まど猫スケッチ

カメラを手に感じてきた雑感を回想する

標準ズームのお話(5) あれから40年

ニコンZ7Ⅱ 24-120mm F4

◆標準レンズと○○タックス

 ○○タックスと言えばコンタックスペンタックス、この2つのメーカに私が共通して感じていたのは単焦点ほどにはズームレンズへのこだわりが少ないということだった。

 単焦点に限れば、これまで使った中でプラナー50mmf1.4とFA31mmf1.8は本当にお気に入りのレンズであった。こんなもの撮ってどうすんの、みたいな被写体を注意が向いただけで撮ったあとプリントしたときに自己満足以上の喜びを与えてくれた。普通のレンズだとこんなもので終わってしまうのが、である。

 たぶん色や階調の重なり方が現実そのままを超えた何かを導いているようなのだが、残念ながら実用的な面で出番が多い標準ズームレンズにおいてはそうではなかった。

 ペンタックスの標準ズームの中で16-85mmのシャープ感と透明感には感嘆したが、ボケの硬さへの対処や常につきまとう片ボケ頻発の工作精度をみると設計的素養が単焦点レンズのように生かされているとは言いづらい。

 コンタックスについては一眼レフについては良い標準ズームレンズもあるが、小型カメラに一体で付いている標準ズームレンズの性能は大変低い印象しかなかった。カールツァイスの名とソコソコの値段設定に期待すると結構トンデモな代物であった。当時の小型カメラのレンズは似たようなものであったかもしれないがブランド名に頼って何か大切なものを疎かにし始めたような気配を感じた。

◆標準ズームレンズに見える姿勢

 さて。

 デジカメ一眼レフのフルサイズを考えるにあたりペンタックスからニコンへと移行した理由は、K-1というカメラの操作系の冗長性が一因であった。

 そして、もう一つがズームレンズ開発という点におけるペンタックスのスタンスであった。初めて組み合わせる標準ズームレンズが別マウントでタムロンが既出していたレンズのOEMだったのである。

 自前のレンズが軸として通った後でのことなら文句はないが、初めて出すフルサイズのカメラであればその標準ズームも自前設計としメーカとしての矜持を示してくると思っていた。そうでなかったことから、写真機材メーカとして今後続けていく技術的余裕が無いかのように思ってしまった。今後もまた写真趣味を続けていく身にとって、それは余り良いことではなかったのである。

 ペンタックスコンタックスは好きではあったがそこに留まるよりも安心して続けていけること それがニコンに戻るきっかけにもなった。 

◆D750に最初につけたズームレンズ

 キャノン、ニコン、そしてソニーと有った中でニコンを選んだのはシャッターの感触を始めとする操作フィーリングの良さにあった。手の中の収まりが良く、ずっと触っていたい・操作していたい気にさせたのがD750だった。

 ところが、組み合わせズームレンズとして選んだのは、ニッコールではなく便利だけが売り物と思っていたタムロンの28-300mmf3.5ー6.3の高倍率ズームだった。

 なんということはない、ニッコールは見た目がデブッチョで格好悪かったのである。デブッチョとはどういうものか、毎日風呂上がりに鏡を見ているので私は良くわかっている。そこから趣味の間だけでも逃げたい、という一心もあった。

 手ブレ補正機構があるためとか理由はあるにせよ、鏡筒が私には異様に太く見えた。そして、Fマウントの口径が小さいものだからその根本に向かってデブッチョを一挙にすぼめねばならない。

 このすぼめの部分のキュキュッとなっている部分が嫌いだった。絵に描いて説明できないので口述すると、東京12チャンネルで放映していたシンドバッドがマジックベルトをキュッと締めている様子とでも言おうか。でも、そんな好き嫌いを言い出したら、もっともこのすぼめ部分がイヤだったのはニコンさんのレンズ設計の方々だったであろうと思う。剛健なニコンのイメージをデブッチョレンズは台無しにすること間違いなし、いつの間にかD750やD850といったカメラ本体までもがデブッチョに仲間いりしている図は耐えられなかったのではないだろうか。

 そんなデブッチョでないレンズ、でも中年は過ぎとるねの体型を持っていたのがタムロンの高倍率ズームだった。

タムロン高倍率ズームの超絶コストパフォーマンス

 このレンズを手にしたのは、いつものヨドバシカメラであった。

 最初は、ペンタックスF2.8標準ズームと同じレンズ構成のニコンFマウント版タムロンを買うつもりでいた。しかし、これも太めであった。

 これをD750に付けた図を想像すると、ワタナベトオル+サカキバライクエになってしまう、どっちがどっちかはさておき。それにやはり重い。

 そんなおりに、同じブースにあって当時5万円という値段だった高倍率ズームに目がいった。なんたって握れる程度には細い。そして安い。軽い。

 昔の高倍率ズームの印象があったから、覗けば周辺はガタ落ちの暗さで歪曲もすごいだろうと思っていたがD750越しに見た光景は全く違うものだった。どちらも無いのである。

 無い。というのは全く無いわけではないが、少なくとも私の想像していた「コレくらいはあるだろう、だって高倍率だもん」の1/10以下であった。何コレ?と思いつつ、次に手ブレ補正の効き具合を試してみたらこれも「止まる」である。

 もちろん、300mmの望遠端で1/30秒では当たったり外れたりだが、200mmだとほぼ止まる。これには驚いた。そして、このレンズが最初にD750に組み合わせたズームレンズとなった。見た目のマッチングもヤスシ+キヨシくらいに合っていた。

 このレンズは解像力もそこそこあり、どの焦点域でも私の使い方では満足な結果を残してくれた。ライトルームを使って修正する作業にも破綻なく応えてくれた。

 巷には、やはり周辺に甘さがあるという声もあるようだったが、ペンタックスのズームを通しで使ってきた身からすれば問題にするようなレベルではなかった。

 しかし、使うにつれピント機構の甘さが顔を覗かせるようになってきた。

 オートフォーカスがなかなか動かないことが散発してきたのである。こういうことはレンズメーカのものではあり得ることは覚悟していた。キャノンのフイルム一眼レフで使ったシグマの物は2つが2つともフォーカス不能になったことがあるからである。

 大変気分良く使ってきたタムロンレンズであったが、恐る恐る使うようでは趣味どころではない。修理に出すというのも一考ではあるがたぶんに純正でない部分の宿命を感じ取った私は、いよいよ純正か、デブッチョかあ~と思っていた時にすでに発売されていたニコンのミラーレスZ6とZ7に気分が向いていった。この2台はとびきりハンサムでは無かったが、底しれぬ安定感みたいな物を往年のFMやFEのように発散していたのであった。そして、標準レンズ24-70mmF4と組み合わせた図はソウタケシ+ソウシゲルのようにスポーツ感あふれるモノに私には思えた。

 そして、Z7Ⅱへのマイナーチェンジから少し遅れたタイミングで発表になったのが

ニッコールZマウント 24-120mmF4であった。

◆ズームという枠が消えた

 私が初めて手にしたズームレンズはニッコールEシリーズ36-72mm F3.5、それから40年を経て同じくニッコールという名のもとにこのZマウントズームを購入した。

 このレンズが発売されていなかったらZ7Ⅱを買っていなかったかもしれない。というほどに、このレンズの発表時からその出来栄えについては根拠なき確信をもっていた。

 一つの理由は、Z7Ⅱを手にする前にZ50を使っていてそのキットレンズであった16-50mmズームレンズの性能の高さを知っていたということがある。

 とにかくシャープでありながら、ボケたところはガサつかずに自然な見え方をしている。歪曲があっても後での修正が十分楽な範囲に留まる。

 ただ、このレンズは沈胴式であったため撮影までにレンズ位置を繰り出すという一手間が面倒であった。フルサイズ用の24-70F4キットレンズもその写りの良さはニコンの作例写真から見て取れたものの同じく沈胴式であったことが私にとってはネックであった。

 新しい24-120mmF4はこの点で普通のナリをしていたので操作時に繰り出すという作法をせずにすぐ撮影に移れる。そして5倍比の焦点域距離というのも大きい。

 ズーム比は広がれば広がるほど嬉しい。

 最初は2倍ズーム、それでも喜んでいたものだが35-105mmの3倍ズームとなり、その広角端が28-105mmと広がり、とうとう24-120mmまでくると普段は50mm近辺を使うことが多い身からすれば十分である。広角端、望遠端が本当に広角レンズ、望遠レンズの感覚で使える。しかも、APS-Cサイズへのクロップ機構がカメラにあるので望遠端は180mm相当に拡大でき、これはもはや24-200mmをf4通しで使うような気分になれる。

 そして、そのF4の開放絞りから完全に実用になる、というかすさまじい解像力を示す。そのくせ、ボケの不自然さはなくうまくまとめられている。さらには、最短撮影距離も全焦点域で35cmと小さい。

 Z7Ⅱと組み合わせたシルエットも決まっており、完全にデブッチョの呪縛が解けたことを示している。そして、軽い。

 も~、これ以上何を望むの? というレンズになってしまっていて、ズームだ単焦点だという枠を完全に超えた存在になっている。

 一切の妥協なく、かつ一切の誇張もない。

 もちろん、デジタルカメラゆえのボディ側との補正協調はあるだろうが超安定画質。これにしっくりくるズームリング、ピントリング、コントロールリングの操作味付けが加わり撮影していて本当に楽しい。

 ただ一点、文句をつけるとすればL-functionボタンを押した時の感触がペチッとしているのだけが残念。無音だと操作の判別がつかないから敢えてペチッを残したのだろうか。

 あとは壊れるまでこのレンズを使い続けていきたい。

 なんだかニッコールの宣伝のようになってしまったが、本当にこのレンズには驚いた。この設計でキャノンやソニーのマウント用に売ったら世界中このレンズばかりになりそうだが、どっこいZマウントというフランジバックの短さゆえに出来たことを思えばなかなかそうはいかないようだ。でも、ある国からリバースエンジニアリングで許可なく出てくるかも。。

 

  おしまい。        22年11月15日。

 

 

 

標準ズームのお話(4) ペンタックスのズーム、ダー!!

ペンタックス K-20D 18-55 f3.5-5.6

コンタックスからペンタックス

 フイルム一眼レフを使ってきた順に並べると、キャノンFTb→ニコンFG→キャノンEOS1000→キャノンEOS100→ニコンnewFM2。ニコンとキャノンの間をいったり来たり。  

 この流れでいうとデジタル一眼レフも2つのメーカーの製品になりそうだったが、どういうわけかコンタックスのマニュアルフォーカスカメラに「カブれた」時期があり、そのせいでデジタル一眼レフが流行り始めた頃に乗り遅れてしまった。

 コンタックスAreaの広告写真を見てその形に一目惚れし、45mmテッサーと共にパチパチしたのが始まり。カブれた最後の頃はRXに50mmF1.4だけをつけて何でもかんでも撮っていた。ファインダスクリーンにミノルタα9の全面マットを組み込むと画面内の隅っこにでも面白いようにピントを合わせることができた。

 これは当時の私にとってはとても衝撃的なことだった。というのは、その時代のマニュアルフォーカスカメラのほとんどは中央のスプリットプリズムでピント合わせするのが常であり、一方、当時のオートフォーカスカメラも測距点が真ん中の辺りにしかなかった。

 つまり真ん中でピントを合わせてそれから構図を選ぶ、というのが当たり前だった時に、その逆である構図を選んでからピントを合わせるというプロセス反転を意味した。

 

 デジカメが一眼レフとして出たときの画素数が、まだ(雑誌で見た程度の知識でいうと)600万画素あたりと低かったことも移行しなかったもう一つの理由だった。

 当時はフイルムネガやポジを読み取ってデジタル化するフイルムスキャナーの方が画素数は高く、またそのスキャナーに付属の読み取りソフトにはシャープネスや色調補正も組み込まれており、何も知らない私は「へん、フイルムの方が階調が広くて自由度が効くしエライもんね。」と勝手に勘違いしていた。

 

 実のところを言うと、パナソニックLUMIX F-1という300万画素のコンパクトデジカメを使ってプリントした時に、ひょっとしたらコンタックスRXよりもプリントが綺麗かも。。。という一抹の揺らぎを感じていたのだが、色々とありもしない難クセをつけてはフイルム一眼それもマニュアルフォーマスのコンタックス固執していた。

 そういう親父は結構いたのではないかと思う。

 

 その頑固親父マニュアルフォーカス一辺倒モードが、根本からくずれる事件が起きた。 その事件の犯人はニコンであった。

 フイルムスキャナーとしてニコンの製品を使っていたのだが、パソコンのOSがwindowsXPからVistaに更新されたときになんとニコンはドライバーを対応させない事を公表したのである。

 少し遅れます とか 今、新しいOSに向けて開発中です とかではなく、対応させないというニュアンスのことをやんわりとであったがハッキリと言った。

 その頃、パソコンをVista同梱のものに新調したばかりで、「あれ、なんかドライバを読まないぞ。」と思ったらこの始末であった。フイルムをジーコジーコとスキャンしてあとは画面をみながら画像を見たときのイメージを思い出しつつ修正する、という自己完結ルーチンに移行していた私に、もうフイルムのプリントを街の写真屋さんの腕に委ねるという勇気はなかった。

 いや、実はサードパーティからやがて代用のドライバなどが出たりして対応しようと思えば出来たのだが、なんとなく自分に踏ん切りをつけるかのように困ったなあといいつつ実はデジタイル一眼移行の好機ととらえたのかもしれない。

 むひょ、どのデジタル一眼を買おうかな、るんるん。 というのが本音だった。

 だが、その候補の中にはニコンは事件を起こした真犯人だから入れるわけにはいかない。

 キャノンはというと、たまたま知り合いでキャノン一眼を持っていた若者がこまっしゃくれたガキ、という言い方が変であれば身なりのいい好青年で私と違う世界の方々の愛玩品に思えたのでこれも却下。

 するとAPS-Cという当時2008年頃に標準的だったフォーマットでデジタル一眼レフを展開しているのはペンタックスソニーに絞られた。

 この2者のカメラの方が機能的に私には好ましく思えたのも事実である。なんの機能かというと、撮像素子をグインと動かしてしまう手ブレ補正機構であった。この機構はスゴイと思った。

 だって、レンズ側で行う手ブレ補正はフイルムカメラでもレンズと接点を連動させればできるじゃん、であろうが、さすがにフイルムそのものをカメラ内でヨッコラセと動かすことはできない。そんなカメラがあったら、フジとか小西六とかがうちの製品に何してくれやがると言って怒り出す。どだい、そんな機構はどう考えてもフイルム相手ではできない。それは、撮像素子をカメラの一部として部品に持つデジタル一眼だからこそできる特権であった。写り云々よりも、ここに参った。新しい風を感じた。

 ソニーのα700か、ペンタックスのK20Dか、といったところでカタチの好みから言うと断然α700だったが、持ったときの操作感は饅頭みたいなカタチのK20Dの方が遥かにすぐれており尚且つ上面液晶窓もあったことからK20Dとなった。

 こうして、コンタックスのマニュアルフィルム一眼レフから、ペンタックスオートフォーカスデジタル一眼レフへと華麗な転身を遂げた(つもりだった)。

 

 そして、その時に最初に手にしたレンズがペンタックスオートフォーカス18-55mm f3.5~5.6であった。36mm換算だと、28mm~80mmといったところだろうか。

 

ペンタックスデジカメの標準ズーム4種切り

 ペンタックスのカメラは、K20D、K-r、K-5、K-01(これはミラーレスっぽいが、ミラーが入ってないだけの箱)、K-3、K-70と手にとってきた。何か、操作していて楽しいカメラなのである。そのすべてがAPS-Cフォーマット。

 カメラにつけるレンズ、その中でも標準ズームでは下の①②③④4つを使ってみた。

それぞれの印象を思い出していこうと思う。

 ①先述の18-55mm F3.5-5.6

 ②17-70mm F4

 ③18-135mm F3.5-5.6

 ④16-85mm F3.5-5.6

 

①18-55mm F3.5-5.6。

 何しろペンタックスを使ってないのにいきなりK20Dを買ったものだから手持ちレンズがゼロ。何かつけないと当然カメラ単体では写らない、ということで一緒に揃えたのがこの標準ズームである。

 その頃、同じ標準ズームではF2.8の16-50mmというのがあったが、その大きさと価格に魅力を感じず、この廉価な方を選んだ。

 オートフォーカスの駆動は今ハヤリの電気接点ではなく、カメラ側からネジ(のようなもの)でレンズの受け口をクククッと動かすタイプである。実際にはジジーという音がする。

 このレンズについては描写が優れているという印象は最後まで持てなかった。

 ピントの線が太く、一見シャープにみえるがそれは解像度が高いわけでなくエッジ面のコントラストをあげるペンタックスの画像処理によるところが大きい。

 とはいえ、色がうすくなることはなく普段使う上で支障をきたすまでには至らない。重さが軽いことも付けっぱなしで使うレンズとしてはラクで良かった。

 ただ、オートフォーカスの精度が低かった。これには、K20Dというカメラの性能もあると思うが、フィルムカメラのEOS100にFE28-105mmを付けたセットよりも15年以上後に出たカメラのセットがコレかよ、と非常に落胆したのを覚えている。

 焦点マークが点灯しOKのつもりが思いきりピントを外しているということが多かった。なかなか合焦しないというのでなく、「合っていない」のだから困った。

 そして、その理由を私はジジー野郎、つまりレンズのオートフォーカス機構が古いためと勝手に決めつけた。これを根本的に解消するにはレンズ内にモータを持つSDM内蔵レンズにしないといかん、と思い3ヶ月後には別のズームレンズに買い替えた。

 もう一つ、改善してたらいいなと期待したのはレンズのガタである。ズームをそれほど伸ばしてなくても指で触れるとカタカタした。キャノンのEFレンズもそうであったが、このレンズのソレは分かりきってやっているというよりも、工場品質が追いついていない甘さを連想させちょっとげんなりした。

 

②そして下取り交換したのが 17-70mm F4 であった。

 開放絞りがf4固定であり、35mm換算だと28から100mmなので使いやすい焦点域のいわば定番とも言うべき標準ズームである。

 出た頃はだいぶ人気があったらしく、発売されてから値段が下がることもなく割と高値で買った記憶がある。高値ではあったが、SDM内蔵であることからオートフォーカスの精度とビルドクオリティの確かさを信じて手にした。

 結果から言うと、オートフォーカスの精度は確かに上がった。

 しかし、今ニコンのZレンズのガチピンと比較するまでもなく、キャノンの古いEFレンズのレベルにようやく迫った(追いつくまで行かない)程度であった。まあ、それでも格段の進歩であるのは確かであり、ようやく使う気にさせるセットがK20D+17−70mmとして揃った。

 しかし、レンズとしての機能性や描写の実際を経験すると、上に挙げたオートフォーカスを別にしても魅力に乏しかったという印象しか残っていない。

 描写の良い点を(あえて)言うと、

 70mm側(35mmに換算すれば100mm側)でのボケ感が素直で綺麗。色がしっかり乗っている。

 と一行で済んでしまった。あまり誉めどころが無いと言うのが正直な感想である。

 具体的には3つの問題があった。

 一つは解像力がどのズーム域でも不足していること。特に望遠端ではそれが顕著であった。

 二つめはコントラストが時にキツすぎることがあるが、これはまあ後処理で何とかしようと思えばできる。ただ、後から修正することを前提に写真を撮るというのはあまり面白くない。

撮影の時は、そんな後のことなど考えずに今その時に集中できることが醍醐味なので。

 そして三つめが、画像の歪曲であった。当時のK20Dには今のデジカメなら標準的に備わっている歪み補正なるものは無かったのでレンズの歪曲収差がそのまま出るのは致し方ないが、その出る焦点域が広角端や望遠端ではなく、中間の焦点域それも私の好きな50mm近辺で目立つと言うのがキツかった。これはペンタックス純正のレタッチソフトでも修正できなかった。Lightroomだったらできたかもしれないが、最も多くの写真を残す画角域で歪曲があると言うのはレンズの稼動性を減らすことにつながった。実際、写真を撮る気が失せた。

 描写だけではなく、機構的にも私には馴染めない部分があった。

 ピントリングである。

 ペンタックスのレンズにはフルタイムマニュアルフォーカスという機能を持つものがあり、何かというとオートフォーカスで合焦した直後にピントリングを回してフォーカスを微調整できる仕組みであった。

 これは初めて聞くと何やら素晴らしいことのように思えたが、良く考えてみるとオートフォーカスの性能がドンピシャだったらそんな機構はいらないんじゃないかと気づく。

 で、これがこのレンズでは要らないだけでは無いのだ、明らかに余計であった。

 写真を撮るときに左手はボディと共にその指先はレンズの先端を保持することになるのだが、レンズの先端に幅の狭いピントリングがあるため、それが合焦のときにクルクル回転するのに触れないように保持する。

 これが無意識にできるレンズもあるのだが、この17−70mmの場合は毎度気にしないと自分の指がレンズのクルクルを妨げることになる。ここまででも結構神経質になるのだが、何とかクルクルを邪魔することなく合焦した後も、指がピントリングに触れないようにせねばいけない。ところが、かなりの頻度で指が触れてしまうことがあり、その度にまた合焦し直すということを繰り返す。

 50mm域での歪曲の違和感、それにピントリングにまつわる(私の持ち方にも依るのだろうが)操作性の相性の悪さには辟易してしまった。

 さて、このレンズの人気のひとつである開放F値の固定についても思い出してみる。

 F4固定については望遠端でもストロボの到達距離が短くならないことの他に、単純に望遠側のボケを稼げるというのが実用上の利点だった。稼げるというか、正確にはF5.6とかF6.3よりはマシ ということ。

 それでも、開放F値の絞りでは画質劣化が激しくて使えないなあ、というのが私の経験則にはあった。しかし、このレンズの場合は望遠端で絞っても期待する向上代が無いことの反面として、その落差にがっかりすることも少なかった。

 とはいえ、このレンズもまた次の標準ズームを探すまでの前座という短い付き合いになり、その後に真打ち候補として手に入れたのが18−135mmであった。

 

③18ー135mm  F3.5ー5.6。

 これはカメラをK20DからKー5に買い替えたタイミングで手にしたレンズである。

 ペンタックスのカメラはKー7がK20Dに代わり登場したのちは、それまでの中年太り体型からアスリート体型へとデザインを一新した。かなりな男前になった。

 それに合わせるかのように、この標準ズームも小ぶりでややクラシカルなイメージを

持ちつつシュッとした外観を備えていた。見た目の印象は悪くない。あとは中身が充実したオトナとして世間に耐えうるか。これであった。

 結論からいうと、これは耐えうる。だった。

 先のF4ズームで感じたピントリングの扱いづらさは全くない。というのは、ピントリングがズームリングよりも手前にあるため普段カメラを保持する場合に指が触れることがない。加えてオートフォーカスの機構がインナーフォーカスであるのでピントリング自体がクルクルと合焦の最中に回ることがない。まあ、これは1991年の時点でキャノンでは普通に実現していたことではあるが。

 画質についても、私が良く使う50mmでの歪曲もなく中心部のシャープ感も明らかにF4ズームより上であった。

 ボケ方も素直、というかペンタックスらしいやや甘さを含んだもの(多分、球面収差が大きい)で中心に被写体を置いて撮る分には十分使えるレンズであった。

 100mmを超える望遠域となると流石に中心のシャープ感は落ちてくるが、これ以上に周辺がよりソフトであることが幸いして意外と好ましい写真が撮れることが多かった。

 ただし、「周辺に至るまで均質」という単焦点レンズに匹敵する光学性能を目指したレンズでは無い。もともとペンタックスの絵作りがそこを目指すというよりもやや派手な色の傾向含めて被写体を浮き立たせることに向いていた。

 このレンズについてひとつ面白いことを加えると、Kー5で撮影した時と、その後のKー70での時とで描写にやや違いが見られたこと。Kー70の方がシャープなのであった。これはカメラ側の設定がそうなっているというよりも、カメラの画像信号処理の時点で収差を軽減する処理がKー70の方が進んでいたのではないか と感じている。

 今2022年でもこのレンズは販売されているが、中古だと1万円くらいである。使い勝手の良さ、それに得られる写真としての「自己」満足度を考えたら破格のコストパフォーマンスである。旅行の思い出を残すような用途であれば地図写真機さんでKー70とのセットで6万5千円。いかん、また欲しくなってきた。

 ただ、ひとつ気をつける点があるとすれば、手ぶれ補正はレンズ自体には無い。ペンタックスのレンズは全てがそうだと言ってもいいのだが、それはカメラの側が撮像素子を動かすボディ内手ぶれ補正方式を採用しているからである。それが私の場合はペンタックスを選ぶ最大要素であったわけだが、そのボディ内の手ぶれ補正がいつも効くというわけでは無かった。また、その効きも良くて2段半、平均して2段いくかどうかの印象があった。そのため暗くなると自然にISOを上げて撮影することになるが、初代のKー3の頃まではカメラの高感度特性も良いとは言えずISO1250くらいを超えると「えっ」というレベルでノイズまみれになることも多かった。Kー70になってこの特性も相当に改善したのであるが、古いペンタックスのデジカメ一眼レフ相手だと望遠端F5.6が意外と足枷になった。

 長く満足したレンズではあったが、ペンタックスがK-5Ⅱでローパスフィルターレスを打ち出したあたりからそれまでの線が太いこってり描写路線から本当の解像感もあげる方向へと方針転換、K-3もその素養を持って誕生したことからいつしか「周辺もパキッとした写真を撮りたい」と思うようになった。

 そんな頃に、パキッを単焦点でなくズームでも発揮できるという触れ込みで新しいズームレンズが発売になった。 16-85mm F3.5ー5.6 である。

 

④16-85mm F3.5ー5.6。

 35-135mmを持っていればそれよりも焦点距離レンジの狭いレンズに買い換えなくてもいいではないか、という気持ちもあったがヨドバシカメラさんや地図写真機さんのレビュー記事というかそこに貼られた作例写真を見て気持ちがグラッと動いた。

 こいつにはペンタックスらしくない透明感と解像感がある。

 ヒョコヒョコとヨドバシカメラさんに出かけたら、そこでチャ-リーとチョコレート工場という映画で見かけたような販売員さんから熱烈トーク「K-3のローパスフィルターレスを活かすにはこのレンズしかない!」に洗脳されてしまいお買い上げしてしまった。

 で、描写はどうか。というと、

 これは正にその通りで、これまでの①~③のレンズとは一線を画すシャープ感。歪曲収差はというと、広角端に多少の樽型変形が残るものの全域で私を満足させるレベル。

 そして、周辺までの均質性も高い。

 大変満足した。

 ピントの合焦もペンタックスにしては良く、安心して任せられるレベルになっていた。

 そして何よりも強固な防塵防滴性能、それは防水性能といっても過言ではないほどで実際に川にカメラごと「ズン」と沈めて川底の石を撮る、なんてことを平気でしていた。どこに水が入るかというと、レンズとフィルターの間しか入らない、という凄さであった。

 ただ、一つ難点があるとしたらボケが固くてあまり綺麗ではなかった。いつでも固いというわけではなく、後ろの位置に少し離れたモノの描写が固い。

 たとえば桜や梅の花を撮ろうとすると、周辺の枝が映り込むがこのボケかたがやや汚い。そういう意味では万能レンズではなかったが、長らくペンタックスを使ってきて感じた太いシャープネスでなく透明感あるシャープネスをズームで初めて具現したレンズであった。

 ビルドクオリティも先の防水性能からわかるようにしっかりしたものであった。ただ、部品の合いという話でいえば、今手にしているニコンのZレンズズームには及ばない。

 この16-85ズームは善玉がやや大きくマウント部からスッと伸びた姿はK-3と良く似合った。見た目のかっこよさ、それから先に述べた描写性能、その両面からみて「このレンズのためにペンタックスを買う」、ということが本当に言えるようなズームであった。

 

 こうして、わたしのデジタル一眼経験はペンタックスの標準ズームと共に、最初の①②は「なんじゃこりゃ」から始まり、③でまあまあ、④で納得 というステージアップを経て最終章に向かっていた。

 つぎはいよいよフルサイズ24☓36mmフォーマットのK-1へ と思っていたが右肩に新しく追加されたダイヤルが花びらのように見えたのに嫌気がさして購入することもなく別のメーカにマウント替えした。

 そう、私のフイルムスキャナーをお蔵入りさせた張本人のニコンに懐古したのであった。次回はこの話です。

 ただし、Fマウントのズームニッコールは一本も買わなかったのでZマウントズームニッコールについて。こいつは凄いレンズ達である、性能とビルドクオリティと。

 

 おしまい。           22年11月7日。

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

標準ズームのお話(3)オートフォーカスが来た

キャノン EF 35ー80

◆ご献呈差し上げたマニュアルズーム

 

 カラーネガの現像とL判プリントにおいて、世界最強タッグともいえる関係を築いてきた二人(プリント屋さんのオヤジと私)であったが別れは突然訪れた。

 就職して北関東の工場町に移ることになったのだ。

 当地でももちろんプリント屋さんはあったが、なかなか思うようには仕上がらない。色が浅いのであった。濃いめにお願いといってもそれでも浅い。そんなこんなで、仕上がりが思うようでないとだんだんと写真そのものへの興味も薄れていった。

 さらに、追い打ちをかけるようにニコンFG付けっぱなしだった標準ズーム35~105mmを、ある事情から手放す事態が発生する。発生するというか、自分がそうしただけなのだが。

 就職した会社ではひと月のうちに1週間ほど、とある製品の開発試験の様子を記録撮影するためにカメラを使い回す機会があった。そのカメラがニコンのF3だった。

 私もFGを使っていたからF3の操作にはすぐなれたが、驚いたのはそこでのカメラの扱いである。とにかく雑、乱暴。

 ニコンF3といったら、触るのも憚れる超高級機というイメージを持っていた私の眼の前で先輩諸氏はバキン、ガコ、ゴーンという感じでレンガか石かを持っているように手荒に扱うのであった。

 さらに驚いたのは、そうして当然傷だらけではあるもののF3は動くのである。

 なるほど、これが本当のカメラというものかとわかった。そして、すぐさま私もそのマネをし始めた。そうすることで、少しでも先輩方に仲間として認められたいという姑息な気持ちもあったかもしれない。オリャ、ジー、チャ、ジー、チャ。

 グワシャーン。限度を知らずに振り回すように雑に使っていたものだから、とうとうF3を硬い地べたに落下させてしまった。

 そんな中でもF3は壊れること無くフツウに作動したのだが、レンズの方がバリバリに割れてしまった。これは焦った。と同時に一つのゴマカシ案が浮かんだ。

 私の私物のレンズとコソッと交換するのである。そう、割れたレンズはニコンのズーム35~105mm、私のモノと同じであった。しかも、夜遅く一人で撮影していたのでまわりには誰もいなかった。

 次の日の朝、誰よりも早く出社した私はあまり使うことの無くなった私物レンズを取り出すと、F3に合体させ、割れた方は茶色の紙袋に収めて寮へと持ち帰りゴミ捨て場の不燃物置き場にそっと置いた。

 やがて、またF3を仕事で使う機会が訪れても、先輩諸氏誰一人としてレンズが交換されていることに気付いた方はおられなかった。作戦成功。

 しかし、私の手元にはとうとう50mmf1.4しか残ってない状況となり、ますます写真から気分が遠のいた時期であった。

 今にして思う。正直にレンズを割ってしまったことを言えば

「こいつう。しょーがないねえ。 じゃあ、経費で買おう。消耗品だから仕方ないよな。」とニコニコしながら上司に足を踏まれつつ慰めてもらったことと思う。自分の私物をご献呈さしあげる必要はなかったことだろう。

 しかし、レンズを割ってしまったことに気が動転していた私はそこまで考える余裕もなかった。結果として自分のFGにつくレンズは50mm一つになってしまった。

 時はミノルタのα7000を皮切りにキャノンが新設計のEFマウントを起こしてEOS攻勢をかけていたAF黎明期。ではあるのだが、地場のプリント屋とのコラボ不発、愛用ズームレンズのご献呈、ひいきのnikonからは魅力あるAF機が出ていない などの諸条件が重なり、私の関心は別のところに向いていた。車の運転とか一日中寝てボーッと過ごすとか、まあそんな普通の青年らしいことである。

◆宝くじが当たる

 7万円の宝くじが当たったのはそんな時だった。

 なーんとなく当たるのではないか、という気がして連番で買ったら本当に当たった。

年末ジャンボの名に恥じなく、その当時の私にとっては非常にジャンボな7万円だった。

 むひょ、何を買おう!と思った時にふと頭に浮かんだのが

 「そうだ、オートフォーカスを買おう!」であった。

 キャノンEOS1000。 一番下っ端のEOSでありながらFGにはないものがついていた。当たり前だが自動焦点。それに、自動巻き上げ。ファインダー内の絞り表示。シャッター速度優先AE。そして、オートフォーカス対応の標準ズーム35~80mm。

 全身がプラスチックのカメラの割には余計なものがついてなく整理されたデザインだったからかそれほど安っぽい感じはしなかった。剛性感とか強度とかとは無縁な方向の製品であったが、意外にボディが大きかったせいもあるかもしれない。

 ◆35~80mmズーム

 こうして最初に使ったオートフォーカスのレンズが35~80mmのズームとなった。

 まず、最初に思ったのはこれではマニュアルフォーカスは出来ない、ということだった。もちろん、ピントリングがあるので物理的にはできるのだが、スカスカのガタガタなのでピントの微調整は全くもってできなかった。AFでレンズを駆動することだけのためのピント機構であったのは確かだ。とはいっても、どうしても無限遠にあわせたいときにできる、これで十分であった。

 近距離も確か40cm以下には寄れたし、何よりもオートフォーカスで開放F値がf4なので手ブレにさえ気をつければ大抵のものはシャープにおさめることができた。シャープといっても、nikonの50mmf1.4の絞りf5.6で決めたときの線の細いカリっとした感じは出ない。目に見えたとおりに写る程度のことである。

 ポジフィルムでとれば色もキレイに出るし、スカスカガタガタであることよりもオートフォーカスの手軽さの方に嬉しさを感じていた私にとっては十分なレンズであった。

 そして、それまでのレンズに比べて一番うれしかったのはピント合わせのプリズムが消えたことだった。というのは、開放絞りがf4,80mm側ではf5.6だったからプリズムのピント合わせだったら絶対に陰る。その陰りがなくピントをそれも自動で合わすことができる。

 そうして、再びカメラオタクへの正道に無事復帰することができた私はまたポチポチと写真を撮り始めていった。大事なネガを現像プリントするときには、買ったばかりの軽のボンバンに乗って高速は高いから下道を通って東京まで行くなんてことをしていた。

 ところで35~80mmという表記ではあるが、使った感じは広角側も望遠側ももう少しレンジが狭いのではと感じていた。37~75mmみたいな印象である。

 なので、1年も過ぎないうちに同じEFマウントの35~135mmに買い替えた。

これはキャノンらしいというか、シャープ感が無くても色は暖色系でしっかり出るというレンズであった。マウントもプラスチックではなく金属製ではあったが、どうもこのシャープ感のなさは自分を見るような気がしたせいかあまり好きになれなかった。

◆28~105mmズーム

 そして、キャノンは続くどこまでも であるのだが3番めとして手に入れたズームが28~105mmだった。

 この鏡筒は2段で伸びる構造をしており、そのために広角側にしたときにはかなりコンパクトな形態をしていた。まず、このコンパクトさに惹かれた。コイツを、買い替えたばかりのEOS100(ELAN)につけると滅茶苦茶にカッコインテグラでクラクラした。

 2段であるということはそれだけ鏡筒の構造にもガタが増えやすいということになろうかと思うが、果たしてこのレンズもソコソコのガタガタというかカタカタぶりを示していた。

 カメラ保持としてレンズ先端をもつとファインダ像が上下にガクッと動くのである。これは光学系のズレ幅が大きいことと等価なのではないか?と精神衛生上良くない。

しかしながら、いざ写った写真をみるとキャノンなのに結構シャープであった。先に買った2つのEFズームよりは明らかにシャープ。

 私は28mmはあまり好きではなく、40mm近辺で撮ることが多かったがこの一本さえあれば撮りたいものはほとんど撮ることができ、結果にも満足できた。EOS100というカメラの使いやすさとあいまって、このセットは5年くらいメインで使い倒した。

 

 おしまい。              22年10月6日。



 

 

標準ズームのお話(2)オートフォーカス誕生の前夜

ニコンFG 35~105 f3.5-4.5

◆3倍ズーム 35~105

 最初に買った標準ズーム36~72mmの欠点、それは最短撮影距離が長いこと。

 そのために、いつもそばにいた猫のタケの写真をとるにはクローズアップレンズを付けねばいけない。まごまごして付けている間にタケはとことこと餌の方に行ってしまう。

 その付ける外すの作法に辟易し、いつしか2倍ズームは35,50,100mmの単焦点3つに変わっていった。このなかで35mmと100mmはニコンの廉価版レンズであるシリーズEで済ませた。確かに安かったのは事実だが、この100mmについてはガラスコーティングが単相だったのではないかという疑惑を持っている。

 レンズの反射防止コートには定評があるニコンだが、40年前は単相コートもあったのである。あ、黒歴史をばらしてしまった。

 ええと。なんだっけ。思い出した。またズームを買った話である。

 今度はレンズシリーズEではなくNIKKORの名を冠した35~105mm F3.5-4.5。

 ニコンFAというマルチパターン測光を始めて搭載した新型カメラに合わせて発売されたような真新しいズームで、「これ一本で100mmまでいけるのか」に惹かれた。

 35mmと100mmは購入時に下取りに出してしまったので残るレンズは50mmのf1.4。明るいというのもあるが、FGに付けた時の形がキマッていたので手元に残した。

 実は、FGと35~105mmの合体姿はそれほどカッコ良くなかったのである。

◆3年後の変貌

 それまでの36~72mmに比べて、3年たって買ったこのレンズの大きな違いはマクロモードを搭載していたことである。購入動機のもう一つの理由であった。

 これは何かというと、鏡筒にマクロボタンというのがついていて、それを押しながら鏡筒を回転させると通常の焦点域よりも短い距離でも焦点が合うように内部レンズ群を動かせるという機構である。

 別にニコン専売特許というわけではなく、どのメーカーのズームレンズにもワリとポピュラーに付いていた機構であった。むしろ、ニコンもようやく付けたかの印象があった。

 36~72mmにもこれがついてればと思うが、このマクロモードは光学的にはムリをしているらしく、その性能低下をニコンは許さなかったのではないかと私は思う。

 でも、ネガのL判プリントがほとんどの私にとっては、性能いわんや画質はプリント屋さんの腕というか現像液の新鮮さというか、もっというと店主のその日の気分、もっともっと言うとフィルムを出した時のアイコンタンクトが店主に与える印象が決定すると思っていたからマクロモードの性能云々などどうでも良かった。

 そんなことよりマゴマゴせずにタケを撮ることの方が大切だった。そして、それが可能になったのである。

 撮る時に焦点は目に合わせるので、猫の丸い顔のヒゲあたりが周辺になる。そもそも、実物の猫に触れていても「いやあ、この猫のヒゲは素晴らしい」というほどヒゲに注目しているわけではないので、その周辺が画質低下でグルグルしていたとしても私は気にならなかった。十分なマクロ性能であった。

 そして最近、40年近くの時を経て私はあることに気づいた。これもニコンという会社のレガシーなのか、といたく感じ入った。

 Zマウントのズームレンズ24~120mmf4である。

 この回転ズームの操作感が、35~105mmのマクロモードをクククッと回していた操作感にとても似ているのだ。少し重め、そしてブレやガタが皆無の精緻な安心感。40年を経た感触がそこにはあって、このZレンズを操作するたびニヤリとする。

 では、その40年間に自分は何をしていたのかというと、何もなしていないという意味ではここでも別の意味のレガシーがあるがソコはあまり追求しないことにする。

 

 36~72mmと比べてこのレンズ使ってみて感じていたことをもう少し思い出してみる。

 まず好ましかったことの1つ目、それは言うまでもなく3倍ズームになったこと。

 望遠側が72mmであるのと、100mmに届くのとではだいぶ違う。その間には85mmという壁を感じる。

 70mm、85mm、100mmは焦点距離としては僅かな違いに見えるがその3つ共に見え方が違うと私は感じている。そして、70mmと85mmの差の方が85mmと100mmの差よりも違う気がする。

 70mmだと50mmのダラッとした延長のような感じが、85mmだと別の視覚を得た感じになる。逆にいうと望遠端が85mmまでであっても見え方としてはそこそこ満足できたかもしれない。でも、3ケタの100mmを超えるのは気分的に気持ちがいい。体重で3ケタを超えるのはイヤだが。

 そのころ、コンパクトカメラにはズームレンズが無くせいぜい2焦点切替だったのでズーム域が伸びる=ほうら、一眼レフだからできるんだぞ優越感みたいなモノを私は持っていた。

 しかし、今考えると当時においても一眼レフみたいなものを小僧のナリをして持っているのはどうしてもオタクにしか見えなかった事からして、一般人(コンパクトカメラ)に対するオタク(使えもしない一眼レフ)のひねくれた根性の裏返しに過ぎなかったのかもしれない。だって、撮るものがタケ、それも絵の出来はプリント屋の気分が決めるというならどっちのカメラでもいいじゃん。

 

 もう一つ、好ましかったのは直進ズームの伸びる方が望遠側になったこと。

 伸びる方が望遠というのは、感覚としてしっくり来る。伸びる方、その限界つまり105mmのまた先に、ますます伸びる方向があるという期待感を持たせてくれる。

 これが36~72mmズームのように縮む方が望遠ってことになると、72mmより望遠たとえば200mmとかを仮想したときに、自分に向かうレンズはカメラ本体をぶちぬき私の心臓くらいに来る。そんなことはありえない。非現実な感覚がどうしてもあった。

 

 そして、使ってから気づいたことの3つ目は開放f値が変動することの不便さ。

 ストロボ撮影をマニュアルでするわけでもないし、日中の撮影も絞り優先かプログラムのTTL露光がほとんどだったので、露出の上での使いづらさはなかった。f値変動とはいっても、f3.5がf6.3になるわけではないのでシャッター速度もそれほど極端に遅くはならない。

 では何が不便だったか。

 変動そのものというよりも望遠端のf値が4.5と暗くなるということ。

 さっき、f6.3になるわけでもないしとか言ってたのは露出についてはそうなのだが、ピント合わせについてはf3.5とf4.5とではだいぶ違った。

 スプリットプリズムやその周囲のマイクロプリズムに陰りが出る頻度が急激に増えたのだった。f3.5までなら、ほとんど問題なくピント合わせできるのが、わずかにf4.5になるだけで陰りの出る場面が一挙に増えた。

 ファインダーの中のプリズムでピントを合わせるという行為は、広角だとなかなか難しい。 多少ピントが外れていても、プリズムの上ではキレイにあっているように見えるからである。

 そこで、望遠側でピントを合わせておいて広角側にズームするというワザを使う。なので望遠側のピント合わせは、どの画角で写真を撮る時でもいわばルーチン的に行っていた。

 それが陰りが出て合わせづらいとなるといつでも使うワザというわけにはいかなくなった。あれこれと、プリズムの陰りが出ないように光に対するカメラの位置を変えたりとやることが増えたのである。しかし、これは使ってから気づいたことだから仕方がないことだった。

 

 最後に、画質について。36~72mmより透明感がある描写と感じた。だが、これはプリント屋さんのオヤジと私との言葉を交わさないまでも深い信頼感が築けたということの方が大きい。お互いシャイだと打ち解けるのに時間がかかるものなのだ。

 ただし、広角側の歪曲は明らかに改善していた。画角の歪みを直すことなどさすがにオヤジでもできないわけだからこれは確かである。

 そして、「きれいな写真が撮れるかも」の期待を持った私は、とうとうポジフィルムデビューを果たした。コダックのエクタクロームのASA200で上野公園に出向いた。独りで。そう、オタク感満載で上野をほっつき歩いたのであった。

 なるほど、ポジはネガとは一線を画す美しさがあった。感動した。

 だが、それは反面、折角得たオヤジとのネガ現像コラボ関係を壊す危険性もはらんでいた。そうして幾多の人々との出会いを経て私は一歩づつ成長をしていたのかもしれない。(本当か?)

 冒頭の写真は、大学を卒業するにあたり生協の一番安いプランでヨーロッパ一人旅をしたときのもの、最初の都市パリにて。カメラもズームも手に冷たかったことを覚えている。

 

 以上がオートフォーカス誕生前夜、露出以外は何でもマニュアルの昭和50年代のズームレンズ事情であった。

 

 おしまい。             22年10月1日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

標準ズームのお話(1)36~72mm

,キャノンEOS100 EF28-105

 上の写真との共通点は標準ズームであること、それだけ。でも、標準ズームはとても便利、とても夢がある。そんな話を初めて使ったニコンレンズシリーズE36~72mmから始めていきます。

◆ズーム、といえばシグマ

 私がまだ青臭く、キャノンのFTbに50mmf1.4をつけてプラモデルだけを撮っていた頃。私の友人は野球部の活動の様子をリコーサンキュッパで撮っていた。

 練習風景とか、友人のそのまた友人が試合で三振しているところとか。それをショーがねえなって表情で見ている野球部顧問の顔とか。

 そのときに彼がつけていたレンズがシグマの75~150mmのレンズだった。

 なので、何も知らなかった私はズームレンズというのはシグマというメーカしか作っていないと思っていた。そしてまた、画角が2倍も変わるなんてすごい! なんたって2倍! 羨ましいなあ。

 単焦点をいろいろ持ち歩かず一つで済ますことができる。そんなことではない。

 ただ単にモノとして、普通のレンズの機能であるピントをいじる露出をいじるの他に、「撮る範囲を変えれる」このマルチ感に憧れたものだった。

 そう、FTbの硬派すぎる思想、例えばシャッター速度が遅いとファインダ内にいきなり赤帯がたれさがるという機械式手ブレ警告方式(であったのに気づいたのはだいぶ後)とかを見ていると、「何でも出来ますよ」というC調言葉ふう機能に惑わされてしまうのだった。

◆実現:マルチパーパスな組み合わせ

 自分で買う最初のレンズは標準ズーム、ニコンレンズシリーズEのF3.5 36~72mmと決めていた。

 ブラックのニコンFGと一緒に「安さ爆発!!」カメラのサクラヤで購入しました。

 この組み合わせにする時にまず気にかけたのは重さ・大きさ。とにかくFTbは持っていて手がプルプルするので、「軽く小型の一眼レフ」が欲しかった。

 この仲間は当時あらゆるメーカーから発売されていて、ドレを選ぶかのもう一つの尺度がマルチ感であった。いろいろ出来そうな感じ、というのが大事であった。

 いろいろとは言っても、当時はフィルムを扱うゆえにホワイトバランスを撮影時にカメラ側でいじる発想も無かったし、一眼レフの自動焦点や手ブレ補正については夢のまた夢であった。じゃあ、何がいろいろなのか。

 ①おニューな自動露出機構 ②巻き上げ自動化への対応 ③ストロボのバウンス撮影自動調光 ④グリップが付いている であった。

 ニコンFGにそれぞれをあてはめると、①プログラム露出の搭載 ②外付けオートワインダ ③TTLストロボ調光対応 ④取り外し可能なグリップ。全て満たしていた。

 まあ、ミノルタXー700やキャノンAE-1プラスプログラムなんかも④を除いたら満たしていて、しかもX-700はFGにはないファインダー内絞り表示なんがかあった(しかもそれが撮影にはとても大事なことが後になってわかる)。

 今思うと 結局デザインの好みで選んだだけかもしれない。プリズムを中心にしてボディの右側と左側の長さがアンバランス、そこがカッコインテグラであった。

 

 最初にカメラが決まってしまうと組み合わせるレンズはニコンかシグマに限られる。

 タムロントキナートプコン、オオサワといった交換レンズメーカはボチボチその名前を知ってはきていたが、触ったことも覗いたこともなかったのでニコンかシグマ。

 そして、50mmを挟んで2倍もの画角をカバーし、且つ自分にとってカッコ良いという理由でニコンレンズシリーズEの36~72mmを選んだ。

 カッコ良さといえば、35~70でないところもシビれた。5で割り切れる数字だと硬いゲルマン的な気がするが、そうでなくむしろ6の倍数である数字だと柔軟なラテン的気分が漂う。念願の2倍ズームであった。

 Eの意味がeasyなのかeconomyなのか江戸家猫八なのか、それは今でもわからない。

 FGが出る前のEM用のレンズだったが、むしろFGにドはまりのデザインだった。鏡筒が今のレンズのような樹脂でなく金属であり、文字も印刷でなく彫り込まれているので結構な高級感もあった。

 首からぶら下げていると本当にたくさんの知らない人から「かっこいいですね。」と言われた。あいにくぶら下げている私自身に「かっこいいですね。」と言ってくるひとはいなかった。

 こうして私は念願のマルチ感を満足させ、標準ズームありきの人生を歩み始めた。

 なお、同時にニコンのTTL対応スピードライトSB-15まで買ったものだから、私は2ヶ月間の昼食を学食の140円カレーライスだけを食べてしのいだ。

 正直、これでは頭の回転がわるくなるのが自分でわかったので2ヶ月でそういう無理はやめた。

◆良かったところ

 画質。

 このレンズは、周りの人が使っていた標準ズームと較べても良く写るレンズだったと思っている。特に広角側、といっても36mmだけど、その歪曲はまあまあ補正されていた。

 また、この小ささでF3.5というのは今の私であったら明るさ的になにかムリしてるのかと勘ぐるが、記憶としては周辺光量が開放でドンと落ちるということはなかった。

 もちろん、今のレンズと比べたら解像力や周辺の流れは劣っていたに違いないが、なにせネガフィルムで撮ってL判にプリントすることしかしないので十分満足であった。

 フジカラー、コダカラー、サクラカラー、そしてAGFAのフィルムの差もわかるのでレンズの色バランス自体はニュートラルだったのだろう。

 私はサクラカラーの百年プリントというのをその中で良く使っていた。フィルム代とプリント代が富士フィルムより少しお安かったのである。

 

 F3.5の明るさ。

 ボケが稼げるという今風の意味とは全く違って操作性に直結する部分でこれだけの明るさを確保できていたのは嬉しかった。

 というのは、当時のマニュアルフォーカスを合わせるためのスプリットプリズムは暗くなるほど陰りができて合わせるのに一苦労する、というのを私は友人のシグマズームレンズで知っていた。

 F3.5でも少し陰りが出るときもあったが、ほとんどのシチュエーションでまともなピントあわせができる明るさであった。これがズーム画角通して一定なのである。

 

 あとは手の動き。

ズームするときに鏡筒を前後にギュギューンとするのは楽しい。ファインダーの中の視野がギュギューンと変わるのも楽しいが、獲物を狙う狙撃手のような気分(ゴルゴ13感)をこの手の動きは想起させたのである。

 今まで狙撃手になったことはないけど、多分そう。ただ、少し残念なのは、意識としては伸ばせば望遠になると思うが、この頃のズームの中には 伸ばせば逆に広角になる というものが混在していて、36~72mmはこのタイプであった。

 まあ、でもギュギューンが楽しいから仕方ない。それに、直進式ズームだと構えている手にとって重心移動を気にせずに保持できるという利点もあった。

◆妥協したところ

 どんなモノでも使い始めると、まあいっか、と気づく所が見つかるものである。このレンズの場合は、その一つが歪曲だった。

 え、さっき褒めてたのに、であるが、この歪曲の問題は当時の標準ズーム全体が共有していたことなので特に36~72mmを責めているわけではない。そして、普通に景色を撮っている時には気にならない。

 どういう時に気になるかというと、近くから遠くまで続く連続体を画面の中に納める時であった。そんな連続体というと限られる。超高層ビルとか東京タワーである。

 広角を持つ者の儀式として東京タワーは欠かせない。その先端がグニュリとしていてシャキッとしない。そこまでの高さのないタワーをとってもグニャリとしていた。

 のちに、2000年頃、コンタックスのariaに28~70mmのズームをつけてスペインのサグラダファミリアを同じような俯角で撮影したことがある。

 シャキッとしていた。時間がもたらす進歩ということなのだろう。

 

 もう一つはF3.5の明るさ。

 これもさっき褒めていたのだが、あと2段は明るいと良いと感じた。今の時代のズームにとっても滅茶苦茶ムリな注文である。

 機能的に欲しいということではなかった。ISO400のフィルムが常用感度としても認められ始めた時期なので、場合によってはフィルムを使い分けることで対処できた。

 何が気になったかというと、f1.4の50mmをずっと使ってきたので 2.8とか2とかの数字が無い というのが感覚的に落ち着かなかった。それだけである。そして、これは理性的な大人であれば抑制できる類のことである。

◆最短撮影距離

 このレンズの中で使いづらさを意識させたのが、最短距離だった。1.2m。

 12cmではない。120cmである。

 そこそこの写りとか、小型であるとか、他の利点とこのネガな部分を天秤にかけて購入したつもりだったが、想像以上に120cm以内で撮影するものが多かった。

 特に飼い猫。名をタケといった。

 動いている所を撮るというのは自分の腕からしてムリだったので、スーピーと寝ている顔を間近で撮ろうという時にいつもクローズアップレンズをフィルタ枠に付けたり外したりしていた。

 このクローズアップレンズを常に携行し、のみならず割とそれを頻繁に使うという状況。これは、ズーム一発何でも来い というモードよりも場面に応じて単焦点レンズを付け替える儀式に行為としては近い。

 マルチであったはずなのに、あれ、何かおかしい。

 この頃のレンズには、新たな機能性が加わる替わりに最短撮影距離が密かに犠牲になっていることが多かった気がする。でも、飼い猫のタケにかぎらず、近くにこそ撮りたいものがあるのであった。

◆そして単焦点

 私はこのズームを機にレンズシリーズEの100mmと35mmの2つを買い、そしてNikkor AI-Sの50mmf1.4も手に入れた。 そして次第に36-72mmを使わなくなっていった。

 もし、最短撮影距離がせめて半分、60cmであったならばとの思いがそこには常にあった。

 だが、そうして単焦点を使うようになるのと同時に、左手に覚えたズームをギュギューンと引き伸ばしたり引き寄せたりするあの感覚。

 感覚というか快感。

 それは、次の標準ズームを購入する動機となって2年後を迎えた。

 

 おしまい。                 22年9月11日

 

 

 

 

いい写真とはなんだろう

コンタックスRX 50mmf1.4

◆ずぅっと下手くそだった

 キャノンFTbという一眼レフを父が使っていた。私にとっては、それが初めて24☓36mmフィルムを入れてのカメラになった。

 FTbで何を撮っていたかというと、当時は高校1年生、その年になってもプラモデルが好きだった私は作ったガラクタの数々を50mm標準レンズで天井の蛍光灯だけを頼りに白黒撮影していた。

 白黒であればフィルムも現像代も安かった。そして、色の要素がないので塗装のいい加減さを誤魔化せるという目論見もあった。

 

 で、その当時の写りの方はどうだったか。

 最短撮影距離が60cm(だったかな)、プラモデルを大きく画面に納めるためにその最短だけを使い、絞りも照明が暗いためにf1.4固定とくればシャープに撮るなんてことは全くもって無理。そんな知識も無かったころだから、我ながらなんて下手くそなんだろうと思いながら少しも上達することなくパチパチしていた。

 今思えば、当時のキャノンFD標準レンズのもっとも不利な特性領域を使ってたわけだし、絞りをf1.4の開放にセットしても心許ない薄暗い蛍光灯の下では手ブレ出まくりなわけだからうまく撮れるわけがない。手ブレくらい数をこなせば減るかというと、当時は今の半分といって言いくらいの重さというか体重のガリガリ野郎にとってFTbはいつ持ってもプルプルさせるカメラでありフィジカル的な面での上達も全く無かった。

 それでもブレ・アレの写真が一種凄みをみせる時があると勝手に錯覚するときがあり、「イヨー、イカすぅ! さすがスバルR2!」と一人悦に入る事もあった。時はこれから享楽弾ける80年代が始まるころ、こんな暗い高校生だったのかと今書いていて何ら性格的に変わっていない自分に驚いたりする。

 

 そんな回想はさておき、レンズの収差どころか手ブレも被写界深度も知らずにとにかくピントさえ合わせればシャープな写真が撮れるはず、なのに何て下手くそなんだろう。それまで使っていたコダックポケットカメラはピント機構がないからボケてるのはわかる、だけどピントをきっちり合わせたのに。

◆マトモへの脱皮

 そんなブレ・アレ時期がある助言をきっかけに一変する。同じカメラとレンズでありながら、多少はマトモな写真=ブレも無くアレも少なく何を撮ったかがわかるシャープな写真に変貌したのだ。

 化学を教えていた若い先生が「こりゃあ、手ブレひどいな。三脚使ってフラッドランプあてて距離を離して絞りこんでみたら。えらく小さく写るけど、あとで今以上にガッとトリミングした方がこれよりまだシャープでマシに写るぞ。」とアドバイスをくれた。それを聞いた私は、貯めた小遣いを握りしめ、初めて新宿西口のカメラのサクラヤを訪れスリックの3段三脚とランプそれにレリーズケーブルを手にして家に戻った。

 最初にFTbを三脚にセットしたときは雲台の締め付けが緩く、FTbが自重で下がり「バコン」という音と共に三脚の足にレンズが激突した。「ゲッ」と焦ったがカメラもレンズも無事なことを確認し、改めてセットし直しフラッドランプを点けながら絞りをF11に絞り込みレリーズを切ってみた。カメラの露出計で出したシャッター速度だけでなく、その2倍4倍も切っておけと言われたまま数枚のスバルR2写真をおさめ(残りの枚数でトヨタ2000GTとかロンドンタクシーとかを撮り)現像屋さんを兼ねたクリーニング店に持っていった。

 出来てきたプリントを見ると今までのようなブレがないことに興奮し手応えを感じた私は、プリントの枠の中でR2が写っている周囲だけをペンで囲み、またクリーニング屋にいって「ここだけネガを拡大してください」とお願いし、その結果を受け取るやいなやこれまた仰天した。粒子が少し目立つが、くっきりと写っている!

 それまでの写りがピントをヘッドランプに合わせてもプリントしたらただの丸としてしか判別できなかったとしたら、この能登(先生の名前)方式ではヘッドランプとしてわかる、その後ろのフロントワイパー部分まで見えるのであった。

 これを契機に、私はピントさえ合わせば良いという感じでヤミクモにパチパチしていたステージから、レンズとカメラで光や深度をどんな風にコントロールしていくか興味を持って体得していくステージへと移っていった。

 しかし、白黒とはいえフィルム代と現像代にお小遣いを使うと肝心のプラモデルを買えなくなるジレンマがあり、高校在学中には能登方式以上の進展をみせることはなかった。プラモデルをくっきり撮りたければ三脚。これであった。

 FTbではカラー撮影もしたことがある。東京の晴海で輸入車ショーをしていて、コダカラー3本を持って一人で激写に行った。当時すでにスーパーカーブームは終わっていたが輸入車という言葉の裏にあるヨーロッパそしてアメリカという至高の響きに弱かった多感な少年は夢のような1日を過ごした。しかし、全ての写真が露出不足で何も写っていなかった。当時ストロボをつけていたのだが、定められたガイドナンバーにおいて被写体に届く光量を増やすには絞りを開けるベシ!というところを、逆に絞りこめば良かれと勘違いしていたために起きた失敗だった。

 ちなみに、FTbのピント合わせは中央のマイクロプリズムを見て行うのだが、その後の一眼レフカメラで主流になったスプリットプリズムよりも私にとっては合わせやすくソコで苦労したことはなかった。つけていたレンズが一本だけ、f1.4と明るかったせいもあるけど、2000年代半ばになってもピント合わせが超絶難しいスプリットプリズムを持った一眼レフがあったことを経験している。このカメラ、明るい単焦点をつけてもピントのプリズム合致がみづらいのであった。AF機構もないし、どうすんのコレという状態だった。

 まあ、(写真だけでなく)いろいろ失敗しながら少年は大学に入り自分で買ったニコンFGを手にするころになると、少しだがマトモな写真が撮れるようになっていった。

 少しだが。。というのはそうでなかった部分があるから。なにかというと、カメラの水平垂直を安定して保持する。縦位置で撮るとどうしても傾いてしまう癖があった。これを克服できたのは40才前くらいと世間一般からみればかなりの遅咲きであった。

 

 ええっと。まとめると、わかってないままカメラを扱えばマトモな写真はとれない。

 を、悟った。

 

 そのマトモな写真とは、「写したいもの」がブレもなくピント外れもなくその姿で浮かんでいること。

そう思っていた。

◆脱皮しなくても良くなった

 いきなり現在にワープする。1979年から2022年、平成をすっ飛ばして昭和からいきなり令和へと。流星号、応答せよ。で、応答したとする。

 FTbに相当するのは今ならばEOSのR5やR6だろうか。私の使っているニコンに無理やりあてはめるとZ7Ⅱと勝手に決める。この決定においてキャノンやニコンの了解はとってないけど、まあ良いでしょう。

 そうすると、能登方式をたとえ今知らなかったとしても、当時思い悩んでいた下手くそ写真を生み出す事の方が逆に難しい。

 カメラでいうと、

 高感度に強いからシャッター速度を稼げるし手ブレ補正もある→ブレようがない。

 ブレようがないから、更にf値を絞り込める。→クッキリ範囲が広がる。

 レンズでいうと、

 最短距離であっても最近のレンズならば収差補正がすさまじい→アレようがない。

 その最短距離も短くなった→トリミング拡大のアレが減る。

 解像する粒子というか画素の密度が高い→アレそのものが物理的に小さい。

 

 ブレ・アレ下手くそ写真を経験することなく、いきなりマトモ写真が撮れてしまう。

 加えて、ファインダ内に水準器を表示させて水平垂直を確認できるので40才前にようやく会得した三半器官自己調整奥義さえ必要ない。もしくは、たとえ傾いていても後で角度を補正できてきまうので水平垂直に気をまわす事すらしなくて済む。

 

 Z7Ⅱってすごいでしょ、とか、やっぱりキャノンよりニコンの方が良いとか 何やら自慢やえこ贔屓のようだが、そうではない。

 これって、光をとらえる構造には違いはあるけど結果として今のスマホでも簡単にできてしまうのだ。むしろ、スマホの方が撮像素子が小さく被写界深度が物理的に深い分、クッキリ範囲も広ければ手ブレにも強かったりする。

 誰でも手にするスマホ、誰もがブレ・アレの下手くそ写真を経験することなく、いきなりマトモ写真が撮れてしまう。

 

 いい写真の「いい」という意味が変わってしまった。

 

 昔の自分は、「いい」は「マトモ」に相当被る部分があると思っていた。修学旅行に行って手にする当地での絵ハガキにある写真、金閣寺とか五重の塔とかあったけどあんな緻密でキレイで「マトモ」の極致にあるカラー写真は写真部の連中でも写せなかった。「これは大判で撮っているからさあ。」とか言い訳していたが、今ならスマホ、それに画像加工アプリがあれば私にもできそうだ。そんな現在においては、逆説的な言説が出てきた=絵ハガキ写真のような陳腐な写真でなく「いい写真」を撮りなさい、と。

 

全てが「マトモ」になった現在で、では「いい」とは何だろう。

 

◆人様の見方を参考にしてみる

 「技術的にマトモか、技術的に下手くそか」とは違う、また別の「いい」という評価軸があるらしいのは知っている。

 と思うが、まずは「いい」の意味がおいそれとはわからない。

 そこで、「いい写真はこうだ。」と紹介している方の言葉の意味を理解してみることから始める。こういうときはユーチューブ。その中で、閲覧数が多かったのが 東京カメラ部 というところの動画であった。ここは応募してくる写真の中から優秀「つまり 、この団体がみるところの「いい」」写真を選ぶコンテストもしているらしい。

 例えば、東京カメラ部 「名画に学ぶ。」 20分くらいで何編かにわかれている。

 だめだ、私には無理だ。いくつかの構図例や色差による奥行き、主題・副題といったことを写真例と絵画例をもとにレクチャーしてくれている。それはそれで知識になるが、写真を撮るときにそのことを考えたことはない。そして、これからも考えないだろう。絵画と同じ方法論を目指したら、そもそも写真とは何であるかから離れてしまう。別に写真を撮らなくても、そして写真を見なくてもいいではないか と思ってしまう。

◆絵画と写真のちがい

 自分がシャッターを押す時、それは気が向いたから撮るのであって、あとの仕上がりというか完成形をイメージしながらということはない。先に事物および光影があって、撮影後に現像してレタッチするときは撮影した時に向けた気持ちを思い出しその印象に近づけるようにしている。

 時々、レタッチしている時に何らかのヒラメキがわき起こり、遊び半分で全く別のモノにいじることはあるが、撮影した時の印象とは違うモノを作っている点で、もはや写真という意識はなくコラージュを作っている感覚に近い。

 絵画は描く者の意識の元に完成するが、写真は完成したものが目の前にすでにそれ自体として存在している。それをいかに留めるかということだと思う。確かに、鑑賞する対象としてはどちらも2次元なので似ているが、一方は後で完成する、もう一方は最初に完成しているという点で違うものだと思う。写真は、撮るというか目を向けた時がピーク、そのピークを経験したいがために、わざわざカメラを用意して失敗しながら撮り方を徐々に覚えるといった事をしてきた。結構な手間だと今思うが、それを全く感じさせない面白さがある。

 

◆いい写真とは

 誰か顧客のためにというワケではなく、楽しみとしての写真撮影におけるいい写真、それが(あくまで私にとってではあるが)この絵画と写真の違いを見通す中で何となくみえてきた。

 それは目を向けさせた光景・空気・事物がそのままに、意識の介在なしに想起してくる写真。

 この介在なしにというのが難しい。例えば、その事物が消しゴムだったとする。あ、この消しゴムの形と質感と陰影の感じがいいなと思ってパチパチしたとする。そのときに、不思議なことに消しゴムが画面の真ん中にあるか、または少し右なり左なりずらしところにあるかでそのまま感が違ってくる。どちらがいいかはその時々によるが、この位置の違いだけでウマくはまらない時はモニョモニョした引っ掛かりが頭の中に介在してくるのである。

 私にとっていい写真というのは、撮る時にモニョモニョ引っ掛かりを無意識に避けれているもの、らしい。典型的な構図とか、色のバランスとか そういうカテゴライズした時点で無意識ではなくなるから、このモニョモニョ回避の仕組みそのものは言葉にできないしそもそも思考には浮かんでこない。ただ、このハマった瞬間が写真の楽しさだと思う。そして、そういう写真の中には時々、撮影した時には気づかなかった奥深さみたいなものが通奏低音のように出ていることをプリントなり画面なりで発見して意外な気持ちになることもある。ちょっとそれが不気味な時もある。

 今のカメラ、そこにはスマホも含むけど「マトモ」でない写真というのはなくなった。しかし、事物をカメラ越しに見つめた時に光景に意識が介入しやすいか、そうでないかはカメラによって違う。ヘンなことだが、ファインダやモニターの見やすさというより手の中のおさまり感の方が左右したりするのである。写りには全く関係なさそうなカメラそのもののデザイン、頭のとがり具合とかが関わったりするのである。不思議。

 

                          2022年9月4日。

 

 

 

  

その47.ニコンZfc Cの皮を被ったN

出会い

このZfc、昔の一眼レフFM2をモチーフにしたという話が伝わり、それならばとヨドバシカメラに触りに行きました。

しかし、実際に手にとると本物(というと、もう一方が偽物っぽく聞こえますが)のFM2とはフィーリングが違う。本物は一つ一つの部品に機械的意味を感じられるキシキシした操作感があるのですが、Zfcはダイヤルをいじってもあまり機械のダイレクト感はなく電子制御を動かすためにいじっている感がありました。こういうのが手に伝わるというのは不思議ですね。その一つの要因は重さが軽い、だから中味に機械よりも基板を手の平で感じてしまったせいかもしれません。

なのに。感触や外形には感動しなかったはずなのに。購入しました。

それは、Z50と比べた時に操作系のレイアウトがZ7Ⅱに似ていたからです。同じように使えるということが決め手でした。

ボディのカラーはサンドベージュにしました。昔、プロのサッカー選手の中に周りは黒いスパイクはいているのに一人だけ白いのを履いている選手がいました。その真似みたいなもんです。

Z7Ⅱに似ているところ

値段で比べたらそりゃあ3倍違うし、向こうは24☓36mm、こちらはAPS-Cなので同列に比較できるものではありません。

しかし、カメラ雑誌の執筆者の中にはZ7系よりもZfc含めたZ50系の方がカメラとしてまとまっているという方もいらっしゃるようです。まとまっているどころか、性能が上とまでも。値段とセンサーサイズを考えると「それはないだろー」と思ってました。

結論をいうと、「それはないだろー」が正解です。Z7Ⅱの方が性能も画質も標準で、Zfcはそこを起点に語って然るべきカメラだと思いました。

では、まず似ているところからZ7ⅡだけでなくZ50との比較もまじえて見ていくことにします。

①背面のスイッッチ配置 その左側

Z50を使っての不満の一つは、背面の左側にあった再生ボタンとゴミ箱ボタンが右側に移ってしまい、そのせいで右側にあった拡大・縮小ボタンが液晶パネル操作に押しやられたりと、かなり変わってしまったことです。暗黙のうちにカラダが覚えていた「撮ったあとの操作はまず左手で」と違うのでとまどってしまう。

ZfcはそれがZ7ⅡさらにはD750とも同じ左側に復活したので自然な撮影フローができます。

②背面のスイッチ配置 その右側

右側に目を転ずれば、一番うれしいのはiボタンが上にあること。これもZ7Ⅱと同じです。この位置にあるとファインダを覗きながらでもiボタン設定を呼び出すのが容易です。静音シャッターやHDR合成とかメニュ階層の深い所に入らずに設定できるので重宝しています。

③上からのぞけばカメラの設定がわかる

ダイヤルがついてるので、シャッター速度とかISO感度とか目盛りでわかって便利。ってところですが、あいにくZfcであってもダイヤルではなくボディの表と裏にあるグリグリを使って設定しているのでその方面での恩恵はあまり感じていません。

何の設定が見えるのが嬉しいか? というとレンズの絞り値が小さなデジタル小窓に見えるのが嬉しい。ニコンのZレンズは開放から性能が出るので、面倒なときはいつでもどこでも何にでも絞り開放で撮るという横着作戦をとっているのですが、ふとしたことで絞りが開放からズレた時でもファインダだけ覗いているとそれに気づかずにいることがあります。それが、この小窓があるおかげで、自然とカメラを構える前に絞り値がズレてないかを確認することができる。そこが嬉しいです。ただ、ちょっと小窓すぎて老眼にはきつい。この上に後付ではれる拡大レンズをどこかのサードパーティが出してくれないだろうか。10セントくらいだったら確実に買う。

④垂直・水平出しの表示が控えめ

ファインダの表示設定をいじり垂直水平マーカというか円を出しておくと、自分の三半規管をこっぱみじんにするほど冷徹に垂直水平を出すことができます。この表示がZ50の時にはNINTENDO DSの戦闘ゲームみたいで邪魔でしたがZ7Ⅱでは控えめになり好感が持てます。そして、Zfcはその控えめタイプになっています。Z7Ⅱと同じように扱うことができます。

⑤充電がUSB-C

カメラに電池を入れたままの充電または給電ができるのもZ7Ⅱと同じです。端子はZ50のマイクロUSBから現在の状況に合わせるようにUSB-Cに変えられています。ここもZ7Ⅱに共通するところです。

⑥画質

Z7Ⅱは滑らかな描写が魅力的です。ZfcはAPS-Cなので流石にそこまでではないですが、Z50に比べたらチューニングが違うのか硬さが取れた絵になっています。

 

では、次にどうしても及ばないところを見ていきます。

①ファインダ倍率

これは使っているものが違うのでZ7Ⅱと較べては酷ですが、狭くなっているので50mmレンズをつけると実物を裸眼でみているときよりやや小さく感じます。

Z7Ⅱくらいの倍率があると50mmでファインダを覗いた時にそのままの大きさを感じることができて楽しいです。それはZfcでは無理です。

なお、ファインダ倍率が大きいことの背反として昔は4隅がケラれると感じてました。なぜか今はそれを気にしなくなりました。電子ファインダなので光学ファインダと違うのかもしれません。

②ホワイトバランスの精度

同じ画像処理エンジンのはずですが、ここには明確な差があります。Z7Ⅱを100点とすれば65点くらいのイメージです。だからといって、それより前に使っていたデジカメはもっと合わなかったことを考えると、ライトルームでいじりさえすれば問題ありません。逆にいうと、それだけZ7Ⅱのホワイトバランスがすごい。オートフォーカスの性能よりも個人的には気にするところです。

③24☓36→APS-Cのクロップ撮影

これはもともとがAPS-CのカメラであるZfcには無理な相談です。しかし、これが使えると単焦点レンズを(画角変化はありませんが)2焦点レンズのように扱うことができるので結構便利です。まあ、こういう軽いカメラを持ち運ぶときには、潔く1画角オンリー勝負でいった方が使い方として合っている気がします。

 

こうして並べてみると、Z7Ⅱに近いところの方が、違うところよりも多く気がつくので、全体的には同じような使い方ができる良い相棒だと思います。と同時に、改めてZ7Ⅱの完成度に感心しました。

最大の欠点

これを言っていいのかどうか不安ですが、言っちゃいます。このシルエットはじぇんじぇんニコンじゃないじゃん。これって、キャノンじゃん。

何がそうさせるかというと、上から見たときのレンズの位置。これが左右の真ん中に来ている。ニコンの一眼レフはレンズは上から見て左に寄っているというのが超カッコイイと思っていた身からしてみれば、これは大きなマイナスポイントです。左側のISOダイヤルのある方が異様に間延びした感じに見えてしまう。ここは7mm以上削ってもらいたかった。

キャノンのシルエットになってしまっただけでなく、実際に構えた時にも右手側にはあまり余裕がなく、左手側にはムダなスペースがあることを手に伝わる重さとして感じてしまうのもなんだかなあ感を出しています。

バリアングル液晶だったりの問題もあるのかもしれないが、かなり惜しい。

グリップの必要性

このZfcには昨今のカメラが備えている右手側のグリップがありません。そのため2万円近い値の純正の追加グリップが用意されています。サードパーティからもいくつか出ています。雑誌やWEBのレビューを見てもグリップ必須のようなことが書かれています。

実際に手に持って操作すると、その必要性は全く感じません。良くホールドできます。なぜそれほどグリップグリップと巷では言われているのかわかりません。合わせているレンズがほとんど18-140ズームだけ、というのも関係するのかもしれません。

左手側の保持が安定するので、右手はボディを親指側から前につつむ感じでカメラを持つことができます。

注目されたお話

普段は一眼を首からさげて歩いていても、周囲にとって近寄りがたいモノを出しているらしく人に話しかけられることはありません。(そのモノが何なのか今だに把握できずにいます。鼻毛? 腹? 脇汗? 人面魚?)

ところが、このZfcを下げていて初めて声をかけられました。神戸の商店街でアメリカ人らしいヤング男性に。SONYのカメラでKOBEを激写していたお兄さんはこう聞いてきた。「FUJI?」「No,this is a NIKON.」「H...m. Nice camera.」嬉しかったです。

総論

良いカメラだと思います。でも、やはりZ7Ⅱは持ったときの重量バランス、ボタンの適切な配置、ホワイトバランスの安定性、そしてクロップが効くなど別格であることを再認識することができました。

一抹の不安

それは、ブラックボディで左端が短くなったバージョンがZfcⅡとかで出てきたらどうしよう。絶対かっこいいに違いない。それに、案外出るかもしれない。でも、もう買いませんよ。わかりませんが。

...

ひとまず、これで1974年から2022年7月現在まで47台のカメラを使ってきたヒストリーは終わります。1台1台に作った人や販売した人のいろんな思いが詰まって世に出てきたカメラ達、ふれてみれば面白くないはずはありません。幸せな時間です。