生える2段目とあまりに太さが違うと不格好に思う。逆にいうと、ティアラズームはその太さが揃っていてスマートに見えますがそれはそれで保持強度とか設計の苦労があったのだろうと感心します。

で、次はデザインという言葉を意匠でなく設計ととらえて見た場合。残念ながら、グッドデザインとはいえません。

第一に、操作がわかりづらい。ズーム操作と一緒に、ストロボの発行やセルフタイマ、露出補正などの設定を兼ねた丸形のシーソスイッチが背面にあります。この丸形の十字式機能設定は今ではデジカメで当たり前になっておりそれ自体は悪くないのだが、液晶の情報量が少なくて自分が何を設定したのかがわかりづらい。プチプチいじりながら頭で考えていると写真を撮る気持ちがどんどん萎えていきます。

第二に、電源offをすると折角設定した内容がリセットされてしまうので、またやり直さねばならない。特にストロボは、日中でもかなりの頻度で自動発光するので撮影中にそれをプチプチ操作して発行停止にするのですが、また電源を入れなおすと元に戻ってしまうのは使いづらかった。

第三に、レンズの使われ方への配慮。レンズの描写自体は線が細く良いのだが、明るさが開放でもf4.5~7.5と暗いので主題を浮き上がらせるよりは構図で勝負、ということになるが、コンパクトカメラのファインダでは厳密に意図した図を収めるのは難しいものです。また、近接撮影距離も80cmくらいあり、何も考えずに撮ろうとすると近距離すぎて撮れないということが良くありました。レンズの性能の良さで一眼レフで撮ったようには見えるが、レンズの使い勝手悪さのために一眼レフを「使って」撮ったようには見えない写真となります。

◆繊細なのか無神経なのか

このへんに、描写は繊細でありながらやや使い手のことを考えない無神経なトコロが見え始めるのですが、設計だけでなく製造品質という点でも残念な覚えがあります。

一つはレンズバリヤ。アルミであるゆえプラスチックの安っぽさは無いというとそうなのだが、これがへこんだのにはがっかりした。どこかにぶつけた記憶も無いのに、カバンから取り出しイザ使おうとしたらバリヤの中央がへこんでいる。操作に支障がない程度であったものの、金属だから頑丈であることを期待している分、簡単にへこんでいると自分もへこむ。

中古カメラ屋さんに並ぶ昔のニコンFなどみると、真鍮でできたボディのところどころに凹みがあったりしますが、あの、凄みのある鈍い凹みなら良い。ティアラズームの場合、ロッテのクールミントガムの銀紙をクシャとしたような凹みで、バリヤであることの機能性を考えずに相当薄いアルミを使ったのではないか、との疑念を喚起してしまうのです。凹みの質が良くない。

二つめは背面の液晶。このデジタル数字がドット欠けを起こしはじめ、やがて何を表示してるのかわからなくなった。プレデターの映画で、化け物のプレデターが腕時計だかiwatchだかの操作盤を爪でたたくシーンがありますが、あの象形文字がティアラズーム背面の液晶に浮かぶ。当然、地球人にはなんのことかわからない。

使う相手・使う状況まで思い及んで品質を考えてない無神経なモノづくり、がチラチラと見えてしまった。カメラは一時のオモチャで済まされるものではありません。永くいつでも使えることを前提に作ってなかったのでは? しかし、それを買う時点で見抜くこともなかなか難しい。

◆許された時代

品質面で無神経を露呈した、繊細な神経の持ち主ティアラズーム。しかし、その扱いづらさ・壊れやすさが叩かれることもなく発売され続けたわけですが、実はこういう製品は当時は少なからずあったのではないでしょうか。カメラを持っていても、その目的は家族の記念写真ということであれば持ち出す機会も少なく、故障が発覚するほどまでに使い切らないままその役目を終えることがあったでしょうから。そこを目線に開発すれば品質問題に気付かれることもなく製品として価値を落とすことにはいたりません。家族写真だからなんでも撮るわけでなく、フィルム代現像代が高いのでそうそう数を撮らない人が多かったと思います。

これが今なら、レビューの場、それもプロでなくても誰でも感想を吐露できるWEBがある以上こうはいきません。品質の隅々まで厳しい目を向けられることがなかった、許された時代に生まれたカメラの一つでした。 それでも、覚えもないほど軽微はぶつけ方でへこむようなバリヤはありえない。レンズ前面がもともとへこんでいるとはいっても決してシャレではすまされない。

◇次回:この、カメラは、すごかった。何が? 撮る気にさせるオーラが。